長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ありふれた教室』

2024-06-28 | 映画レビュー(あ)

 2023年のアカデミー賞で国際長編映画賞にノミネートされたこのドイツ映画は、学校教諭が見たら卒倒モノのスリラーである。小学校の低学年を担当するノヴァク先生は校内で多発する窃盗事件を受け、自身の財布を囮に監視カメラを設置する。果たせるかな、カメラには財布を抜き取ろうとする腕が映っており、ノヴァク先生は疑わしい人物を告発するのだが…。

 本作が長編4作目となるトルコ系ドイツ人監督イルケル・チャタクが義務教育の現場に象徴するのは戦中、戦後から現在へと繋がるドイツ史そのものだ。授業中、突如として押しかけてきた教員たちが男子と女子を選別し、財布を置いて移動を強要する様はまるでナチスによるユダヤ人狩りのようだ。学級委員を呼び出して疑わしい生徒を密告させようとする場面は戦後、東西冷戦によって監視社会となった東ドイツの秘密警察を思わせる。そして積極的に移民政策を進めるドイツにおいて、クラス内の人種構成は現代ドイツ社会の縮図そのものである。漫然と存在する差別構造に加え、ノヴァクは確たる証拠もないまま告発したことでキャンセルカルチャーの渦中にも呑み込まれてしまうのである。

 舞台となる学校が掲げる”ゼロトレランス=不寛容方式”という言葉を頭に入れておくのも良いだろう。不寛容を是とし、細部まで罰則を定め、厳密に処分するという方式は果たして教育現場、社会のあるべき姿なのか?学級崩壊を社会の崩壊に見立てた野心作である。ドイツ映画界は前年、『西部戦線異状なし』がオスカーで主要部門にノミネートされ、2023年はザンドラ・ヒュラー出演の『落下の解剖学』『関心領域』の2作が作品賞候補に挙がる好調ぶりである。


『ありふれた教室』22・独
監督 イルケル・チャタク
出演 レオニー・ベネシュ、レオナルト・シュテットニッシュ、エーファ・レーバウ、ミヒャエル・クラマー、ラファエル・シュタホビアク
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『悪は存在しない』

2024-06-27 | 映画レビュー(あ)

 前作『ドライブ・マイ・カー』でアカデミー作品賞はじめ4部門でノミネートされ、国際長編映画賞を受賞。一躍、日本を代表する映画作家となった濱口竜介の最新作は180分の前作から一転、わずか106分に凝縮され、文字通り観客を煙に巻くミステリアスな作品だ。

 長野県の山深い田舎町にグランピング場の建設計画が持ち上がる。企画、運営に携わるのは東京に本社を置く芸能事務所で、拙速な計画がここまで通ったのはどうやら政府の助成金を見込んでのことらしい。住民集会にはろくろく権限もない担当者が2名派遣されるばかりで、住民たちからの理路整然とした質問にも答えることができず、自ずと場は紛糾していく。

 見るべき場面はいくつもある本作だが、意外なことに最大のハイライトがこの説明会のシーンだ。『ドライブ・マイ・カー』でも繰り返された“素読み”を用いる濱口メソッドが、『悪は存在しない』というタイトルに自ら疑問を呈していく。不要な感情表現などの演技的虚飾を排し、ただテキストの意味だけを明瞭に浮かび上がらせる技法はまるで現在の日本に蔓延るあらゆる悪をつまびらかにしていくかのようだ(それでいて、今回の濱口の語り口には随所に笑いがこみ上げてしまう余裕がある)。声高に訴えることが必ずしも本質を突いているとは言い難い昨今、最も思慮深く明晰なのはこの山間に集った名もなき人々なのだ。

 濱口とは同世代の作家アリーチェ・ロルヴァケルの作品を彷彿とさせるものもある。ロルヴァケルの映画では常に文明と未開、都市と農村、そして人間と自然が対比され、そこには現実と虚構を横断するマジックリアリズムがある。濱口もまた人間同士の愚かな振る舞いに収束することなく、自然に対する人間の傲慢さを観る者に突きつけ、唐突に物語の幕を引く。後に残された観客は映画館を出てもなお、反芻せずにはいられないのだ。本当に悪は存在しないのか、と。


『悪は存在しない』23・日
監督 濱口竜介
出演 大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采都、菊地葉月、三浦博之、鳥井雄人、山村崇子、長尾卓磨、宮田佳典、田村泰二郎
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『アイアンクロー』

2024-06-26 | 映画レビュー(あ)

