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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』

2025-02-25 | 映画レビュー(の)
 アカデミー賞でもとりわけ政治的主張を帯びやすいのが長編ドキュメンタリー部門である。ロシアによるウクライナ侵攻が続くここ2年の受賞作だけを見ても『ナワリヌイ』『マリウポリの20日間』が続き、今年はどうやら本作に決まりそうだ。ヨルダン川西岸の村マサーフェル・ヤッタに暮らすバーセルと、イスラエルからやってきたユヴァル。2人の青年が2019年よりエスカレートする侵略の様子を収めた迫真のドキュメンタリーだ。

 1967年の第三次中東戦争以後、イスラエルは着々と領土を拡大した。1993年にオスロ合意が締結されるも、イスラエル入植者たちは一方的にパレスチナの人々を追い出し続ける(憎しみに満ちた入植者たちが、パレスチナ人に対する暴力装置として機能している様にゾッとさせられる)。岩山だらけのマサーフェル・ヤッタに現れたイスラエル軍の言い分は軍事練習場建設のためというが、それが方便なのは村人にとって明らかなことだ。イスラエル軍は重機を乗り入れると有無を言わさず住民の家屋を取り壊していく。長きに渡って闘い続けてきたパレスチナの人々はへこたれない。家を破壊されれば夜通しで建て直す。

 『ノー・アザー・ランド』は非道な行いを至近距離から撮影するだけでなく、ここに暮らす人々に顔と言葉を与え、私たちが上辺だけの数字や言葉しか見ていない現実を突きつける。マサーフェル・ヤッタの人々は軍に押し入られようと翌朝には減らず口を叩いて笑い、家屋の再建に尽力するユヴァルをからかいながらも手を携え合う。明日は何処とも知れぬ状況を生きるバーセルとユヴァルの目付きは険しいが、境遇は違えど同じ年頃の彼らに通い合うものは多く、極限状況下の青春ドラマでもある。

 映画は2023年のガザ侵攻を目前に終わる。緊迫の度合いを深める情勢に人々の目からは活力が失せ、絶望の色を濃くしていく。この映画に記録された彼らがその後、いったいどんな運命を辿ったのか想いを馳せずにはいられなかった。


『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』24・ノルウェー、パレスチナ
監督 バーセル・アドラー、ユバル・アブラハーム、ハムダーン・バラール、ラヘル・ショール
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『ノーウェア』

2024-11-23 | 映画レビュー(の)

 1990年代“ニュー・クィア・シネマ”を牽引したグレッグ・アラキ監督の代表作。97年のビビッドな表現は性的な多様性が広く認知され始めた今日見ても、目の覚めるようなインパクトがある。巻頭、まるで4次元空間のように拡がるシャワールームや(主人公ダークはここで同級生の男子を思いながらマスターベーションしている)、壁一面にデザインアートが施された自室など、まるでロサンゼルスの陽光を浴びたペドロ・アルモドバルのような美術センスに面食らう。若者たちは性差に囚われることなく、互いを呑み込むようにキスとセックスを繰り返し、全編に渡って映画は祝祭的だ。

 しかし、ダークの眼の前に人類をアブダクトする宇宙人の姿が垣間見え、同級生の少女は理不尽な暴力に見舞われる。無事に大人になることもままならない死と隣り合わせの青春は、エイズ禍を生きたアラキの実感そのものだろう。一見、素っ頓狂にも思えるクライマックスは、自分を満たしてくれる愛が地球の何処にもないと嘆く青春の孤独であり、今なお観る者の心を切なく震わすのだ。


『ノーウェア』97・米
監督 グレッグ・アラキ
出演 ジェームズ・デュバル、レイチェル・トゥルー、ネイザン・ベクストン、キアラ・マストロヤンニ、デビ・メイザー、キャスリーン・ロバートソン、ジョーダン・ラッド、ヘザー・グラハム、ライアン・フィリップ、ミーナ・スヴァーリ
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『ノースマン 導かれし復讐者』

2023-04-08 | 映画レビュー(の)

 オレ達はヴァルハラに召される途上で、夢か幻でも見ているのか?志のないアメコミ映画TVゲームのような3D映画、長たらしいだけの娯楽映画でスクリーンが占有される昨今、『ノースマン』はハリウッドにも野蛮で野心的な奴らがいることを思い出させてくれる奇跡のような映画だ。A24で2本のホラー映画(『ウィッチ』『ライトハウス』)を撮ったに過ぎない俊英ロバート・エガース監督は、オールスターキャストが揃った初のメジャー大作でも臆することなくその異才を発揮している。あぁ、オレはもうヴァルハラに召されたのか!?

