雑文の旅

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十五回 足を洗った関の弥太八

2015-06-19 | 長編小説
 亥之吉父子は、灘郷の代官所にやってきた。開いている門を潜ると、すぐに二人の門番が亥之吉たちの前に立ちはだかった。
   「済んまへん、お代官に会わせて貰えまへんやろか?」
 亥之吉は腰を屈めて下手に出た。
   「何の用だ」
   「この度お縄になった勝蔵さんたち三人のことで、お耳に入れたいことがありまして」
   「お前達の名は?」
   「大坂の商人、福島屋亥之吉と、その倅、辰吉で御座います」
   「暫くここで待て」
   「へえ、待たせて頂きます」
 一人の門番が屋敷内に入って行ったが、時経ずして戻ってきた。
   「お代官は会われるそうだ、付いて来い」
   「ご足労をお掛け致します」
 お代官は、門番程も偉ぶることもなく、ただの好々爺然として亥之吉父子を迎えた。
   「儂の耳に入れたいこととは、どのようなことですかな」
   「勝蔵、作造、文吉の三人は無実です」
   「ほう、実は儂も密告があり三人を捕らえたものの、どうしたものかと考えていたところだ」
 亥之吉は、何者かに造り酒屋「横綱酒造」を乗っ取られようとしていること、その為に勝蔵、作造、彼等を助けてきた文吉を罪に陥れて亡き者にしようと企んでいることなどを、具(つぶさ)に申しのべた。
 また、大坂で起きた相模屋での千両詐取事件、大坂の酒店主を詐欺に巻き込み、金を奪い絞め殺し、自殺に見せかけて死体を天井から吊るした一件、さらに酒店から詐取した銀貨とともに、店の金を奪って隠した件など、その繋がりを説明した。
   「酒店の店主は、自殺とされていますが、自殺でない証拠があります」
 亥之吉は、天井の梁に残された、店主が首を括ったであろうとされている縄に付いた血痕の訳も話した。
   「首を締めた縄を使って、天井に吊るしたのだな」
   「左様で御座います、相模屋で奪った銀も、酒店から奪った銀も、灘郷に持ち込まず、古店舗のどこかに隠しているのに違い有りません」
   「では、勝蔵の家から見つかった銀も、文吉の家から見つかった銀も、こちらで犯人が用意したものなのか?」
   「その通りだと考えます」
   「わかった、では大坂の奉行所に使者を送って、まず酒店の家探しをして貰おう」
   「あの店舗は、わたいが買うことにして手付(てつけ)を打っていますさかいに、存分に家探しをして貰ってください」
 一つ、亥之吉の推理を付け加えた。
   「古店舗の蔵に、幽霊が出ると噂を振りまいた者が居ます」
それは取りも直さず人々を蔵から遠ざけ、古店舗が売れないようにと考えた犯人の策だと考える。即ち、詐取した千両と、この酒店から奪った何某かの大金は、この蔵のどこかに隠されているに違いない。店主が蔵の床下か、壁に仕掛けを作っていたに違いないから、念入りに調べるように伝えてほしいと申し添えた。
   「それから、お代官さま、補えられている勝蔵たちは拷問をしないで欲しいのです」
   「すぐに解き放つことは出来ないが、そなたの証言に納得したから拷問はするまい」
   「有難うございます」
 偽装でよいので、捕らえた三人は唐丸籠で大坂の奉行所に連行されて、数日後にお仕置きになったと横綱酒造の人達に伝えてほしいと、これは真犯人を炙り出す手段になるので「是非お願いします」と代官に願い出ると、快諾してくれた。

 亥之吉父子が灘郷に逗留して四日後、大坂の奉行所より与力が一騎、馬で駆けつけてくれた。
   「亥之吉どの、相変わらずのお手柄でござるな」与力は、亥之吉の顔を憶えていたらしい。
 やはり亥之吉の推察どおり、蔵の床下が寄せ木細工様の造りになっていて、破壊して開けると二千二百五十両の銀が出てきたそうである。

 勝蔵の女房の家には、与力が亭主の処刑を直々に伝えに行くことになった。

   「勝蔵の女房であるか?」
   「はい、左様にございます」
   「伝え申す、勝蔵、作造、その他一名の者は酒店主を殺害し、有り金を強奪したとして大坂の奉行所にて処刑された」
 女房は、「わっ」と泣き崩れた。与力はそれだけ伝えると、さっさと立ち去った。その後に、のこのこと亥之吉父子がやって来て、悔みを伝えた。
   「大船に乗ったつもりで安心して待ちなさいと言ったではありませんか」
 女房は、亥之吉に向かって、恨み辛みをぶつけ、表にまで聞こえるくらいに号泣した。
   「この嘘つき、帰れ!」
 壁や襖に、ものをぶつける音が響いた。
   「力が及ばずに、すんまへんでした」
 亥之吉の謝る声が、虚しく響いていた。

