長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『地下鉄道〜自由への旅路〜』

2021-08-20 | 海外ドラマ(ち)
※このレビューは物語の結末に触れています※
【ラヴクラフトカントリー】
 "地下鉄道”とは南北戦争期の19世紀アメリカで、黒人奴隷を隣国カナダへと逃亡させた秘密組織のコードネームだ。奴隷たちを匿う各中継地点を「駅」、そこを担当する協力者を「車掌」と呼び、南部から北へと奴隷たちを逃し続けたという。この様子は自らも奴隷でありながら地下鉄道で逃亡後、車掌へと転身したハリエット・タブマンの伝記映画『ハリエット』でも詳しく描かれている。

 だがコルソン・ホワイトヘッドの原作による『地下鉄道』では19世紀の巨大な洞穴に本物の蒸気機関車が走る。時代考証は正確ではない。南部ジョージアの奴隷農園を脱出し、地下鉄道に乗ったコーラは第2話でサウス・カロライナに辿り着く。そこは高層ビルが立ち並び(歴史上、ありえないはずのエレベーターがある)、黒人は平等の権利を与えられ、衣食住も保証された楽園のような街だ。しかしその裏では白人達による黒人への人体実験が行われていた。これは1932年から72年まで行われた"タスキギー梅毒実験”が基になっている。黒人を梅毒に感染させ、その経過を観察する臨床実験がアメリカ公衆衛生局の主導によって行われていたのだ。

 一難を逃れたコーラは、第3話でノース・カロライナに到る。『ゼム』でも描かれたキリスト教原理主義コミュニティによる差別は黒人に留まらず、その協力者である白人達にも容赦なく向けられていた。車掌マーティンに匿われた屋根裏で、コーラは黒人少女ファニー・ブリッグスと出会う。コーラが来るずっと前から隠れていた彼女には7年もの間、屋根裏に隠れ続け、後に自由を得たハリエット・ジェイコブズの姿が投影されている。『地下鉄道』は先行するHBOドラマ『ラヴクラフトカントリー』同様、黒人差別の歴史を辿るべく細部までコンテクストが張り巡らされているのだ。

【グレートスピリッツ】

 全10話の監督を務めるのは『ムーンライト』『ビール・ストリートの恋人たち』を手掛けたバリー・ジェンキンス。本作は彼の持ち味である美しい詩情はもちろん、歴史劇を演出する堂々たる風格に満ちており、とりわけジャンルを横断し、苛烈な熱気を帯びる第9話は先達スパイク・リーを思わせ、黒人映画の継承者として金字塔を打ち立てている(エンドロールで流れる『This is America』の衝撃よ!)。本作は彼の新境地であり、現代アメリカ映画で最も重要な監督の1人へ上り詰めたと言っていいだろう。

 ジェンキンスの演出の下、素晴らしい俳優陣が集結した。主人公コーラ役の新人スソ・ムベドゥをはじめ黒人キャストは才能に満ちた無名の役者達が並び、名の通った白人キャストがゲストとして厚みを加えている。中でも第3話でコーラを匿ったばかりに破滅する車掌マーティン役のデイモン・ヘリマンは強烈だ。善良だが多くの人々同様、差別に抗うだけの勇気を振り絞ることができない彼には『クォーリー』同様、社会からはみ出したつまはじき者の哀れさがあり、絶品である。ヘリマンをはじめ、キャストを誰一人としてノミネートしなかったエミー賞には大概にしてもらいたい。

 そしてもう1人、重要な役を務めるのがコーラを追う奴隷狩りリッジウェイを演じるジョエル・エドガートンだ。既に『ザ・ギフト』『ある少年の告白』で監督業にも進出している彼が、バリー・ジェンキンス監督のもとで非常にリスキーな役を引き受けているのは注目に値する。ドラマは全10話中2話も彼演じるリッジウェイを主人公に据えて時間を割いており、黒人映画が多様化する今日、白人側からの視点を設ける事に成功している。

 商家の息子として生まれたリッジウェイはこの時代に生まれた白人男性の例に漏れず差別意識を募らせ、そんな息子を見て父(ピーター・ミュラン)は言った「あらゆるものに自分の姿を投影しろ。そうすればグレートスピリッツを見つけ出せる」。言葉通りの他者への共感と内省を促す言葉であり、先住民族による精霊信仰にも思えるスピリチュアルな説教だが、後のリッジウェイは言う。先住民族を殺し、土地と財産を収奪し、奴隷を所有して富を築くアメリカの成り立ち、アメリカンドリームこそが”グレートスピリッツ”だと。
 
【無意識への接続〜夢幻列車】

 デヴィッド・リンチが夜のハイウェイを深層心理への道のりとしたように、バリー・ジェンキンスは地下鉄道を登場人物の無意識へと接続させる。たった20分の第7話『ファニー・ブリッグス』はジェンキンスの美意識が炸裂した夢幻的エピソードだ。第3話で生死の知れなかったファニー・ブリッグスは難を逃れており、誰に聞くでもなく崩落した"駅”へと辿り着く。停車する地下鉄道で女性車掌が言った「あなたを待っていた」。

「みんなの証が書いてある本を置いてきてしまった」
ファニー・ブリッグスが言うのは地下鉄道に乗った人々の署名だ。

「放っておきなさい。ただのインクと紙よ」

 この夢幻は第8話に連なっていく。コーラが地下へ降りると、そこは多くの人が行き交うセントラルステーションで、彼女は既にこの世にいないシーザーと再会する。コーラは言う「ここは天国みたい」。
『地下鉄道』は現実に北部へと脱出し、この困難な道程を後世に伝えた人々の物語であるのと同時に、地下鉄道に乗ることの出来なかった多くの人々の物語でもある。コーラという主人公を得ながらドラマには生者と死者、どちらの視点も介在しているのだ。

 そして僕たちは最終回第10話で、コーラを捨てて逃亡したと言われる母の姿を幻視する。ニコラス・ブリテルの瞑想的で美しいメロディに代わって南部の虫の音が寄せては返し、僕たちは過去へと誘われる。同じ奴隷仲間の女性を愛し、彼女の死に報いようと衝動的に農園を飛び出した母はふと我に返りコーラを想う。しかし、ふいに飛び出した毒蛇によって彼女は湿地の藻屑となってしまうのだ(第1話、逃亡するコーラとシーザーが一瞬、目にした腐乱死体は母だったのだ)。コーラはそんな事を知る由もない。共に生き延びた少女の手を引く彼女には見ることのなかった母性が仄かに宿り、旅は続く。この物語に終わりはない。


『地下鉄道〜自由への旅路〜』21・米
監督 バリー・ジェンキンス
出演 スソ・ムベドゥ、ジョエル・エドガートン、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー、デイモン・ヘリマン、ピーター・ミュラン、アーロン・ピエール、リリー・レーヴ、ウィル・ポールター、チェイス・ディロン

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『チェルノブイリ』

2019-11-14 | 海外ドラマ(ち)

1986年、旧ソ連プリピャチで発生したチェルノブイリ原発事故を描く全5話のミニシリーズ。今年のエミー賞ではリミテッドシリーズ作品賞、監督賞他計10部門を獲得し、ユーザーレビューサイトIMDBでは歴代最高点を更新。まさに2019年最重要と言える作品だ。

徹底して感傷を排除し、事故発生からディテールを積み重ねていくドキュメンタリータッチが放射能の恐怖を克明に浮かび上がらせていく。巻頭早々に事故が発生する第1話はほとんど“ディザスター・ホラー”と呼びたくなる緊迫感だ。職員達は次々と吐血し、原子炉を構成する黒鉛を拾ってしまった手は即座に焼け爛れ、プリピャチ市民は原発上空に浮かぶ光の柱に目を凝らし、空から舞い降りる季節外れの雪に歓喜する。ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマを経ている僕達にとってそれが死の灰である事は言うまでもなく、当時の彼らが原発を抱えながら放射能について全くの無知であった事に戦慄する。


