長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『美と殺戮のすべて』

2024-04-04 | 映画レビュー(ひ)

 「生き延びることがアートだった」現代写真アートの最重要人物の1人、ナン・ゴールディンは自身の半生を振り返り述懐する。幼い頃、姉が自殺。両親との不和を抱えた彼女は程なく家を出て、フリースクールへと通学。既存の社会システムから外れていくことでアーティストとしての才能を育んでいく。彼女のポートレートは人物に密着し、赤裸々で、時に痛みを伴うような美しさがある。青春時代からクィアカルチャーで生きてきた彼女はやがてエイズ禍に直面、その作家性は時の政治と対峙していく。ローラ・ポイトラス監督はゴールディンのスライドショーをふんだんに取り入れ、この先鋭的アーティストを紹介しながら前作『シチズンフォー』と同様、個人と社会の対比、接続、そして権力の偏執性を浮き彫りにしていく。

 本作の撮影が行われた2018年、ゴールディンはフォトグラファーであるのと同時に果敢なアクティビストでもあった。医療用麻薬オキシコンチンの販売によって膨大な数の死者、中毒者を生み出したパーデュー製薬の創業一族サックラー家は、メトロポリタン美術館はじめ多くの美術館への高額寄付者であり、その名を冠した展示室を持っている。時に自身の作品が展示され、彼女もまたかつて薬物中毒者であったゴールディンにとって、資本権力のアートへの介入を許すことはできない(この根源には80〜90年代、エイズはゲイ固有の病気と喧伝し対策を怠った政府への怒りがある)。ポイトラスはゴールディンら抗議者につきまとう尾行者の姿も収めており、権力側の異常なパラノイアへの視線は前作『シチズンフォー』同様、一貫している。

 オピオイド危機を象徴するピルケース、処方箋、汚れた金を配しながらダイ・インする彼女らの抗議パフォーマンスにもまた痛みと美しさが同居し、人生の苦悶と人間愛を極めたゴールディンのナレーションとSoundwalk Collectiveの素晴らしいサウンドトラックは本作に詩心を与え、独自の映画空間を構築している。2023年にはNetflixの『ペイン・キラー』や『アッシャー家の崩壊』など、オピオイド危機を扱った作品が相次いだが、2022年にヴェネチア映画祭で金獅子賞に輝いた本作こそが先鋒である。


『美と殺戮のすべて』22・米
監督 ローラ・ポイトラス
出演 ナン・ゴールディン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ビーニー・バブル』

2023-08-11 | 映画レビュー(ひ)

 ナイキのエアジョーダン開発秘話を描くベン・アフレック監督作『AIR』や、89年発売のゲームボーイに『テトリス』がアタッチされた経緯を追う『テトリス』など、今年は社会現象を起こした商品の成り立ちから現在(いま)のアメリカを再考する作品が相次いでいる。90年代に起こった“ビーニー・バブル”を題材にした本作もその系譜に連なる1本と言えるだろう。おもちゃメーカーTyの発売したビーニーシリーズはそのコレクション性の高さから人々の購買意欲を誘い、空前の大ヒット商品となった。しかし実態はインターネット黎明期のオークションサイト“イーベイ”で高額取引される、投機の対象だったのだ。

 監督、脚本を務めるクリスティン・ゴア(アル・ゴア元副大統領の娘)は、ビーニービジネスを支えた3人の女性をクリストファー・ノーランばりの複雑な時制叙述で交錯させ、時の狂騒を描き出していく。エリザベス・バンクス(久しぶりに演者の仕事に集中している)扮するロビーは車検場のしがない受付だったが、同じマンションに暮らすおもちゃ職人のタイと意気投合。2人でビーニーを開発し、ビジネスは瞬く間に軌道に乗っていく。タイを演じるザック・ガリフィアナキスは彼とはわからない変貌ぶりで、『ハングオーバー!』などで見せてきた飛び道具的な喜劇俳優のイメージを一新。自らプロデュースも兼任する力の入れようで、時の実業家の才気を再現することに成功している。

 タイはひょんなことから知り合ったシングルマザーのシーラ(『サクセッション』を卒業したサラ・スヌーク)に惚れ込み、彼女の幼い子供たちから新商品のインスピレーションを得ていく。タイはまさに子供の心を持った大人。アルバイトで入社したマヤ(利発さがキュートなジェラルディン・ヴィスナワサン)のアドバイスでインターネットを知ると、彼は貪欲にネットを取り入れて、さらなる事業展開にのめり込んでいく。

 クリスティン・ゴアの脚本はビーニー人形そのものの魅力にはほとんど無関心で、この製品が初期段階からなぜ人々の心を捉えたのかは映画を観ていてもよくわからない。主軸は後に社会的成功を収める3人の女性が、幼児性の高い成人男性タイによって搾取されていたという構造の看破であり、それは多くの見過ごされてきた女性へのリスペクトかもしれないが、男女の二項対立に物語を収束させたことで『AIR』『テトリス』のような批評性を獲得するには至らなかった。商機を見誤らなかった人々を描きながら、Me too映画としては随分出遅れた仕上がりなのだ。

 ところで終幕にはポケモンについての言及もあり、転売を見込んだ市場原理については大変わかりやすく解説された映画でもある。僕も近年のガンプラが入手しにくいメカニズムについて大いに納得がいった。まったく!


『ビーニー・バブル』23・米
監督 クリスティン・ゴア、ダミアン・クーラッシュJr.
出演 ザック・ガリフィアナキス、エリザベス・バンクス、サラ・スヌーク、ジェラルディン・ヴィスナワサン
※AppleTV+で配信中※
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ピーター・パン&ウェンディ』

2023-06-05 | 映画レビュー(ひ)

 デヴィッド・ロウリーが再びディズニー映画に還ってきた。2016年に1977年のディズニー実写(+アニメーション)映画のリメイク『ピートと秘密の友達』を監督。ファミリー映画の公約数を守りながらオールドクラシックのスタイルを貫き通した手腕が評価され、後に出演のロバート・レッドフォードからは引退作『さらば愛しきアウトロー』のメガホンを託される事になる。テレンス・マリックに師事し、レッドフォードから後継者として認められた、いわばアメリカ映画の正当継承者であり、70年代のニューシネマを想起させる作風は初期作『セインツ 約束の果て』から一貫していた。今回、ディズニーからビッグバジェットを受け取った彼は、スタッフ・キャストを引き連れてカナダの荒野ニューファンドランド島へと渡り、『ピーター・パン&ウェンディ』を何とテレンス・マリック風に撮り上げている。永遠の子供でいることを約束された場所ネバーランドにはレンズフレアの日輪がきらめき、マジックアワーの陽光が草原を照らす。今やトレードマークと言える瞬時に時間を跳躍する力技も健在。美術は深々とした天鵞絨で統一され、私たちはその美しさにため息を洩らす。劇場公開なしのディズニープラス限定作だが、会員を呼び込むためにはあまりに作家性が突出している。

 そしてここには『グリーン・ナイト』と同様、古典を現代に読み直すロウリーの機知がある。民間伝承に材を取った『グリーン・ナイト』ではマチズモ的な英雄譚をトキシックマスキュリニティの解体へと読み変え、それはあたかも伝承自体が持ち得ていたアイロニーのようだった。『ピーター・パン&ウェンディ』はウェンディが原作以上に大人になること=未来への肯定感に満ちている一方、永遠に歳を取らないピーター・パンに不気味さが漂う(ピーター役にイマイチ魅力に乏しい子役アレクサンダー・モロニーが起用されているのも意図があってのことだろう)。ジュード・ロウが映画のグレードを1つも2つも上げているフック船長はかつてピーターとネバーランドで共に過ごした少年であり、母を恋しがって外海へ出たことで歳を取り行き場を失ってしまった。ウェンディにとってネバーランドとは一夜限りの夢であり、ピーターにとっては永遠の遊び相手フック船長がいなければ居続けることはできない場所だ。『ピーター・パン&ウェンディ』では必ずしも“子供で居続けること”が称揚されていない。

 デヴィッド・ロウリー版にあわせて1953年のディズニークラシックを初鑑賞した。永遠に子供のまま歳月を重ねているピーター・パンはやはりちょっと怖い。ウェンディの解釈がそう大きく変わっていない一方、ロウリー版でカラー・ブラインド・キャスティングが行われたティンカー・ベルは、ディズニークラシックのベティ・ブーブ的なセクシャルさがオミットされている事に気付いた。フック船長とワニのスラップスティックな笑いは今見ても十分に楽しく、その献身さにいったいどういう関係かと疑問を抱かずにはいられないスミーは、ロウリー版でフック船長の育ての親とされていた。これを機会に2本を見比べてみるのも面白いだろう。


『ピーター・パン&ウェンディ』23・米
監督 デヴィッド・ロウリー
出演 エヴァー・アンダーソン、アレクサンダー・モロニー、ヤラ・シャヒディ、ジュード・ロウ
※ディズニープラスで独占配信中※
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ピンク・クラウド』

2023-01-10 | 映画レビュー(ひ)
 映画作家が世に出るには然るべきタイミングがある。突如、世界中に現れた謎のピンク雲によって人々がロックダウンに追いやられる様を描いた本作は、これが長編初監督となるイウリ・ジェルバーゼ監督が2017年に脚本を執筆し、2019年に撮影が行われた。そして編集作業が行われている2020年にパンデミックは起きたのである。『ピンク・クラウド』はコロナ禍を批評した最初の映画と言えるかも知れない。

 とある男女がマンションの屋上で気だるいひと時を過ごしていると、街中に警報が響き渡る。どこからともなく漂ってきたピンク色の雲はどうやら人体に有害な毒を持っているらしく、人は外気に触れると10秒で死に至ってしまう。男ヤーゴと女ジョヴァナは一夜を共にしたに過ぎない行きずりの関係で、成り行きからのロックダウン生活は他人同然だ。ジョヴァナには遊びに行った先で帰れなくなってしまった妹がいて、ヤーゴにはヘルパーの付いた老父がいる。ジョヴァナはWEBデザイナーらしく仕事には困らないが、マッサージ師のヤーゴには先が見えロックダウン生活は金銭の不安も募る。宅配は機能している様子で、どうやら食料や日用品の心配はなさそうだ。ジェルバーゼ監督はルイス・ブニュエルの『皆殺しの天使』に影響を受けたと言うが、『ピンク・クラウド』のディテールは今や不条理ではなく、全てが現実に起こったリアルである。

 中でもヤーゴとジョヴァナを困らせるのが性欲だ。初めこそワンナイトスタンドの関係でも、共同生活となれば一線は引く。どうにも持て余したジョヴァナが遠い窓の向こうに見える男とヴァーチャルセックスをする場面は、まるで『ドーン・オブ・ザ・デッド』のコロナ禍版だ。『ピンク・クラウド』の最も的を得た批評は人間の抜き差しならない性欲であり、コロナ禍を経て梅毒が蔓延しているというロックダウンなき本邦に生きる者としては何とも腑に落ちたのである。


『ピンク・クラウド』20・ブラジル
監督 イウリ・ジェルバーゼ
出演 ヘナタ・ジ・エリス、エドゥアルド・メンドンサ
2023年1月27日より新宿シネマカリテほか劇場公開
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『秘密の森の、その向こう』

2022-11-07 | 映画レビュー(ひ)

 セリーヌ・シアマは物語を醸成させるために音で空間を閉ざす。彼女を一躍世界的な映画作家へと押し上げた前作『燃ゆる女の肖像』では画家とそのモデルが波音に閉ざされた孤島で濃密な時間を築き上げた。今回は風と葉音がざわめく森の中で8歳のヒロインが8歳の母親と出会う。シアマの映画に登場する子供たちはいつだってその目線の低さから大人には見えない世界の全てを見通している。主人公ネリーは誰から告げられることもなく、この不思議な森の仕組みと8歳の母親と出会った必然を理解しており、演じるジョセフィーヌとガブリエルのサンス姉妹は完全に映画を理解しているように見える

 祖母が亡くなり、その遺品を整理すべくネリーは森の近くにある祖母の家にやって来る。一人娘だった母は気落ちし、程なくして姿を消す。父は事態を受け止めつつ、彼女には時間が必要であり、自分には立ち入れない領域があることを理解している。『スペンサー』でも素晴らしい撮影を見せたクレア・マトンがカメラを手掛け、奇しくも2作は中年女性(母親)の自閉というモチーフで一致したが、それを殊更ドラマに仕立てない距離感がシアマの明晰さである。

 ネリーは森の奥で遊ぶ8歳の頃の母マリオンと出会う。重大な疾患を抱えるマリオンは大きな手術を控えており、祖母を亡くしたネリーとの間に死生観が通う。死を意識し、死を知る事で人間は1つの深みへとシフトする。多くの死があふれたコロナ禍の2年間に死生観を獲得した人はそう少なくないだろう。我が娘から名前で呼ばれた瞬間、母は自分の人生を支えてきたのがネリーだったのだと自覚する。シアマの描く子供たちはいつだって大人の及ばない生命力と可能性に満ちており、彼女の眼差しは脚本作『ぼくの名前はズッキーニ』や2014年の監督作『ガールフッド』から一貫している。

 そして本作はクィア映画である。女の子らしい赤い色の洋服を着ている8歳のマリオンに対し、ネリーは青い上着にズボンという格好で、ごっこ遊びも男役だ。まだ誰も指摘することもなければ本人すら知る由もないアイデンティティの芽生えを描いている所に、セリーヌ・シアマという映画作家の真骨頂がある。


『秘密の森の、その向こう』21・仏
監督 セリーヌ・シアマ
出演 ジョセフィーヌ・サンス、ガブリエル・サンス、ニナ・ミュリス、マルゴ・アバスカル、ステファン・バルペンヌ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする