長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『西部戦線異状なし』

2023-01-22 | 映画レビュー(せ)

 エーリヒ・マリア・レマルクによる反戦小説の傑作『西部戦線異状なし』の幾度目かの映像化となる本作は、いよいよ舞台となる本国ドイツで製作された決定版とも言うべき力作だ。Netflixからリリースされた本作はすでに全米の各批評家賞を賑わせており、英国アカデミー賞では最多の14部門でノミネート。来るオスカー本番でも期待のかかる今年のダークホースだ。

 ハリウッド製戦争映画にはない静謐な映像美が詩情を高め、いたずらに残酷描写をすることなく戦争の悲惨を訴える。毒ガス、戦車、航空機、火炎放射器…ありとあらゆる近代兵器が投入され、殺戮の効率化が求められた西部戦線の地獄絵図は今なお僕たちが目にする戦火と人類の愚かな残虐性そのものだ。
 何より戦争が破壊したのは人間の心である。主人公ら多くの若者たちは戦争で“一旗揚げる”ことを夢見て自ら志願するが、戦地に着くや過酷な現実にすぐさま心を折られ、中にはそんな現実を直視する間もなく命を落とす者も少なくない(ピーター・ジャクソンの傑作ドキュメンタリー『彼らは生きていた』彼らのメンタリティが詳しく収められている)。命ばかりは取り留めたものの、一生半身不随とわかった兵士が自死する場面は衝撃的だ。

 映画は後方で無謀な指揮を執る司令本部の様子も並行して描いており、人間を駒のように扱う彼らの醜悪さは言うまでもなく、また一方で停戦協定締結のため奔走する使節団が豪奢な特別列車でシェフによる食事を摂る欺瞞も見逃してはならないだろう。ロシアによるウクライナ侵攻から間もなく1年を迎え、そしてこの国が“新しい戦前”に入ろうとする今、『西部戦線異状なし』は単なる古典文学の最映画化には終わらない衝撃を観る者に与え、僕たちはただただ言葉を失うのである。


『西部戦線異状なし』22・独、米
監督 エドワード・ベルガー
出演 フェリックス・カマーラー、アルブレヒト・シュッヘ、アーロン・ヒルマー、モーリッツ・クラウス、エディン・ハサノビッチ
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『聖なる証』

2022-12-05 | 映画レビュー(せ)

 アカデミー外国語映画賞に輝いた『ナチュラルウーマン』『ロニートとエスティ』など女優との濃密なコラボレーションを続けてきた現代の名匠セバスティアン・レリオがフローレンス・ピューと組むと聞いてはNetflixに入り直した人も少なくないだろう。1862年、ジャガイモ飢饉後のアイルランドを舞台にレリオはフローレンス・ピューの類稀な肉体言語を余す所なくカメラに収める事に成功している。

 4ヶ月間、絶食している少女は果たして神の奇跡か?それともペテンか?真偽を暴くべくフローレンス・ピュー演じる看護師のミス・ライトはロンドンからアイルランドの寒村へとやって来る。確固たる信念に取り憑かれた少女は死をも辞さず、彼女の家族も来たるべき運命を受け入れているかのようだ。人里から離れ、荒野にポツンと佇む一軒家はまるで俗世から離れるための解脱の場にも見える。ライトは宿泊先となる町と、彼らの家を何度も往復する。アイルランドの曇天の下、聖と俗という2つの世界を劈くフローレンス・ピューの腰を見てほしい。どちらの世界からも浮き立ってしまうスカイブルーの衣装は彼女唯1人が境界をまたぐ自由意志を持った者の証であり、この異化効果こそかつて『ナチュラルウーマン』でヒロインに立ち塞がる困難を尋常ではな風で表現したレリオの“魔術”である。撮影はやはり青いドレスをまとったフローレンス・ピューを収めた『レディ・マクベス』のアリ・ウェグナーだ。やがて映画は内と外、物語る者と観る者の境界を浮かび上がらせていく。

 冒頭、本作の撮影スタジオと誰とも知れないモノローグから始まる違和感を思い出してほしい。少女は絶食を始めるきっかけとなった“物語”を自らに課すことで救いを見出し、一見彼女を緩やかな死へと導いている家族にもまたその行いを信じる“物語”がある。そして衰弱していくばかりの少女を前にライトもまた自らに“物語”を作り、少女に新たな“物語”を与えることで救われていく。正しさだけではこの映画の描く“物語”という名の信仰が持つ聖性を理解することはできないだろう。物語(=映画)は人を救い、しかし時にそれを信じるばかりに人は傷つくかもしれない。原作は監禁生活をたった1つの宇宙と子供に語りかける母親を描いた『ルーム』のエマ・ドナヒューだ。

 メインストリームとアートハウスという境界をも軽々と横断するフローレンス・ピューが素晴らしいのはもちろんのこと、絶食する少女アナを演じるキーラ・ロード・キャシディ(母親役エレイン・キャシディの実子)の取り憑かれたような演技がピューに拮抗する事にも目を見張り、マシュー・ハーバートの瞑想的なスコアが映画に神聖なる瞬間をもたらした。Netflix映画、今年ベストの1本である。


『聖なる証』22・英
監督 セバスティアン・レリオ
出演 フローレンス・ピュー、トム・バーク、キーラ・ロード・キャシディ、ニアフ・アルガー、キアラン・ハインズ、トビー・ジョーンズ、エレイン・キャシディ
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『説得』

2022-08-15 | 映画レビュー(せ)

