長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『スペースマン』

2024-03-06 | 映画レビュー(す)

 1986年の“チェルノブイリ原発事故”を迫真のホラー演出で描いたHBO作品『チェルノブイリ』でエミー賞をはじめ、賞レースを席巻した監督ヨハン・レンク。『ブレイキング・バッド』など数々の作品に携わってきたベテラン職人監督がついに大輪の花を咲かせたが、その後『チェルノブイリ』のショーランナー、クレイグ・メイジンと再タッグを組むとされていた『THE LAST OF US』から離脱、去就が注目されていた。最新のインタビューによれば精も根も尽き果てた彼は家族との時間を優先するため、半ば引退を決意していたという。そんな折、彼の手元に届けられたのがチェコの作家Jaroslav Kalfarの小説を元にした本作『スペースマン』の脚本だった。

 地球の上空から遥か彼方に輝く星雲が出現し、調査のためアダム・サンドラー扮するヤコブ船長ただ1人を乗せた宇宙船が星々を航行している。もちろん『スペースマン』はコメディじゃない。Netflixと専属契約を結んで以後、サンドラーは近年、最も精力的にキャリアを進化させてきた俳優の1人だ。なかなか劇場に足を運べなくなった中高年のファンに向けてお気楽なコメディを量産しつつ、サフディ兄弟の血気盛んな大傑作『アンカット・ダイヤモンド』、スポ根モノの定番に驚くほど魅力的な人物造形を施した『HUSTLE』に出演し、それらは全てNetflixで観ることができる。ヤコブは極度の神経衰弱で痩せ衰え、声は弱々しい。地球から交信する子供が尋ねる「船長は孤独なの?」。

 数々の作品のため世界を渡り歩いてきたであろうヨハン・レンクが本作に自身の姿を見出したことは想像に難くない。地球でヤコブの帰還を待つ身重の妻レンカ(キャリー・マリガン)からの交信は途絶えた。彼女は離婚を決意している。かつて「あなたは私についてきて。私はあなたについていく」と誓い合った2人は、互いの引力の法則を見失っている。所謂“耐え忍ぶ妻”役にタイプキャストされているようにも見えるマリガンだが、近年の彼女はフェミニズム闘士とも言うべき『プロミシング・ヤング・ウーマン』『SHE SAID』の連投からもわかるように、あえて類似の作品・役柄を選ぶことで補完するようなフィルモグラフィを形成している。『スペースマン』もまた夫婦関係をテーマとする『マエストロ』と同じインスピレーションの元にある対の1本で、ここでは恒星のようなバーンスタインの影に隠れたのとは異なり、サンドラーと共に引き合う美しい軌道を描いている。

 レンクは遠い地球に愛する者を残したヤコブの心の反響に耳を澄ます。まるで無重力空間に手放されたかのようにカメラは浮遊を続け、触感的な編集と共に私たちの平衡感覚を奪う。本来なら映画館の闇に身を沈めて鑑賞したいところだが、自宅では出来る限り周囲の音を遮断し、部屋の照明を落として観てもらいたい。レンクもまた多くの優れた映画監督同様、素晴らしい耳の持ち主であり、マックス・リヒターの音楽と宇宙蜘蛛に知性を与えたポール・ダノの囁きが私たちを瞑想に誘う。SFとは自身の内なる声との対話であり、『スペースマン』は『2001年宇宙の旅』や『コンタクト』『インターステラー』ら多くの星々と共に、宇宙の彼方で静かに輝くのである。


『スペースマン』24・米
監督 ヨハン・レンク
出演 アダム・サンドラー、キャリー・マリガン、ポール・ダノ
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『STILL:マイケル・J・フォックス ストーリー』

2024-01-27 | 映画レビュー(す)

 1980年代に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズで爆発的な人気を博したマイケル・J・フォックス。パーキンソン病を公表し、俳優業を引退してからというものいったいどうしていたのか。その名を忘れて随分時間が経ったが、自らの半生を振り返るドキュメンタリー『STILL:マイケル・J・フォックス ストーリー』で久しぶりにその姿を見せてくれた。

