前作『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』のラスト、強敵ミステリオのフェイクニュース殺法によって全世界に正体をバラされてしまったピーター・パーカー。“親愛なる隣人から一転”、ミステリオ殺しの容疑者とされてしまった彼は苛烈なキャンセルに晒される。その影響は彼ばかりか親友のネッド、恋人MJの大学進学にまで及び、彼はドクター・ストレンジに頼んで全宇宙の人々からピーター・パーカーの記憶を消そうとする。ところが、あろうことかピーター自身のヘマによって(ちゃんと打ち合わせしとけよ!)魔術は失敗。ピーターを知る別次元マルチバースの敵を呼び寄せてしまった!
スパイダーマンの映画化権を持つソニーがディズニー・マーベルと提携して実現したのがこのトム・ホランド版スパイダーマン『ホーム3部作』であり、いわゆる“大人の事情”をクリアしただけでも十二分に画期的な企画なのだが、そこに加えて本作ではサム・ライミ版初代3部作からグリーン・ゴブリン(ウィレム・デフォー)、ドクター・オクトパス(アルフレッド・モリーナ)、サンドマン(トーマス・ヘイデン・チャーチ)が、そして打ち切りに終わった『アメイジング・スパイダーマン』2作からリザード(リス・エヴァンス)、エレクトロ(ジェイミー・フォックス)らが合流するという大盤振る舞いで、オールスターを信条とするMCUとして過積載とも言える豪華さだ(中でもデフォーは別格のフルスイング怪演を見せており、MCUに足りないのは演出の及ばない悪役である事がよくわかる)。
しかもこれは単なる歴代ヴィラン大集合ではない。彼らはホーム3部作ではピーターと全く縁のない人々であり、元の次元に送り返せばそこには定められた死の運命が待ち受けているのだ。ピーターは何とか彼らを改心させ、未来を変えようとするのだが…。
2017年の『スパイダーマン ホームカミング』がブロックバスターの学園モノとして現実の人種構造を初めて“見える化”したように、2021年の本作もまた時代の先を駆け抜けようとする。2010年代後半のアイデンティティポリティクスによってこれまで虐げられてきた人々の状況は大きく変わり始めたが、では旧態依然の悪しき存在としてキャンセルされた人々はこの世から指パッチンの如く消えたのか?そんな事はない。彼らにもセカンドチャンスがあり、僕らは分断を超えて共存しなくてはならないのだ。社会的規範から逸脱しながらも、映画の主人公としてはあまりに歪で魅力的な『パワー・オブ・ザ・ドッグ』や『PASSING』、悪党たちが世界を救う『ザ・スーサイド・スクワッド』、台本とメソッドの下で共存できる演劇製作を描いた『ドライブ・マイ・カー』…それら新たな2020年代の映画が登場する中、MCUというメインストリームもまたこのテーマを選んだ事は重要だろう。そう、大いなる力には大いなる責任が伴うのだから!(惜しむらくは“Fix”や“Cure”に代わる言葉はなかったものか。明らかにメンタルイルであるヴィラン達は治療はできても完治はしないかも知れない。病気でいてもいいのが共存だ。)
セカンドチャンスはヴィランにだけ与えられるものではない。スパイダーマン映像化として“黒歴史”扱いされてきた『アメイジング・スパイダーマン』からアンドリュー・ガーフィールドが合流したシーンには場内からどよめきが起こった(トビー・マグワイアよりも先に登場した事も重要だろう)。僕は時折、「この映画の主人公はその後、こんな人生を歩んだのでは」と物語のその先に想いを馳せてしまうのだが、なんとこのガーフィールド版ピーターは『アメイジング・スパイダーマン2』のその後の姿で、彼はグウェンの死を乗り越えていたのだ。まさか終わった映画の続きを見ることができるなんて!
トム・ホランド版ピーター・パーカーを少年時代から卒業させるほろ苦いラストシーンを持って、『ホーム3部作』は全てのスパイダーマン映画を包括する事に成功した。続投も報じられるホランド版ピーターが次はいったいどんな次元へと進むのか期待して待ちたい。
『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』21・米
監督 ジョン・ワッツ
出演 トム・ホランド、ゼンデイヤ、ベネディクト・カンバーバッチ、マリサ・トメイ、ジョン・ファヴロー、ウィレム・デフォー、アルフレッド・モリーナ、トーマス・ヘイデン・チャーチ、リス・エヴァンス、ジェイミー・フォックス、アンドリュー・ガーフィールド、トビー・マグワイア、J・K・シモンズ
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