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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『シュガーケイン』

2025-02-16 | 映画レビュー(し)

 1800年代末、カナダ政府の同化政策によって先住民族の子ども達がカトリック系寄宿学校に送られた。この制度は約100年間に渡って続くことになり、近年校舎跡からは多くの無名墓が発見され、恐るべき実態が明らかとなる。

 第97回アカデミー長編ドキュメンタリー賞にノミネートされている本作は、“もう1つの『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』”とも言うべき衝撃作だ。寄宿学校では神父たちによる虐待が繰り返され、不審死が相次いだという。そして少女たちへの性的暴行の結果、生まれた赤ん坊たちが焼却炉に送られ、遺棄されるまでが徹底的に管理運営されていたのだ。映画は地域住民4世代に渡る苦しみを追い、観客に布教の名の下の文化的侵略と虐殺の事実を突きつける。心して見てもらいたい。


『シュガーケイン』24・加
監督 ジュリアン・ブレイブ・ノイズキャット、エミリー・カッシー
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『自由を愛した男』

2024-12-09 | 映画レビュー(し)

 俳優監督が百花繚乱の今日、中でも精力的に新作を撮り続けているのがフランスのメラニー・ロランだろう。多くの映画作家が望む作品に着手できなければ、ろくに劇場公開も叶わない時代に、ロランはAmazonに軸足を置いてストリーミング限定作品を次々と手掛けている。そして彼女も数少ない懸命な映画人と同様、“普通の娯楽作”に意識的だ。2021年の勝負作『社会から虐げられた女たち』を経て、2023年はNetflixでキャッツアイ風の怪盗モノ『ヴォルーズ』を、そして今年はAmazon Prime Videoから本作『自由を愛した男』をリリースだ。

 1980年代にフランスに実在した義賊強盗ブルーノ・スラクの人生を“芸術的観点から脚色した”とする本作は、その美男子ぶりから人気を博したというスラクのキャラクター性や破滅的なアウトロー像に、往年のアラン・ドロン作品をはじめとした仏産犯罪映画のロマンを漂わせ、なんともいいムードなのだ。

 Netflixの人気TVシリーズ『エミリー、パリへ行く』で主人公の恋のお相手を演じた好漢リュカ・ブラボーをドロンになぞらえる気はさらさらないが、やはり娯楽映画の華は美男美女であり、色っぽい唇のヒロイン役レア・リュス・ブザートを起用するロランは相変わらず女優のセンスもいい。巻頭の強盗シーンはカメラの置き方に冴えがあり、やはり彼女の才はクライムスリラーに秀でるのだ。『ヴォルーズ』といい、後半ややセンチメンタルに流れすぎるきらいはあるものの、あと10分刈り込めば職人監督としてさらなる洗練を獲得していくことだろう。


『自由を愛した男』24・仏
監督 メラニー・ロラン
出演 リュカ・ブラボー、レア・リュス・ブザート
 
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『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』

2024-10-19 | 映画レビュー(し)

 全世界で社会現象級の大ヒットを記録した『ジョーカー』待望の続編、『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』がまたしても大論争を巻き起こしている。ワールドプレミアとなったヴェネチア映画祭での賛否両論は北米公開と共に否へと振り切れ、歴史的な興行成績を収めた前作から一転、アメコミ映画史上ワーストとなる収益下降率を記録(あの『マーベルズ』『ザ・フラッシュ』すら下回っている)。いったい何が起こっているのか?トッド・ヘインズ監督の新作を撮入直前にドタキャンし、映画そのものを潰してしまったホアキン・フェニックスの奇行だけでは説明にならないだろう。ファンダムに媚びたジャンル映画が跋扈し、スタジオも作家も観客を挑発するような野心を捨てた現在のハリウッドでは、『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が戸惑いを持って迎えられたのは無理もない。筆者は公開初日に都心のIMAXシアターで鑑賞したが、満席の観客が戸惑い気味にスクリーンを注視する2時間強は近年にない体験だった。見るに耐えない失敗作なのか?まさか。前作から続投する撮影ローレンス・シャー、音楽ヒドゥル・グドナドッティルらによる一級の映画技術と、前作でオスカーを獲得したホアキン・フェニックスの再演は最高クラスだ。

 しかし、奇妙な事にこの映画には観客を高揚させるようなカタルシスは一切存在しないのである。映画はアーカム精神病院に収監されたジョーカー=アーサーが世紀の裁判へ臨む姿が描かれるが、彼の目から見た世界はなんとミュージカルだ。殺人、裁判とミュージカルを掛け合わせる手法はボブ・フォッシーの『シカゴ』、ラース・フォン・トリアーの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』など珍しくないが、トッド・フィリップスはハーレー・クイン役にレディ・ガガを招聘し、多くのスタンダードナンバーを歌わせながら映画史の前例に倣おうともしない。

 前作『ジョーカー』は虐げられてきた者の怒りと蜂起がインセルを助長させると一部で批判を招き、ここ日本でもジョーカーの扮装をした男による無差別犯罪が起こった。『〜フォリ・ア・ドゥ』はアーサーの神格化はおろか観客の感情移入すら拒絶し、道化は道化、聴衆は聴衆に過ぎないと突き放す。意図的に娯楽映画としての面白さが排除された本作の後では、誰1人としてジョーカーについて口を開く者はいないだろう。誰も存在しなかったと描く巨大なインスタレーションアートなのだ。ホアキンが前作同様の肉体改造をしながら、絶妙なグラデーションで演技的テンションを落として見えるのも気のせいではないだろう。

 ではこの映画の何処に創り手はいるのか?それは証言台に立ち、涙ながらアーサーがかつて心優しい男であったことを訴える道化ゲイリー(リー・ギル)かもしれない。前作公開時、トッド・フィリップスは映画のテーマを「思いやりの欠如についてだ」と語っていた。狂気に落ちたアーサーとの“Folie a Deux”=共狂いによって暗く荒んだゴッサムシティには、もはや何処にも思いやりなど残っていないのである。


『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』24・米
監督 トッド・フィリップス
出演 ホアキン・フェニックス、レディ・ガガ、ブレンダン・グリーソン、キャサリン・キーナー、ザジー・ビーツ、リー・ギル
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『Shirley シャーリィ』

2024-07-16 | 映画レビュー(し)

 1948年、短編小説『くじ』が注目を集めたばかりのシャーリィ・ジャクソンは新作に取りかかろうとしていた。しかし一向に筆は進まず、彼女は極度のうつ症状に悩まされる。ある日、大学教授の夫スタンリーの助手を務めるべく、若い夫婦が下宿にやってくる。妻ローズはシャーリィの大ファンだが、そう易々と心を開いてもらうことはできない。

 作家と読者の間で起こるインスピレーションの相互作用を、ジョセフィン・デッカーはシャーリィ・ジャクソン小説さながらの心理ホラーとして描いている。シャーリィは地元で起きた女子大生失踪事件に強い執着を抱くも、一向にヒロインの顔をイメージすることができない。デッカーの演出は触感的で、人物に肉迫するカメラがシャーリィとローズの間に生まれる連帯を捉えていく。

 エリザベス・モスほどフィルモグラフィの形成に自覚的な俳優は近年、稀だろう。『ハンドメイズ・テイル』で家父長制への反逆を謳ったこの女優は、居場所を得られなかった失踪者にシンパシーを抱き、物語を上梓することで自身の内にある孤独と共に昇華しようとするシャーリィの底知れなさを体現している。なんともはや一貫した女優である。モスとがっぷり四つに組んだオデッサ・ヤングの健闘も特筆したい。2019年製作の本作が5年も遅れて日本公開されたことは悔やまれるが、ジョセフィン・デッカー、ようやくの初登場である。


『Shirley シャーリィ』19・米
監督 ジョセフィン・デッカー
出演 エリザベス・モス、オデッサ・ヤング、マイケル・スタールバーグ、ローガン・ラーマン
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『シング・ストリート 未来へのうた』

2024-07-13 | 映画レビュー(し)

 ジョン・カーニーの2015年作は1985年を舞台にした半自伝的作品である。一貫して市井の人々と音楽の関係を慎ましやかに、しかし大きな筆致で描いてきたカーニーが、自身の少年時代となればフィルモグラフィーで最もドラマチックになるのが微笑ましい。

 大不況により父親(『ゲーム・オブ・スローンズ』の“小指”ことエイダン・ギレン)が失業。家計の見直しを迫られた彼らは養育費を削ることになり、主人公コナー少年は公立校へと転校する。カトリック系の校風とはいえ、お世辞にも柄が良いとは言えない荒みようで、コナーはさっそくイジメの標的になる。そんなある日、校舎の前で日がな誰かを待つ美少女が気にかかり、コナーは咄嗟に「バンドをやってるから、PVに出ない?」と声をかけてしまう。バンドどころか、音楽なんてやったことがないのに!

 異性の気を引きたいばかりに大風呂敷を拡げてしまうのは、誰もが思春期に1度は通った恥ずかしい思い出。そしてあらゆる事柄に興味を覚え、可能性に満ちた1度きりの“季節”でもある。大学を中退し、行き場を失くした兄貴(ジャック・レイナー)がMTVで放映されるデュラン・デュランのPVに熱を上げ、ボウイにデペッシュ・モード、あらゆるロックの薫陶をコナーに授ければ、瞬く間に才能は開花していく。一見、屈託がないようで実は未来への可能性を見失ってしまった兄貴はほとんど引きこもりのような状態であり、本作は背中を押してくれた兄へ捧げられている。

 ジョン・カーニー映画では常に男女の関係性が友達以上、限りなく恋人未満にあり、彼らの間に通うのは共に音楽を奏でる同志愛のように描かれるが、自伝的本作でほとんど初めて恋愛関係と明言されている。思春期の少年にとって1歳年上の女性はなんともミステリアスに映るものであり、80'sファッションに身を包んだラフィーナ役ルーシー・ボイントンは本作を経て『ボヘミアン・ラプソディ』ではフレディ・マーキュリーのソウルメイトを演じ、ブレイクした。既に知名度のある俳優を起用することが多いカーニーのフィルモグラフィにおいて、初めてのスター輩出と言っていいだろう。ボイントンの存在がカーニーの少年時代を輝かせ、本作を瑞々しい青春映画の好編へと昇華させていた。


『シング・ストリート 未来へのうた』15・アイルランド
監督 ジョン・カーニー
出演 フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、ルーシー・ボイントン、マリア・ドイル・ケネディ、エイダン・ギレン、ジャック・レイナー
 

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