日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

惻隠(そくいん)の情

2010-03-29 05:35:05 | Weblog
昨日の介護授業は、70代の迫力ある先生だったのでびっくりしてしまいました。

彼女は、元看護婦で介護の資格を全て持っているケアマネージャーの講義だったのですが、

昔のケースで、ある女性の利用者には、離れて住んでいる長男と、仲たがいしている長女がいたそうです。

「ご長男に、あなたの世話を頼むことはできませんか?」というケアマネージャーの質問に、その利用者は、

「長男に、惻隠(そくいん)の情を期待しないで下さい」

と、の返事を受けたことに、今でもその時のショックを忘れられないという話をしていました。

「惻隠(そくいん)」とは、孟子の言葉で、他人のことをいたましく思って同情する心がもともと人には備わっているという意味なのですが、

まず、自分の息子に惻隠の情がないと言ってしまう親の神経に驚いてしまい、第三者である、ケアマネージャーや介護員に惻隠の情を期待してしまう、利用者の神経にも驚いてしまったとのことでした。

「仮に、本当に自分の子供に惻隠の情がないとしても、そのように育てた親も親なら、言われた方の子も子です」と、先生の話は続きます。

親子が離れて住むのが当たり前になった我々の世代には、親の気持ちの方が、共感が持てるような気もしないでないのですが、どうして先生がそんなに怒っているのか、他の受講生もピンとこない様子でした。

さらに先生は、最近会社を引退したばかりの60代の受講生に、こうたたみみかけました。

「あなたの息子さんには、惻隠の情がないと思いますか?」と質問すると、

「僕は、自分なりの考えを持っていて、自分の親の介護もしてきたが、息子にはしてもらいたいとは思いません」と返事。

「でも、それっておかしくない? もしかすると、あなたの息子さんも親を介護したいという気持ちを持っているかも知れないのですよ。それをあなたは無視して、他人がやる介護サービスにどうして、惻隠の情を期待できるのですか?」という問いかけには、言葉を詰まらせていました。

今の時代、死ぬまで肥大化させたままの自分のエゴをつらぬいて、最後はのたれ死んでもいいと考えている人が多いくらいでしょう。

高齢者介護はたいがい、死ぬ直前の数年間に必要なサービスなのですが、そのために、動けなくなったときの自分の姿が想像もできすに、その時の覚悟もできずに年だけとっていってしまう人が少なくありません。人間、動けなくなったら自殺さえできないですし、そもそも、そのような人生を認めてしまう社会など狂気でしかないでしょう。

本当は、高齢の親たちは遠慮しているのでしょうが、自分たちは苦労してまともな人間になったくせに、息子に苦労させたくないなんていうのは、ただの甘やかしなんですよね。

それで馬鹿高いコストをかけて、介護保険が回っているのですから、生活に余裕の無い世の中になるのも当たり前です。

なんか、資本主義国家から、北欧の社会民主主義国家に移住したような転職なので、色々勉強になるなあ。

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