今年の島旅は、念願だった北大東島、南大東島を来訪することにした。4月に行程を決め、まずは飛行機の予約をした。続いて宿の予約をした。まずは南大東島のをネット予約した。しかし、北大東島と南大東島が頭の中で逆になってしまい、北大東島滞在日で予約してしまった(汗) 一旦キャンセルし、予約し直した。飛行機だと、北大東島から南大東島への移動は週末前後だけになり、週末休みの人は大抵土日に有休を繋げるだろうから、週末前に有休を繋げて2島行くなら、先に北大東島訪問になる。午後の飛行機は北大東空港、南大東空港経由便で、南大東空港先行と、北大東空港先行日がある。次は北大東島の宿を予約。北大東島には宿が2軒しかなく、ネット予約できる「ハマユウ荘」はもう満室だった。「やべっ」と思い、もう1つの「二六荘」に電話したら、無事予約できた。去年、焼尻島で宿が埋まっていて、ゲストハウスしか空いてなかった。離島は仕事で数日、長期滞在する人も多いので、早目に宿の確保をした方がいい。
そして、いよいよ出発。今回は南大東島で釣りをする予定で、中部国際空港から初めて長い竿を手荷物預けしようとした。色々な島で釣りをしているけど、これまでは機内持ち込みできる短い竿か、夜行バスで長い竿を持っていった。しかし、那覇空港まではANAで、那覇空港からはJAL系のRAC利用で、RACが応対可能かをANAが確認する時間を要したため、手荷物預けに30分もかかってしまった。無事、預けることができた。早くの時間の電車で空港に向かって良かった。
那覇空港に到着。JALの乗り継ぎカウンターで手荷物預けの引き継ぎ手続きをした。出発まで時間があるので、一杯飲んだりした。平日昼時なのに乗客が多く、羽田空港行なんかは満席となっていた。出発時間の頃合いをみて、プロペラ機なので、バスで飛行機まで行く搭乗口に行った。
自分もそうだったけど、大東諸島って地図では位置が分かり辛い。台風情報では、台風の位置で使われることがあり、そこで「この辺りか」と感じる位。沖縄本島から東へ約360キロにある。1時間程で南大東空港に到着。先述通りで、今日は南大東島先行である。同機乗り継ぎでも、一旦南大東空港で降りなければならない。搭乗案内にて、北大東島行になった飛行機に搭乗した。これからが、日本の航空路最短であるフライトになる。離陸から着陸まで6分である。
あっという間に、北大東空港に到着。那覇空港への出発時刻まで短く、機内への手荷物積み込みが優先だった様で、預けた釣り道具を受け取るのに時間が掛かった。釣りは南大東島でなんだけどね。そして、迎えに来てもらった宿の人のところへ。正直、その人が外人さんだったので、びっくりした。宿に到着し、チェックイン。本館?は燐鉱施設を移設したもので、宿泊、娯楽等で使用されていたそう。僕は別の建物の部屋だった。
宿に到着が16時頃で、あまり観光できる時間が無いから、「しまたび」(https://shimatabi-rito.com/)という沖縄の個人、家族、グループ向けオプション的ツアー予約サイトから、ナイトツアーを申し込んでいた。それまでの時間をどうしようと思っていたところ、原付が借りた時間から返す時間までの時間単位制だったので、原付を借りた。久し振りの原付だったので、始めだけちょっとうまく乗れなかったけど、すぐに感覚を取り戻した。まずは西港へ。北大東島は昔、燐鉱産業が盛んだったそうで、その遺構があり、岸壁からはきれいな海と、島を形成する隆起珊瑚の荒々しさが見れ、不思議な空間だった。次に行く、南大東島も見えた。2島巡り、両島の近さからは、去年の焼尻島、天売島巡りと共通する。
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「金比羅神社」。大東諸島は八丈島系と沖縄系、その他の人が暮らしているため、八丈島由来で神社がある。相撲の土俵があったけど、今でも使われてる?