 1980年代に必殺技“アイアンクロー”で人気を博したエリック・フォン・ファミリーの伝記をショーン・ダーキンが監督するとなれば、通り一遍の実録映画になるはずがない。冒頭、寒々しいモノクロームで映し出される現役時代の父フリッツのヒールぶりに、スコセッシとデ・ニーロの傑作『レイジング・ブル』が頭をよぎるが、ダーキンが撮るリングは禍々しいまでに気味が悪い。後に“呪われた一家”と呼ばれる彼らにまるで何かが取り憑いているかのように見えるのだ。フリッツは6人の男子に恵まれるも(映画では1人省略されている)、5人が病死や自殺によって命を落としたのである。

 ダーキンは息子たち1人1人のキャラクター性よりも、フリッツを頂点とする家庭構造にこそ注目している。トレーニングから食事の管理はもちろん、プロモーターに転身したフリッツは息子たちのキャリア形成にも関与している一方、必ずしもレスリングを強要しておらず、五男のマイクはバンド活動に興じ、兄弟は互いに切磋琢磨し合いながらトップの座を目指している。自身の夢を息子たちに背負わせ、金儲けにも余念がないフリッツの悪辣さに“有害な父権”という言葉を着せるのは容易く、むしろダーキンはこの構造を成立させてしまった家族関係を一種のカルトと見なしているのではないか。2011年、エリザベス・オルセンをブレイクスルーさせたダーキンの初監督作『マーサ、あるいはマーシー・メイ』は、新興宗教団体から逃げ出したヒロインがマインドコントロールから抜け出せずに苦しむスリラーだった。

 『逆転のトライアングル』のハリス・ディキンソン、『The Bear』のジェレミー・アレン・ホワイトら旬の若手が集合する中、次兄ケビンに扮したザック・エフロンに驚かされた。凄まじい肉体改造によって創り上げられた鎧の内側に、父フリッツへの恐怖を隠した心理演技は2023年のアメリカ映画におけるベストアクトの1つと言っていいだろう。映画には此処ではない何処かで巡り会う兄弟たちの姿が美しく撮らえられ、唯1人生き残ったケビン・フォン・エリックも本作には救われたのではないだろうか。


『アイアンクロー』23・米
監督 ショーン・ダーキン
出演 ザック・エフロン、ハリス・ディキンソン、ジェレミー・アレン・ホワイト、スタンリー・シモンズ、リリー・ジェームズ、ホルト・マッキャラニー
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『アメリカン・フィクション』

2024-03-02 | 映画レビュー(あ)

 セロニアス・“モンク”・エリクソンは大学で文学を教えている小説家。過去に3冊の本を上梓。そこそこの評価を受けたが、これで食っていけるような大成はしなかった。映画冒頭、フラナリー・オコナーの『人造黒人』について講義していると、白人の生徒が「その表現は間違っています」と手を上げる。やれやれ、またか。『TAR』のケイト・ブランシェットは「女性蔑視者のバッハなんて演奏したくない」と言う生徒を完膚なきまでに叩き潰したが、どうやらモンクも歴史的経緯から作家性に至るまで懇々と説き、教室から叩き出したのだろう。ところが長らく新作を書いていなければ何の権威もない彼では、単なるパワハラに過ぎない。あえなく休職を言い渡されたモンクは郷里に帰るのだが…。

 TVシリーズ『ウォッチメン』『マスター・オブ・ゼロ』などの脚本を手掛け、本作で劇場長編映画初監督となるコード・ジェファーソンの演出は、パーシヴァル・エヴェレットの原作を転がしきれていないところはあるものの(この座組ならアンサンブルはもっと弾んだハズ)、ダークな笑いに主人公のミドルエイジクライシスが掛け合わされた物語は思いのほか人好きがする。オスカー登竜門とも言うべきトロント映画祭では観客賞を受賞。アカデミー賞でも作品賞をはじめ、5部門でノミネートされている。

 モンクが帰省すると仲の良かった妹が急死。アルツハイマーを患った母を老人ホームに入れる費用もままならない。世のベストセラーリストに目をやれば、黒人社会の実情を生々しく綴ったというトンデもない駄作が話題を集めている。劇中で読み上げられることはないが、おそらくモンクの小説は所謂“純文学”で、白人社会の求める“黒人らしい”属性が皆無の普遍性を持っているのだろう。バカな大衆にオレの高尚さはわからないんだ、と酒を片手に貧困と暴力にまみれた悲劇の“黒人小説”を書けば、これが大ヒットしてしまい…。

