nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

オロネ25-500番台

2014-11-29 | ブルートレイン


北斗星編成のみの連結されているツインデラックス、オロネ25-500番台。北斗星の個室寝台の中で唯一、北斗星用に改造された車両ではなく、国鉄時代にオハネ25形から改造されています。
オロネ25-500番台は国鉄最末期の1987年3月末から、上野青森間の寝台特急ゆうづる用として、運用を開始しました。この時、青函トンネル開通後の上野から札幌までの北斗星の運行計画がすでに有ったため、北海道へ急行ブルートレイン用として渡った14系と同じく、扉の引戸化や暖房強化が行われており、耐寒耐雪仕様として改造されています。
国鉄からJRへの移行期にゆうづる編成の24系客車は順次、北海道仕様の改造を受けており、JR化後はJR北海道所属扱いになった車両もあり、JR化後1年間はJR東日本への貸出扱いになっていました。
青函トンネル開業前に、JR北海道所属の車両はゆうづる運転後に青森運転所で編成を組み替えて、試運転中の青函トンネルを経由して順次、札幌に回送され、JR北海道担当の北斗星編成が組み立てられました。




閑話休題、オロネ25-500番台ツインデラックスは、このように国鉄時代に改造されているため、個室寝台のあちらこちらに、JRではなく国鉄らしい箇所があります。

室内にはテレビモニターがありますが、映画の放映のみでBSや地上波を見ることは出来ません。国鉄時代はブラウン管だったのですが、最近液晶に更新されたようです。


下段のベッドを跳ね上げると、ソファーになります。この辺りは、国鉄らしい設計で583系の座席寝台転換や、開放A寝台に相通ずる感があります。



国鉄時代らしい金属製の灰皿が取り付けられています。このご時世にしては珍しく、室内は喫煙可能で、灰皿が設置されています。北斗星は意外に喫煙可能な車両が多く、個室寝台はすべて喫煙可能で、禁煙なのは食堂車、ロビーカーと開放B寝台4両のうちの3両です。


今の個室寝台ではまず考えられない、通路側に窓があります。国鉄時代設計の個室A寝台シングルデラックス、オロネ25-0番台にも通路側のドアに窓があり、それを踏襲したのかも知れません。



上段の寝台には開放A寝台車や583系のような覗き窓があります。今ならもっと大きな窓を開けるのでしょうけど、これも国鉄らしい設計だと思います。


A寝台らしくクローゼットがありますが、国鉄末期の予算が少ない時期だったのかロッカーをそのまま取り付けています。このクローゼットの中に上段寝台に登るはしごが入っています。

車体も前述の覗き窓を除くと、開放B寝台のオハネ25時代のままで、B寝台1区画を個室1室分の広さにしています。

今となっては中途半端な豪華さですが、一応A寝台なのでロイヤルにつぐ、北斗星を代表する寝台車という位置づけのようで、新聞の配達や夕食のデリバリーが可能だったりと、サービス面ではある程度充実しています。
ツインデラックスは北斗星設定時から気になる寝台車だったのですが、乗ってみて満足出来ました。

撮影 札幌駅 2014年10月18日19日
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7DMarkIIの7冊のカタログ

2014-11-24 | カメラ


EOS 7D MarkIIの7冊のカタログをゲットしました。7冊の中の説明は基本的に同じですが、写真はそれぞれ入れ替わっています。鉄道、モータースポーツ、飛行機、動物、鳥の6種類に総合1種類の合計7種類のカタログが用意されています。

初代7Dを持っていますが、7Dは高感度性能が不足気味だっため、最近はフルサイズ機の6Dをメインに使用しています。ただ7DMarkIIのスペックは気になります。

7DMarkIIの毎秒10コマの連写は魅力的ですが、よく考えると7Dの毎秒8コマの性能でさえ、使い切っていなかったので、必ずしもほしいとは思えませんけど、オートフォーカスの性能アップは欲しいと思えます。
7DMarkIIはオールクロス65点の測距で、更に中央の点は開放F8レンズのオートフォーカスにも対応しています。望遠レンズにさらに2倍のエクステンダーを付けた時でも、オートフォーカスが作動するのは魅力的です。この機能は欲しいです。

