長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『異人たち』

2024-06-15 | 映画レビュー(い)

 2023年に亡くなった脚本家、山田太一の代表作『異人たちとの夏』を『荒野にて』『さざなみ』のアンドリュー・ヘイが現在のロンドンを舞台に脚色、監督した本作は、原作にヘイの作家性が接近、肉薄し、まるで山田と対話するかのような理想的な映像化である。

 ロンドンの中心部、人気のない高層マンションに暮らす脚本家のアダムは、これまでのヘイ作品の主人公と同様、寄る辺のない孤独に苛まれている。アダムの新作のテーマは”両親”。しかし彼らはアダムが12歳の頃、交通事故で他界してしまった。両親の面影を求め、郊外の生家を訪ねるとそこには亡くなった80年代当時の姿のまま、2人が暮らしている。数十年ぶりの再会に喜び合う3人。アダムはゲイである自身のセクシャリティを両親はどう思っていたのか確かめようとしていく。

 1973年生まれ、今年51歳のアンドリュー・ヘイは『異人たちとの夏』を自身の物語に引き寄せた。アダムのもとに転がり込んできた青年ハリーは「ゲイよりもクィアの方が優雅な響きだ」と言うが、エイズ禍と差別の歴史を潜り抜けてきた中年のゲイであるアダムにとって、自身のセクシャリティは世界にとって必ずしも肯定されてきたわけではない。再会した母は数十年越しのカミングアウトに戸惑いを隠せず、父は気づいていたと言う。都会を漂流するかのようなアダムのアパートメントは彼の心象風景であり、情感を湛えたアンドリュー・スコットの演技が素晴らしい。アダムは言う「ゲイだから孤独ってワケじゃない」。これはセルフケアの物語だろう。愛しい人との叶わなかった対話を繰り返すことで、人は普遍の孤独と向き合っていくのだ。

 ハリーに扮したポール・メスカルにまたしてもドキリとさせられた。孤独とアルコールで融解した初登場シーンから実に危うげで、まるで前作『aftersun アフターサン』で演じた若き父親のその後にも見えるのだ。この2作は不思議と共通点が多い。親と子、生者と死者、現世と冥途を繋ぐダンスフロア、そして90年代のブラーと80年代のペット・ショップ・ボーイズ…。ハリーもまた自らのセクシャリティゆえに家族の絆を絶たれた人物であり、アダムの抱擁は恋人のそれであるのと同時に、未だ見ぬ父性の片鱗にも思えた。私たちは皆が異人であり、夜空に輝く星のように孤独である。だが、隣にはいつだって共に輝く誰かの存在があるのだ。私たちは1人ではない。


『異人たち』23・英
監督 アンドリュー・ヘイ
出演 アンドリュー・スコット、ポール・メスカル、ジェイミー・ベル、クレア・フォイ
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『生きてこそ』

2023-10-12 | 映画レビュー(い)

 雪深い山中に遭難した少女たちのサバイバルを描くホラーTVシリーズ『イエロージャケッツ』の参照元として、1993年の本作を改めて紐解くのも良いかもしれない。1972年、ウルグアイの学生ラグビーチームらを乗せた飛行機がアンデス山脈に墜落。72日間もの遭難生活の末、16人が生還した“ウルグアイ空軍機571便遭難事故”の映画化だ。ピアズ・ポール・リードのドキュメンタリー小説『生存者 アンデス山中の70日』を原作とする本作は、想像を絶する72日間をわずか126分に圧縮。俳優たちのフィジカルもリアリズムに乏しい“ハリウッド映画”かもしれないが、そもそも世の中には物語ることが困難な物語があり、故にこの事件は何度もドキュメンタリー、書籍で語り直されてきたのだろう。2023年には『インポッシブル』でスマトラ沖地震津波を描いたJ・A・バヨナ監督による『雪山の絆』で再度映画化されている。

 しかし、昨今では映画監督よりもプロデューサーとして認知されているフランク・マーシャルの手堅い演出や、カナダ西部コロンビア山脈で行われたロケーションの迫力は代えがたく、力作と言っていい。少年たちの敬虔な信仰心が極限状況下を支え、死者の肉を食べる決断を下したのだと解釈する劇作家ジョン・パトリック・シャンリー(『ダウト あるカトリック学校で』)の脚色は、現在のハリウッドでは到底、企画書に上げることすら叶わないだろう。生還後、彼らが見舞われたバッシングだけでも映画1本分に相当する内容だが、メインストリームの映画が120分で収められていた時代にそれは望みすぎというものだ。

 生存者の1人で若きイーサン・ホークが出演。今やアメリカ映画界を代表する名優となった彼が、ここでは早くもカリスマ性を垣間見せている。盟友リチャード・リンクレイターとのコラボレーション第1作『恋人までの距離』が公開されるのはこの翌年のことだ。


