
ホラー映画は数あれど、オズグッド・パーキンス監督(父はあのアンソニー・パーキンス)の『ロングレッグス』はたじろくほど禍々しい。舞台は1993年。父親が妻と幼い娘を惨殺した後、自ら命を断つ事件が起こる。無理心中にも思える中、密室の現場にはロングレッグスなる人物からの暗号文が遺されていた。事件はこれ1つではなく、30年以上も前から一定のアルゴリズムによって繰り返されてきたのだ。新人FBI捜査官リーは霊的とも言うべき天性の直感に導かれ、謎の連続殺人鬼の行方を追う。
暗褐色を基調とした室内シーンと、冬の曇天が続く屋外シーンを組み合わせた沈鬱な映像。優れた耳を持った映画作家ならではの音響設計。静寂をつんざくショック音は観客の生理を逆撫でし、一見彼とはわからないニコラス・ケイジに慄く。セルフパロディに陥ることのないケイジは真の怪演であり、パーキンスのメソッドに全力投球していることがよくわかる。プロットをつまびらかにするつもりはないが、『ロングレッグス』を見ていると私たちは確かにそう感じるのだ。この世には邪悪な何かがいる、と。
北米だけでも1億ドルを超えるヒットとなった本作のテンションをさらに張り詰めるのが、リー役のマイカ・モンローだ。『ザ・ゲスト』『イット・フォローズ』を代表作に持つ2010年代のスクリーミングクイーンは、サバービアに押し込められたブロンド美少女の憂鬱も湛えていた。今や30代に突入した彼女が叫ぶことはなく、終始伏し目がちな神経症演技がこの世の邪悪を唯一人知るのだと思わせる。ロングレッグスに対峙するモンローの演技なくして、悪は存在し得ないのだ。

パーキンスは舞台を90年代に設定した理由を『羊たちの沈黙』『セブン』ら90年代傑作サイコスリラー映画へのオマージュと答えているが、最も強い影響を受けているのは97年の黒沢清監督作『CURE キュア』だろう。プロットやルックはおろか、中盤以後、映画のジャンルが転調するその“精神性”までそっくりである。
『CURE』の舞台は東京。娼婦が喉元をX字に切り裂かれる殺人事件が発生する。犯人はすぐに逮捕されるも、類似の犯行が後を絶たない。いずれの加害者にも接点はなく、共通の何かに影響された様子もない。しかし彼らは犯行の直前、ある青年に会っており…。
空回る洗濯機などノイズ音を取り入れた不穏な音響デザイン、建物のシミにまで意匠を宿らせた的確なロケーション、主人公の精神の変調を捉えた編集…研ぎ澄まされた黒沢の映画術は今なお色褪せず、むしろ近作『Cloud』は名匠の戯れに思えるほどだ。映画が謎の青年、間宮と催眠学の関係に迫り始めると、黒沢は『スパイの妻』同様、ここでもモノクロフィルムに呪物のような役目を与え、オカルトへと転調していく。これは興行的な要請ではない。間宮が傾倒する催眠術の祖メスマーことフランツ・アントン・メルメルは1842年に理論を開発するも、時代はそれを悪魔憑き、呪術の類としてオカルト扱いしたのである。サイコロジカルとオカルトとはそもそもが分かち難く、映画のジャンルにおいてこれらが接近するのは必然のことなのだ。
黒沢もまたトレードマークとも言える“日の陰り”を用いた演出で、この世に潜む絶対的な邪悪を描出する。それは音もなく、何の予兆もなしに伝播し、人を悪へと駆り立てるのだ。
『ロングレッグス』23・米
監督 オズグッド・パーキンス
出演 マイカ・モンロー、ニコラス・ケイジ、ブレア・アンダーウッド、アリシア・ウィット
『CURE キュア』97・日
監督 黒沢清
出演 役所広司、萩原聖人、うじきつよし