長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『天使の復讐』

2024-05-09 | 映画レビュー(て)

 ヒット作や受賞作ばかりが“名作”ではない。公開当時に酷評され、現在では当然ストリーミングでも観ることが叶わない『天使の復讐』は、後に多くの作品へ影響を及ぼしたカルトムービーだ。サム・レヴィンソンによる『ユーフォリア』で女子高生が主演ゾーイ・タマリスの尼僧姿を仮装していた他(そんなZ世代いるのか?)、スタイリングの洗練と殺人鬼の組み合わせは『キリング・イヴ』のヴィラネル、プロットラインはエメラルド・フェネル監督作『プロミシング・ヤング・ウーマン』への影響が色濃く見られる。

 縫製会社がひしめくNYの工場街。御針子として働くろうあの女性サナは、1日で2度も強姦される。“物言えぬ”女性に向けられた性的搾取の眼差しは今も変わらぬ光景であり、サナは警察に行くこともできないまま内に恐怖を抱き、やがて銃を手に夜の街へと繰り出していく。いわゆる“レイプリベンジムービー”として公開時にB級扱いされた本作は、しかし監督アベル・フェラーラが当時のパートナーである主演ゾーイ・タマリスから終生のパフォーマンスを引き出し、観る者を圧倒する。彼女のサイレント演技によって強烈な眼光はスクリーンを射抜き、復讐者と化してからのスタリッシュな立ち振舞いはまさに死の天使の如き美しさである。しかし暴力によって洗練を増すサナがアイコニックな尼僧姿に扮する頃には、そこにナルシシズムも漂い始める。ここにはニューシネマが描いてきた暴力の代償、一線を超えた人間が元には戻れなくなってしまうことを描いた厳しさがある。

 現在の再上映は多分に政治的正しさで語り直してしまいがちだが、見逃してはならないのがある男の存在だろう。妻の浮気を疑い、後を追ったこの男は彼女が女性同士の情事に溺れる様を目撃し、絶望の末、妻の愛犬を絞め殺したと告白する。荒んだ街では男もまた自らの有害さに蝕まれ、疲弊している。トッド・フィリップスの『ジョーカー』は1970〜80年代のNY映画が映していた都市の荒廃を主人公の心象としていた。『天使の復讐』の再上映はスクリーンに映された81年NYのランドスケープこそ注目すべきである。ラストシーン、復讐者に残されたわずかな優しさに、胸が締め付けられた。


『天使の復讐』81・米
監督 アベル・フェラーラ
出演 ゾーイ・タマリス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『デューン 砂の惑星 PART2』

2024-03-27 | 映画レビュー(て)
 リアルサウンドに『デューン砂の惑星PART2』のレビューを寄稿しました。奇しくも日本では連続公開となるクリストファー・ノーラン監督作『オッペンハイマー』との関連性からアメリカ映画の潮流の変化を読み、映画後半から見え始めるヴィルヌーヴの作家性に注目しています。御一読ください。

前作のレビューはこちら

記事内で触れている各作品のレビューはこちら


『デューン 砂の惑星 PART2』24・米
監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演 ティモシー・シャラメ、ゼンデイヤ、レベッカ・ファーガソン、オースティン・バトラー、ジョシュ・ブローリン、フローレンス・ピュー、デイヴ・バウティスタ、クリストファー・ウォーケン、レア・セドゥ、ステラン・スカルスガルド、シャーロット・ランプリング、ハビエル・バルデム、スエイラ・ヤクーブ、アニャ・テイラー=ジョイ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ティル』

2023-12-14 | 映画レビュー(て)

 日本では当初、配信スルーとアナウンスされていたが、こうして無事に劇場公開される運びとなった以上は、1955年の“エメット・ティル事件”について幾つかの補助線が必要だろう。当時14歳のエメット・ティル=愛称ボボは母親と暮らすシカゴから、親戚を訪ねて1人ミシシッピ州へと渡る。この頃のアメリカ南部には黒人差別を認めたジム・クロウ法がまかり通り、中でもミシシッピでは苛烈な暴力が横行していた。エメット・ティルはある事から白人の怒りを買い、リンチの末に殺害されてしまったのである。

 脚本も務めたシノニエ・チュウク監督は、この事件をボボの母親メイミーの視点から再構築した。いくらでもお涙頂戴のメロドラマに陥るリスクはあったはずだが、主演ダニエル・デッドワイラーの気丈な名演によって事件と公民権運動の関係性が客観的に捉えられている。ボボ誘拐の報を聞いたメイミーは、警察機関に頼ることができない。そんな彼女に接触したのがNAACP(全米有色人種地位向上協議会)。彼らは政治家や地域の有力者を通じてボボを探し出し、事件を政治運動のムーブメントに加えようとする。当初は息子の死の政治利用に反発していたメイミーだが、ミシシッピから呼び寄せた我が子の変わり果てた姿を見て考えを変える。棺を開けたまま行われたエメット・ティルの葬儀は事件の陰惨さをアメリカ社会全体に広め、公民権運動に爆発的な影響を与えることになった。
この葬儀の様子はHBOのTVシリーズ『ラヴクラフトカントリー』からも知ることができる。『黒人少年ボボ』と題された第8話の冒頭、主人公の1人ダイアナは友人だったボボの葬儀へ向かう。真夏のシカゴでは教会の外にまでボボの腐臭が漂い、多くの参列者が遺体の酷さに嘔吐し、周辺にはNOI(ネイション・オブ・イスラム)ら多くの政治団体が怒りの声明を上げている。

