雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「イントロスコピー」

2015-05-19 | エッセイ
 あるテレビ番組で、「透視」を取り上げていた。過去、幾度と無く取り上げられたテーマである。
 テレビに登場したのは、人体の内蔵を透視する「女性透視者」で、何人かの対象人を透視させる実験をしていた。

 最初の一人は透視せずに「それよりもあの人のお腹…」と、スタッフの一人であるカメラマンを指さした。カメラマンがシャツを捲って見せると、虫垂炎の手術では無さそうな大きな手術痕があった。恐らく大腸に出来た憩室が化膿して、摘出したのではないかと思われた。この透視は大当たりと言いたいが、実験は対象者から逸れてスタッフに転じたのは、「作為あり」と取られても仕方がないのではないかと思った。

 二人目は、透視者の「探り」のような独り言?があり、ある部位にふれた時、対象者が今まで瞑っていた目を「ぱっ」と見開いた。
 問題の部位が当てられ、大当たりといいたいが、これは透視ではなく、対象者の反応を見逃さなかっただけで、この実験を見ていた誰もが言い当てたに違いない。

 三人目は、透視者の呟きが非透視対象者に聞こえないようにして実験をすると、透視者は「全く分からない」と答えた。

 四人目に、三人目と同じ条件で、妊婦が登場した。当然マタニティドレスではなかったが、ゆったりとした服を着ているので、私でさえも対象者を最初見た時に「妊婦ではないか」と思ったくらいである。
 透視者は、はじめ「わからない」といったが、思い直して「お腹が…」と、呟いた。もちろん対象者には透視者の呟きは聞こえないので反応はない。だが、透視者の周りには、番組を成功させたい一心のスタッフが何人か居るのだ。彼らが透視者の呟きで、何ら反応しなかっただろうか。または、普通の「女の勘(出産経験者の勘)」で、「妊婦」だと思いついたのではないか。透視者は「妊娠」を指摘した。

 実験に立ち会った「超常現象」の専門家? ふたりの結論は、透視をやや肯定した「曖昧結論」であった。

 これらの実験を「成功」だとするなら、単なる見世物で終わらずに、国費を投じても徹底的に研究し、透視者を育成すべきだと思う。「透視」は、八卦のように当たったり外れたりするものではない筈だ。

 将来、医療に「超能力透視」という分野ができて、MRIを必要性とせずに、超能力透視医が直接診断出来るようになるだろう。

 街を歩いていると、超能力透視医に声をかけられた。

   「もしもし、そこのあなた、まだ小さいが胃に癌が出来ていますよ」
   「えっ、本当ですか、それはたいへん、早速…」
   「そうですね、病院へ行かれた方がよろしいかと…」
   「いえ、癌保険に入るのです」

 (なお、これは私の番組感想であり、録画して徹底分析したものではありません。猫爺^^;)