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にしみの鉄道情報局付属ブログ

寝台特急を引いた機関車たち・49 EF65PF 東京機関区編

2014-10-04 | ブルートレイン



1965年に登場以来、東海道山陽本線のブルートレイン運用を一手に引き受けてきた東京機関区のEF65P形ですが、連日1000kmを超える距離を走行し、累積走行距離は相当な距離に達していました。
とくに大阪九州間のブルートレインをEF58に譲った1972年以降は、「出雲」と「瀬戸」のけん引を除くと東京下関間の通しになり、さらに平均の走行距離が増加していました。
国鉄としてはP形をさらに使い続ける予定でしたが、東京機関区はP形が限界に近いと判断し、新しいブルートレインけん引機が東京機関区に配置されました。
1978年4月に東京機関区に1096~1116の21両のEF65PF形が配置され、7月頃から順次P形に変わって東京発のブルートレイン運用に入って行きました。
当時担当していたのは、「はやぶさ」、「富士」、「さくら」、「みずほ」、「あさかぜ」(博多行きと下関行きの2本)、「出雲」、「瀬戸」の合計8往復16本です。
このEF65PFは、東京機関区配置後、降雪の少ない東海道山陽本線での運用ということを考慮して、整備の際に支障になるスノープラウと、重連運用がないため使われることのない釣り合い空気管の撤去などの整備がおこなれています。

1975年頃からブルートレインのヘッドマークが省略されるようになっていましたが、東京機関区のEF65はヘッドマークの掲出を続けていました。
それもあって、このころ絶頂だったブルートレインブームの中、PF形は大スターとしてファンの注目を集めることになります。しかし1975年ごろから長距離利用客は、新幹線と飛行機への移転が見られ、ブルートレイン自体に限りがみられるようになりました。しかし東京機関区の牽引する、東京発着のブルートレインは、特に手が加えられるわけではなく、それまでの運転本数を維持していました。
もっともこの時期、20系客車から寝台幅を広げ1両あたり6人の定員が減少する14系(ナハネ20の定員は54人、オハネ14の定員は48人)、さらに2段寝台となった24系25形(オハネ25の定員は34人)へ客車が変更されており、運転本数には現れないところで輸送力が減少していました。
さらに14系も1980年代後半から2段寝台への改造が行われるようになり、輸送力はさらに減少していました。
このようにブルートレイン自体に限りがみられるようになっても、ブルートレインブームは1980年代に入っても続き、EF65PFも大スターとして脚光を浴び続けました。

そして1985年3月の改正を迎えました。この改正で、「はやぶさ」にロビーカーが増結され、14両編成から15両編成(電源車を含む)になり、編成重量が増加し、EF65形では運行速度が維持できないということになりました。
そこで、東京下関間のすべてのブルートレインが当時貨物列車削減で余剰となっていたEF66に変更されました。ロビーカーが増結されるのは「はやぶさ」のみ(翌年には「富士」にも連結)ですが、運用効率化の観点から、東京下関間のすべてのブルートレインのけん引機が変更されました。しかし、下関まで行かない「出雲1・4号」(東京京都間けん引)及び「瀬戸」(東京宇野間)のけん引は、そのままEF65で残されました。

EF65PFも東京機関区の廃止により、新鶴見機関区へ転属することになりました。そして国鉄最後のダイヤ改正である1986年11月の改正で、田端機関区(現田端運転所)へ転属することになりました。この時、1096号機と1097号機は新鶴見に残り、JR貨物に引き継がれています。

しかし、書類上の所属は変わっても、車両はそのまま旧東京機関区の品川運転所に駐在しており、「出雲」「瀬戸」のブルートレインのけん引は続きました。
1986年11月の改正で従来宮原機関区のEF65が担当していた「出雲2・3号」と「急行銀河」、「彗星」が、田端運転所に移管されています。「彗星」のけん引は、「出雲」の間合いでけん引したもので、同時に「急行ちくま」のけん引も出雲の間合いで田端運転所が担当しています。
なお、「銀河」はこの改正から車両が24系25型の2段寝台となり、事実上寝台特急と差が無くなっています。
このままの体制で、国鉄の分割民営化が行われ、元東京機関区のEF65PFは2両を除いてJR東日本に引き継がれました。

さて1988年に瀬戸大橋が開通し、ブルートレイン瀬戸は瀬戸大橋を渡り、高松まで運転されることになりました。なお瀬戸大橋を渡る列車は機関車重量の関係から、後にEF210が入線可能になるまで、貨物旅客列車ともEF65形の独壇場でした。

その後、瀬戸と出雲2・3号は285系電車が投入され、サンライズ瀬戸とサンライズ出雲となります。出雲1・4号は客車のまま残りましたが、運転区間は東京浜田間から出雲市まで短縮されました。
2000年に「彗星」が、「あかつき」と併結になり、けん引機は下関運転所のEF66が担当することになっています。
2006年に出雲が廃止になり、2008年3月にはEF65形最後のブルートレイン運用である急行銀河が廃止になりました。

これで、1965年以来42年にも及ぶEF65形の東海道山陽本線でのブルートレインのけん引は終わりを告げました。



 参考文献
鉄道ファン 1990年4月号 近代形電機 転身の記録 2
鉄道ファン 1999年4月号 特集:新形直流電気機関車 EF65形ブルトレ伝説
直流電気機関車 EF65 イカロス出版刊

 

撮影 2009年5月23日 大宮総合車両センター 2002年8月3日 稲沢

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