 キャリー・クラックネル監督はいったいどうしてジェーン・オースティンをこんなに間の悪い、辛気臭い映画にしてしまったんだ?オースティン最後の小説『説得』は周囲の説得により結婚を諦めたヒロインが、8年を経て社会的に成功して財産を得た元カレと再びヨリを取り戻すというお馴染みのラブコメディだ。主演にはコスチュームプレイには珍しいダコタ・ジョンソンが迎えられた。ジョンソンはB級ロマンス映画『フィフティ・シェイズ・グレイ』シリーズでブレイクを果たしたが、その本分は意外やルカ・グァダニーノ監督『胸騒ぎのシチリア』『サスペリア』等ヨーロッパ映画にあり、この手の映画にはどうにも水分が多い個性である。『フリーバッグ』よろしく画面のこちら側に話しかけてくる“第4の壁”モノローグがキマるためには、フィービー・ウォーラー・ブリッジ級のキレ味が必要だ。そして彼女を囲んだキャストアンサンブルは活気に乏しく、決して長過ぎはしない1時間47分のランニングタイムは本来の語り口ならあと15分は短くなっただろう。唯一、ナルシストな父親役リチャード・E・グラントが愉快で、彼はこの鈍重な演出を破ろうとアクセルを踏み込む様が伺えるのだが…。Netflixはこんな駄作映画ばかり買い付けているようでは、会員数の増加は見込めるワケもないだろう。


『説得』22・米
監督 キャリー・クラックネル
出演 ダコタ・ジョンソン、コスモ・ジャービス、ヘンリー・ゴールディング、ミア・マッケナ・ブルース、リチャード・E・グラント
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『セバーグ』

2022-03-16 | 映画レビュー(せ)

 1959年のジャン・リュック・ゴダール監督作『勝手にしやがれ』でヌーヴェルヴァーグの寵児となった女優ジーン・セバーグの名を冠する本作は、彼女が1968年にブラックパンサー党と接近し、FBIから執拗なマークを受けた事件が描かれている。セバーグは飛行機内で出会ったブラックパンサー党幹部ハキーム・ジャマルに心酔し、彼の愛人兼党のスポンサーとなる。彼女が人種差別に憤っていることはセリフで描かれるが、アイオワに生まれ、フランスでスターとなった彼女がなぜこれほどまでにブラックパンサー党の活動に傾倒するのか、その真意とルーツに映画は踏み込んでいない。本作だけを観ても背景事情はさっぱりわからないため、サブテキストには同年の出来事を描いた『シカゴ7裁判』『ユダ&ブラックメシア』、そして『サマー・オブ・ソウル』の名前を挙げておきたい

 結果、映画は壊れゆくセバーグのパラノイアスリラーとなった。追い詰められるヒロイン像にクリステン・スチュワートは良く映えるのである。ポストモダン心霊ホラー『パーソナル・ショッパー』という代表作を持つ彼女には、ぜひともこのジャンルに定期的に挑み続けてほしい。臆することなくアイコニックな人物を演じた本作はオスカーノミネート作『スペンサー』の助走とも言えるのではないだろうか。
 その他、アンソニー・マッキー、ヴィンス・ヴォーン、ジャック・オコンネルら豪華キャストが揃う中、小さな役を演じるマーガレット・クアリーに目を見張った。後の代表作『メイドの手帖』でも発揮されていたリアクションの天才をここでも見せており、わずかな出演時間の全てをモノにしている。

 『セバーグ』は伝記映画と呼ぶには描き込みが足りず、近年の黒人映画にも接続し切れていない。劇中では言及されない彼女の悲痛な遺言を添えておこう。「許して下さい。もう私の神経は耐えられません」。1979年、40歳のことであった。


『セバーグ』19・米、英
監督 ベネディクト・アンドリュース
出演 クリステン・スチュワート、ジャック・オコンネル、アンソニー・マッキー、マーガレット・クアリー、コルム・ミーニィ、ザジ・ビーツ、ヴィンス・ヴォーン、イヴァン・アタル、スティーヴン・ルート
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『セイント・モード 狂信』

2021-10-11 | 映画レビュー(せ)

 イギリスの裏寂れた港町。モードは終末医療の現場で、住み込みの看護師として働き始める。患者のアマンダはかつて一斉を風靡したダンサー兼振付家だったが、今は突きつけられた余命を前に享楽的に振る舞うばかりだ。過去の事件以来、盲目的なまでに神を信仰するモードは、アマンダの魂に救済をもたらそうとやがて狂気に陥っていく。

 ローズ・グラス監督の恐るべき長編デビュー作は84分間緩むことなくマスターショットが連続し、陰影の濃い美しい映像には邪悪としか言いようのない空気が充満している。近年、『沈黙』『魂のゆくえ』『名もなき生涯』など信仰の純粋と狂信を描いた作品群が“ポスト福音主義”なるジャンルを形成しており、『セイント・モード』もそれに連なる1作だ。主人公のモードはまだ年端も行かず、純真であり、孤独だが(それに貧困でもある)、神の教えを曲解しているどころか、神に語りかけ続けるモノローグからはそもそも万人への愛など持ち合わせていない事が伺い知れる。

 しかし、そこには信仰心という名の美がある。映画は凄惨を極めるほどにモードの追求する救済を荘厳に描き出していく。“ポスト福音主義”の作品は「神に語りかけたつもりが悪魔と対話していた」というホラーにも転じ、2021年はTVシリーズ『ゼム』『真夜中のミサ』が悪魔につけ込まれる独善の姿を映して本作とも通底した。敬虔な信仰心には常に人を破滅へと導く悪魔も潜んでいるのだ。


『セイント・モード 狂信』19・英
監督 ローズグラス
出演 モーフィッド・クラーク、ジェニファー・イーリー

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