 ヴァルハラは映画館のスクリーンにこそ現出する。未だ神話の名残がある北欧の大地を撮らえたシネマトグラフィーは粘り強いロングショットで眼を見張るようなアクションを実現し、『ゲーム・オブ・スローンズ』ですら逃げ出すバイオレンスにオレ達は只々呆気に取られるばかりである。エガースの耳の良い音響演出は過去2作でも観客の狼狽えさせたが、アートハウスからメインストリームへと格が上がれば当然、スペックの良い音響設備が呪術のように観客の脳髄を揺さぶる。エガースはわかり易さにも生易しさにも目をくれず、しかし物語は至ってシンプルな復讐譚、シェイクスピア調の正統派(『ハムレット』よろしくモノローグも多く、これを違和感なく演れてしまうアレクサンダー・スカルスガルドに惚れ惚れしてしまう)。それでいて古典的なプロットラインにはトキシックマスキュリニティを解体する現代的な語り直しも含まれ、やはり口頭伝承から材を得ているデヴィッド・ロウリーの『グリーン・ナイト』と静かに共鳴し合っている。

 エガースの元に集結したオールスターキャストはいずれもハリウッドの恐れ知らずばかりだ。イーサン・ホーク(しわがれ声に味が出てきた)もニコール・キッドマンもキャリアの初期から今に至るまでメインストリームとアートハウスを横断し、才能に磨きをかけてきた名優。エガースの前作『ライトハウス』に続いて出演するウィレム・デフォーがこの異才を手放すわけもなく、そしてほとんど常軌を逸したかのような主演アレクサンダー・スカルスガルドは時折、ダニエル・デイ=ルイスをも思わせる猛々しさでエガースの異能に応えてみせた。日本では『アムステルダム』『ザ・メニュー』と続いて4ヶ月間で3本目の出演作となったアニャ・テイラー・ジョイは、天下を取った今も出世作の監督エガースの元でオルタナティヴな輝きを見せ、これまでのどの若手女優とも異なる存在であることを改めて印象付けた。

 『ノースマン』は観客の足がすくむような獰猛さだが、ここには真のアーティスト達による果敢な挑戦があり、禍々しくも美しい映画だ。こんな映画がまだ出てくるのだから、ひょっとするとハリウッドにはまだ信じるべきヴァルハラが遺されているのかも知れない。


『ノースマン 導かれし復讐者』22・米
監督 ロバート・エガース
出演 アレクサンダー・スカルスガルド、アニャ・テイラー・ジョイ、ニコール・キッドマン、クレス・バング、イーサン・ホーク、ウィレム・デフォー、ビョーク
 
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『ノベンバー』

2023-02-17 | 映画レビュー(の)

 生き物とも機械ともつかない三足歩行の物体が牛をさらい、空に舞い上がる冒頭部から『ノベンバー』はライナル・サルネット監督の自由奔放なイメージが満載の1本だ。マルト・タニエルの美しいモノクロームを得たこの映画は、私達をファニーでグロテスクなエストニアの寒村に誘ってくれる。ここでは厳しい冬を前にして人々が互いの物を掠め盗りながら生きている。冒頭で牛をさらった魔導器具は“クラット”と呼ばれる使い魔で、人々は悪魔と魂を引き換えにして農耕具に命を与え、家事を手伝わせているのだ(クラットはやることがなくなると「仕事をくれ」と唾を吐く)。

 死者の日にはご先祖様があの世から還ってきて、サウナに入る。村にはドイツから公爵とその美しい娘がやってきて、青年ハンスは彼女に恋をする。彼は森の十字路で悪魔と契約すると、雪だるまをクラットに変える。遠い異国から雪となってやってきたこの使い魔は、美しい恋物語を歌う。そんなハンスに恋をするリーナは、なんとか彼の心を得ようと魔女を訪ねて…アンドルス・キヴィラクの原作からエピソードを抽出した本作はドラマツルギーよりも悪夢的で美しいイメージが優先され、映画館の闇に身を沈めてこそ堪能することができるだろう。


『ノベンバー』17・エストニア
監督 ライナル・サルネット
出演 レア・レスト、ヨルゲン・リーク、イエッテ・ローナ・エルマニス、アルヴォ・クマナギ、ディーター・ラーザー
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『NOPE ノープ』

2022-09-24 | 映画レビュー(の)

 まったく、いったいどうやったらこんな奇妙な映画が作れるんだ!
『ゲット・アウト』『アス』と唯一無二の独創的なホラー映画を撮り続けてきた異才ジョーダン・ピール監督の第3弾は、彼のトレードマークである人種差別や格差問題という社会的イシューはやや控え目に、劇場へ観客を呼び戻すべくスペクタクルこそを本懐とするSFホラーだ。