 亥之吉父子は、早々に引き揚げて行った。
   「ああ、偉い目遭った、女将さんには、返す言葉もなかったなぁ」
   「女将さんだけには、本当のことを伝えてあげたかった」
   「敵を欺くには、まず味方からと言いますやろ」
 辰吉は、居た堪れない気持ちでいっぱいだった。

 女房のところから引き上げると、亥之吉父子は、横綱酒造に立ち寄り、自分たちの力が及ばなかったことを詫び、今夜一晩灘郷の旅籠に泊まり、明日大坂に帰ると伝えて早々に横綱酒造を辞した。その後、番頭の鬼助とその息子の助八も、慰めるべく勝蔵の女房のもとへやって来た。

 その夜、勝蔵の女房が泣き疲れて意識が遠のく頃、女房の部屋の襖がスーッと開いた。そこには、悲しみの余りに眠れなかったのか座卓に寄り掛かり、子供を抱いて夜中の冷えを凌ぐためか布団代わりに一衣の着物を頭から掛けて肩を震わせていた。夫が恋しいのであろう、偲び泣いているのだ。
   「女将さん、大丈夫ですかい」
 ピクリと反応をしたが、夢とでも思ったらしく、またウトウトとしているようであった。
   「女将さんには気の毒ですが、お子さんと共に首を括って頂きますぜ」
 女房は、散々泣き過ぎて、声も出なくなっているようだった。男が近付くと、女房は座卓から離れて、壁際まで逃げようと後じさりをした。
   「お子さんと一緒に、旦那さんのもとに送ってやろうと言っているのだ、有り難く思いなせえよ」
 男の手に、腰紐が握られていた。
   「ちょっと苦しいが、直ぐに楽になりますぜ」
 男が女房の首に腰紐を巻きつけようとしたが、跳ね除けられてしまった。
   「なんでえ、力が強い女だなぁ」
 女房は、すっくと立ち上がった。抱いていた座布団をポンと男に投げつけると、手には壁際に寝かせて置いてあった六尺棒が握られた。
   「あはは、生憎だったなぁ、助八」
   「えっ?」
   「与力さま、お聞きになりましたか?」
 隣部屋の襖が開いて、大坂から来た与力が飛び出して来た。その後ろには、女房と亥之吉が控えている。
   「おう、確かに聞いた、聞いた」
 流石に与力である。応えるか早いか、男の腕をねじあげていた。女房は、何時の間にか辰吉と入れ替わっていたのだ。

 助八は、大坂の与力に引っ立てられて代官所に向かったが、亥之吉も証言者として代官に説明して貰いたいことがあると言う与力に同行した。

 二刻(四時間)ばかり後に、亥之吉は辰吉が待っている勝蔵の住まいに戻ってきた。助八は与力と亥之吉の証言により、他に仲間が居ないか、無職の助八が勝蔵と文吉の住まいに隠したそれぞれ二百五十両の出処に不信な点はないかと調べあげた上に、灘郷の代官所で裁かれることとなった。

   「やあ、女将さん、待たせて申し訳なかった、勝蔵さんは約束どおり罪が晴れて解き放されましたで」
   「それで、勝蔵は今何処に?」
   「安心しなはれ、二人の役人と作造さん、文吉さんと共に、横綱酒造へ行きました、番頭の鬼助も連行されて、共犯者としてお取り調べを受けるようです」
 勝蔵の女房は、張り詰めていた気持ちが、一気に解れたかのように、今度は喜びで号泣した。
   「勝蔵さんがお仕置きになったなんて、驚かしてすんまへんでしたな」
   「あの時は、亥之吉さんを心から恨みました」
   「犯人の助八が、庭に隠れて様子を伺っていると思いましたので、女将さんにも打ち明けずにいましたのや」
   「与力さまも、いけしゃあしゃあと嘘をついたのですね」
   「その御蔭で犯人は助八だと確証がとれたのですから、堪忍してください」
   「義弟の作造さんも、文助さんも、お解き放ちになったのですね」
   「勿論です、やがて三人揃って、ここへ来るでしょう」
 勝蔵、作造の兄弟が横綱酒造へ戻り、父親の遺言の真偽について話し合ったが、兄弟が憎しみ合っているように見せる目的で作られた偽物であっても、また母親が本妻であろうと妾であろうと、兄は兄、弟は弟だとの作造の主張で、勝蔵は元の横綱酒造の主(あるじ)に収まり、作造は文助と共に現在勤めている造り酒屋へ戻っていった。

