8月15日は1957年に大糸線が全通した日です。大糸線は松本糸魚川間の路線ですが、信濃大町以南は1937年に信濃鉄道を国有化した名残で、松糸線ではなく大糸線となっています。国有化以前に、信濃大町以北の建設が始まっていて、信濃大町中土間と糸魚川小滝間が開通していました。当時は大糸南線、大糸北線でした。
戦後、中土小滝間の建設が行わ、1957年8月15日に全通しています。松本信濃大町間は信濃鉄道時代に電化されていましたが、順次電化区間が伸びて、1967年には南小谷まで達しています。それ以来、南小谷は電化区間と非電化区間の境界駅になり、そのままJR東日本とJR西日本の境界駅になりました。
電源開発は大糸線と深い関わりがあり、黒部ダムの建設の時期は資材搬入の貨物列車が多数運行されました。黒部ダム建設は、よく知られているように大町側から関電トンネルを建設して、資材搬入が行われました。この大町側からの関電トンネルの開通は1958年で、この開通から黒部ダム本体の建設が本格化しました。大町と宇奈月の間の黒部ダム建設関係者の行き来のために、大糸線の全通が急がれたとも言われています。
現在、大糸線の大町糸魚川間はアルペンルートの周遊きっぷの区間にも含まれていて、北陸新幹線の開通で以前に比べて観光客の利用も多いようです。
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