雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「趣味としての創作」

2016-02-01 | エッセイ
 若い方々の「現代小説」を読ませて戴いて、この中から未来の芥川賞作家や、直木賞作家が生まれるのであろう予感に胸躍らされます。

 小説を書きたいのですが、「わたしは長い文章が書けなくて‥」と、諦めてはいませんか? 長い文章は、短い文章の集まりなのですよ。稚拙な文章は、いくらでも後で直せるのですよ。物語を組み立てるのは、電子回路に似て、小さな回路の集まりで出来上がっているのです。

 昔、猫爺小学生の頃、「スーパー・ヘテロダイン」という回路のラジオが組める学友が居ました。猫爺などは、たかだかゲルマニューム・ラジオしか作れませんでしたが、半田ゴテの先から松脂の臭いがする煙を燻らせながら、回路図を傍らに広げ作業をすすめている学友を見て、「コイツ凄いなァ」と、尊敬の眼差しで見たものです。

 しかし、自分もやってみると、「何だ、こんなの簡単じゃないか」と、思えるようになりました。そうです、順序を追って、一つ一つ組んでいくと、次第に完成していくものなのです。
 出来上がったものを見て、「わーっ、自分には難しすぎる」と思えても、やってみると出来るものなのです。

 ラジオを組み上げてみて、電源を入れても鳴らないこともありました。どこかで間違えているのです。そんな時は、回路図通りに組みあがっているか、もう一度点検をするのですが、小説だって同じことです。もう一度読んでみて、ストーリーが成り立っているか、熟語や文法は間違っていないだろうかと点検するのですが、猫爺のような趣味で書いている場合は、何度でも修正ができます。

 「添削」とは、書き足したり、削ったりすることですが、原稿用紙に書くのと違い、ワープロソフトやエディタを使うと、なんと簡単で、しかもエコではありませんか。

 「校閲」とは、間違いを見付けて正すことですが、ただしい文章が書けなくても、情報はWebからいくらでも手にはいります。

 今の若い方々は、たいへん恵まれておいでです。「小説を書きたい」と思い立ったら、すぐにでも始められます。

 まずは、楽しいこと、悲しいことの空想、自己の体験から出たこと、友人の体験などと、題材は無数にあるのですから‥。

 「あっ、ごめん」爺のくせに、ちょっと生意気過ぎました。(久々に、敬語体の文章で投稿記事を書いてみました)


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