長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『リアリティ』

2023-12-13 | 映画レビュー(り)

 2017年6月3日、買い物を終えたリアリティ・ウィナーが帰宅すると、自宅前にはFBIを名乗る男たちが待ち受けていた。リアリティが勤務先の政府施設から機密情報を漏洩したと言うのだ。2016年アメリカ大統領選挙にロシアの介入があった事をリークした“リアリティ・ウィナー事件”を描く本作は、公開されている音声記録を元に尋問の様子を完全再現した戯曲“Is this a Room”の原作者ティナ・サッター自らによる映画化である。

 捜査上の形式的な問答に始まり、時に世間話にも興じながら相手の懐に入り込むFBIの尋問テクニックにぎょっとさせられる。ティナ・サッターは音声だけでは把握しきれない視線、動作、立ち位置などに徹底して演出を施し、リアリティが追い詰められていった状況を視覚的にも再現することに成功している。その様子からは国家権力を笠に着た者たちの傲慢と、時にFBI長官にまで圧力をかけたトランプ政権の姿が見え隠れしてくるのだ。

 サッターとリアリティ役シドニー・スウィーニーは限られた音声記録から、機密情報をリークしたリアリティの人間性に迫ろうとする。家宅捜索を受けるリアリティの家のあちこちに見えるのはなんと『風の谷のナウシカ』のステッカーだ。リアリティはパシュトゥーン語など、複数の言語に精通。アメリカ空軍に所属し、通訳者として再びの中東派遣を希望していた。ナウシカに登場する“風の谷”のモデルの1つがパキスタンのフンザ村であることを思い出せば、リアリティが中東言語を習得したルーツは自ずと伺い知れるだろう。ペットの犬と猫を愛し、軍人として国民に身を捧げると誓った彼女の献身の心にはナウシカが存在したのだ。アメリカ映画でジブリが“共通言語”として描写されていることに驚かされるが、奇しくも12月には全米ボックスオフィスで『君たちはどう生きるか』が週間チャート1位を記録。全米公開用の予告編には『風の谷のナウシカ』をはじめ、歴代宮崎作品のダイジェストが非常にエモーショナルな形で散りばめられていた。
 シドニー・スウィーニーは『ユーフォリア』でのブレイク以後、精力的にキャリアを重ね、2022年は『ユーフォリア』シーズン2での大車輪的な演技と、冷めきったZ世代を演じた『ホワイト・ロータス』の2作品でエミー賞にWノミネート。本作では抑制された演技の中にリアリティの怒りを込め、その才能を改めて証明している。

 リアリティ・ウィナーは2018年に懲役5年3ヶ月を言い渡され、2021年6月2日に暫定施設に釈放されたという。ジブリとナウシカが生まれた国で暮らす身として、腐敗政治に立ち向かうリアリティの行動から考えさせられるものは決して少なくない。


『リアリティ』23・米
監督 ティナ・サッター
出演 シドニー・スウィーニー
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『リコリス・ピザ』

2022-08-07 | 映画レビュー(り)

 青春恋愛映画として一応のハッピーエンドを見るが、この2人はそう遠くないうちに別れるだろう。映画レビューが結末から書き始めるなんて何事だと思うかも知れないが、ptaの『リコリス・ピザ』を観る上で予備知識は何の意味もないし、そもそもこの映画にはストーリーらしいストーリーがない。1970年代のハリウッド、サンフェルナンド・バレー。15歳の少年と25歳の女性が恋に落ち、くっついたり離れたりする。映画の冒頭で2人はこんなやり取りをする。「あなたは16歳になって、私は30歳になる。いつか私のこと忘れる」「忘れるもんか」。別れたって、結ばれなくたって、生涯忘れることのできない出会いはある。

 ptaの半自伝的映画とも言われるが、本人は1979年生まれ。これは彼が幼少期に見聞きした記憶と、本作で献辞が捧げられているロバート・ダウニー・シニアと轡を並べて撮っていたら、という映画かも知れない。とりとめもなくシークエンスは連続し、しかしここには無限に身を委ねたくなる夢見心地がある。pta映画を支えてきた故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子、クーパー・ホフマンが主役に起用され、親父さんのキャリア初期を思わせるあどけない口元に「あぁこれはフィリップ・シーモア・ホフマンと撮ることの叶わなかった映画なのだな」という想いが込み上げた。『リコリス・ピザ』は叶わなかった想いが詰まったカリフォルニアドリーミングだ。

 そんな本作を地に足付けさせるのが主人公アラナを演じたアラナ・ハイムだ。ptaが度々PVを手掛けてきた3人組姉妹バンド“HAIM”の3女である彼女は全くの演技未経験だが、その魅力を知り尽くしたptaはこの才能豊かな女性に素晴らしいスクリーンデビューを果たさせた。心地よいハスキーボイスでエキセントリックなpta台詞を頼もしく回し、時折初期作を支えたジュリアン・ムーアのシルエットも過ぎった。物語の主観は彼女にあり、抑圧的な家庭と理想とは程遠い現実に揺れる25歳という重要な転機に立ったヒロインを描く“女性映画”でもある。

 ptaはダニエル・デイ=ルイス、ホアキン・フェニックスという現役最高峰の俳優たちを創作上のパートナーとしながら、本作では演技未経験の子どもたちにのびのびと遊ばせ、その無邪気さをカメラに収めているのが新鮮だ。要所にはトム・ウェイツ、ショーン・ペンらを配し、中でもブラッドリー・クーパーが瞬間風速を吹かす。pta映画おなじみの“どうかしちゃってる理不尽キャラ”で、てっきり終幕では「バーブラ・ストライザンドじゃねぇええ!」と現れ、ゲイリーと対決する『パンチドランク・ラブ』な展開を予想したが全然そんな映画じゃなかった(笑)

 日本では本国に遅れること約半年、2021年のオスカー作品賞ノミネート作では最後の登場となったが、この映画を観るには夏こそが相応しい。湿度のある東京の夜気も、この時ばかりは映画と僕を地続きになって実に心地良かった。


『リコリス・ピザ』21・米
監督 ポール・トーマス・アンダーソン
出演 アラナ・ハイム、クーパー・ホフマン、ショーン・ペン、トム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパー、ベニー・サフディ
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『竜とそばかすの姫』

2021-07-27 | 映画レビュー(り)

 本作が細田守作品初鑑賞という世間的にはレアな観客であるため、同じインターネットをテーマとした過去作『サマーウォーズ』などを参照したレビューは書けないのであしからず。初期の『時をかける少女』こそ"見逃してしまった”感があったが、以後はあまり惹かれず、今回は予告編のヴィジュアルを見てこれはIMAXの大スクリーンで見なければ、と足が向いた次第である。

 興味深いことにヴァーチャル空間を描いた『竜とそばかすの姫』の真価はヴァーチャル空間にはない。点と線が縦横無尽に伸び、無重力空間に異形のアバターが群衆を織りなす電脳世界には、期待したほどの映像的快楽は感じられず、宙を舞う巨大なクジラのデジャヴにアリ・フォルマン監督『コングレス未来学会議』のトリップが恋しくなった。かつて『攻殻機動隊』が"ネットは広大だわ”と来るインターネット社会の可能性を夢見、その影響を受けた『マトリックス』が世界を変える力があると謳い、スピルバーグまでもが『レディ・プレイヤー1』で祝祭的に描いてきた電脳空間を、『竜とそばかすの姫』はそれほどの価値はないと描いている。

 真に魅力的なのはモデルとなった越知町をはじめとする自然に満ちた高知県そのものだ。ここに暮らす女子高生のすずは、幼少期に母を失ったトラウマから大好きだった歌を唄うこともできなくなり、身を潜めるように学生生活を送っている。越知町の四季折々と共に彼女の半生が描かれるこの序盤部だけで、コロナ後の旅行先は決まりだろう。同級生との友情、すれ違い、淡い恋心…本当に大切なものは越知町と10代のリアルな青春にこそある。

 『竜とそばかすの姫』はこの素晴らしいメッセージと電脳空間を舞台とした『美女と野獣』のプロットがまるで噛み合っておらず、すずが竜に惹かれるのは彼女がベルで、竜がビーストである以上の理由はない。ノイズと歪んだ正義心に満ちたネット世界に50億人以上が接続しながら、運命の出会いが武蔵小杉にある終盤には巨災対も驚きだろう。物議を醸している児童虐待のプロットはネットサーフィン程度の印象しか残らなく、何より音楽映画でありながら作曲シーンが1つもないのはどういう事か(親友役の幾多りらは人気ユニットYOASOBIのボーカル。プロの声優ような達者ぶりだが、彼女を要した意味もない)。これら不備というにはあまりに致命的な欠陥は、細田が1人で脚本を手掛けるようになってからの近作にはつきもののようだ。

 それでも本作はオリンピックとコロナによって作品が不足する日本のサマーシーズンで大きな牽引役となるだろう。素晴らしい歌声と芝居勘を持ったシンガー、中村佳穂はじめボイスキャストの上品な低音も心地よく、この耳の良さも演出の才能だと改めて認識した。遅ればせながら過去の細田作品も見たくなった。


『竜とそばかすの姫』21・日
監督 細田守
出演 中村佳穂、成田凌、染谷将太、玉城ティナ、幾田リラ、佐藤健
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『ザ・リトル・ストレンジャー』

2021-05-18 | 映画レビュー(り)

 『ルーム』でアカデミー監督賞にノミネートされ、2020年はTVシリーズ『ノーマル・ピープル』で名演出を披露したレニー・アブラハムソン監督の2018年作。サラ・ウォーターズの同名小説(日本では『エアーズ家の没落』の題で刊行)を映画化したゴシックホラーだ。

 主人公ファラデー医師は幼少期に大きな憧れを抱いたエアーズ家へ往診に訪れる。かつての栄華の影はなく、一族は没落し、みすぼらしい生活を送っていた。戦争帰還兵の長男ロドリックは戦場の傷だけではなく精神も病んでおり、不吉な予言を口にする。やがて邸では怪異が起こり…。

 劇伴を極力排し、屋敷の軋みまで聞こえてくるかのような静謐な演出と、かつての栄華がくすみ、どこか薄ら寒い冷気を感じさせる美術が素晴らしく、これに主演ドーナル・グリーソンの冷ややかな美男子ぶりが良く映える。前半1時間はほとんど何も起こらないが、後の『ノーマル・ピープル』にも繋がるシンプルでオーセンティックな演出だ。

 舞台となる第二次大戦後のイギリスは、労働党が政権を獲得した事から旧来の領主には莫大な相続税が課せられ、没落の一途をたどる事になる。幽霊屋敷の背景には貴族社会への憧憬と怨念が存在するのだ。


『ザ・リトル・ストレンジャー』18・英、仏、アイルランド
監督 レニー・アブラハムソン
出演 ドーナル・グリーソン、ルース・ウィルソン、ウィル・ポールター、シャーロット・ランプリング、リブ・ヒル
 
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『リカウント』

2020-11-07 | 映画レビュー(り)

 11月3日から投開票が始まった米大統領選挙は本稿を書いている11月6日時点で未だ決着を見ていない。新型コロナウィルスの影響により当日消印有効の郵便投票が増えたこと、史上最高と言われる投票率、何より大方の予想通り劣勢に立たされたドナルド・トランプが「不正な選挙が行われている」とデマを拡散し、法的手段に訴えて票の集計作業を中断させようとしている事が原因だ。民主主義の根幹を揺るがすこの一大事件にデジャヴを感じた人も少なくないだろう。2000年のブッシュ対ゴアの泥沼の訴訟合戦である。

 これには地方自治体毎で異なるアメリカの選挙制度も強く影響している。次点との差が一定数の僅差である場合、票の再集計が行われる。パンチカード方式の投票用紙は機械での読み込みに欠陥を抱えており、ここに目を付けたゴア陣営は法廷闘争に打って出る事となる。映画は民主主義の根幹に疑義を呈す事になる両陣営の戸惑いを見逃さない。民主党の重鎮弁護士役ジョン・ハートが言う「世界が見ている。ここは偉大な民主主義国家だ。大統領選挙に値する方法でなければ、世界の国々に希望を与えられない」。

 本作は2008年のオバマ対マケインの大統領選挙に合わせて製作され、イラク戦争という混迷の時代を生んだアメリカの選択に内省を促している。監督のジェイ・ローチは2012年にマケイン陣営を描いた『ゲーム・チェンジ』を発表。マケインが副大統領候補にサラ・ペイリンを起用したことで敗北するこの選挙は結果的に共和党の求心力を弱め、トランプ誕生のきっかけとなってしまった。

 製作意図とは異なるだろうが、本作は2020年の“伏線”だ。トランプの暴挙は明らかに2000年の選挙を根拠としており、あの弱々しい老人バイデンしか担ぎ出せなかった民主党は20年も前にこの無謀な訴訟によって自らの墓穴を掘っていたのだ。『リカウント』と『ゲーム・チェンジ』を合わせて見ることでアメリカ近代政治20年の衰退を俯瞰することができるだろう。

 但し、豪華キャストが結集した本作の作劇、演出は事実を列挙するだけで再現ドラマの域を出ておらず、映画としては物足りない(ローラ・ダーン、トム・ウィルキンソンはさすがの名演)。今日にいたる“おさらい”くらいのつもりで見てほしい。


『リカウント』08・米
監督 ジェイ・ローチ
出演 ケヴィン・スペイシー、トム・ウィルキンソン、ローラ・ダーン、デニス・リアリー、ボブ・バラバン、ジョン・ハート
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