長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ボーはおそれている』

2024-02-13 | 映画レビュー(ほ)

 「お母さんごめんなさい、ごめんなさい!」アリ・アスター監督の『ヘレディタリー』がまさに恐怖の絶頂に達しようとする瞬間、息子は恐ろしい秘密が隠された屋根裏部屋で泣き叫ぶ。監督第3作目『ボーはおそれている』にはこれと全く同じシーンが登場する。いや、『ヘレディタリー』からの引用だけではない。母親との宿縁に疲れた主人公ボーは、まるで『ミッドサマー』のホルガ村のようなコミュニティに漂泊する。『ボーはおそれている』はアリ・アスターの集大成、グレイテストヒッツなのか?いや、彼は『ヘレディタリー』も『ミッドサマー』も家族に起きたパーソナルな出来事を基にしていると言っている。本作を見れば屋根裏部屋も、首のない死体も、母親との呪いとも言うべき関係も、アリ・アスターの具体的な体験から成るモチーフが存在することがわかるだろう。

 アスターは人生に蓄積された呪詛を映画にすることで発散してきたものとばかり思っていたが、彼が抱き続ける恐怖には一向に終わりがなく、『ボーは恐れている』でついに3時間にも膨れ上がってしまった。そんなアスターに同調できる俳優はホアキン・フェニックスをおいて他にいないだろう。大都市の片隅にある薄汚れたビルで暮らすボーは、外に出ることが怖くてこわくて堪らない。外界には世間を賑わす連続通り魔がいて、自分に追いすがる全身タトゥーの浮浪者がいて、路上では自動小銃が売られ、向こうのビルの屋上には今にも飛び降りようとする誰かがいて、道行く人はそれをスマホで撮影している。世界を恐れる男の主観から描かれた前半部は、恐怖と笑いが混在する不条理世界。デヴィッド・リンチやチャーリー・カウフマンを思わせ、緻密な音響設計も含めて、映画館の暗闇に耽溺して見るべき“スペクタクル”でもある。

 両親、兄妹との確執は3時間の上映時間中、何度も反復、増幅されていく。極めつけは母親との関係だ。生まれた瞬間から愛憎関係にあったとも言える2人。母はボーに多大な愛情を注ぐが、支配的とも言える保護はボーの精神を蝕み、それは母のメンタルヘルスに跳ね返るという悪循環に陥っている。『ヘレディタリー』の再演とも言うべき第4幕を見れば、あの映画でトニ・コレットが漏らした「あんたなんか産まなきゃ良かった」の出どころは大いに想像が付くというものだ。

 それにしてもA24はいささか寛容すぎやしないか。母親に応えることができなかったボーの罪悪感を徹底的にこき下ろす最終章は、観客にとって2時間59分の果てにある悪夢としか言いようがない。作家主義、と言うにはあまりに放任すぎるA24の製作体制は本作の興行、批評的失敗により大きく見直しを迫られ、今後はより商業主義的な映画製作も目指すと言われている。ともかく、これでアリ・アスターの呪いは晴れたのか?いいや、彼は生きている限りこの世が怖くて恐くてたまらないのだろう。その恐怖はおそらく、決して晴れることはないのだ。


『ボーはおそれている』23・米
監督 アリ・アスター
出演 ホアキン・フェニックス、スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、エイミー・ライアン、ネイサン・レイン、パティ・ルボーン、パーカー・ポージー
2024年2月16日(金)より全国劇場公開
公式サイト
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『ポトフ 美食家と料理人』

2023-12-29 | 映画レビュー(ほ)

 ベトナム生まれ、フランス育ちの監督トラン・アン・ユンは1993年のデビュー作『青いパパイヤの香り』でカンヌ映画祭カメラ・ドールを受賞すると、続く第2作『シクロ』でいきなりヴェネチア映画祭金獅子賞を獲得する。ベトナムを舞台に輪タク(シクロ)運転手の少年とその美しい姉、“詩人”と呼ばれる聾唖の殺し屋(トニー・レオン!)の関係を描いた映像詩は未だ見ぬ映画言語を感じさせる衝撃作だった。第3作『夏至』を最後にベトナムを離れると、7年のブランクを経て『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』、村上春樹原作『ノルウェイの森』を発表。それから『エタニティ 永遠の花たちへ』を撮るまで再び6年の時間を要す。そして本作『ポトフ』を製作するまでさらに7年の月日が経ち、若き異才トラン・アン・ユンも60歳となった。