EOS iTR AF、EOS iSA Systemという被写体の色や特徴を見分けて、予測できない動きにもオートフォーカスと露出が対応する機能があり、かなりすごい機能を備えています。もっとも、そこまでのオートフォーカスを使いこなせるかというと、微妙だったりしますが。
フルサイズ機には劣りますが、高感度性能も大幅に向上していて、ISO16000まで使用できます。

このクラスのカメラのユーザーは内蔵ストロボを求めていないと思うのですが、APS-Cのセンサーのため、フルサイズ機に対してボディのスペースに余裕が有るのか、7Dシリーズはストロボを搭載しています。

APS-Cサイズのハイアマチュアモデルの7Dシリーズですが、その期待に相応する内容だと思います。ただ、自分は動体撮影に不向きと言われる6Dで、鉄道の走行写真の撮影もしているので、EOS 7D MarkIIが必要かは微妙ですが、欲しい1台です。
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但馬天然水

2014-11-21 | ミネラルウォーター


兵庫県養父市のサンウォーターという会社が出している但馬天然水。サンウォーターという会社は、ミキホームという住宅建築会社の系列会社のようです。
100mlあたりの成分はナトリウム1.03mg、カルシウム2.35mg、マグネシウム0.87mg、カリウム0.15mgで、硬度94.1mg/l、ph6.68となっています。

http://www.san-water.co.jp/water/
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ED75-500の謎

2014-11-12 | 鉄道
たった1両だけ製造された北海道向けのED75-500番台。試作車という扱いですが、函館本線小樽~旭川間のために、わざわざ貨物専用の電気機関車を製造するだけの需要が有ったのかとおもいます。
ED75-500の変圧器に電気暖房用の4次巻線は用意されていませんし、北海道地区の客車の電気暖房化の計画も無かったようですので、完全に貨物専用機という扱いのようです。
よく知られているように、この区間の電気機関車の量産車は、蒸気暖房を搭載したED76-500番台が量産され、旅客列車貨物列車の両方に使用されています。


小樽市総合博物館 撮影2014年10月18日


青函トンネル開業前の北海道の電化区間は、函館本線小樽~旭川間と室蘭本線室蘭~東室蘭~沼ノ端間、千歳線ですが、国鉄時代の動力近代化計画では、函館本線函館~長万部間と室蘭本線長万部~東室蘭間、沼ノ端~岩見沢間も電化計画に含まれていました。
聞いたところによると、昭和40年代は石炭輸送が盛んだったため、ED75-500を量産して岩見沢方面から室蘭本線経由で苫小牧や室蘭への石炭輸送に使用する構想が有ったようです。
函館から東室蘭までの電化については、DD51の量産で早い段階で断念されていたようですが、室蘭本線の岩見沢までの区間は、結構後まで電化構想があり、ED75-500とED76-500が重連で貨物列車をけん引する計画だったそうです。

結局、蒸気暖房が無いことと、サイリスタ制御による誘導障害の問題などもあって、ED75-500は岩見沢以北の貨物列車運用に限定使用され、国鉄末期の1986年に廃車になり、小樽市総合博物館に保存されてます。
個人的に思うのですが、ED75-500はサイリスタ制御の問題がなければ、暖房供給の必要のない14系で組成されたブルートレインの急行利尻や急行大雪の札幌旭川間、14系化後の急行ニセコの小樽札幌間の牽引をしていたかもしれません。
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ブルートレインの定義

2014-11-05 | ブルートレイン


もはや風前の灯と成ったブルートレイン。ただその定義は若干曖昧で、急行はまなすを含むか含まないかは人によって異なるようです。

昭和ブルートレインブームの全盛期、ブルートレインは機関車がけん引する客車列車で、客車は43系や10系などの旧型ではなく、青く塗られた20系24系14系の3形式で運転される列車とされていました。そのため、581系583系電車で運転されていた寝台特急の、はくつる、ゆうづる、明星、彗星などは、客車運行分があったゆうづるなどを除いてブルートレインとはみなされませんでした。
またはくつるについては20系客車で運転されていた時期があり、そののち583系電車化された経緯があるため、ブルートレインブーム全盛期は過去のブルートレインとされていました。JR化後、24系客車化され再びブルートレインになっています。

座席車については、20系客車にグリーン車と普通車の両方の座席車が当初設定されていました。後に20系の座席車は東海道新幹線開業後に、寝台車に改造され、20系はオール寝台化されるのですが、グリーン車3両だけはあさかぜ編成に連結されたまま、1975年の24系への置き換えまで使用されています。
20系での前例があるため、オール寝台編成がブルートレインの絶対条件とはみなされないようです。

20系はB寝台の寝台幅が後の24系や14系と比べて狭く(20系52cm、14系24系は70cm)、1970年代後半に入ると急速に、時代遅れになっていきました。とくに2寝台の24系25形と比べると、同じB寝台とは思えないほどの差があり、特急への使用は難しくなってきました。ただし、20系の大半の車両が1965年以降の製造で、法定耐用年数を大きく残していました。そこで、老朽化が深刻だった10系客車を用いてた急行列車へ、余剰となった20系を転用を転用することになりました。

特急列車のみをブルートレインとみなすか、急行列車も20系14系24系使用列車はブルートレインとみなすかはかなり見解が分かれています。ただ急行でオール寝台の列車は銀河、天の川、新星の3列車だけで、JR化後も運行したのは銀河のみです。
特に24系化後の銀河については、当時増えてきた個室寝台が連結されていない以外は、特急列車と何ら変わりがないので、JR化後は多くの人やマスコミなどからブルートレイン扱いされています。

座席車が連結されている急行列車の場合、20系を転用する場合、余剰のA寝台車を座席車に改造した例が数例見られます。この方式なのは、だいせんと十和田、津軽の3列車で、これもブルートレインに含める例が見られます。
20系のA寝台はそれほど車両が製造されたわけではないので、この後の急行列車の座席車は12系と20系寝台車が編成を組むようになりました。この方式なのが、ちくま、かいもん、日南、さんべの4列車です。これらはさすがにブルートレインの範疇に加えられることは無かったようです。
本来は放送回路や冷房回路が異なり併結出来ない20系と12系を無理やり連結するので、いろいろ20系の側に改造を加えています。

国鉄末期に14系寝台車が急行に転用されるようになると、同じ14系の座席車と編成を組むようになりました。
この方式の急行列車は結構多くて、北海道の4つの急行ブートレインのまりも、大雪、利尻、はまなすを始め、電車化以前のきたぐに、能登、妙高、津軽の8列車があり、これもブルートレインの範疇に含まれている場合もあります。
余談ですが津軽については20系化後の車両遍歴がかなり複雑で、20系→14系座席車→14系座席車+寝台車→14系座席車→583系→485系→583系とかなり頻繁に編成や使用車両が変わっています。

20系と12系座席車が編成を組んでいた急行列車では20系が老朽化してくると、寝台車の部分だけ14系寝台車と差し替えて、編成を組むようになっています。国鉄末期に廃止されたさんべを除くちくまと日南、かいもんの3列車に加えて、だいせんも12系と14系寝台車の編成になりました。
寝台車が14系もしくは24系でも、12系が座席車の場合、ブルートレインと呼ぶケースはかなり少なく、さすがにここまではブルートレインに含まれるとは考えにくいと思います。

トワイライトエクスプレスのような、車体色が青ではない列車については、ブルートレインではないという意見もありますが、臨時特急あさかぜ51・52号やその後継の急行玄海には20系のホリデーパル編成が入った事もあり、この辺りの定義も人によって曖昧です。

自分のブルートレインの定義としては、特急急行問わず使用車両は20系14系24系の3車種で、座席車が連結されている場合は、14系座席車に限るという考えになります。

現状で24系と14系の寝台車、14系の座席車が連結されている急行はまなすをブルートレインに含めるか、含めないか、これは人によってかなり異なってくるのではないかと思います。
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