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にしみの鉄道情報局付属ブログ

電気暖房

2020-10-30 | 鉄道
国鉄時代の10系を含む旧型客車や50系客車は、機関車から供給される蒸気もしくは電気で暖房を行っていました。旧型客車のグリーン車や寝台車、郵便車、食堂車などは床下のディーゼルエンジン発電機を搭載していて、その電気で冷房を駆動していましたが、暖房は従来どおり機関車から頼っていました。





もともと旧型客車の暖房は、蒸気機関車の余剰の蒸気を用いて暖房を行い、電化区間では、暖房車が連結されて、暖房車からの蒸気で客車を暖房していました。その後、電気機関車にボイラーを搭載して、電気機関車から蒸気を送る方式で暖房がおこなれました。1950年代以降東北や北陸で交流電化が進むと、架線の電気を機関車の変圧器で落として、客車に電気を送り、電気で暖房する方式が広まりました。

ただし、蒸気暖房用のボイラーを持つ直流電気機関車の牽引や、蒸気機関車や蒸気暖房用のボイラーを持つディーゼル機関車での非電化区間での運転も想定していたので、蒸気暖房も残されました。座席の下を見ると、窓側の部分のヒーターが元々の蒸気暖房で、座席の下が後に増設された電気暖房になります。



電源をつなぐための、ジャンパ連結器もあり、これで電気暖房用の交流1500Vを送っていました。電気暖房を搭載すると、ヒーターや変圧器の搭載など、そこそこの重量増加になるので、重量等級が変わってしまって、電気暖房を搭載してない車両と形式が別になったケースが少なからず有ります。電気暖房搭載車は2000番台化されますが、大井川鉄道に在籍している旧型客車は電気暖房を撤去して、原番号に復帰しているそうです。

JR化後も、東北本線などでは50系客車が運用されていましたが、これらは電気暖房を使用していました。現在では高崎車両センターの旧型客車は電気暖房を装備していますが、近年は蒸気機関車の牽引列車での使用が多く、あまり電気機関車による電気暖房使用した形態でのイベントの話は聞きません。


ところで、電化区間から非電化区間へ直通する列車は、電化区間の電気機関車が電気暖房の場合だと電気暖房から蒸気暖房へ途中で変わりますが、電化区間走行中に蒸気配管が凍結し、非電化区間へ入って蒸気暖房になっても、編成後部まで蒸気が届かず、暖房が効かなくなるケースが少なからず有ったようです。

有名なところだと、旧型客車時代の急行きたぐにで、大阪から青森までの運転でした。
大阪から米原までの東海道本線はEF58牽引で蒸気暖房、米原田村間の交直中継は短距離なので暖房なし、田村から富山までの北陸本線はEF70牽引で電気暖房、富山から新潟の北陸本線信越本線はEF81牽引で同じく電気暖房、新潟から青森までの羽越本線、奥羽本線はDD51の牽引で蒸気暖房という時期がありました(奥羽本線秋田青森間は羽越本線よりも1年電化が早く、秋田駅でED75-700番台へ牽引が変わり、再び電気暖房を使用してたシーズンがあります)。
1972年に羽越本線が電化された後、新潟以北へ直通する車両は1973年から発電エンジンを搭載し、編成内で冷暖房電源が確保できる12系座席車になりましたが、新潟で切り離される寝台車は10系のままで、東海道本線内は蒸気暖房を搭載するEF58の牽引が続いたので、上りの東海道本線内では、蒸気暖房の凍結が少なからず発生したようです。
結局きたぐには車両が1982年に14系になり、運転区間が大阪新潟に短縮されるまでは電気暖房と蒸気暖房が途中で変わりました。

関西から北陸、更に東北へ運転される急行きたぐには例外ですが、東北地区では1970年代以降、非電化区間へ直通する優等列車は極力気動車が使われるようになっています。客車による急行列車は電化区間のみで運用され、直流区間も電気暖房を使用するようになり、電気暖房と蒸気暖房が同じ列車で切り替わらないようにして、蒸気暖房の凍結を防いでいたようです。

撮影 蒲郡市博物館 オハフ33 2434 2019年3月23日
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