 『ポトフ』には7年を要した必然の豊潤さがある。巻頭シークエンスは刮目すべき20分だ。ジュリエット・ビノシュが朝摘みのキャベツを持ち帰ると、調理が始まる。いつの時代かは判然としない。石造りの広々としたキッチンには、窓から田園地方の暖かな光が射し込んでいる。この家の主ブノワ・マジメルが階下に現れると、いよいよ調理は本格化する。手際の良い彼らの工程と、調理の過程に併せて刻々と変化する食材。交わされる言葉は少なく、しかし行われるべきことは全て通じ合っている。映像による動詞と、編集による頭韻、そしてかつてパートナーでもあったビノシュ、マジメルら“人生の秋”を迎えた俳優たちによる行間に劇伴などあるわけもなく、静寂と暗闇の劇場空間でこそ成立する詩的映画芸術である(主人公の2人と対比される“初春”のようなポーリーヌ役ボニー・シャニョー・ラボワールがいい)。

 映画にプロットらしいプロットが生まれ、物語が動き出すのはなんと1時間に至る頃からだ。マジメル演じるドダンは人々に“ナポレオン”と称される美食家。ビノシュ演じるウージェニーはそんな彼と20年に渡って研鑽を積んできた料理人。2人は男女の関係でもある。彼らは志を共にする批評家と芸術家であり、調理の工程の1つ1つは幸福探求そのものだ。ゲストから離れ、互いのためだけに精魂込めた料理を食する2人のなんと美しいことか。

 本作でカンヌ映画祭監督賞を受賞したトラン・アン・ユンだが、彼は再び長きブランクに入るのか?おそらく、そうかも知れない。だが、ドダンの人生に再び光が射し込み始めるラストシーンを見れば、いずれ新たな映画を撮ることは間違いないだろう。芸術と人生の探求に終わりはないのだから。


『ポトフ 美食家と料理人』23・仏
監督 トラン・アン・ユン
出演 ブノワ・マジメル、ジュリエット・ビノシュ、ボニー・シャニョー・ラボワール
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『ボトムス〜最底で最強?な私たち〜』

2023-12-05 | 映画レビュー(ほ)

 日本では配信スルーとなった本作。Prime Videoのキャプションを読んでのけぞった。“イケてない女子高生2人が、高校最後の1年でチアリーダーたちとヤるためにファイト・クラブを始める。そしてそんな彼女たちの奇想天外な計画は成功する!しかし2人は状況をコントロールできるのか?”

 正気か?だが『ボトムス』はホントにあらすじ通りの映画だった!それも劇中、女子高生たちが「デヴィッド・フィンチャー最高」と叫ぶ、『ファイト・クラブ』へのオマージュ満載の学園コメディになっている。プロデューサーには『ピッチ・パーフェクト』『コカイン・ベア』の監督エリザベス・バンクスも名を連ね、ガールフッドの活気にケシカラン笑いが満載。リアリティラインがよくわからんと言う輩はちゃんとフィンチャーの『ファイト・クラブ』を見てから本作にチューニングするように!

 監督エマ・セリグマンと共同で脚本を務めるのは主演のレイチェル・セノット。彼女は今年上半期、大論争を呼んだHBOのTVシリーズ『ジ・アイドル』でとにかく酷い目に遭うマネージャー役に扮し、ファニーな魅力を発揮した新鋭。セノットと並んで主演を務めるのが同じくTVシリーズ『The Bear』(邦題『一流シェフのファミリーレストラン』)のシドニー役で大ブレイクしたアヨ・エデビリ。セノットは見せ場をエデビリに譲る格好でコメディセンスを引き出しており、エデビリは『シアター・キャンプ』なんかよりずっといい。ようやく映画でも代表作を手に入れたと言っていいだろう。

 思い返せば所謂“童貞コメディ”は男性はもちろん、女性版もいくつか作られてきたが、クィアバージョンは初めてではないだろうか。『ボトムス』は若手ホープ2人によるあけっぴろげで、時にハートに迫る痛快作だ。公開当時、“男性のホモソーシャルなマッチョ幻想”と酷評された『ファイト・クラブ』も20余年を経て古典となり、こうしてクィアコメディに借景されるのは感慨深いものがある。もちろん『ボトムス』も最後に全部吹き飛ばして、これからはずっと良くなると思わせてくれるよ!


