nishimino

にしみの鉄道情報局付属ブログ

ソニーのミラーレスシステム

2010-02-25 | カメラ
ソニーもミラーレスのデジタル一眼カメラの投入を発表しました。年内発売と実際にはもう少し先の発売のため、展示はモックアップのみでした。スペックの詳細は発表されず、大きなものでは撮像素子がマイクロフォーサーズと異なり、ソニーのデジタル一眼レフと同じAPS-Cサイズで有ると言うことぐらいです。

【PMA】ソニー、APS-Cセンサー搭載のミラーレスαを年内に投入(Impress Watch)

αを名乗る手前、一番気になるのは現行のαマウントとの互換性はどのようになるのか。
マイクロフォーサーズは完全電子マウントのため、機械的な連動部分が無く、従来のフォーサーズとの互換性確保が比較的簡単ですが、αマウントの場合、そうも行かない事情があります。

現行の一眼レフのマウントはキヤノンEFマウントとシグマSAマウント、フォーサーズが完全電子マウントで、ニコンFマウントとソニーαマウント、ペンタックスKマウントには機械駆動部が残っています。
一眼レフの絞り機構は開放状態で、撮影時のみ設定値まで絞り込まれます。そして、撮影が終わると自動的に開放に戻ります。これによって、光学ファインダーが常に開放の明るい状態になり、ピント合わせなどがやりやすくなりました。これが自動絞りで、日本のメーカーが1950年代に開発して、一眼レフが世界的な普及を果たした一因になりました。

自動絞りは従来絞り連動ピンによって、カメラ側から駆動されていました。カメラを装着していない状態では、絞りは最小絞りで、カメラに装着するとピンが押し込まれ、絞りが開放状態になります。撮影時には、このピンの反対側のマウント側のレバーが手前に動くことによって、絞りが任意の値まで絞られます。レンズ側の絞り環がある場合は、その値以上は絞り込まれない事になっています。絞り優先・シャッター速度優先自動露どのマルチプログラム撮影の場合、瞬時絞り込み測光でシャッタースピードや絞り値の補正を行っています。(この辺りKマウントとFマウントでは若干違うようです)

それに対して、キヤノンEFマウントなどは電磁駆動絞りユニットを採用していて、電気信号のみで絞りを動かしています。キヤノンのEFマウントが初めて採用したシステムで、これ以降長らくキヤノン独特のシステムでしたが、シグマやマイクロフォーサーズなども後に採用しています。

もう一つやっかいなのが、オートフォーカス駆動軸です。オートフォーカスの駆動モータは世界初の実用オートフォーカス一眼レフカメラであるミノルタα-7000(1985年)以来、ボディ内にAF駆動のモータを内蔵して、そこから駆動軸を介してレンズのピントを動かしていました。ニコンFマウントやペンタックスKマウントなどもほとんど同じような仕組みを採用しています。
それに対してキヤノンEFマウントはレンズ内にモータを内蔵して、カメラ側から電力を供給して、オートフォーカスを駆動しています。これによってAF駆動軸を廃することが出来ました。ただ超音波モータは上級レンズのみに採用され、復旧価格帯は普通のモータを搭載しています。

その後、ニコンFマウント、ペンタックスKマウント、αマウントでも望遠レンズなどに超音波モータの搭載がされるようになりました。ニコンなどではAPS-Cサイズ用のレンズではレンズ内モーターが標準となっています。

もし、このソニーのミラーレス機で、αマウントが使用可能になった場合、絞りは開放もしくは最小、良くて絞り込み露光で自動絞りは不可能になるのか、カメラとマウントアダプターの間が完全電子マウントで、マウントアダプターに絞り駆動機構を組み込むのか。
オートフォーカスの方は、ニコンのD40(ボディ内にAF駆動モータが無くレンズ内にモータがあるレンズのみでAFが可能)にDタイプのニッコールレンズを付けたときのように、オートフォーカスが駆動せず、マニュアルフォーカスのみになる可能性もあります。

焦点距離を伸ばすテレコンバータの中にはギアを入れて、AF駆動軸をカメラからレンズに伝えているものもあったりしますので、一概には言えないのですが、αマウント用マウントアダプターが用意された場合、絞り連動機構とAF駆動モータが内蔵されたマウントアダプターなんてのもあり得そうですが、スペース的にはかなり苦しそうです。

結局の所、ソニーの発表待ちですが、残るキヤノンとニコンがどう動くか、またシグマも独自にミラーレスの噂が出始めたので、数年後にはミラーレスが一気に主流になりそうな勢いです。
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川中島バスの西工

2010-02-24 | バス(車両)

川中島バスの西日本車体製バスというと阪急バスから移籍車が有名ですが、白馬地区にはこんなバスも居ます。


U-LV318N 撮影 南小谷駅前 2010年2月13日


まあ見ての通り、松本電鉄バスが上高地線用に1993年に導入した車両で、翌年から導入の始まった日野ブルーリボンHIMRに押し出されて、白馬へ来た車両です。その松電バスですが、昨年12月16日から大町営業所と白馬営業所管内の路線が、同じアルピコグループの川中島バスに車両ごと移管されています。色は同じなので、車名表記だけ川中島バスに書き換えています。
白馬営業所では小谷村営バスの受託運行もしていて、こちらもそのまま川中島バスに引き継がれています。その小谷村営バスですが栂池高原や小谷温泉への路線があり、本数は少ないものの南小谷駅に発着する列車に合わせてダイヤを組んでいるので、南小谷駅の乗り継ぎの合間に比較的簡単に見ることが出来ます。

