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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ロングレッグス』『CURE キュア』

2025-03-22 | 映画レビュー(ろ)

 ホラー映画は数あれど、オズグッド・パーキンス監督(父はあのアンソニー・パーキンス)の『ロングレッグス』はたじろくほど禍々しい。舞台は1993年。父親が妻と幼い娘を惨殺した後、自ら命を断つ事件が起こる。無理心中にも思える中、密室の現場にはロングレッグスなる人物からの暗号文が遺されていた。事件はこれ1つではなく、30年以上も前から一定のアルゴリズムによって繰り返されてきたのだ。新人FBI捜査官リーは霊的とも言うべき天性の直感に導かれ、謎の連続殺人鬼の行方を追う。

 暗褐色を基調とした室内シーンと、冬の曇天が続く屋外シーンを組み合わせた沈鬱な映像。優れた耳を持った映画作家ならではの音響設計。静寂をつんざくショック音は観客の生理を逆撫でし、一見彼とはわからないニコラス・ケイジに慄く。セルフパロディに陥ることのないケイジは真の怪演であり、パーキンスのメソッドに全力投球していることがよくわかる。プロットをつまびらかにするつもりはないが、『ロングレッグス』を見ていると私たちは確かにそう感じるのだ。この世には邪悪な何かがいる、と。

 北米だけでも1億ドルを超えるヒットとなった本作のテンションをさらに張り詰めるのが、リー役のマイカ・モンローだ。『ザ・ゲスト』『イット・フォローズ』を代表作に持つ2010年代のスクリーミングクイーンは、サバービアに押し込められたブロンド美少女の憂鬱も湛えていた。今や30代に突入した彼女が叫ぶことはなく、終始伏し目がちな神経症演技がこの世の邪悪を唯一人知るのだと思わせる。ロングレッグスに対峙するモンローの演技なくして、悪は存在し得ないのだ。


 パーキンスは舞台を90年代に設定した理由を『羊たちの沈黙』『セブン』ら90年代傑作サイコスリラー映画へのオマージュと答えているが、最も強い影響を受けているのは97年の黒沢清監督作『CURE キュア』だろう。プロットやルックはおろか、中盤以後、映画のジャンルが転調するその“精神性”までそっくりである。

 『CURE』の舞台は東京。娼婦が喉元をX字に切り裂かれる殺人事件が発生する。犯人はすぐに逮捕されるも、類似の犯行が後を絶たない。いずれの加害者にも接点はなく、共通の何かに影響された様子もない。しかし彼らは犯行の直前、ある青年に会っており…。

 空回る洗濯機などノイズ音を取り入れた不穏な音響デザイン、建物のシミにまで意匠を宿らせた的確なロケーション、主人公の精神の変調を捉えた編集…研ぎ澄まされた黒沢の映画術は今なお色褪せず、むしろ近作『Cloud』は名匠の戯れに思えるほどだ。映画が謎の青年、間宮と催眠学の関係に迫り始めると、黒沢は『スパイの妻』同様、ここでもモノクロフィルムに呪物のような役目を与え、オカルトへと転調していく。これは興行的な要請ではない。間宮が傾倒する催眠術の祖メスマーことフランツ・アントン・メルメルは1842年に理論を開発するも、時代はそれを悪魔憑き、呪術の類としてオカルト扱いしたのである。サイコロジカルとオカルトとはそもそもが分かち難く、映画のジャンルにおいてこれらが接近するのは必然のことなのだ。

 黒沢もまたトレードマークとも言える“日の陰り”を用いた演出で、この世に潜む絶対的な邪悪を描出する。それは音もなく、何の予兆もなしに伝播し、人を悪へと駆り立てるのだ。


『ロングレッグス』23・米
監督 オズグッド・パーキンス
出演 マイカ・モンロー、ニコラス・ケイジ、ブレア・アンダーウッド、アリシア・ウィット

『CURE キュア』97・日
監督 黒沢清
出演 役所広司、萩原聖人、うじきつよし

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『ロボット・ドリームズ』

2025-01-06 | 映画レビュー(ろ)

 “文字数”の多いメインストームの大ヒットアニメーション映画よりも、2024年最も心動かされたのは102分間無言の『ロボット・ドリームズ』だ。サラ・バロンの同名コミックを原作とする本作はファニーで、とびきり切ない珠玉の1本である。

 マンハッタン。大都会の片隅に暮らすドッグは何処の都市にも存在する埋没した若者だ。冷凍食品と深夜番組で寂しさを紛らわす夜、彼はCMでやっていた“お友だちロボット”を衝動買いする。自分1人では動かせない重量のパッケージからパーツを取り出し、組み立てればさぁ完成。ロボはどんなことでも共有し、楽しんでくれる最高の親友だ。互いに手を取って街に繰り出し、夏は一緒にビーチで泳ぐ。ところが砂浜でロボが動かなくなった。壊れてしまったらしい。翌日、ドッグが工具を持って再び訪れるとシーズンは終わり、ビーチは閉鎖されていた。

 全ては流転する。あれほど大切にしてきたロボの存在を、ドッグは次第に忘れていく。新しい友人を作り、新しい生活を夢に見始める。ロボも夢を見る。ドッグのいない世界で踊り、浜辺に現れた小鳥たちと親交を結ぶ。僕は『ロボット・ドリームズ』をラブストーリーとして見た。在ったものは失われ、忘却される。時折かつてを想い、夢に見る。そして人生は続くのだ。2人の遠景にはワールド・トレード・センタービルが映る。本作はドッグとロボの心象にかつての街並みが託された“NY映画”でもあるのだ。奇をてらうことなく歌い響くアース・ウィンド&ファイアー“September”に、僕たちは涙を流したっていい。


『ロボット・ドリームズ』23・スペイン、仏
監督 パブロ・ベルヘル
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『ロードハウス 孤独の街』

2024-05-07 | 映画レビュー(ろ)

 ジリ貧のハリウッドは相も変わらず続編、リメイクの量産に勤しんでいるが、今度は誰も振り返らない1989年のパトリック・スウェイジ主演作『ロードハウス 孤独の街』に手を出した。ラジー賞では5部門にノミネートされた駄作なら、さすがにオリジナルを下回るような事にはならないと踏んだのだろう。結果は大当たりだ。監督ダグ・リーマンと主演ジェイク・ギレンホールは『ロードハウス』を極上のB級映画へと仕上げ、123分間なんともいい湯加減が続くチルな1本である。近年『アンビュランス』『コヴェナント』など、“普通のハリウッド映画”に意識的なギレンホールは終始ニヤケ顔のゴキゲンっぷりだ。

 闇ボクシングに生きる主人公ダルトンを紹介する冒頭部からいい力の抜け具合である。彼の名を聞くやむくつけきの大男は逃げ出し、ナイフで刺されてもどこ吹く風のダルトンに悪漢も尻尾を巻く。ダグ・リーマン、ギレンホールのコンビは終始この調子で、舞台をフロリダキーズのロードハウスに移してからはさらにオフビートな笑いがタップリ。本作は心地よい週末の夜気を感じながら、ビール片手にダラダラ見るのが一番で、劇場公開を見送り配信スルーへ舵を切った背景には、案外レンタルビデオ時代の復古精神もあったのかもしれない。

 当然、こんなオフビートな映画にシリアスな悪役など登場するワケもなく、ハリウッド娯楽映画のクリシェのような小悪党にビリー・マグヌッセンがピタリとハマり、アイルランドの男性総合格闘家コナー・マクレガーがギレンホールにとって不足のないチャームを発揮したことは製作陣にとって嬉しい誤算だったろう。ギレンホールの役柄は驚異的な肉体改造の割に不発に終わったボクシング映画『サウスポー』を想起させ、『ロードハウス』という思わぬ副産物が生まれたことも今となっては悪くないハズだ。ちなみにパトリック・スウェイジ番には続編『ロードハウス2 復讐の鉄拳』がある。ダルトンのぶらり用心棒旅を観たいと思うのは僕だけではないだろう。


『ロードハウス 孤独の街』24・米
監督 ダグ・リーマン
出演 ジェイク・ギレンホール、ダニエラ・メルシオール、コナー・マクレガー、ビリー・マグヌッセン
※Prime Videoで独占配信中※
 
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『ロスト・ドーター』

2022-02-15 | 映画レビュー(ろ)

 近年、俳優達が相次いで監督デビューを果たし、そのいずれもが傑作というムーブメントが続いているが、2021年は2人の俳優監督に注目が集まった。共にNetflixからリリースされている『PASSING』のレベッカ・ホールと、本作『ロスト・ドーター』のマギー・ギレンホールだ。ギレンホールはエレナ・フェッランテの原作小説を自ら脚色し、ヴェネチア映画祭で脚本賞を受賞。そしてアカデミー賞では脚色賞にノミネートされている。その多才に驚かされるばかりだが、HBOのTVシリーズ『DEUCE ポルノストートinNY』で既にエピソード監督を務めており、満を持しての長編映画デビューだったのだ。その語り口は自信に満ちており、『ダークナイト』『クレイジー・ハート』等で知られるバイプレーヤーらしく、役者の使い方もすこぶる巧い。本作でオスカー候補に挙がったオリヴィア・コールマン、ジェシー・バックリーらはもとより、主人公の心を揺さぶるヒッチハイカー役でイタリアの女優アルバ・ロルバケルをキャスティングする所に非凡なセンスがある。アルバケルが登場する場面だけ物語が異様な浮き上がり方を見せるのだ。

 映画の舞台は真夏のギリシャ。ここにイギリスから大学教授のレダがバカンスに訪れる。せっかくの海辺のリゾートというのに開放感に浸っているような様子はなく、他人を避け、頑なだ。『女王陛下のお気に入り』『ファーザー』と名演の続くオリヴィア・コールマンは罪悪感から千々に乱れたレダの心理を演じ、名優の仕事ぶりである。ギレンホールは主人公の心に寄せては返すメランコリーと回想を触感的に演出しており、観客に容易な感情移入を許さない。ヨーロッパを舞台としているためか、ミステリアスで謎めいたストーリーテリングはアメリカの映画監督よりもミヒャエル・ハネケやフランソワ・オゾンなど欧州の映画作家の影響を色濃く感じさせる。レダは同じビーチでくつろぐ若い母親ニーナ(ダコタ・ジョンソン)に強い関心を抱いていくのだが…。

 回想シーンで若き日のレダを演じるのはジェシー・バックリー。クイと上がった口角で時にニヒルに、時に邪悪に、時に悲壮に演じ分けてきた彼女がここでは子育てに忙殺され、学術研究に没頭できず口元を歪める。レダはかつて衝動的に家を飛び出し、数年間子どもたちを捨てたのだ。子供を愛せず、自分自身の生き方を求めた彼女を世の母性信仰が抑圧し、晴れることのない罪悪感を抱せる。ニーナに自身と同じものを見出したレダは言う「自由に生きればいいのよ。これは決して治らない」。マギー・ギレンホールもまた女であるが故にこの『ロスト・ドーター』に強いシンパシーを抱いたのではないか。

 わずかばかりの救いはレダの電話に応える娘たちの明るい声だ。「ママ、なんで電話をくれないの?生きてるか死んでるかくらい教えてよ」「生きてるわ」。原作では「死んでるわ」という言うセリフをギレンホールは反転させる。そう、自由に生きるために罪と憂鬱を背負う必要なんてないのだ。


『ロスト・ドーター』21・米、ギリシャ
監督 マギー・ギレンホール
出演 オリヴィア・コールマン、ジェシー・バックリー、ダコタ・ジョンソン、エド・ハリス、ピーター・サースガード、ポール・メスカル、ダグマーラ・ドミンスク、アルバ・ロルバケル
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『ローガン・ラッキー』

2020-11-17 | 映画レビュー(ろ)

 2013年の『サイド・エフェクト』を最後に、“映画監督”引退宣言をしていたスティーブン・ソダーバーグ。2017年の本作『ローガン・ラッキー』で復帰となるまでの4年間、彼はデヴィッド・フィンチャーと並んでTV界へと進出していた。2013年に手掛けたTVムービー『恋するリベラーチェ』はエミー賞を席巻。2014年にはTVシリーズ『The Knick』をプロデュースしている。巨匠2人の活躍は今日に至るPeakTVに大きな影響を与えたと言えるだろう。

 そんなインターバルを経た復帰作はお得意の犯罪コメディだ。大金強奪を目論む男達のスットコドッコイな騒動は、完全犯罪のプロットが何とも小気味良く、兄弟に扮したチャニング・テイタム、アダム・ドライバーのユーモラスなケミカルも好調。爆破のプロ、ジョー・バングに扮したダニエル・クレイグは「あぁ、ジェームズ・ボンドになる前はキモイ役者だったなぁ」と思い出させてくれる怪演だ。

 この手の映画には珍しく、強盗計画を企てる兄弟の前には凶悪な犯罪者も執拗な刑事も現れない。職にあぶれ、元妻からバカにされる兄と、退役軍人で片手が義手の弟にとって彼らを軽んじる社会こそが敵なのだ。そして舞台となるノースカロライナ州は都市部から見捨てられた人々の住む、トランプの大票田である。そんな題材選び1つ取っても、『オーシャンズ11』からグッと肩の力が抜けた洗練だ。ソダーバーグ、第3章の始まりである。


『ローガン・ラッキー』17・米
監督 スティーブン・ソダーバーグ
出演 チャニング・テイタム、アダム・ドライバー、ダニエル・クレイグ、ライリー・キーオ、ケイティ・ホームズ、ヒラリー・スワンク
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