『ボトムス〜最底で最強?な私たち』23・米
監督 エマ・セリグマン
出演 レイチェル・セノット、アヨ・エデビリ、ニコラス・ガリツィン
 
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『僕らの世界が交わるまで』

2023-11-27 | 映画レビュー(ほ)

 とどまる所を知らない俳優たちによる監督デビューラッシュ。今度は『ソーシャル・ネットワーク』『バツイチ男の大ピンチ!』などの個性派俳優ジェシー・アイゼンバーグが初監督作を発表だ。アイゼンバーグ自らが手掛けた脚本は当初、オーディオドラマとしての製作が予定されていたそうだが、A24やエマ・ストーンがプロデュースに加わることで長編劇映画として公開されるに至った。作家の個人性から映画を作ることの多いA24だが、今回は俳優アイゼンバーグのフィルモグラフィに連なるシニカルな人生洞察コメディとなっている。

 DV被害から逃れた親子を受け入れるシェルターを運営する母エヴリンと、YouTuberの息子ジギー。社会福祉と公共心を重んじる母、自分とフォロワー数にしか興味のない息子では会話が噛み合うはずもなく、その間にいる父親はまるで空気同然の扱いだ。『ストレンジャー・シングス』のフィン・ウルフハード演じるジギーは、wokeな同級生ライラのことが気になるが、ハッキリ言って地球環境にも人種問題にも経済格差にもサッパリだ。エヴリンは新たに保護した女性の子供がジギーと同じ年頃にもかかわらず、思いやりに満ちた青年であることに心打たれる。まったくウチの子ときたら…。

 他人の芝生は青く見え、人生はないものねだりの連続。そんなジレンマに陥った人間の狼狽を演じるジュリアン・ムーアほど可笑しく、哀しいものはない。アイゼンバーグは大女優相手にもしっかり芝居をつけている。ノア・バームバックの『イカとクジラ』で注目され、『カフェ・ソサエティ』などウディ・アレン映画で老齢のアレンに代わって主演し、近作『バツイチ男の大ピンチ!』では40歳の不惑を演じたアイゼンバーグ。そんなフィルモグラフィの持ち主だけに本作は冷ややかで、しかし人生を噛み締めてきた者ならではの慈しみのがあるのだ。


『僕らの世界が交わるまで』22・米
監督 ジェシー・アイゼンバーグ
出演 ジュリアン・ムーア、フィン・ウルフハード、アリーシャ・ポー
2024年1月19日よりTOHOシネマズ他、全国公開
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『ボイリング・ポイント/沸騰』

2023-08-09 | 映画レビュー(ほ)

 目も眩むような忙しさに飛び交う罵声と怒号。そして垂涎ものの料理の数々…いわゆる“厨房モノ”の定番演出を私たちはまるで戦争映画を見るかのように愛してきたワケだが、躍動するカメラと矢継ぎ早の編集が生み出してきた快楽の裏には想像を絶するパワハラがあり、近年ではTVシリーズ『The Bear』や映画『ザ・メニュー』がその実態を解き明かしてきた。ロンドンの高級料理店のディナータイムを90分間ワンショットで撮った『ボイリング・ポイント』は、先達に劣らず神経衰弱ぎりぎりのストレスフルな職場だ。羊の焼き具合もわからないカスハラな客に、自分勝手でマイペースなホール係、現場をかき乱すだけのオーナーの娘、意思伝達の不行き届き…“沸騰”というタイトルとは対照的に、映画のテンションは暗く冷たく、ロングテイクが必ずしも映画の魅力に寄与しているとは思えない。映画に楽しさを求める観客の口には合わないが、レストラン業界の様相を垣間見ることのできる1本ではある。


『ボイリング・ポイント/沸騰』21・英
監督 フィリップ・バランティーニ
出演 スティーブン・グレアム、ジェイソン・フレミング、レイ・パシサキ、ハンナ・ウォルターズ、マラカイ・カービー、ビネット・ロビンソン、アリス・フィーザム
 
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