今日は、「防災の日」と、TV ニュースでも、盛んに言っております。
拙者は、古い人間なので、 9 月 1 日は、どちらかと云うと、「防災の日」と云うより、何故か「二百十日」という言葉の方が、馴染(なじ)みがあります。 で、この日は、毎年 2 月の立春の日から数えて、二百十日にあたり、一番の台風シーズンになるので、十分に気を付けよ! といった意味合いがあったと思います。
それで、「防災の日」を少し調べてみました、
1923 年(大正12 年)の 9 月 1 日に、マグニチュード 7.9 といわれる関東大震災(地震災害)が発生した起因から、 1960 年(昭和 35 年)に、当時の内閣の閣議で、この日を「防災の記念日」に制定されたようです。 ですので、この「防災の日」は 50 年以上も前に決まっていたことになります。 (拙者も、自分自身いい勉強になりました。)
拙者がいま住まいする所は、いまでこそ安心して住める住宅街になりましたが、ここへ引っ越してきて、3 年後でしたか!! 台風による大雨で、床下浸水1回、床上浸水2回、これが3年連続で災害に遭いました。 要は、ここの町内全体の土地が低かったのだ! と思い知らされました。
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水害時の近所の状況です。 拙者もバカですので、自分の新築住宅が水害被害を受けているのですが、こうして、腰近くまで水に浸かって、写真を撮っていました。 もう、男は諦(あきら)めが肝心!! だという開き直りの気持ちでした。
ここは、長野市の関連公社が造成して、販売をかけたもので、拙者も含めて、ここの住民は怒り心頭で、賠償問題も!、と大きくクローズ・アップされました。 今になれば笑っちゃいますが、その水害被害の原因と因果の関連付けが、1年目は、「50年に1度の大きな台風での大雨だった!!」 と説明があり、2年目の被害の時は「100年に1度の台風・大雨だった!!」と。そんな話しになっていきました。 3年目の時は、言葉が無かったように記憶しています。
家の中は、水が引いた後は、冷蔵庫もひっくり返ったり、もうメチャクチャでした。 正直、これから住宅ローンを毎月払っていかなくちゃならないんだぜ!! 誰が、どういった責任を執(と)ってくれるんだ!! 当時は、若さもあり、こればかりでした。
家の中を一日も早く片付けないと、住めないし、正直、サラリーマンの仕事どころではありませんでした。 だが、有難いことに、友人や会社の同僚や親戚など、沢山の皆様がお手伝いに来ていただき、何とか3ヶ月後には住めるようになりました。 勿論、畳、襖(ふすま)、応接ソファー、その他諸々の家電品など、全滅でした。 車庫の車2台も水をかぶり、キャリアカーで修理に持って行って貰いました。
ですので、東日本大震災や、ここ信州の北、栄村の災害に遭われた皆様のお気持ちは、計(はか)らずも、拙者自身も体験しているので、苦悩の大変さは他の方よりは、分かる気がします。 だが、僅かばかりの寄付金でしかお手伝いが出来ませんでしたが、復興に向けての祈りは忘れておりません。
あれから約 30 年、やはり、あの災害後、町内整備はされていますが、やはり、このシーズン、TVニュースでの気象状況は気になります。 昨日も、宮崎にお住まいの「 eiten 様 」のブログにお伺いしましたら、この台風 12 号の動きで、拙者のところを心配して下さっていました。 この場を借りまして、「有難うございます!!」 と感謝しております。
災害に負けない、強い精神力も必要ですね!! っと。