雑文の旅

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第二十四回 見えてきた犯人像

2015-06-16 | 長編小説
 大坂の鷹塾近くにあった酒店の店主が首を括り、空きになった店舗がたった五十両で売りに出ていた。亥之吉の見たところでは、三百両の価値はあるが、心ない噂のために五十両でも売れない状況であった。
 この古店舗に目をつけた亥之吉は、死んだ店主の妻の実家に足を運んだ。店主は詐欺に引っかかり、全財産を無くして悲嘆に暮れて首を括ったのだという。
 女房から話を訊いてみると、亭主が騙し取られた金額は、合計すると二百五十両だそうである。亥之吉は首を捻った。使用人を何人か使っていたこれだけのお店で、二百五十両ばかりの穴を開けて、それが全財産だったとは思い難い。例えそうであったにせよ、店舗だけでも三百両の価値はある。この店舗を担保に金を借りても商いは続けていける。
 本当に店主は自分で死を選んだのであろうか。首を括ったとされる店舗の蔵の梁に、それに使ったのであろう縄の両端が切れて梁にぶら下がっていたのはなぜだろう。普通、死体を下ろそうとすると、縄の一方だけを切れば、反対側の一方を引っ張るだけで縄はするりと死体に付いて一緒に外れ、梁には残らない筈である。もう一つ謎がある。縄の両方を切って死体を下ろしたとして、梁に残った縄に僅かな血が付着いていたのは何故なのだろう。苦し紛れに首を引っ掻いて血が付たなら、巻き付いた首の部分の筈だ
   「はい、主人は五百両と言っておりましたが、言われてみれば、詐欺に遭ったのは二百五十両ですね」
   「それがお店の運用資金だったとして、他に蓄えが有った筈です」
   「主人が全部管理していましたもので額は知りませんが、確かに有りました」
   「それが、すっかり消えてしもうたのが気になりますね」
 亥之吉が推理したこの先を、この妻に言うべきかどうか迷ったが、どうしても聞かねばならないことがあった。
   「ところで、つかぬことをお伺いしますが…」
   「はい、どうぞ」
   「ご主人は左眉毛の上に、ゴマ粒大の黒子が有りましたか?」
   「はい、御座いました」
   「眉は濃く、目は切れ長で、お若いのに目尻に深い皺が有りましたね」
   「その通りに御座います、どこかで会われたのですか?」
   「いえ、お店のご近所の方々がそんなお噂をしていたもので…」
 近所の人がそんな噂をする筈がない。相模屋長兵衛が言っていた詐欺師の容貌である。

 亥之吉は、一旦福島屋に戻り、隠居の善兵衛、義兄で旦那の圭太郎、辰吉と相模屋の三太を呼び、亥之吉が調べた事の次第を説明した。相模屋の他に被害に遭った小売酒屋の店主の容貌が、相模屋長兵衛の遭った詐欺師に似ていること、この店主は、殺された可能性が高いこと。詐欺で盗られた金額の他に存在したと思われる財産が消えていること。この店主の陰に、もう一人乃至二人の人物が見え隠れしていることなどから、亥之吉が組み立てた仮想を皆に聞いて貰った。

   「まだ不確かだが」と、前置きをして、亥之吉はこう想定したと言う。
 この店主は、ある人物に煽られて「米相場」に手を出した。一度目、二度目と大儲けをしたのに欲を深め、儲けた分の倍額を投じ、それが詐欺であったと気付く。この店主の女房は、詐欺師が姿を消したと亭主から聞かされたが、実は損をした分を詐欺で取り戻そうと詐欺師に誘われたのだ。
 店主は詐欺師に言われた通り、造り酒屋「横綱酒造」の店主源蔵を騙り相模屋長兵衛を訪ねて横綱酒造が倒産寸前であると告げた。助けて貰えたら、「清酒横綱盛」の販売権を全て相模屋に託すと持ちかけられた。
 あの銘酒、灘の生一本「横綱盛」の販売権が手に入れば、大儲けが出来ると、相模屋長兵衛もまた欲を抑えられなかった。
   「三太ごめん、これは仮定だから」と、亥之吉は三太に謝って話を続けた。
 相模屋長兵衛は、横綱盛の創業者とそれを引き継いだ次男作造の顔は知っていたが、創業者亡き後、その遺言により店主となった源蔵の顔は知らなかった為に、詐欺に引っ掛かってしまった。では、真犯人は現店主の源蔵なのか、現番頭の鬼助か、あっさり父親の遺言に従った作造なのか、作造と共に横綱酒造を辞めた元番頭の文吉か、それとも今まで全く亥之吉たちに姿を見せない別人なのか。
   「ここは、四人を揺さぶって犯人の出方を観察する必要がおます」
 もう、三太に協力は望めない。相模屋での仕事があるからだ。亥之吉と辰吉父子で、もう一度灘郷へ行ってみると提案した。
   「ははは、暇父子の大詰め舞台やな」
   「父子だけではおまへん、もう一人強い味方が居りますのや」
   「そやなぁ、犯人は一人殺しているのや、二人きりでは危ないわ」
 福島屋の隠居、善兵衛は、役人と一緒に行くのだと思って言ったが、それはもっと後のことで、亥之吉は辰吉を護っている守護霊新三郎のことを言ったのだ。


 亥之吉父子は、灘の横綱酒造に乗り込んだが、今はそれどころでは無いと、追い払われてしまった。手代らしき少年を掴まえて話を訊いてみると、
   「主人の源蔵が、役人に引っ張られた」と、べそをかきかき言った。
   「何の疑いです?」
   「へえ、人を殺して二十貫目の丁銀を奪い、その内の十貫(二百五十両相当)が旦那様の私邸の庭に隠してあったのやそうだす」
   「誰を殺したのや?」
   「分かりまへんが、誰かが訴えたそうだす」
 もっと話を聞こうとしたが、「軽はずみなことを言うでない」と、少年は番頭に耳を引っ張られて、奥へ連れていかれた。
   「訴えたのは、あの死んだ酒屋の店主の女房やろか?」
 父子は、仕方がないので、作造が勤める造り酒屋へ行ってみることにした。

   「作造さんと文吉さんは、役人に引っ張って行かれました」
 ここではひっそりとしていたが、心配顔で店主が出てきて言った。
   「何の疑いで?」
   「大坂の酒店主殺しやと言っていました」
   「訴え出たものが居たのですか?」
   「へえ、密告がありまして調べたら、二人が寝泊まりしている家の床下から、十貫目もの丁銀が出たのやそうだす」

 大坂での殺人と、灘の造り酒屋を繋いだのは、亥之吉の他は誰も居ない筈である。殺された主人の妻にも喋ってはいない。それを知っているのは、真犯人しか居ない。勝蔵と作造が共犯としても、互いが共犯相手を訴えたら、せっかく自殺と判断されて収束していたものを、寝た子を起こす必要が有ったとは思えない。
 番頭の文吉は、作造と共に牢へ繋がれた。残るは横綱酒造の一番番頭鬼助だが、もしかしたら動機があるかも知れないが、あの老齢で大の男を締め殺し、梁に縄を掛けて吊るすのは共犯が居ない限り無理だろう。
   「動機は何」辰吉が訊いた。
   「作造さんは独り身や、もしかして勝蔵さんも独り身やったら跡継ぎが居ないから、横綱酒造を任されるのは鬼助やろ」
   「でも、勝蔵さんは銀十貫目を私邸の庭に隠していてと言うてたぜ」
   「そうや、奥さんも子供も居るかも知れへん」
   「そうしたら、その母子の命も危ないのと違うだろうか」
   「そや辰吉、よう気が付いた、けどまだ殺さへん、今殺したら犯人が他にいることを知られてしまう」
   「三人が仕置されて熱りが冷めたころが危ないなぁ」
 辰吉は、勝蔵に妻子がいたら、自分が護ってやろうと決心した。

   「辰吉、もう一回横綱酒造へ行って、番頭の鬼助を揺さぶってみようや」
   「へい」
 新三郎にも呼びかけた。
   「新さん、出番だよ」
   『分かっておりやす』

   「福島屋亥之吉でおますのやが、鬼助さんに会いとうおます」
 手代らしき少年が出てきた。
   「あ、先程の方だすな」
   「へえ、鬼助さんに会いとうて、また来ました」
 少年が呼びに行き、すぐに鬼助が顔を出した。
   「大変なことになりましたな」
   「へえ、そうだすねん、疑いが晴れて戻してくれたらええのだすが…」
   「本当ですね、勝蔵さんが人殺しをするやなんて、信じられんことです」
 とか言っている間に、新三郎が鬼助に忍び込んだ。
   「ところで、勝蔵さんのお住まいに行きたいのですが、場所を教えていただけまへんか?」
   「今頃、女将さんのところへも知らせが届いとりますやろ、知らん人が訪ねても、会ってくれへんと思いますで」
   「そうですやろか、わいは真犯人の目星が付いたさかいに知らせに行くのですが」
   「それは、誰やと言うのだす?」
   「作造さんも密告されて捕まったのです、勝蔵さんと、作造さんが消えて得をする者です」
   「誰なのですか、それは」
   「多分、鬼助さんがよく知っている人でっせ」
   「わしが知っている人? この店の者だすか?」
   「一人は、この店の人です」
 辰吉が横入りしてきた。
   「番頭さん、助八さんというのは、鬼助さんのご子息ですね」
   「えっ、何故息子の名を…」
   「それから、勝蔵さんの家も教えて頂き、有難う御座いました、まだこちらには引っ越していないのですね」
   「子供さんが酒の匂いで酔ってしまうと仰って…、わし場所を話しましたかいな」
   「へえ、たった今、話して頂きましたよ、助八さんの居場所もね」
   「話した憶えがないのやが、さて?」
 首をかしげている鬼助に礼を言って、二人は勝蔵の妻に会いに行くと告げて店をでた。

