長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』

2024-07-05 | 映画レビュー(き)

 見渡せば日本国内の映画興行収入ランキングはアニメ作品が大半を占め、わずかな実写作品(ここに洋画が入ってくることはなくなった)も元を辿ればマンガ原作。昨今、“映画”の定義は大きく様変わりした。TV版からのファンが初日に押しかけて爆発的なオープニング記録を作り、配給側も度々の入場者特典でブーストをかけて興収を上積み。“映画”を専門としてきた批評家が迂闊に論じることも叶わない市場構造であり、かつて社会現象を引き起こし、シリーズの人気を不動のものとした1982年作『機動戦士ガンダムⅢめぐりあい宇宙編』の23億円を大きく上回る『SEED FREEDOM』の成功に、筆者はまったくもって理解が及ばない状況である。

 2002年に始まったTVシリーズ『機動戦士ガンダムSEED』、04年の続編『SEED DESTINY』に続く20年ぶりとなる最新作が、世界観やキャラクターのみならず、稚拙な作劇まで損なうことなく保持していることに驚かされた。放映当時“平成世代の新たなファーストガンダム”として大いに人気を博した本シリーズだが、リアルタイムで観ていた当時の少年少女たちは今回の劇場版を正視できるのか?相も変わらず登場人物がテーマや心情をセリフで語り(劇中時間では『DESTINY』から2年しか経過していない)、シーンごとに場所を説明する字幕スーパーが意味もなく現れ続ける。20年の間に1本でもマトモな映像作品を見てきた観客なら、キャラクターが時に押し黙ることで心の内を物語り、編集によってここが何処なのか類察できるはずだ。まるで観客を無能と思い込んでいるかのような演出ぶりや、荒唐無稽なSF考証の数々に「これがハードSF“ガンダム”の名を冠したシリーズなのか?」と我が目を疑ってしまった。観客はただノスタルジーのためだけに劇場に押し寄せたのか?スクリーンにも観客席にも20年という時間の重みと蓄積が皆無なのだ。

 うるさ型の古参ファンを黙らせるために、“ファーストガンダム”からギャン、そして角を付けた赤いズゴックを登場させるのは『SEED』シリーズの常套手段。億面もなく音楽からカット割まで拝借し、過去の遺産を食い潰すその邪悪さは重力に魂を引かれたオールドファンである筆者には耐えられないのである。

 だが、“何でもあり”こそがガンダムではないのか?ほぼ同じ年月でファンダムを築き上げてきた『スター・ウォーズ』がフランチャイズの拡大に失敗し続けている今、それぞれの作品が大きく異なり、駄作もあれば傑作もあるガンダムシリーズの自由さは他に類を見ない(何より全ての作品を無理に観る必要が全くない)。ならば“映画”というアートフォームに属する唯一のガンダム作品が『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』であることをここに記しておきたい。


『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』24・日
監督 福田己津央
出演 保志総一朗、田中理恵、石田彰
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『キャンプ・カレッジ 勇気の先に輝くもの』

2024-01-22 | 映画レビュー(き)
 戦火を逃れ、ウクライナから脱出した少女が同じ境遇の子どもたちと過ごすサマーキャンプの様子を追ったドキュメンタリー。2015年の侵攻時にミラナは母と片足を失って以来、義足をはめ、祖母が母親代わりだ。思春期を迎えた彼女は周囲の人はおろか、祖母にも心を開いておらず、ロッククライミングを前にして泣きじゃくるばかり。なんとか彼女に精神的な1歩を踏み出させようと思案するスタッフ達の多くはイラク帰還兵であり、サマーキャンプは子どもを戦火に巻き込んだ大人たちの贖罪でもある。たった30分の短編ドキュメンタリーだが、マックス・ロウ監督が膨大な時間をかけて取材対象と関係を構築したのは容易に想像ができる。大人たちの杞憂をよそに、並外れた勇気を発揮するミラナと、そして映画になることもない戦火に生きる多くの子どもたちに、私たちは只々頭を垂れるばかりなのである。


『キャンプ・カレッジ 勇気の先に輝くもの』23・米
監督 マックス・ロウ
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『ザ・キラー』(寄稿しました)

2023-11-19 | 映画レビュー(き)
 
 リアルサウンドにデヴィッド・フィンチャー監督の最新作『ザ・キラー』について寄稿しました。パーソナルな前作『マンク』から一転、今回はランニングタイム2時間のジャンル映画。同じくNetflixからリリースされている近作『マインドハンター』を引き合いにして、巨匠のオブセッションに迫ります。ぜひ御一読ください。