 亥之吉は、主が殺された大坂の酒店の未亡人の実家へ行き、奪われた千二百五十両を取り返したことを伝え、一時、亥之吉が買い取るとした、犯人の助八によって幽霊がでると噂を流された古店舗を戻してやり、商いを再開することを薦めた。幸いなことに、元の使用者たちが他の店に移らずに居てくれたので、全員呼び寄せることにした。中でも番頭格の中年の男は、殺された店主の叔父にあたり、開業当時から若い店主の右腕となり、店の屋台骨をしっかり支えてきた男だという。
   「頼れる人ですね、これからもこの店を支えてくれるでしょう」
   「はい、夫の父親のような存在でした」
   「そんな方が居るのに、何故、詐欺にかかったのですやろ」
   「随分忠告をしてくれましたが、一旦詐欺師の言葉を信用してしまうと、周りの者の忠告など、聞く耳を持たなくなるものです」
   「成程、そのようですね、わいも気をつけないと、騙されるかもしれまへん」
 他に、伊勢の国は関の生まれで弥太八と言う、元はやくざだが忠義者で、骨身(ほねみ)を惜しまずに働いてくれる男が居たのだが、この店を閉めるとき国へ帰ると言っていた男が居たそうである。
   「えっ、関の弥太八?」
 辰吉が反応した。
   「へえ、弥太八とどこかで会われましたか?」
   「会ってはいないが、その男左耳の下に、大豆粒ほどの黒痣がありませんでしたか?」
   「そうそう、うちの弥太八ですわ」
 辰吉は、関の小万姐さんに「見つけてやる」と、約束していたのだ。
   「弥太八は、もうここへ来ませんか?」
   「いえ、夫が死んだ後の賃銀を受け取りに、もう一度来る筈です」
   「そうですか、では使用人の方々を呼び寄せるお手伝いをさせて頂けませんか?」
   「それでしたら、叔父に連絡をとれば、皆に知らせてくれるのですよ」
   「そうでしたか、では俺はお店の方で待たせて貰います」

 店では先に戻った与力が、蔵で見つかった二千二百五十両を、一旦奉行所預かりにしようかと思案中であった。亥之吉は蔵で見つかった丁銀のうち、相模屋長兵衛の被害分千両と、この酒店が奪われたのが千二百五十両なので、それぞれに返してやって欲しいと申し出た。
 与力の裁定で、亥之吉の申し出が認められ、急遽女房ほか使用人が集められ、金蔵は真新しい錠が掛けられた。
   「関出身の弥太八さんはどのお方人ですか?」
 辰吉が叫ぶと、三十歳そこそこの屈強そうな男が名乗り出た。
   「お前さん、関に女房を残して、どういう積りだい」
   「女房? 俺は独り者だが…」
   「関の小万(おまん)姐さんのことだよ」
   「ああ小万か、そう言えば、小万と暮らしたことがあったなぁ」
   「女房でなくとも、女房同然の女だろ」
   「そうだなぁ、一時はそんな気分になったが、その頃の俺はやくざだったから、粋がって『とかくやくざは苦労の種だぜ、堅気の亭主を持ちな』と、振りきって旅に出たのだが」
 旅に病み、野垂れ死に寸前にこの店の番頭さんに救われて、用心棒代わりに使って貰えるよう、亡くなった旦那に口添えしてくれたのだ。
   「弥太八さん、一度関に戻ったらどうだ」
   「小万は、おれを待っているのか?」
   「そうなのだ、俺は旅の途中でお前さんを探して旅をする小万姐さんと会って、あんたを探してやると約束したのだ」
   「そうか、待っていたのか」
 弥太八を救ったという番頭が、弥太八の肩を叩いた。
   「帰ってやりな、そして二人でここへ来で夫婦になればいい」
   「そうだよ、弥太八さんは足を洗って立派な堅気になったのだ、胸を張って帰って来なせえよ」
   「へい、そうさせて貰おうか…」
   「何なら、俺が付いていってやろうか?」
 黙って聞いていた亥之吉が慌てた。
   「これ辰吉、お前もええかげんに腰を据えなされ」
   「だけど、弥太八さんを放っておいたら、小万姐さんの顔を見るのが恐くなって、一人で戻ってくるかもしれないぜ」
 弥太八も、その危惧を認めた。また、小万が別の男と一緒になり、仕合せに暮らしているなら、会わずに戻ってくるだろうとも言った。
   「しゃあないなぁ、福島屋亥之吉は今が正念場や、大坂に福島屋百貨店を建てようとしている親父をほったらかして、後継者のお前は浮かれ旅を楽しもうと言うのか」
   「小万さんと弥太八さんのことも心配だが、緒方三太郎先生に預けた越後獅子の才太郎が心配なのだ」
   「何や、伊勢だけでなく、信州まで行くのか?」
   「それから…」
   「まだ行く所があるのかいな」
   「三太兄ぃが、嫁にするのやと手付を打っている女の気が変わっていないか見てくる」
   「三太の? あのスケベ、手付やなんて何をするのや」
   「誰がスケベやねん」
 入り口外に相模屋の三太が荷車を用意して立っていた。
   「それに辰吉坊ちゃん、お蔦の気が変わってないかやと、そんなことあるかいな、今頃わいが迎えに来るのを今か今かと、首を長くして待っているわい」
   「ろくろ首みたいにか?」
   「こわっ」
 いまだにチビ三太の頃と同じく、お化けに弱い三太であった

  「第二十五回 足を洗った関の弥太八」   -続く-  (原稿用紙19枚)

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