 勝蔵の妻は、取り乱していた。そこへ知らぬ男が二人会いに来たとあって、動揺を隠しきれないようであった。
   「決して怪しい者ではおまへん、私は大坂の福島屋亥之吉と言い、これは倅の辰吉でおます」
 名を聞いて、少し落ち着いたようであった。
   「ご用件は何でしょうか?」
   「はい、大坂の酒店の主が殺された件を調べております」
   「主人が殺したというのですか、主人の勝蔵は、人が殺せる人ではありません」
   「わいも、勝蔵さんには何度か会っていますからわかるのですが、勝蔵さんは犯人ではおまへん」
   「では、何故ここへ来られたのですか?」
   「既にご存知かと思いますのやが、弟さんの作造さんにも同じ容疑が掛けられ、役人に連行されました」
   「えっ、作造さんも?」
   「わいは、別件の詐欺師を追っているのですが、その詐欺師と言うのが殺された大坂の酒店の主人のようなのです」
   「分かりました、それで詐欺師を殺した犯人を探していて、主人と作造に行き当たったのですね」
   「いえ、まだ行き当たってはいまへん、勝蔵さんも作造さんも殺しの犯人ではないからです」
   「ありがとう御座います」
   「礼を言われるのも、まだ早いです」
   「無実を信じてくださったのではないのですか?」
   「信じていますとも、だが、礼は勝蔵さんと作造さんの容疑が晴れて、二人共お解き放ちになってからにして欲しいのですわ」
   「晴らしてくださるのですか?」
   「へえ、その為に来たのですから」
   「私は何を話せば良いのでしょう」
   「まず、丁銀十貫目は、どこに隠していたのですか?」
   「ご案内します」
 勝蔵の妻は、庭の隅へ二人を導き、ここに置き、薦を掛けただけだったとその場に残された薦を指さした。何のことはない、隠したというよりも持ち込んで置いただけのことだった。
   「この薦は、元々ここに有ったのですやろか」
   「いいえ、銭函と一緒に持ち込んだものやと思います」
 今度は辰吉が質問した。
   「もう一つお伺いします、番頭の鬼助さんは、よくこちらに来られるのですか?」
   「へえ、うちの番頭ですから、主人の用やら何やらで、よく来ます、主人と私が夕食に誘うこともあり、その時は息子の助八さんを連れて来ることがあります」
   「助八さんは、最近来られましたか?」
   「一昨日、夕食に呼んで戴いたお礼だと言って、荷車でたくさんの小麦粉と大根や大豆を持って来てくれました」
   「助八さんは何歳くらいの方です?」
   「確か、三十歳とか言っていました、いい歳をして独り身やそうなので、主人がお嫁さんを見つけてやるとか申しておりました」
   「そうですか、突然お邪魔しまして、申し訳ありませんでした」
   「何か、お役に立ちましたか?」
   「はい、おおよその検討がつきました」
   「もしや、鬼助父子が犯人だというのではないでしょうね」
   「それはまだ何とも言えません」
   「そうですか、主人のことを、どうぞよろしくお願いします」
 今度は亥之吉が割り込んだ。
   「へえ、松前船くらいの大船に乗ったつもりで、お任せください」
 
  亥之吉の足は、大坂向かっていない。辰吉は、ただ黙って亥之吉に続くばかりである。
   「新さん、親父はどこへ行く積りだろう」
   『多分、代官所だと思いますぜ』
   「勝蔵さんと、作造さんを救いに行くのか?」
   『まだ救えないだろう、事件はどちらも大坂で起きている、お調べとお裁きは東町のお奉行に任せて欲しいと頼みに行くのでしょう』
   「そうか、拷問を受けない為だね」
   『そうだ』
   「もし、受けいれてくれなかったら?」
   『あっしの出番だろうな』
   「新さんは、頼りになるなぁ」
   『あたぼうよ』
   「ちぇっ、当たり前のべらぼうよって、俺の真似かい」

  「第二十四回 見えてきた犯人像」  -続く-  (原稿用紙17枚) 

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