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にしみの鉄道情報局付属ブログ

しらさぎ・485系時代

2024-03-26 | 鉄道

北陸新幹線開業に伴い、しらさぎの運転区間は敦賀までの運転区間に短縮されました。名古屋から敦賀なら、走行距離125km所要時間1時間30分でなんとか特急らしい運転区間ですが、米原到着のしらさぎは、わずか45km、所要時間30分のミニ特急になってしまいました。

 

しらさぎは1964年10月に東海道新幹線開業と、北陸本線の金沢富山間の交流電化に合わせて運行を開始しました。大阪からの雷鳥との共通運用で、全国で活躍した485系一族の最初の列車になります。事実上、雷鳥の間合い運用でしたが、しらさぎの乗車率は良く、順調に運転本数を伸ばしていきました。1975年には担当が向日町から金沢に移管され、雷鳥と運用が分離されました。1975年頃には、博多名古屋間の寝台特急金星の間合いで583系が使わた事もありました。

 

撮影 名古屋 1999年頃

国鉄時代からJRにかけて、しらさぎ編成は、485系の最初期車の481系から、485系の初期型中期型に変わり、先頭車もボンネット形でもマイナーチェンジ後の100番台、貫通型の200番台、非貫通型の300番台に置き換わっていました。金沢への運用移管後は、200番台300番台の先頭車ばかりでしたが、東北上越新幹線の開業などによる大規模な転属で、ボンネット形の先頭車が再びしらさぎに復活したようです。1985年には食堂車が外されましたが、それ以外は485系での運行で、大きな変化はなく運行が続きました。

 

撮影 名古屋 1999年頃

碓氷峠でEF63と協調運動が出来る489系が1971年から製造され、1973年に金沢運転所に転属し主に白山に使われましたが、一部の車両は485系と混用され、しらさぎ編成にも組み込まれていました。このようにEF63と連結する側のクハ489-500番台がしらさぎでも見られました。もともと、金沢運転所の白山としらさぎの予備車は国鉄時代から共用で、向日町から金沢にしらさぎが移管された1975年当時は共通運用でした。ただし、1978年以降、運用上しらさぎと金沢運転所持ちの雷鳥の運用と白山の運用が分離されたようです。末期のしらさぎでみられた489系は、白山運用に必要な首都圏乗り入れのための保安装置が無く、事実上485系扱いされていました。ただし予備車の関係で同じ金沢運転所の白山編成の塗色変更された489系がしらさぎの運用に入ることもありました。

 

向日町の485系は雷鳥がユートピア和倉やゴールデンエクスプレスアストルと併結するために、ボンネット形の先頭車の連結器も密着連結器に変更されましたが、金沢のボンネット形の先頭車は原型のままでした。JR化後に、雷鳥の運用に金沢運転所しらさぎ編成が入る事があり、原型のボンネット形の先頭車の雷鳥が走ることもありました。ただ、逆に純粋な向日町の雷鳥編成がしらさぎの運用に入ることは、1975年以降ほぼありませんでした。

 

 

撮影 名古屋 2001年頃

しらさぎは1997年に、米原駅で付属3両編成の増解結を行う事になりました。スーパー雷鳥を10両貫通編成化してその付属編成を転用したものです。半数の編成が増解結対応になり、増解結を行う側の先頭車は全て貫通型の200番台で統一されていました。このあたりから、681系683系の投入や山陰本線電化による485系の183系への改造、老朽車の廃車などもあり、雷鳥(京都向日町)としらさぎ(金沢)の間で、485系は複雑な転用が行われることになります。

 

撮影 大垣 2002年頃

2001年にスーパー雷鳥からパノラマグリーン車が転用され、同時に塗装変更も行われました。通称あおさぎといわれるこの塗装は、JR東海エリアへ直通するしらさぎということもあり、JR東海のコーポレートカラーのオレンジの帯が窓下に細く入りました。なおボンネット形の先頭車は2001年までに全て引退もしくは、雷鳥などに転用されました。

パノラマグリーン車以外の車両も、多くは681系投入により余剰となった、スーパー雷鳥編成からの転用でしたが、スーパー雷鳥編成の485系の中には、しらさぎに転用されず、国鉄特急色に戻った車両もありました。

 

撮影 大垣区 2001年9月頃

色が変わっただけですが、このあおさぎ化では大垣区に編成が貸し出され、乗務員室訓練が行われました。おそらく、パノラマグリーン車のハンドル教習が行われたのではと思われます。この時、大垣区の職員の遊び心なのか、北越のヘッドマークが掲出されていました。

 

撮影 大垣 2002年頃

 

1997年以降、しらさぎは7両編成で、米原で3両増結が基本でしたが、多客期には付属編成を増結したまま、10両編成で名古屋まで来ることもありました。

このあおさぎ編成ですが、しらさぎへの683系投入後は、国鉄色に戻り、雷鳥で2011年まで使われました。なお、最末期の雷鳥は国鉄色でしたが、スーパー雷鳥編成やかがやききらめき編成などを経た車両が多く、車内がグレードアップされた車両で揃っていたようです。

 

参考文献 鉄道ピクトリアル 2024年5月号 国鉄時代の北陸本線列車変遷史

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