『生きてこそ』93・米
監督 フランク・マーシャル
出演 イーサン・ホーク、ヴィンセント・スパーノ、ジョシュ・ハミルトン、ブルース・サムゼイ
 
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『インスペクション ここで生きる』

2023-08-14 | 映画レビュー(い)

 エレガンス・ブラットンが自身の体験を基にした長編初監督作『インスペクション』には、引き込まれるような力強さがある。主人公フレンチはゲイであるがために実の母親から16歳で勘当され、シェルターを転々としながら26歳を迎えてしまった。このままで野垂れ死にが目に見えている。彼は一念発起し、海兵隊への入隊を決意。過酷な訓練に参加することになる。

 物語の舞台は2005年。イラク戦争が激化の一途を辿り、貧困層が給金欲しさに入隊を求めた時代だ。そしてクリントン政権で制定され、オバマ政権で撤廃されることになる“Don't ask Don't Tell”法が軍としてゲイであることを問わない代わりに、ゲイであることをオープンにするなと性的マイノリティを抑圧していた時代である。それが有名無実化されていたことは入隊初日の描写からも明らかで、キャンプに到着して早々、若者たちは軍曹から大声で「お前はゲイか!?」と問われ、大声で否定することを迫られる。ある出来事からゲイであることを知られてしまったフレンチは以来、差別も加わったより過酷な訓練に晒されることになる。

 新鋭ジェレミー・ポープが熱演するフレンチには「他に行き場所なんて無い」という決死の覚悟と、若さゆえの無防備さが同居している。抑えきれない欲望の発露を隠さず描くブラットン監督の赤裸々さに驚かされた。フレンチの心の拠り所となる上官ロザレスに扮したラウル・カスティーロのニュアンスが素晴らしく、おそらくクローゼットゲイであるこのキャラクターが如何にして軍隊生活を送ってきたのか、観る者が思いを馳せずにはいられない豊かな行間がある。ロザレス軍曹の言う「ゲイを排除したら軍は成り立たない」とは即ち社会構造そのものだ。

 『インスペクション』は所謂“新兵訓練モノ”の系譜に連なる1作だが、ここでは過酷な訓練を乗り越えた者たちによる同士愛という、ジャンルお決まりのホモソーシャルな関係性がフレンチを救うことはない。熱心なキリスト教信者である母はフレンチの性的アイデンティティを理解できないどころか、我が子を憎悪すらしている。母が訓練を終えた息子に向かってゲイが“治った”と思い込んでいる姿はあまりにも酷だ。今年『サクセッション』でも聞かれた「家族として愛しているけど、受け入れらない」というアンビバレントな感情を吐露した台詞が、規範なき時代を象徴している。

 軍隊や宗教、性的アイデンティティといったモチーフから2005年を正確に批評した本作は、2005年に生まれ得なかった映画でもある。この年のアメリカ映画はゲイのカウボーイ同士の純愛を描いたアン・リー監督作『ブロークバック・マウンテン』が衝撃を持って受け止められていた。『インスペクション』の配給を手掛けるA24がやはりゲイの少年を主人公にした恋愛映画『ムーンライト』でオスカーを制するのはそれから11年後の2016年。時代は着実に変わりつつあるのだ。


『インスペクション ここで生きる』22・米
監督 エレガンス・ブラットン
出演 ジェレミー・ポープ、ガブリエル・ユニオン、ラウル・カスティーロ、ボキーム・ウッドバイン
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『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』

2023-07-16 | 映画レビュー(い)

 おいおい、いったいどうしてこんな事になってしまったんだ?前作『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』以来15年ぶりの続編となる本作は『フォードvsフェラーリ』を手掛け、名実ともにアメリカ映画界を代表する名匠へと成長したジェームズ・マンゴールド監督へとバトンが引き継がれ、公開された予告編からは齢80歳を迎えたハリソン・フォードの老境に『ローガン』同様、アメリカンヒーローの黄昏を描くのかと期待が高まった。マンゴールド自身もそんなインディ・ジョーンズの老いに興味を抱いたと発言しており、長いアヴァン(本当に長い)を終えて1969年現在のインディが登場する序盤のシークエンスは確かに味わい深いものがある。狭苦しいアパートに暮らすインディは寂しい独居老人で、近所の若者にはナメられ、宇宙開発競争が激化する中、人々の関心は過去を顧みる考古学ではなく"未来”にある。老いさらばえた肉体を臆することなくスクリーンに晒すハリソン・フォードは『フォースの覚醒』のハン・ソロ、『ブレードランナー2049』のデッカードに続いて当たり役に時の年輪を刻み、偉大なキャリアを総括した。そんなインディの元へ名付け子のヘレナ、そして第二次大戦中に秘宝を巡って争った元ナチスの科学者フォラーが現れる。