「上陸跡」。1903年に玉置氏が率いる開拓団が上陸した場所。歴史についてはナイトツアーで解説あったので、後述する。青ヶ島みたいな苦労があった様。
宿に戻った。2食付きにしたけど、両方弁当だった。弁当を受け取って部屋に置き、ナイトツアーのお迎えを待った。ガイドさんは、北大東島振興機構の方だった。なんと、僕1人のツアーだった。まずは「人材交流センター民俗資料館」に行き、歴史、産業等を教えてもらった。上陸は南大東島の3年後である1903年で、甘藷を植え、後に燐鉱採掘が始まったそう。アルミや肥料の原料になるそう。途中、玉置商会から東洋精糖へ事業は引き継がれ、中断した頃もあったけど、1950年まで続いたそう。今でも採掘している所はあるのか?甘藷農業も盛んになっていき、現在主流だそうである。島は長らく社有地となり、島民、労働者は金券で生活していたそうである。行政も会社によるもので、民主的では無かっただろうな。現在は製糖業他で、沖縄県内では高い給与水準だとのこと。 大東諸島には沖大東島もあるそうで、知らなかった。米軍の射爆場になっているそう。しかも、所有は国内の「ラサ工業」とのことで、珍しい島である。
質問もした。「Iターン移住は促進しているか?」と質問したら、「住むところはないし、看護師など行政の求人ならある」とのこと。宗教信拝に関しては、神社があるので「神道か?」と思ったら、「仏教ではないか?」とのこと。沖縄系の人は先祖崇拝だそうで、御嶽は見当たらなかった。ネットで、自衛隊の国防施設を同島に設置する計画があることを知り、それは事実で、もしそうなるならば、30人程の自衛隊員が赴任予定だそう。大東諸島は、ロシア他が先に存在を知っているけど、領有化しようとしなかったし、小笠原諸島も領有化が色々あった(これは今回旅行記外なので割愛)そう。
今は排他的経済水域で、離島の存在は重要で、海岸は変更が認められない。
ナイトツアーは、夜ならでは+島内観光という感じで、至る所を巡ってくれた。島の水道は、海の底を掘ったところにある取水口から海水を取り入れ、寄った施設で淡水化されるそう。底を掘ったのは、海の中だと壊れるからだそう。
ヒラメの養殖場。これ位サイズが釣りたいな。
燐鉱遺跡では、足下悪い中、一度足を踏み外した。夕方には登らなかった貯蔵庫跡で、トロッコの線路跡もあった。
「りんこう館」は、ちょっとした資料館と、「トロっこ」という、昼間は飲食、夜は居酒屋になる店があった。洋館に、写真で見た会社のお偉いさんの服装から、西洋に憧れていたんだろうな。
「沖縄最東端の碑」にも寄った。脇には、干潮時に海水プールとなる「沖縄海」があった。沖縄最東端とのことで、沖縄所属を意識してるんだろうね。
そして、ナイトツアーらしい探検に。ヤシガニ探し。まあまあのサイズを1匹見つけた。卵は抱いてない、オスだった。ヤシガニは鳩間島等でも見ているけど、ハサミが怖くて手に持てない。
次はダイトウオオコウモリ探し。鳴き声が聴こえ、姿が見れた。高いところにぶら下がっていて、望遠レンズをもっていかなかったのを後悔した。
ヤシガニ、オオコウモリは、もう1箇所探ってくれたけど、見られなかった。
そして、周りに明りの無い離島は、星空観測スポット。素晴らしかったけど、撮影装備、技術が無いので、写真は無し。2箇所寄ってくれたけど、後の方で流れ星が3回程あった。
宿に送ってもらうまで、約3時間楽しめた。で、6000円とお得である。お勧めする。
部屋に置いた弁当を食べ、就寝した。
そして、いよいよ出発。今回は南大東島で釣りをする予定で、中部国際空港から初めて長い竿を手荷物預けしようとした。色々な島で釣りをしているけど、これまでは機内持ち込みできる短い竿か、夜行バスで長い竿を持っていった。しかし、那覇空港まではANAで、那覇空港からはJAL系のRAC利用で、RACが応対可能かをANAが確認する時間を要したため、手荷物預けに30分もかかってしまった。無事、預けることができた。早くの時間の電車で空港に向かって良かった。
那覇空港に到着。JALの乗り継ぎカウンターで手荷物預けの引き継ぎ手続きをした。出発まで時間があるので、一杯飲んだりした。平日昼時なのに乗客が多く、羽田空港行なんかは満席となっていた。出発時間の頃合いをみて、プロペラ機なので、バスで飛行機まで行く搭乗口に行った。
自分もそうだったけど、大東諸島って地図では位置が分かり辛い。台風情報では、台風の位置で使われることがあり、そこで「この辺りか」と感じる位。沖縄本島から東へ約360キロにある。1時間程で南大東空港に到着。先述通りで、今日は南大東島先行である。同機乗り継ぎでも、一旦南大東空港で降りなければならない。搭乗案内にて、北大東島行になった飛行機に搭乗した。これからが、日本の航空路最短であるフライトになる。離陸から着陸まで6分である。
あっという間に、北大東空港に到着。那覇空港への出発時刻まで短く、機内への手荷物積み込みが優先だった様で、預けた釣り道具を受け取るのに時間が掛かった。釣りは南大東島でなんだけどね。そして、迎えに来てもらった宿の人のところへ。正直、その人が外人さんだったので、びっくりした。宿に到着し、チェックイン。本館?は燐鉱施設を移設したもので、宿泊、娯楽等で使用されていたそう。僕は別の建物の部屋だった。
宿に到着が16時頃で、あまり観光できる時間が無いから、「しまたび」(https://shimatabi-rito.com/)という沖縄の個人、家族、グループ向けオプション的ツアー予約サイトから、ナイトツアーを申し込んでいた。それまでの時間をどうしようと思っていたところ、原付が借りた時間から返す時間までの時間単位制だったので、原付を借りた。久し振りの原付だったので、始めだけちょっとうまく乗れなかったけど、すぐに感覚を取り戻した。まずは西港へ。北大東島は昔、燐鉱産業が盛んだったそうで、その遺構があり、岸壁からはきれいな海と、島を形成する隆起珊瑚の荒々しさが見れ、不思議な空間だった。次に行く、南大東島も見えた。2島巡り、両島の近さからは、去年の焼尻島、天売島巡りと共通する。
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「金比羅神社」。大東諸島は八丈島系と沖縄系、その他の人が暮らしているため、八丈島由来で神社がある。相撲の土俵があったけど、今でも使われてる?
「上陸跡」。1903年に玉置氏が率いる開拓団が上陸した場所。歴史についてはナイトツアーで解説あったので、後述する。青ヶ島みたいな苦労があった様。
宿に戻った。2食付きにしたけど、両方弁当だった。弁当を受け取って部屋に置き、ナイトツアーのお迎えを待った。ガイドさんは、北大東島振興機構の方だった。なんと、僕1人のツアーだった。まずは「人材交流センター民俗資料館」に行き、歴史、産業等を教えてもらった。上陸は南大東島の3年後である1903年で、甘藷を植え、後に燐鉱採掘が始まったそう。アルミや肥料の原料になるそう。途中、玉置商会から東洋精糖へ事業は引き継がれ、中断した頃もあったけど、1950年まで続いたそう。今でも採掘している所はあるのか?甘藷農業も盛んになっていき、現在主流だそうである。島は長らく社有地となり、島民、労働者は金券で生活していたそうである。行政も会社によるもので、民主的では無かっただろうな。現在は製糖業他で、沖縄県内では高い給与水準だとのこと。 大東諸島には沖大東島もあるそうで、知らなかった。米軍の射爆場になっているそう。しかも、所有は国内の「ラサ工業」とのことで、珍しい島である。
質問もした。「Iターン移住は促進しているか?」と質問したら、「住むところはないし、看護師など行政の求人ならある」とのこと。宗教信拝に関しては、神社があるので「神道か?」と思ったら、「仏教ではないか?」とのこと。沖縄系の人は先祖崇拝だそうで、御嶽は見当たらなかった。ネットで、自衛隊の国防施設を同島に設置する計画があることを知り、それは事実で、もしそうなるならば、30人程の自衛隊員が赴任予定だそう。大東諸島は、ロシア他が先に存在を知っているけど、領有化しようとしなかったし、小笠原諸島も領有化が色々あった(これは今回旅行記外なので割愛)そう。
今は排他的経済水域で、離島の存在は重要で、海岸は変更が認められない。
ナイトツアーは、夜ならでは+島内観光という感じで、至る所を巡ってくれた。島の水道は、海の底を掘ったところにある取水口から海水を取り入れ、寄った施設で淡水化されるそう。底を掘ったのは、海の中だと壊れるからだそう。
ヒラメの養殖場。これ位サイズが釣りたいな。
燐鉱遺跡では、足下悪い中、一度足を踏み外した。夕方には登らなかった貯蔵庫跡で、トロッコの線路跡もあった。
「りんこう館」は、ちょっとした資料館と、「トロっこ」という、昼間は飲食、夜は居酒屋になる店があった。洋館に、写真で見た会社のお偉いさんの服装から、西洋に憧れていたんだろうな。
「沖縄最東端の碑」にも寄った。脇には、干潮時に海水プールとなる「沖縄海」があった。沖縄最東端とのことで、沖縄所属を意識してるんだろうね。
そして、ナイトツアーらしい探検に。ヤシガニ探し。まあまあのサイズを1匹見つけた。卵は抱いてない、オスだった。ヤシガニは鳩間島等でも見ているけど、ハサミが怖くて手に持てない。
次はダイトウオオコウモリ探し。鳴き声が聴こえ、姿が見れた。高いところにぶら下がっていて、望遠レンズをもっていかなかったのを後悔した。
ヤシガニ、オオコウモリは、もう1箇所探ってくれたけど、見られなかった。
そして、周りに明りの無い離島は、星空観測スポット。素晴らしかったけど、撮影装備、技術が無いので、写真は無し。2箇所寄ってくれたけど、後の方で流れ星が3回程あった。
宿に送ってもらうまで、約3時間楽しめた。で、6000円とお得である。お勧めする。
部屋に置いた弁当を食べ、就寝した。
石垣・宮古方面とは違い、ここもまた離れてますね。
離島の存続が排他的経済水域に貢献しているということに、今回初めて気が付きました。
有人島であり続ける重要性を一つ知ることができました。