雑文の旅

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猫爺の連続小説「江戸の辰吉旅鴉」 第十五回 ちゃっかり三太

2015-05-15 | 長編小説
 三太、辰吉、又八の三人と、守護霊新三郎は、揃って彦根一家の戸口に立った。殴り込みに備えて準備万端、三太たちを待ち構えているのか、静まり返っている。うっかり戸を開けると、一斉に飛びかかる算段であろう。又八を戸口の横へ退避させ、三太と辰吉が戸の両脇に立ち、「トントン」と叩いてみた。返答が無い。引き違い戸を二人が呼吸合わせて「セーノ」で開くと、どうしたことだろう子分たちは目を回して倒れている。その一番奥に親分が呆然と立ち、その前で若い旅人風の男が長ドスを構えて親分を護っている。
   「来るな! 親分に近づくと斬る」
 見るからにヘナチョコ若造の癖に、度胸満々で威勢を張っている。
   「どうした」
 三太が若造に尋ねた。
   「わからん、突然仲間討ちが始まって、みんな倒れた」
 若造も何が何だか分からない様子である。だが、三太と辰吉には分かったらしい。
   「三太兄ぃ、これは…」
 三太は笑って頷いた。その辰吉が言った「三太」に、若造が反応した。
   「三太さん? もしや…」
   「わいを知っているのか?」
 三太の顔を繁々と見つめていた若造が驚きの声を上げた。
   「やっぱり、三太さんだ、江戸の三太さんだ」
   「江戸の?」
   「そう、京橋銀座、福島屋へ奉公に上がった三太さんだ」
   「わいは今浪速に戻っているが、その通りだ、だがお前さんに憶えがない」
   「三太さんに無くとも、おいらははっきり憶えています、それ、七里の渡しで…」
   「ん? 十何年も以前のことか?」
   「おいらは寛吉(かんきち)と言います」
 三太と同じか一つ二つ下であろうその若造が、目を輝かせている。
   「もしや、あの時の…」
   「そうです、海に落ちて溺れているところを三太さんに助けて貰った寛吉です」
   「へー、奇遇やなぁ、それでおっ母さんは元気なのか?」
   「三太さんに助けてもらった上に小判まで貰ったと、折につけ江戸の方に向かって手を合わせていましたが、一昨年に流行病で死にました」
   「そうか、亡くなられたのか」
   「その後は、ご覧の通りのやくざ渡世の渡り者です」
   「どうして、江戸へわいを訪ねては来てくれなかった」
   「三太さんは堅気の衆、こんな渡世の男がノコノコ顔を出せるものですか」
   「そんなことがあるものか、わいは大江戸一家や、京極一家ともお付き合いさせて貰っていますのや」
   「そうでしたか」
 三太と寛吉がそんな話をしていると、目を回していた子分達がモソモソ動きだした。気が付き始めたのだ。辰吉がその男達の頭を「ポコンポコン」と棒で叩いて回っている。
   「三太さん、不思議なことがあるのです」
   「どうした?」
   「子分たちみんなで殴りあっているのに、おいらには誰もかかってこないのです」
   「憶えていたらしいですね」
   「誰が?」
   「あっ、いやええのや」
 新三郎が憶えていて護ったのだ。
   「寛吉さん、この一家の子分ですかい?」
   「いえ、たまたま世話になった旅鴉でござんす」
   「一宿一飯の恩義で、命を張りなすったのか」
   「へぃ、意地と義理との世界に生きる者として…」
   「およしなさい、こんなケチな親分の為に命を張るなんて、賢い男のすることやない」
   「ケチなのですか?」
 辰吉が、ツツっと寛吉に近付いた。
   「そうよ、将来を言い交わした男が居る又八の姉さんを、自分の女にする為に罪のない子分の又八を嵌めて殺そうとしたのですぜ」
 気がついて頭を擦っている子分どもにも聞こえるように、辰吉は親分の魂胆を全部明かしやった。
   「可愛い子分を騙し討にするなんて」
   「そうだろ、コイツ等も、いつ殺されるかも知れねぇのだ」
 子分たちがざわついている。
   「又八が二百両盗んでトンズラしたって言うのも嘘だったのだ」
 子分たちも可怪しいと思っていたのだ。母親と姉が一家の近くに住んで居るというのに、盗みを働いて逃げ出せば親娘が責められるのは又八にも分かっていた筈だ。親思い、姉思いの又八がすることとは、どうしても考えられなかったのだ。
   「やはりな」
 子分たちに、ようやく納得がいけたようだ。子分たちは、二人出ていき、また三人出ていきして、誰も居なくなった。残された仁王立ちの親分がその場に崩れた。ようやく子分が去ったことに気が付いたのか、嗄れた声で呟いた。
   「何が起きたのだ」
 子分の誰かがタレ込んだのであろう、その日、親分は代官所の役人に縛られて連れていかれた。何の罪かは三太たちに分からないが、その後、親分は二度とこの家の敷居を跨ぐことはなかった。
   「又八、これからどうする?」
 辰吉が尋ねた。
   「へい、おふくろと姉を守って、百姓をします」
 
三太と辰吉は、又八の家まで送って行った。三太は又八の母親に用があるらしく、何やら話し込んでいるが、辰吉は才太郎を背負って又八に別れを告げ、三太と寛吉よりも先に家を出た。

   「わいは、お蔦さんと夫婦になると誓い合ったのや、浪速に店を構えて独り立ちしたら迎えに来ますよって、それまでしっかり護っていてくださいよ」三太は「なぁ」と、お蔦を見た。お蔦は恥ずかしそうに下を向いて頷いた。
 「旅先で持ち合わせがないのやが、これ支度金の一部や」
 三太は、裸のままの十両を母親に渡した。

 三太と寛吉も、又八と親娘に別れを告げると、辰吉の後を追った。
   「寛吉さんは、行く宛が有るのですか?」歩きながら三太が寛吉に尋ねた。
   「ありません、風の吹くまま気の向くまま、三太さんが居なくなって寂しいが、お江戸の方に向かってみようと思います」
   「ほんなら、わいの居る浪速へ来んかいな、わいが店を出したら、一番番頭にしてやります」
   「おいらが堅気のお店で番頭になるのですか?」
   「そうや、その気はありませんか?」
   「いけませんや、おいらは『いろは』のいの字を、どこから書くのかも知らない文盲です、番頭なんか勤まりませんや」
   「そんなものは習えばよろしい、何ならわいが手厳しく教えてあげます」
   「本当ですか、おいらがこの世界から脚を洗ったら、おっ母があの世で喜ぶだろうなぁ」
   「よっしゃ、それまで京極一家に預けておきましょう」
   「えっ、あの京極一家ですかい、光栄です」
   「光栄って、そのままずっと居座る積りと違うやろな」
   「居心地がよかったら、気が変わってそうなるかも知れません」
   「やっぱり、京極一家に預けるのは止めておきますわ」
   「あっ、変わりません、変わりません」

  三太は寛吉と話ながら歩いていて、「はっ」と気付いた。辰吉と才太郎が居ないのだ。
   「あれっ、どっちに行ったやろか?」
 どうやら、三太が又八の家で話し込んでいる間に、また北陸街道を北へ向かったらしい。
   「まぁいいか、新さんがしっかり護ってくれているのが分かったことだし」
 だが、肝心なことを一言も伝えていなかったことに気付いた。一つは、辰吉が役人に追われる身ではないこと、もう一つは父親の亥之吉が江戸のお店を一番番頭に譲り、辰吉の母親や兄弟ともども浪速に戻ったことだ。
   「迂闊だった、坊っちゃんは、何処を目指したのやろか」
 それさえも、聞くのを忘れていたのだ。
   「たしか、才太郎を浪速の診療所へ連れて行くとか言っていたような気がするが…」
 それならば、何の問題もない。浪速に向かう道のどこかで、待っているかも知れないと、三太は少し急ぎ足で辰吉を追い掛けようと思った。


 辰吉に出会わないまま、京極一家に着いた。京極一家の舎弟が、三太を見るなり少々腹立て気味にいった。
   「こら三太、うちは寄せ場やあらへんで」
   「どうかしましたか?」
   「どうもこうも無い、胡散臭いヤツを二人も送り込みよって」
   「あの、浪人者ですか?」
   「そうや、剣の腕はヘナチョコで度胸はないし、薪割りも飯炊きも出来ない、ただ威張るだけや」
   「えらいすんまへん、それでどうなりました」
   「どうもこうもあるかいな、賄いの金を十両盗んで、逃げてしまいよった」
   「わぁ、これはえらいことをした、親分カンカンに怒っているやろな」
   「金は三太に弁償してもらえと、親分怒っていなさるわ」
   「今、持ち合わせがないけど、必ず利子つけて返します」
   「そうか、ほんなら、親分のところへいって謝ってきなはれ」
   「先代の親分は、こころの広い優しいお方でしたね」
   「こら三太、今の親分は違うと言うのか」
   「いやいや滅相な、そうは言っていません」
   「ほんなら、それをそっくり親分に言うてみなはれ」
   「言えません」
 
 三太は畳に手をついて親分に謝ったが、信用を無くしてしまったようだ。
   「へぇ、ところでもう一つ頼み事がおます」
   「まだかいな、ほんまにうちは寄せ場やないのやで」
   「へぇ、分かっています」
   「それで頼み事とは何や」親分はジロリと寛吉を見た。
   「わいが独り立ちするまでの間、この寛吉の面倒を見てやってほしいのです」
   「ほら、舌の根が乾かないうちに、また寄せ場送りや」
   「この寛吉さんは、義理に厚く度胸のいい男です、わいがお店を持ったら、この寛吉さんを一番番頭として引取り、立派な商人にしてみせます」
 三太は、彦根一家の出来事で、一宿一飯の恩義に報いるために、必死で親分を護っていたことを話した。
   「わかった、引き受けてやる、そやけど寛吉の気が変わって商人なんか嫌や、京極一家で立派な侠客になると言い出したら、お前には返さへんで」
   「仕方がおまへん、そうなったら諦めます」
   「ほんまやな、よし、儂が立派な渡世人に育てて、背中に刺青も入れさせてやる」
   「あかんがな、寛吉さん、彫り物なんかしたらあきまへんで」
   「へい」
   「若い時に弁天さんの刺青を入れても、寛吉さんが歳をとったら、弁天さんが砂かけ婆ぁになってしまいますのやで」
   「こら三太、儂の背中に弁天の彫り物があるのを知って言うとるのやろ」
   「知りまへん、知りまへん」
   「嘘をつけ、ほんなら今晩親分子分の杯を交わそうかな、寛吉」
   「へい、有難うござんす」寛吉、頭を下げる。
   「あかんがな」

 三太は、もとの奉公先相模屋に戻って、独り立ちの構想を練るつもりだが、どうやら相模屋長兵衛から暖簾分けをして貰い、福島屋亥之吉にも出資してもらう算段らしい。ちゃっかり三太の腕の見せどころである。


 そのころ、辰吉は中山道にゆく手をとり、信州は上田藩の使用人と下級武士専門の藩医兼町医者である緒方三太郎のもとを目指していた。背中のもと越後獅子、才太郎の面倒を見て貰う為だ。
   「わい疲れて来た、新さんまた助っ人の用達を頼むよ」
   『よしきた』

   第十五回 ちゃっかり三太  -続く-  (原稿用紙15枚)

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