 "インディ・ジョーンズシリーズ”と言えばスピルバーグをカーチェイス演出の横綱へとたらしめた活劇性と、他愛のないものから黒過ぎるものまでふんだんに散りばめられたユーモアが大きな魅力。ところが意外にもマンゴールドにはどちらのセンスも欠如している。最大の見せ場と言っていいパレード中の市内で繰り広げられるチェイスシーンはカメラもフィジカルも全く躍動することなく、マンゴールドは往時のスピルバーグ演出を踏襲する素振りすら見せない。ようやくモロッコに至るとエンジンがかかってきたようにも思えるが、ここを過ぎると映画は上映時間を1時間余り残してほとんど駆動すらしなくなっている。ヘレナ役に『フリーバッグ』でエミー賞を席巻した脚本家、女優のフィービー・ウォーラー=ブリッジが起用されていることから80歳のアクションスターが主演する映画を活気づけるには十分と期待されたが、これも意外なことにマンゴールドはこの才媛を活かす術をまるで持ち合わせていない。ウォーラー=ブリッジがアクション女優でないことは承知の上だが、『フリーバッグ』で見せた演技、ユーモアのキレとスピードはフィジカルアクションに勝る。ウォーラー=ブリッジは何とも所在なさげで、これはそもそも彼女がやるべき仕事ではないだろう。せめて彼女の登場シーンの演出とセリフを全て任せない限りはどうにもならなかったのではないか(今思えば、ウォーラー=ブリッジが演者として唯一成功していたメジャー大作はドナルド・グローヴァーの相棒ドロイドを快投した『ハン・ソロ』だけ)。マンゴールドは俳優演出に長けた監督のイメージだったが、振り返ればホアキン・フェニックス、クリスチャン・ベールといった1人で作品のランクを上げるワンマンアーミー級の名優と多く組んでおり、必ずしもキャストアンサンブルに秀でた演出家ではなかったのかもしれない。
 そんな中、ただ1人気を吐いているのがマッツ・ミケルセンで、“インディ映画の悪役”をスマートで楽しげに演じ、なんとカーチェイスシーンでは後部座席でタバコをくゆらせている(ほとんど見切れているシーンなので、おそらくマッツのアドリブだろう)!

 本作の企画が本格始動したのはディズニーによるルーカスフィルムの買収後、『フォースの覚醒』が大ヒットを記録した2015年から2016年にかけてと言われている。この事からも『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』は観客のノスタルジーに依存した『スター・ウォーズ』シークエル3部作の副産物という見方もできなくない。そもそも冒頭、若返りCGによって甦った1980年代全盛期のハリソン・フォードに80歳のしわがれ声が当てられた様に、筆者は「嫌な予感がする」と感じずにはいられなかった(おっと、違う映画だ!)。154分の間、家に帰ったらディズニープラスで旧作を見て口直しをしようとずっと考えていたが、それすらもディズニーの株価に寄与する思うつぼだろう。“インディ・ジョーンズシリーズ”という偉大なアークは、何とも虚しいライブラリーへと収蔵されてしまったのだ。


『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』23・米
監督 ジェームズ・マンゴールド
出演 ハリソン・フォード、フィービー・ウォーラー=ブリッジ、マッツ・ミケルセン、アントニオ・バンデラス、ジョン・リス=デイヴィス、トビー・ジョーンズ、ボイド・ホルブルック、カレン・アレン
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『EO イーオー』

2023-06-12 | 映画レビュー(い)

 ポーランドの巨匠イエジー・スコリモフスキ監督の最新作の主人公はなんとロバ。1966年のロベール・ブレッソン監督作『バルタザールどこへ行く』からインスパイアを受けたという本作は、1頭のロバ“イーオー”の目を通して私たちの住む世界を描く。イーオーは旅回りのサーカス一座で少女とパフォーマンスをしていた。ロバに生まれた宿命ゆえに荒くれの芸人達からは使役もされたが、それでも少女は“EO”と耳元で優しく囁いてくれる。ところがアニマルライツ団体によりサーカスの動物たちは行政に引き取られ、イーオーは何処とも知れない農場へ連れ去られてしまう。

 イーオーが再び少女と巡り合うまでの感動映画か?違う。ボイスオーバーのないディズニー映画か?違う。少女とはあっさり決別し、イーオーの旅が始まる。暗い夜道から外れて森に入ると、そこにはトンネルがあって…なんとスコリモフスキは私たちをロバの深層心理へと導く。イーオーは野を駆けるサラブレッドに焦がれ(ひょっとすると自身を馬と勘違いしているかもしれない)、暴漢に襲われて重傷を負えば四足歩行のロボットになった幻覚を見る。そしていつしか目にした事もないであろう、映画女優イザベル・ユペールの淫夢を見るのだ。物言わぬロバに言葉と魂を与え、愚かな人間に翻弄されるイーオーの姿に“もののあわれ”を感じさせるスコリモフスキの魔力よ!88分間の午睡の末に場内に明かりが灯れば、私たちは『EO イーオー』の残像を脳裏に、夢現のまま映画館を後にするのである。


『EO イーオー』22・ポーランド、伊
監督 イエジー・スコリモフスキ
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