 デビューから30余年、ついにアカデミー主演男優賞候補に挙がったジェフリー・ライトがケッサクだ。近年『ウエストワールド』シリーズで見せた神妙さもさすがだったが、この人は俗っぽくなればなるほどいいアクが出る。モンクは脱獄囚というニセの作家像を創り上げてしまい、ますますドツボにハマっていく。この滑稽さの根底にあるのが「どうせ世間がオレを正当に評価できるわけがない」という埃を被ったモンクのエゴだ。白人の免罪符としか機能しない“多様性”に応えることで商業的な成功を得るというアイロニーはあまりにも辛く、40歳も過ぎた三文文士の筆者にはなんとも痛ましい中年の悲哀ドラマなのであった。


『アメリカン・フィクション』23・米
監督 コード・ジェファーソン
出演 ジェフリー・ライト、トレイシー・エリス・ロス、スターリング・K・ブラウン、エリカ・アレクサンダー、レスリー・アガムズ、アダム・ブロディ、キース・デヴィッド、イッサ・レイ
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『哀れなるものたち』

2024-02-03 | 映画レビュー(あ)

 今から13年前、エマ・ストーンが『Easy A』(『小悪魔はなぜモテる』という日本劇場未公開作らしい酷い邦題が付いた)で学校中の非モテ男子‐彼らは“男らしくない”ばかりに虐められ、境遇から脱するには童貞を卒業したと公言する必要があった‐を救い、代償にヤリマン“Easy A”として石を投げられるという、ホーソーンの『緋文字』をパロディにしたコメディで大ブレイクした時、彼女がこんな偉大な女優になると想像した人がどれだけいただろう?もちろん、弾けるようなスマイルと抜群のコメディセンスに多くの人がジュリア・ロバーツ以来のスター誕生を確信し、予想よりも早く『ラ・ラ・ランド』でオスカー女優となったストーンだが、まさかギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモスとコンビを組み、ハリウッド最強のオルタナ女優になるとは思ってみなかった。

 歴史劇『女王陛下のお気に入り』に続く『哀れなるものたち』でエマ・ストーンが演じるのは、幼児の脳を移植された人造人間ベラ。彼女は天才科学者ゴドウィン(ベラは父親代わりの彼を“ゴッド=神”と呼ぶ)の庇護の下、急速なスピードで成長していく。時は19世紀、舞台はスチームパンク仕様のロンドン。奇抜な衣装に箱庭のようなセット、素っ頓狂な音楽。ランティモス印の絢爛かつグロテスクなファンタジーはなんとフェミニズム史を辿るオデッセイでもある。なんだこの映画は!

 大人の肉体を持つ子供ベラは程なくして性に目覚めると、周囲の大人、とりわけ男たちを当惑させていく。監督第3作『籠の中の乙女』でアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、ハリウッドに認められたランティモスは一貫している。2009年のこの映画では、世間の害悪から我が子を守りたい両親が「外には恐ろしい怪物がいる」と吹聴し、3人の子供を自宅に閉じ込め続ける。しかし世界の醜さ、残酷さ、そして映画の楽しさを知らない子供がまっとうに育つハズもない。
 ベラに対しても大人たちは社会規範を説くが、それは父権社会によって成り立った男の論理だ。ゴドウィン役のウィレム・デフォー、ベラを外界へと連れ出すスケコマシ成金野郎ダンカンに扮したマーク・ラファロらは、自らに課した男としての在り方と、思い通りにならない女性ベラを前に七転八倒し、その哀れは可笑しいったらない。蔑みでも自嘲でもなく、“男性性”という個体差に対する創り手のヒューマニズムがここにはある。

 『ロブスター』『聖なる鹿殺し』を撮ってきたランティモスならもっと意地悪くもなれた所だが、エグゼクティブプロデューサーも兼任するエマ・ストーンは映画をメインストリームに引っ張り出した。ストーンはフィジカルからセリフ回しに至るまで、あらゆる演技的テクニックを駆使してこの世の全てを謳歌するベラに命を吹き込んでいる。そのキャラクターアークとメソッドは偶然にも同年のメガヒット作『バービー』とマーゴット・ロビーに重なる。ロビーの演技も評価されて然るべきながら、同じピグマリオンものでも傑出した大胆さの本作がオスカーレースでは“差した”。エマ・ストーンはランティモスと共にあらゆる人間により良い進化を夢見させるファンタジーを創り上げ、キャリアの新たな次元へと突入している。いやはや、こんな女優になるなんて思ってもみなかった!


『哀れなるものたち』23・英
監督 ヨルゴス・ランティモス
出演 エマ・ストーン、マーク・ラファロ、ウィレム・デフォー、ラミー・ユセフ、ジェロッド・カーマイケル、クリストファー・アボット、スージー・ベンバ、キャサリン・ハンター、ビッキー・ペッパーダイン、マーガレット・クアリー、ハンナ・シグラ
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