『ザ・キラー』23・米
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 マイケル・ファスベンダー、ティルダ・スウィントン
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『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

2023-10-31 | 映画レビュー(き)

 前作『アイリッシュマン』の210分に続いて新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は206分。製作はNetflixからAppleTVへ。ストリーミングプラットフォームの台頭がハリウッドを賑わせて久しいが、今年80歳を迎える巨匠はこの状況に最も適応した映画作家と言っていいだろう。『アイリッシュマン』公開時、3時間を超える上映時間について問われたマーティン・スコセッシは、「みんな週末に3時間も4時間もTVシリーズをビンジウォッチするじゃないか」と答えた。事実、リミテッドシリーズ3〜4話分に相当する最新作はTVシリーズのストーリーテリングに近く、決して長くはない。

 『ギャング・オブ・ニューヨーク』『アイリッシュマン』から連なる、アメリカの成り立ちと暗部を描いた“アンダーワールドUSA”とも言うべき本作において、206分という映画時間は必然だ。時は1920年。先住民族オーセージ族の暮らす土地で石油が発掘され、彼らに莫大な富がもたらされる。一躍、広大な草原は一攫千金を求めた白人たちによるゴールドラッシュに湧き、辺境には町が興り、そこには無法の徒がたむろした。一見、西部劇を期待させるランドスケープの本作だが、原作はFBI創設を描いたデヴィッド・グランによるノンフィクション小説『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」。これをエリック・ロスは犯人側の視点から脚色。当初、事件の究明に当たるテキサスレンジャー役をオファーされていたレオナルド・ディカプリオは、自ら実行犯の1人であるアーネスト役を引き受けた。

 物語は悪党どもがはびこるギャング映画の潮流にありながら、『アイリッシュマン』以上に陰惨であり、無味乾燥に積み上げられる死には映画的誇張がなく、スコセッシはジャンル映画としての快楽を捨て去っている。描かれるのはアメリカという国の成り立ちであり、それは血と暴力の歴史だ。白人社会はオーセージ族に起きたゴールドラッシュと富裕化を分不相応だと断じ、蛮族には財産を管理すべき後見人が必要だとシステムを構築していく。一時は世界で最も裕福な部族(全盛期を再現した衣装、美術は本作の大きな見どころの1つだ)と呼ばれた彼らは、自らの金を自由に使うことすら適わなかったのだ。

 そんな彼らの社会に笑顔で侵入していったのがロバート・デ・ニーロ扮するウィリアム・ヘイルである。地域に学校や病院を建てた慈善家として信頼を勝ち得る一方、オーセージ族との婚姻、縁故関係によって資産を簒奪する巧妙な手口を考案。自らの手は一切汚すことなくオーセージ族を次々と殺害し、その財産を搾取していく。3時間では語りきれないほど我慢強く悪辣な手口と、迫害の歴史。デ・ニーロはキャリア史上最凶とも言える外道を演じ、再びスコセッシと共に伝説を打ち立てた。ディカプリオは前述の献身的なキャスティング劇といい、ヘイルの下で悪事に手を染める甥っ子アーネスト役で性格俳優として本領を発揮。理知的な女性をたらしこむ“可愛げ”を持ちながら、権力に追従した愚鈍な白人男性像を引き受けている。そんな2人の間で毅然と屹立するリリー・グラッドストーンは本作の宝だ。2016年のケリー・ライカート監督作『ライフ・ゴーズ・オン』で注目された彼女は、ブラックフィートとニミプーの血を引く。グラッドストーンの知性と優雅さ、厳粛さは来るオスカーレースで大いに話題となるだろう。

 劇中、自分たちの命が脅かされていることを目の当たりにしたオーセージ族は、口々に「タルサのようだ」と言う。1921年、黒人たちによって大いに栄えた町タルサは、それを妬んだ白人たちによって焼き払われ(空爆まで行われたという)、多くの命が奪われた虐殺の詳細は近年になるまで明るみとなる事はなかった。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』はこの事件に材を得たHBOのTVシリーズ『ウォッチメン』『ラヴクラフトカントリー』ら近年の重要作をも繋ぎ、白人たちの構築した悪しきシステムの姿を暴き出すのである。スコセッシ自らが弾圧の歴史を語り、頭を垂れるラストシーンは近年、『ブラック・クランズマン』『ザ・ファイブ・ブラッズ』など、さらなる熱量で黒人史と現在を説くスパイク・リーを彷彿。巨匠は老いてなお“現在”(いま)の映画を創り続けているのだ。


『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』23・米
監督 マーティン・スコセッシ
出演 レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロ、リリー・グラッドストーン、ジェシー・プレモンス、ジョン・リスゴー、ブレンダン・フレイザー、スコット・シェパード
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『君たちはどう生きるか』

2023-08-07 | 映画レビュー(き)

 加齢による作風の変遷について批評が欠如した市場では、82歳の巨匠の新作に80〜90年代の代表作を引き合いに出して酷評するのも無理はないかと嘆息してしまう。年齢や制作期間から考えておそらく最後の長編作品になるであろう新作『君たちはどう生きるか』の“君”に、ネット上で侃々諤々する私たち大人は少なくとも含まれていない。古塔であらゆる時と場所を司る老人は、後に第二次大戦の惨禍を迎える少年、眞人に向かって自分の後を継ぎ、世界の善なるバランスを託したいと語りかける。束の間、往時の宮崎映画の饒舌さを思い起こさせるこの老人が巨匠の投影であることは明らかだが、眞人はこれを拒んで自分の元居た1942年の日本へ戻ることを選ぶ。真の可能性とは老人の作り上げたシステムの外にこそある。

 宮崎駿はとうの昔に語るべきことを語り終えた作家だった。自然と人間の関係を活劇に昇華してきた御大は『もののけ姫』以後、語るべき物語を持たず、『千と千尋の神隠し』以後はいずれもストーリーテリングを放棄して、よりアニメーションの原初的な歓びに筆圧を強め、それは口さがない大人ではなく未来を生きる幼い子どもたちに向けられていた。『インセプション』の夢の階層の如く連続する『君たちはどう生きるか』の不条理さに大人は頭を抱えるところだが、抗し難いアニメーションの魔力に子供はわけもわからず吸い込まれてしまうだろう。

 往時の過剰なまでの熱量はなく、映画には静謐なテンションが張り詰め、明確なメロディラインを持たない久石譲と共に宮崎は82歳現在の新境地に到達している。巻頭、火災に見舞われた病院へ向かって眞人が群衆の間を突き抜けていく描線には、盟友高畑勲の『かぐや姫の物語』を彷彿。ジブリのトレードマークでもあった緻密な背景描写も実に淡白になっているが、代わって水彩画のような美しさを獲得している。

 『ハウルの動く城』から自身の老いを意識したかのような愛嬌ある老婆の造形は今回も楽しい一方、妙齢の女性に対するエロティシズムにギョッとさせられた。田舎へ疎開した眞人少年は、亡くなった母親そっくりの女性・夏子と出会う。夏子はおもむろに眞人の手を自身の下腹部に当てると、そこに弟か妹がいることを打ち明ける。初対面の女性に腕を掴まれ、身体に触れさせられる少年の戸惑いをこうも生理的に表現できるのか。後半、産屋で夏子が見せる狼狽の顔といい、『紅の豚』のジーナのような類型的造形とは全く異なる、実に生々しく性的なニュアンスに巨匠の非凡さを感じた。長年、ロリコンと揶揄されてきた御大だが、いわゆる“ジブリヒロイン”の原型が自身の母親であると明かされたのは衝撃と言う他ない(本作は吉野源三郎の同名小説からタイトルを得ているものの、ほぼ宮崎のオリジナル脚本である)。

 タイトル以外、全ての情報が伏せられていた本作はエンドロールで声優陣も初めて知らされる事となった。若手であるほど宮崎作品へのリスペクトが勝ったのか、高度な“ジブリ風ボイスアクト”をしている印象だが、夏子役の木村佳乃、父親役の木村拓哉ら年長の俳優の献身が耳に心地よかったことを特筆しておきたい。

 『君たちはどう生きるか』は尽きることのない奔放なイマジネーションと、老いてなお変容し続ける作家性が収められた、偉大なフィルモグラフィーに相応しい新作である。願わくば映画館の暗黒に身を沈め、耳を澄まし、息を潜め、酩酊する貴重な体験をぜひとも逃さないでもらいたい。


『君たちはどう生きるか』23・日
監督 宮崎駿
出演 山時聡真、菅田将暉、柴咲コウ、あいみょん、木村佳乃、木村拓哉
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