ところで、肝心のなぜ松電が西工かという点ですが、webサイトや文献類などを見ても、説得力のある明確な答えを出しているものにお目に掛かったことはありません。

この西工が投入された上高地線は、かの北村製いすゞBU10Kの置き換えであったことから、その後継との意味も多少あったと思われます。よく北村のユーザーが富士に切り替えた言われますが、松電は西工に乗り換えたとも言えます。
これはよく言われることですが、特殊対応のため川崎では対応できず、西工に発注されたのではとも言われています。ただ、松電を含むアルピコグループの西工製のバスは、移籍車を除くとこれ以降例はありません。


特殊仕様の1つとして、後ろ窓に荷物ガードが有ります。これに外にもチェーン収納トランクとか、ホイールベース間の巻き込み防止バーなど変わった仕様があり、山岳路線用車両らしく、高出力エンジン搭載となっています。
上高地時代は前後扉車でも、後ろドアーは閉め切り扱いでしたが、小谷村営バスでは後ろ乗り前降りとして使われているようです。

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ロボット水門

2010-02-21 | ローカル
岐阜公園の北側にある、忠節用水の放水路にある水門はこんな形をしています。
そのためロボット水門なんて愛称がついているそうです。1932年製の古い水門で、岐阜県近代化遺産にもなっているそうです。
この辺りは湊コミュニティ水路として整備されています。その整備の際、ロボット水門もお色直しがされたそうです。
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トリトンブルーの787

2010-02-18 | 書評
先日書店を訪れたとき、ボーイング787の特集が組まれたAIRLINE誌3月号を見かけて、思わず購入してしまいました。昨年12月15日に787が初飛行したのは聞いていましたが、その数日後ANA塗装のトリトンブルーの787も初飛行したようです。

探してみたら初飛行の様子が有りました。
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787は見かけこそ、767の細部が違うぐらいですが、中身は画期的な変化があるようです。機体には炭素繊維を中心とした複合材が使われ、その割合は50%に達します。エンジンや足回りなど特別の強度が必要な箇所、高温耐熱が必要な箇所などのみが金属となっています。重量比で50%なので、実質的には主翼や胴体などのほとんどが複合材といえます。複合材が採用されたメリットとして、機体の腐食の心配が無くなったことから、機内の加湿システムが採用されています。
航空機のジェットエンジンは圧縮空気の供給源となっていて、ここから室内の余圧や、主翼の凍結防止の高温エアが供給される仕組みになっています。787ではこれを電動のコンプレッサや、電気ヒーターにすることによってエンジンの出力を100%推力として利用できるようになっています。

現在の旅客機は、かなりフライ・バイ・ワイヤが進んでいますが、実働部の多くの箇所は油圧駆動で残っています。これを電動アクチュエーター化することも787では積極的に行われており、これも機体の軽量化に効果を上げています。
これらのことから燃費は約20%向上し、整備費用の削減にもつながります。
AIRLINE誌によると、今年中には787がローンチカスタマーである全日空に引き渡されるようでです。

http://www.ana.co.jp/promotion/b787/
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C57も搬出

2010-02-17 | 鉄道

聞いたところによると、千種のJR東海研修センター(旧中部鉄道学園)からC57139が搬出されたようです。


C57形の139号機は名古屋機関区で戦後昭和22年から37年までの間に、お召し列車を17回(文献によっては18回と書かれたものもあり、天皇以外の皇族が乗車する御乗用列車が含まれている可能性がある)けん引した機関車です。100回以上のお召し列車をけん引したEF5861や梅小路に展示されているC51239には及びませんが、139号機の17回は機関車のお召し列車けん引記録としてはかなり多い方です。
現在、お召しを含む要人の伊勢神宮への訪問は近鉄ですが、かっては当然のごとく国鉄で、その伊勢神宮へのお召し列車が多かった事もあって、名古屋機関区の関西本線用お召しけん引機関車が指定されていたためです。

その後139号機は名古屋機関区に最後まで残り、関西本線でのさよなら運転をへて、梅小路機関区に貸し出されてDD54故障時の予備機になり、その後は名古屋に戻ってきて準鉄道記念物として中部鉄道学園に保存されたものです。
国鉄時代は自由に見学できたそうですが、JR東海になってからは公開されず公道側からしか見ることは出来ませんでした。さすがに鉄道会社の施設に保存されていただけ有って、状態は非常に良くお召し時代を彷彿させる整備がされていました。

そしてJR東海が2009年には建設するJR東海博物館に展示されることが正式に発表されました。


千種の研修センターには軽便鉄道用のケ90という小型の蒸気機関車も展示されていますが、こちらもあわせてJR東海博物館に展示されます。

 参考文献
鉄道ファン 1989年8月号 名古屋機関区機関士OBの思い出シリーズ その1
鉄道ファン 1989年9月号 名古屋機関区機関士OBの思い出シリーズ その2
鉄道ファン 1990年10月号 名古屋を中心とする戦後蒸機ものがたり 最終回

 

撮影 2008年10月18日

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