さらに事件を悪化させるのが旧ソ連による支配体制が招いた“思考停止”だ。原発職員は事実を直視せず、党重役は「レーニンの名を冠した原発が壊れるわけがない」という無意味な精神論に依って事故対策の初動を遅らせる。
第2話になってようやく主人公である科学者レガソフ博士が登場し、ゴルバチョフら党最高幹部へ危機を訴えるが、それもすぐには受け入れられない。知性への軽視は事態を刻一刻と悪化させ、ようやく事故処理に動けば熟練職員や炭鉱夫達を使い捨て同然で現場へ送り込む冷酷さだ。高濃度の放射能によって代謝活動をやめた人体がまるで溶けていくかのように腐る描写には言葉を失った。原発とはアンダーコントロールはおろか、甚だしく人権を軽視した代物であり、このドラマを当事者意識で見る事ができるのはロシア人と僕たち日本人しかいないのである。この30年前の光景は哀しいかな、今僕らが見ているものと何ら変わりなく思えた。


そして悲惨はついに第4話でピークを迎える。原発をコンクリートの建造物「石棺」に閉じ込める作業が本格化するが、放射能濃度があまりに高く、90秒以上の連続作業ができない。ロシア中から作業員が集められる中、バリー・コーガン演じる若者が従事させられるのは市内に置き去りにされ、野生化したペットたちの“粛清”だ。放射能を他地域へ拡散させないための処理とはいえ、生き物をただただ無造作に殺していく様に青年の顔も曇る。それはかつて旧ソ連が大戦時に行ってきた所業も彷彿とさせ、誰もが決して無傷ではいられないのだと思い知らされた。

だが、本作の主題は原発事故ではない。
番組ポスターにも掲げられたコピー「嘘の代償とは?」は最終回第5話、レガソフ博士の口から語られる。原子炉が重大欠陥を抱えたまま運用されていた事を関係機関は把握しており、事故の可能性を想定外と言う事で無視し続けたのだ。それは国家元首が造作もなく嘘をつき、抵抗勢力の発言を「フェイクだ」と決めつけ、愚にもつかない歴史修正主義が跋扈する嘘にまみれた現在に向けられた警鐘である。嘘の代償はいつか、とてつもない形となって僕たちに跳ね返ってくるのだ。


『ブレイキング・バッド』出身の監督ヨハン・レンクの圧倒的な演出力、ジャレッド・ハリス、ステラン・スカルスガルド、エミリー・ワトソンらベテラン陣の重厚な名演もさることながら、注目したいのはショーランナーを務めるクレイグ・メイジンである。彼の代表作が今秋『ジョーカー』を大ヒットさせているトッド・フィリップス監督『ハングオーバー!』の脚本であり、この『ジョーカー』にも登板したヒドゥル・グドナドッティルが本作でも音楽を担当している。低く唸るノイズや、まるで現場職員の緊迫した呼吸のような空気音、そして僕たちを神経衰弱ギリギリまで追い詰めるガイガーカウンターなど独創的なアプローチが本作の並々ならぬ緊迫感に貢献しており、また最終回エンドロールの鎮魂歌には名伏し難い荘厳さがあった。

そして『ジョーカー』も本作同様、80年代を背景とした設定がされており、ジョーダン・ピール監督の『アス』と合わせ、この時代こそ僕たちが“代償”を負った時なのだと思い知らされるのである。ソ連崩壊は事故からわずか5年後の1991年である事も改めて記しておきたい。


『チェルノブイリ』19・米
監督 ヨハン・レンク
出演 ジャレッド・ハリス、ステラン・スカルスガルド、エミリー・ワトソン、バリー・コーガン、他

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