長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『約束の宇宙』

2021-06-13 | 映画レビュー(や)

 エヴァ・グリーンほど正確な解釈をされていない女優も珍しい。2003年、5月革命のパリを舞台にしたベルナルド・ベルトルッチ監督作『ドリーマーズ』でデビューした”フランス女優”だが、すぐさまリドリー・スコットの目に止まり『キングダム・オブ・ヘブン』で2005年にハリウッド進出。翌年にはダニエル・クレイグの記念すべき007デビュー作『カジノ・ロワイヤル』でボンドガールを務め、国際スター女優としての地位を確立する。その後の出演作のほとんどがアメリカ映画、英語圏作品であり、近年これほど国外でブレイクしたフランス女優も珍しいのではないか。同時期に5歳年上のマリオン・コティヤールもハリウッド進出しているが、彼女がブレイクしたオスカー受賞作『エディット・ピアフ』はあくまでヨーロッパ資本の”フランス映画”である。

 同世代のハリウッド女優にはマネできないヨーロピアンな美貌と妖艶さは一連のティム・バートン作品や、『300/帝国の逆襲』『シン・シティ/復讐の女神』といったフランク・ミラー原作のコミック映画とも相性が良く、おまけに『ライラの冒険』『ダーク・シャドウ』といった魔女役も相次いで、”魔性の女=強い女”というイメージが定着していったように思う。『カジノ・ロワイヤル』では「あなたのエゴが大きすぎて同じエレベーターには乗れない」と言い放ち、ダニエル=ボンドを歴代で最も女嫌いの007にするトラウマを残した。

 だが常々見惚れてきた身として断言するが、エヴァ・グリーンの魅力はそれだけではない。シャワールームで震えながら1枚も脱がずにジェームズ・ボンドと愛を交わしたあの場面こそダニエル=ボンドがその後、どのボンドガールにも本気にならない理由だろう。『汚れなき情事』で女生徒の憧れである教師”ミスG”をさっそうと演じたエヴァが、実は1人で表も歩けない事が明らかになるあの衝撃と哀しさ。等身大の繊細さこそ彼女の本質であり、それを早くも見抜いていたリドリー・スコットは真の傑作である194分のディレクターズ・カット版『キングダム・オブ・ヘブン』で難病の我が子の将来を憂い、自ら手にかけるエヴァ・グリーンに多くの時間を与えている。そう、ここでも我が子と葛藤する母親役だった。

 『約束の宇宙』の監督アリス・ウィンクールはエヴァのアイライン1つ取ってもアメリカの男性監督とは解釈が異なることがよくわかる(ヨーロッパの映画人にとってエヴァ・グリーンは往年の女優マルレーヌ・ジョベールの娘であり、マリカ・グリーンの姪でもある)。
 本作の主人公サラは宇宙飛行士。念願叶って国際宇宙ステーションでの勤務が決まるが、それは幼い娘を地球へ残した”単身赴任”でもある。映画は彼女を殊更ヒロイックに描くことはせず、過酷な訓練と子育てに追われる日々を丹念に追っていく。サラは”女だから”とナメられまいと人一倍の努力で全ての問題に立ち向かっていく。アイシャドウを落とし、等身大のキャラクターを演じるエヴァ・グリーンのナチュラルな美しさが際立つ。それは前述の代表作から連なる強く、しなやかな繊細さだ。

 終幕、娘の眼前を野生馬の群れが駆け抜けていく。本作が長編監督デビューとなるウィンクールが注目されたのは脚本を務めた2015年のフランス、トルコ合作『裸足の季節』だ。トルコの因習によって10代で見合い結婚をさせられる少女達の反抗を描いたこの映画の原題は”Mustang”であった。『約束の宇宙』は制約という重力を突破した母親から娘へと視点が転換し、物語が終わる。母というロールモデルを得た娘には、今や1人で野を駆ける力が備わっているのだ。そんな物語からの退場にもエヴァ・グリーンの成熟が感じられた。


『約束の宇宙』19・仏、独
監督 アリス・ウィンクール
出演 エヴァ・グリーン、マット・ディロン、サンドラ・フラー
 
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『闇のあとの光』

2018-05-14 | 映画レビュー(や)

メキシコ人監督カルロス・レイガダスのカンヌ映画祭監督賞受賞作。
近年、非英語圏の作家達がカンヌはじめ国際映画祭で紹介される場面が増えてきたが、驚かされるのはアメリカ映画ともヨーロッパ映画とも異なるその独特の映画話法だ。1:1の画面比、カメラの中央だけピントを合わせた万華鏡のような映像、文脈を読み取りづらい緩やかな語り口、そして現実と非現実が地続きになるマジックリアリズムの蠱惑…。一組の夫婦を通して人生には神と悪魔が潜むのだと語るそれは、メキシコの風土ゆえに生まれたのかも知れない。

大草原の美しいマジックアワーを撮らえた映像から映画は始まる。そこで暮らす一組の夫婦はまるでこの世の最後の男と女かのように無垢で、慎ましい生活を送っている。ある夜、彼らが寝静まった家に赤く光る悪魔がやってきた。悪魔は片手に工具を持ち、ひっそりと寝室へ入っていく…。

それをきっかけに夫婦関係に歪みが生じる。愛が冷めたのか。とある乱交パーティに参加し、新たなエクスタシーを得ようとする2人。異常でアブノーマルなシチェーションを見つめるカメラは特異な緊迫感を放つ。やがて家族をある不幸が襲う…。

 悪魔が忍び込んだ事で夫婦のイノセンスが喪失し、幸福な時間は終わりを迎えてしまったのか。神と悪魔の存在を西欧文化とは違う感覚で捉えた、未開の言語を垣間見せてくれる映画だ。


『闇のあとの光』12・メキシコ
監督 カルロス・レイガダス
 
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『ヤング・アダルト・ニューヨーク』

2017-12-12 | 映画レビュー(や)
ノア・バームバック監督の2014年作では再びベン・スティラーが人生の路頭に迷う。
40代も半ば、かつてはドキュメンタリー作家として脚光を浴びた事もあったが、もう8年も新作を出せていない。撮影中の素材は数百時間に及び、編集作業は迷走している。ナオミ・ワッツ扮する妻とは仲睦まじい生活だが、子宝には恵まれなかった。最近、人の親となってしまった親友との付き合いは何だか煩わしい。そんな折、彼を慕う若い映像作家夫婦と知り合ったスティラーはなんだか生活にハリが出てきて…。

寡作の作家ゆえか、バームバックの“売れない”描写は痛々しい。
生半可に成功したせいか、拗らせると意固地が過ぎてしまう。触発されて若ぶってはみたが、若者だけが持つ野心のエネルギーには到底かなうハズがない。背伸びしようが若ぶろうが、人並みにしか歳は取れないのだ。

そんな中年男の悲哀を面白おかしく見せられるのはベン・スティラーという素晴らしい喜劇俳優がいてこそだ。バームバックの分身であるスティラーが困れば困るほど可笑しい。不格好だがひたむきにローラーブレードで爆走するシーンは本作のハイライトだ。

方やアダム・ドライヴァーも大したもので、野心的で合理的な若者をマイペースに演じて場をさらう。屈託のない愛されキャラかと思えば底知れない計算高さが見え隠れし、まさにオヤジから見たコワイ若者像なのである。

 この映画の独特の面白さはスティラーが劇中で製作するドキュメンタリー映画を通じて“映画とは何か?”と自問する重層構造にある。新境地となった前作
『フランシス・ハ』を通過してバームバックはマンブルコア映画的なリアリズムと、作劇されたドラマツルギーの境目を模索していったように見える。


『ヤング・アダルト・ニューヨーク』14・米
監督 ノア・バームバック
出演 ベン・スティラー、アダム・ドライヴァー、ナオミ・ワッツ、アマンダ・セイフライド
 
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