 俳優としての大きな持ち味であった童顔ゆえにわからないが、御年62歳。彼がパーキンソン病を発症したのは30歳の時だった。フォックスの諸作を絶妙にマッシュアップする編集は出自からハリウッドへの上京、シットコムでの人気者時代、そして『バック・トゥ・ザ・フューチャー』への大抜擢劇を小気味よく見せ、あの時代を知る観客には胸踊るものがある。

 それだけに彼が長年に渡って病を隠し、不安と向き合い続けていた事実は痛ましい。公表後、彼は再びTVシリーズへと活躍の場を移し、自らの病を役柄に盛り込んだ演技で近年まで活動を続けていたのである。そんな意味でも彼は全く異なる形で時代を先駆けたスターだったのかもしれない。


『STILL:マイケル・J・フォックス ストーリー』23・米
監督 デイビス・グッゲンハイム
出演 マイケル・J・フォックス
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『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』

2023-12-15 | 映画レビュー(す)
 今やオリジナル企画の通らなくなった映画界。目を引くのが映画会社ではない“異業種”による出資だ。日本ではユニクロがヴィム・ヴェンダースを招き、日本を舞台にした役所広司主演作『PERFECT DAYS』を製作。サン・ローランはペドロ・アルモドバルで30分の短編ウエスタン『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』を作った。いわゆる“企画モノ”なら巨匠アルモドバルの筆も実に軽く、今やアメリカ映画界を代表する名優へと成長したイーサン・ホーク、飛ぶ鳥落とす勢いの人気スター、ペドロ・パスカルらと共に実に楽しげなコラボレーションを実現している。特に英語圏の俳優であるホークにとってスペインの巨匠とのタッグは貴重な機会。短編にもかかわらず、並々ならぬ気迫で名演を披露する充実ぶりだ。

 西部のとある町にペドロ・パスカルが流れ着く。町を守る保安官にはイーサン・ホーク。2人の男はかつて愛し合った仲だった。束の間の再会に彼らは秘め続けた想いを確かめ合うが、無法の西部がそれを許しはしない。アルモドバルはくすんだ荒野にトレードマークとも言える原色を配し、キャリア初期を彷彿とさせる奔放なエロチシズムに思わず笑みがこぼれてしまう。馬、砂塵、暮れゆく太陽と西部劇の韻が美しく踏まれ、30分では短すぎるという想いが込み上げるのだ。

 かつて『ブロークバック・マウンテン』でヒース・レジャーとジェイク・ギレンホールが語り合ったように、男たちは共に牧場をやろうと言う。忍従と苦難による紆余曲折を終え、男と男は手を取って共に生きていくのである。


『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』23・仏、スペイン
監督 ペドロ・アルモドバル
出演 イーサン・ホーク、ペドロ・パスカル
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『スパニッシュ・アパートメント』『ロシアン・ドールズ』『ニューヨークの巴里夫』

2023-09-26 | 映画レビュー(す)

 全ての映画には出会うべく然るべきタイミングがあるはずで、幸か不幸か筆者がセドリック・クラピッシュの“青春3部作”を見たのは、完結編である『ニューヨークの巴里夫』が公開されてからさらに10年後の2023年だった(この年、子供世代を主人公にした続編TVシリーズ『ギリシャ・サラダ』がリリースされる)。クラピッシュの最新作『ダンサーインParis』に合わせた鑑賞だったが、若さみなぎる『スパニッシュ・アパートメント』から人生のモラトリアムを捉える『ロシアン・ドールズ』『ニューヨークの巴里夫』へと至るクラピッシュはそこからさらに10年後、『ダンサーインParis』で老境の眼差しを得ながらなお瑞々しさを失っていないことに驚かされた。

 25歳の大学院生グザヴィエは、1年間の留学で故郷パリからスペインはマドリードへと渡る。同居人募集の告知を頼りにアパートメントを訪れれば、そこは英、独、西らヨーロッパの各国から男女7人が集まるシェアハウスだ。活気あふれるグザヴィエの留学生活は勉学はもちろんのこと、人妻との不倫や、パリに残してきた恋人マルティーヌ(前年、『アメリ』で世界的ブレイクを果たしたオドレイ・トトゥが演じる)との遠距離恋愛など大忙し。パリジャンらしい“チャラさ”のグザヴィエだが、演じるロマン・デュリスのおかげで「あ、その瞬間は全力投球なのね」と憎めないチャームがある。こんな祝祭的日々を送っていれば専攻している経営学を収めて株屋になんてなれるワケもなく、自らの道を見出すクライマックスに「20代の時に見ていたら人生を変える、一生モノの映画になっただろうな」と思わずにはいられなかった。

 30代に入ってグザヴィエは夢見た執筆を生業にしてみたものの、現実は頼まれさえすれば断ることもできない雑文書きだ。そんな折、舞い込んだTVドラマの仕事に張り切って、やはりシナリオライターになった同窓ウエンディとの共同作業を始めるのだが…時が経てば人と人との距離は変わるもの。スペイン時代にはそれほど密接ではなかったウエンディと人生を変える絆が芽生え、一方でマルティーヌとは別れても腐れ縁が続く。レズビアンのイザベルとはセックスが絡まないからこそ一生モノの友情だ。当たり前のように男友達は縁が切れ、女性陣とだけ関係が続くのはさすが巴里夫グザヴィエ。今やハリウッドでも活躍する英国のバイプレーヤー、ケリー・ライリーがウエンディを演じ、“青春3部作”こそが彼女の出世作なのだと認識。どこにでもいる庶民的な彼女がグザヴィエのチャラさを前に精一杯の愛の告白をする場面は『ロシアン・ドールズ』の感動的なハイライトだ。

 40歳『ニューヨークの巴里夫』に至ると、グザヴィエは“あぁ、人生よ”と呻く。ウエンディとの間には2人の子供に恵まれたが、10年を経て彼女との関係は冷え切り、事実婚は解消。彼女は子どもたちを連れ、新たなパートナーとNYでの新生活を始めてしまう。人生はわからない。グザヴィエ40歳、子どもたちを追って単身アメリカへと渡り、新生活が始まる。ろくに家具もない狭い部屋で、出来合いの中華を食べる男独り暮らし。子どもたちとの生活のためとはいえ、この歳でバイトの掛け持ちだ。侘しい。不惑に入って大成も成熟もせず、若い頃と変わらぬチャラさで、人生そう易々と成長はしないのだ。しかし、人生を見渡せば今も変わらず素敵な女性たちがいて、これでいいのだと思えてくる(若さを確認するためにセックスに躍起になるイザベルが可笑しい)。

 クラピッシュは街の作家でもある。3部作は世界的な都市を観光名所から裏道までくまなく歩き、『ニューヨークの巴里夫』はアメリカの映画作家では撮りえないショットの連続で“NYのフランス人”の視点を獲得することに成功している。それでいてNYの喧騒をカメラがひた走れば、人生を達観したフランス映画が途端に“アメリカ映画”へと合流するダイナミズム。20年間に及ぶサーガはクラピッシュとグザヴィエ、そして幸運にも同時代を共にすることのできた多くの観客を随分、遠くへ運んだものだ。あぁ、人生ってやつは!


『スパニッシュ・アパートメント』02・仏
『ロシアン・ドールズ』05・仏、英
『ニューヨークの巴里夫』13・仏、米
監督 セドリック・クラピッシュ
出演 ロマン・デュリス、オドレイ・トトゥ、ケリー・ライリー、セシル・ドゥ・フランス

 
 
 
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『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』

2023-07-07 | 映画レビュー(す)

 ありとあらゆる言葉を尽くしてもシリーズ第2弾『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』の斬新さ、自由奔放さ、解放感を表現することはできない。クリス・ミラー、フィル・ロードのコンビに率いられた製作チームは前作の手法をさらに押し拡げ、既に斜陽となりつつあるスーパーヒーロー映画が至高のアニメーションを生み出せることを証明した。早くも今年のアカデミー賞では長編アニメーション賞のみならず、作品賞候補にこそ相応しいとの絶賛が相次いでおり、壊滅的なサマーシーズンのボックスオフィスにおいて孤軍奮闘の大ヒットを上げていることを考えれば、到底ありえない話ではないだろう。

 奇しくも日本では同日公開となったDC映画『ザ・フラッシュ』とほぼ同じ映画であることに驚かされた。主人公は親を死の運命から救うべく次空を超える。マルチバースには原作コミックからかつての実写映画、果ては実現しなかった企画までもが姿を成し、なんと『アクロス・ザ・スパイダーバース』にはマイルズ・モラレスのモデルと言われ、“黒人初のスパイダーマン”としてファンダムが盛り上がったドナルド・グローバーその人が実写でカメオ出演している。自己言及的で、アメコミ映画を総括するような立ち位置も同じなら、オスカー受賞作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が無限の可能性を謳ったマルチバースをある意味、否定すらしている。各次元の均衡を保つためには“ベンおじさんの死”に相当する正史(カノン)イベントが必ず起こらなくてはならない。マルチバースとは緻密なアルゴリズムによって構築された“システム”であり、それを管理するのは“スパイダーソサエティ”なる組織に属する各次元のスパイダーマン自身なのだ。自由意志によってシステムから逸脱しようとするマイルズをソサエティのリーダー、ミゲルは「異常値(アノマリー)」と呼ぶ(おおシーズン4にして打ち切られた『ウエストワールド』も全く同じテーマだった)。スパイダーバースを駆け、父を救おうとするマイルズを止めるべく、ありとあらゆるユニバースのスパイダーマンが襲いかかってくる。

 振り返れば2023年の上半期はそんな“システム”との闘いだった。MCUが映画(=スーパーヒーロー)を交錯させることだけに腐心し、2時間の単発作品では成立しなくなったアメコミ映画が市場を寡占する中、ベン・アフレック監督は80年代のエアジョーダン開発秘話『AIR』を通じて新のクリエイティブとは既存システムの外にあることを描いた。方や辛辣なダークコメディ『サクセッション』は悪しき既存システムが崩壊しても、さらに低劣な資本主義の論理がそれを継承し、持続させると批評した。そんな折に頑迷な老人が非力にも「踏みとどまる」と呟いたのを聞き逃してはならないだろう。『アクロス・ザ・スパイダーバース』は未来を生きる子どもたちに宛てられた映画だ。収拾のつかなくなったアメコミ映画というジャンルは「自分の物語を語りなさい」と言われたマイルズによって個人の物語へと収束していく。『ソウルフル・ワールド』でピクサー映画に黒人文化のリプレゼンテーションを施した劇作家ケンプ・パワーズ(レジーナ・キングの監督デビュー作『あの夜、マイアミで』の作者でもある)が監督陣の1人に参加。プエルトリコ系であるマイルズの母親のルーツに触れ、大人たちはままならない子育てと子どもたちの可能性に目を細め、その巣立ちの背中を押す。いかなるバジェットの映画も根源は作家個人のパーソナルな物語であり、それが時に観客個人の物語にもなり得たのが映画ではなかっただろうか。

 果たしてマイルズはシステムを超越することができるのか?グウェンの“バンド”が遥かユニバースを臨む姿に、おぉこれは2023年に『帝国の逆襲』のクリフハンガーが甦ったのだと心躍った。完結編『ビヨンド・ザ・スパイダース』は2024年公開だ。


『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』23・米
監督 ホアキン・ドス・サントス、ケンプ・パワーズ、ジャスティン・K・トンプソン
出演 シャメイク・ムーア、ヘイリー・スタインフェルド、ブライアン・タイリー・ヘンリー、ジェイソン・シュワルツマン、イッサ・レイ、ダニエル・カルーヤ、オスカー・アイザック、ルナ・ローレン・ベレス、カラン・ソーニ
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