 シノニエ・チュウクはあくまでメイミーの目線から事件を描くため、当時の黒人社会に衝撃を与えた遺体は臆することなく画面に映し、またそれを直視する参列者1人1人のリアクションからも目を逸らさないことで、1955年の衝撃を再現することに成功している。2010年代後半のアメリカ映画はアイデンティティポリティクスを機に黒人史をリプレゼンテーションし、それに伴って新たな才能が登場してきた。ここ日本ではオスカー受賞作『ユダ&ブラック・メシア』がディスクスルーになる等、正当な認知、評価が下されているとは言い難い。
主演のダニエル・デッドワイラーもまた『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール』『ステーション・イレブン』と名演が続く新しい才能である。映画冒頭、愛する我が子との時間に後の悲劇を予兆するかのような不安が去来する表情をはじめ、相当な心理的負担を必要としたであろう後半の名演まで、彼女の実力が十二分に発揮された作品である。オスカー候補にこそ手が届かなかったが、近いうちに新たな大役を手にすることだろう。

 劇中、メイミーは言う「自分には関係のない問題だと思っていたが、そんなことはなかった」。普遍的な教訓だが、彼女の非凡な決意と行動、犠牲によって歴史は大きく動いた。メイミーへの多大な敬意にあふれた力作である。


『ティル』22・米
監督 シノニエ・チュウク
出演 ダニエル・デッドワイラー、ウーピー・ゴールドバーグ、ジェイリン・ホール、ショーン・パトリック・トーマス、ジョン・ダグラス・トンプソン、ヘイリー・ベネット
12月15日より劇場公開
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『テトリス』

2023-04-25 | 映画レビュー(て)

 自分語りで恐縮だが、僕の家には1989年の時点でファミコンがないにも関わらず、発売したばかりのゲームボーイがあった。最新ゲーム機がろくろく手に入らない昨今から振り返ると、北海道の田舎で両親はよくぞ買ってきてくれたと思う。ソフトは『スーパーマリオランド』と『テトリス』だった。今でも覚えていることが2つある。ゲーム中の背景画“赤の広場”と“ロシア民謡”だ。『テトリス』と言えばすぐにあのメロディラインを口ずさむことができるが、なぜロシア民謡が使われているのか本作を見るまでついぞ知らなかった。

 1988年、ゲーム開発者で実業家のヘンク・ロジャースは任天堂が発表を控える携帯用ゲーム機ゲームボーイ向けのソフトとして『テトリス』のライセンスを取得すべく、“鉄のカーテン”の向こうは権利元ソ連へ渡る。『テトリス』はソ連の技術者アレクセイ・パジトノフが制作し、既にPC用ゲームとして西側へライセンス権が流通していた。映画はヘンクをはじめとした各社によるライセンス権争奪戦と、それを翻弄する共産主義ソ連の陰謀を描いている。リミテッドシリーズでやってもおかしくない密度のストーリーを、随所に8ビット風映像を挟みながらテンポ良く見せていくスピード感はまさに『テトリス』の高レベル版。80年代ポップソングをふんだんに盛り込んで、ゲーマー以外にも訴える楽しさがある。ソ連脱出のサスペンスは結末がわかっていてもハラハラさせられてしまった。TVシリーズ『ブラック・バード』に続いての主演作となったタロン・エガートンは早くもAppleTV+の顔といったスターの華で、主演俳優として頼もしい成長ぶりだ。

 『テトリス』の世界的大ブレイクから程なくしてソ連は崩壊。それは腐敗政治をも終わらせることになるが、四半世紀を経た現状は御存知の通りである。開発秘話に留まらず、ロシアによるウクライナ侵攻が起こっている今こそ強い意味を持つ、時宜を得た娯楽作となった。


『テトリス』23・英
監督 ジョン・S・ベアード
出演 タロン・エガートン、ニキータ・エフレーモフ、トビー・ジョーンズ、ソフィア・レベデバ、アンソニー・ボイル、ベン・マイルズ、文音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『デュエリスト 決闘者』

2021-11-15 | 映画レビュー(て)

 1977年、リドリー・スコット40歳の長編初監督作は既に巨匠の風格だ。19世紀ヨーロッパ、ナポレオン軍の士官2人が決闘に取り憑かれ、20年間にわたって死闘を繰り広げていく。画家として勉学を積んだリドリーの映像は全てのショットが絵画のように美しく、これは後年『グラディエーター』にはじまる史劇作品でより大きなキャンパスへと変わっていく事になる。ほとんどエイリアンのような不条理さのハーヴェイ・カイテルから果たし合いを挑まれた主人公キース・キャラダインは、はじめこそ渋々ながらそれを受けていたものの、度重なる再戦にいつしか自ら身を投じていくようになる。彼らを突き動かすのは煮ても焼いても食えない“名誉”というやっかいな代物だ。スコットはぞんざいに扱われる女たちを通じて既にこれを愚かで有害な男らしさと看破しており、最新作『最後の決闘裁判』の“下絵”はまさに本作である事がよくわかる

 サーベルとレイピアで異なる剣撃の効果音など、後に完全統制されるリドリー組のスタッフワークはこのデビュー作から窺い知ることができる。まさにデビュー作にこそ監督の全てがあるのだ。


『デュエリスト 決闘者』77・英
監督 リドリー・スコット
出演 キース・キャラダイン、ハーヴェイ・カイテル、エドワード・フォックス、アルバート・フィニー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする