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にしみの鉄道情報局付属ブログ

北陸はなぜ14系だったのか

2020-10-25 | ブルートレイン


寝台特急北陸は1975年に急行からの格上げで運転開始し、運行区間は急行時代と同じく上越線経由の上野金沢間です。運転開始当初は東海道山陽本線のブルートレインからの転用の20系でしたが、1978年に14系が投入され、2010年の廃止まで14系が使われました。



北陸はさくらみずほのような分割併合、あるいは北海道の急行ブルートレインのような14系座席車との併結が無いにも関わらず、14系を使用していました。これは車両の需要と供給の関係もありますが、北陸には新聞輸送がなかったのも一因ではないかと思います。


国鉄時代の夜行列車には荷物車が連結されていて、その荷物の多くは新聞でした。ブルートレインの20系と24系の場合、電源車の半分程度が荷物室となっていて、こちらも新聞を輸送していました。そのため車両型式は一部例外もありましたが、荷物車を示す「ニ」で、カニ21形やカニ24形が代表的な形式です。

東京発東海道山陽本線のブルートレインの場合、夕方に東京駅を出るので、新聞輸送の時間帯には早いのですが、深夜に大阪を通るので、大阪で最終版の新聞を積み込み、山陽方面へ輸送していました。そのなかでもあさかぜは時間帯的に新聞輸送の需要が多く、MG搭載で荷物積載量が少ないカニ22の投入が避けられました。

上野発東北方面の夜行は特急急行とも荷物需要が多かったので、ブルートレインは20系や24系が多く使われました。ただ運転本数が多く比較的需要が分散していたので、ブルートレインの荷物車の限定運用はなかったようです。

このような夜行列車での新聞輸送ですが、1980年代に入ると、全国紙の地方での印刷、高速道路の発達による自動車輸送への切り替えなど、急速に需要が減少し、ブルートレインの末期は、一部のスポーツ新聞が荷物車で輸送されるだけでした。



さて、本題の北陸ですが、近すぎる群馬県や埼玉県北部への新聞輸送当然考えられませんが、通過する新潟県や富山県、行き先の石川県への新聞輸送需要もなかったようです。
石川富山両県ですが、両県で配布される全国紙は、そのほとんどが大阪での印刷で、急行きたぐになどで輸送されていたようです。急行きたぐにが米原周りだったのは、一部新聞が名古屋印刷だった関係で、荷物の積み込みのため、米原に寄っていたためのようです。また、北陸の金沢到着の時間では、朝刊の配達には遅すぎる時間帯となります。

新潟県へは、北陸は県庁所在地の新潟へ行かないことなどから新聞輸送の需要がなく、このあたりは急行天の川あたりが首都圏から新潟への新聞輸送を受け持っていたようです。
ただ、首都圏から直江津など新潟県東部への新聞輸送がありそうに思うのですが、このあたりはよくわかりません。
結局、新聞輸送の需要がなかった北陸は24系を使用する必要がなかったようです。


撮影 上野駅 2009年2月14日
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