 ハリウッド郊外の砂漠地帯で撮影用のスタント馬を専門に調教しているヘイウッド牧場。主人公OJはここを父と2人で切り盛りしている。ところがある晴れた昼下がり、父は馬の上からガクリと崩れ落ちた。“飛行機事故”によって上空から降り注いだ金属片の1つが顔面を貫いたのだ。父を殺したのはコインで、またがっていた馬には鍵が突き刺さっていた。以来、相次ぐ怪異にOJは確信する。この上空に何かがいる。

 『ゲット・アウト』でアカデミー主演男優賞にノミネートされ、ジョーダン・ピールと共に第一線へと躍り出たダニエル・カルーヤがOJに扮する。このわずか5年でアカデミー助演男優賞にも輝き(『ユダ&ブラックメシア』、すっかりスターとしての貫禄を身に付けていることに驚いた。カルーヤは『ゲット・アウト』でも“白人のガールフレンドを持つインテリジェンスな黒人青年”という、白人映画があまり表象してこなかった黒人像を演じてきたが、ここでも寡黙で口下手、しかし仕事に対する確固たるプリンシプルを持ったカウボーイに扮しており、ピールとの共犯関係によって映画における黒人のリプレゼンテーションを試みていることが伺える。もちろんユーモアも抜群で、中盤の最も恐ろしい場面で発せられる“NOPE”にはそりゃコレしか言えんよなと思わず笑い声が出てしまった。そんなカルーヤとピールのコラボレートによって生まれたカウボーイ(調教師)というキャラクターだからこそ、上空の未確認飛行物体の正体に気づき、それを御することができると信じるのである。

 この未確認飛行物体を“見上げる”という行為を通じて、人種とキャラクターの勾配関係を描いているのがピールならではだ。それを象徴するのが冒頭と中盤に挿入されるシットコム『ゴーディ、家に帰る』の撮影現場で起こった凄惨な事件である。「白人一家で共に育ってきたチンパンジー」という設定のゴーディが突如暴れだし、出演者を襲い始める。“猿”が黒人を揶揄する差別的なメタファーであることは言うまでもなく、白人の作り出した映像メディアによって笑うべき対象として搾取されてきたゴーディがついに怒りを露わにするのだ。唯一人、難を逃れた韓国系移民のジュープ(成人後をスティーヴン・ユアンが演じる)はゴーディを制することができたと思い込んでいるが、アメリカの差別構造で黒人よりもさらに下と見なされ、迫害を受けるのはアジア系だ。それにも関わらず“名誉白人”の如く自身を白人の倫理に近付けるのはここ日本でもよく見られる人種観だろう。愚かなジュープらの悲惨な末路は“絶対にこんな死に方はしたくない”名シーンだ。

 かくして未確認飛行物体の特ダネ映像を収めるべく、OJらの一大作戦が始まる。見られる側だったOJ達が見る=撮る側に転じれば、ここにはジョーダン・ピール流の映画史の再定義がある。劇中、OJの妹エメラルド(目の覚めるようなパフォーマンスのキキ・パーマー)によって“史上初の映画”として紹介されるのは、エドワード・マイブリッジが1870〜80年頃に撮影した馬に騎乗する黒人の連続写真だ。映画史上最初のスターは今や名前も定かではない黒人だったのだ。『NOPE』は後半、“絶対に見てはいけないモノを撮る”ことで“誰も撮ったことがない映画を撮る”という、映画史において排除された黒人たちの逆襲へと転調する。広大な砂漠と空をIMAXカメラが撮らえればいよいよスペクタクル性は増し、本作の影の主役として撮影監督ホイテ・ヴァン・ホイテマの存在感が際立つ。かつて巨大なIMAXカメラで『テネット』の格闘シーンすらも手持ち撮影し、ジョーダン・ピールから「もしも未確認飛行物体を撮るなら何を使う?」と問われた彼はIMAX一択と答えたという。終盤、OJ達に手を貸す伝説の撮影監督ホルスト(年齢を重ね、苦み走った声に味が出たマイケル・ウィンコット)は何とIMAXカメラを持参して、まさにホイテマのペルソナそのものである。本作は劇場で見ることはもちろん、可能であればIMAXシアターの、それも前方での鑑賞をお勧めしたい。『ジョーズ』を観た人が海を怖れたように、『NOPE』を観た人が空を怖がってほしいと言うピールの狙い通り、IMAXの巨大スクリーンを見上げる行為は近年なかった映画的快楽だ。これ程まで”見る”という行為を意識させられる映画も滅多にないだろう。ジョーダン・ピールにしか作れない映画である。


『NOPE』22・米
監督 ジョーダン・ピール
出演 ダニエル・カルーヤ、キキ・パーマー、スティーヴン・ユアン、ブランドン・ペレア、マイケル・ウィンコット
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