雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

包丁一本、晒しに巻いて…

2011-10-04 | 日記

 藤島桓夫の「月の法善寺横丁」の出だしであるが、ちょっと違和感があるのは私だけだろうか。「包丁一本、晒しで巻いて」だと思うのだが…。そんなことはどうでもよい。これは、家庭で使う包丁の話をするための「まくら」である。

 以前は、中央市場近くの露店で買った鋼包丁を使っていたが、砥ぐのに骨が折れるので年を取ってからは出刃包丁以外はステンレス包丁を使っている。ステンレス包丁は、すぐに切れなくなるかわりに、ちょっと砥ぐだけですぐにシャープになる。 野菜切り包丁や、刺身包丁はこれで充分である。

 私は若い頃、包丁を砥ぐのが好きであった。妻が喜んでくれたからである。私が包丁を研ぐときに守っているのは、包丁が砥石に当たる角度を一定に保つこと。しゃくる(フラフラと角度を変える)と、うまく砥げない。それと、砥石は手軽な文化砥石ではなく、元来の泥岩砥石を使っている。ステンレス包丁なら片面5回、計10回程度砥いでやれば充分だ。

 セラミックの包丁ははどうだろう。買ってきた当座はカミソリのようによく切れる。刃がちょっと手に当たっただけでも血が滲んでくることも。ところが、何ヶ月か使っていると鈍くなってしまう。これをダイアモンド砥石で砥いでみるが、どうしても新品の時のようにいかず、ステンレスよりも劣るようになってしまう。

 ど素人の私が、プロが使うような高価な包丁を持っても「宝の持ち腐れ」だろう。少し肉厚の国産ステンレス鋼の包丁でも贅沢かも知れないが、大切に使えば一生もの(残り少ないくせに)だと思っている。


暴れん坊将軍4-19

2011-10-04 | 日記

 いっとき妻がはまって、松平健さんのCDまで買ったくらいである。それならと毎回録画を始めた。妻が寝たきりになったら、毎日見せてやろうと思ったから。ところが、やがて妻の方は飽きてしまい、今度は私がはまってしまった。年を取ると、理屈抜きで単純に楽しめるものが良い。毎回楽しみに見ていたら、娘夫婦が来たとき、妻までが一緒になって茶化し、ドラマの矛盾を突いては大笑いしていた。

 水戸黄門では、葵の御紋を見せられただけで、悪代官などは「震えがくる」のに、暴れん坊将軍では、将軍と知れても刃向ってくる。将軍よりも副将軍の方が偉いらしい。

 正義の人がやられそうになったら、閉まっている障子の向こうから、将軍が投げた「正義」と書かれた扇子が飛んでくる。障子は破れていないし、障子の向こうから、よく悪者の刀を持つ腕に扇子を命中させることができたものだ。

 将軍が、深夜の江戸の町を一人で歩いたり、ひとりで遠くの村まで出向いたり、町人ひとりを助けるために城をを抜け出したりするのも考えられないことだが、そんな突っ込みを入れながらドラマを見るのも面白いものだ。

 で、暴れん坊将軍4-19がどうしたか。これは江戸の町に彗星が落ちてくる(衝突する)はなしである。望遠鏡を覗いていた吉宗が、見たことのない赤く輝く星を見つけて長崎から天文学者を呼び寄せる。天文学者は、軌道を計算して彗星が江戸から離れた小さな村に落ちることをつきとめる。

 そんな物語がネットで話題になったとかで、娘夫婦が「持っていたら見せて」と言って来た。どうせ若いのが寄って、「茶化し会」でも開くのだろうと思いながら、暴れん坊将軍4-19を見せてやった。

 そんなこともあり、調子に乗ってローカルテレビの再放送まで録画していたら、死ぬまで見続けても全部終わらないくらいたまってしまった。