たった一泊二日の旅なのに、もう4回も投稿してしまった!
でもここからがみんなが知ってる天橋立・・・もうちょっと続けますね(ちょっとじゃないかも^^;)
さて、宮津の見所はまだあったのにセカセカと移動したのには訳があります。
天橋立を端から端まで歩いてみたかったのです。
案内マップによると、天橋立は全長3.6km 、端から端まで徒歩50分とあります。
ちなみに、この日の日没は16時45分頃。
さて、なつみかんの挑戦はどうなったでしょうか?
宮津駅からバスに乗って天橋立駅前までは15分足らず。あっという間に到着です。
駅近くのホテルにチェックインしてすぐに出発。とはいえ、時刻はもう15時30近くになっていました。
天橋立は松島、宮島と並んで日本三景のひとつです。
さっきまで見ていた宮津湾と、内海の阿蘇海を隔てる湾内砂州だそうです。
砂州、昔習いましたね~懐かしいです。
お地蔵様に見送られ(顔が風化してる・・・)
大天橋をわたって・・
右手が宮津湾。さっきまでいた場所が見えています。
左手の阿蘇海。よく考えたら、天橋立があるので、海水だけど湖みたいなものですね。
琵琶湖の方がよほど海みたい・・・
阿蘇海でのんびり泳いでいたコガモ(♀)
ちなみに♂2羽はビビッて遠くに去ってしまいました。
さて、ここから松並木ウォーキングのスタートです。
ここ天橋立の松は背がとても高く見ごたえがありますが、その訳はと言うと・・・
土壌が腐植土などで富栄養化し、地下水位も高いため、マツは根を地面深く伸ばさないまま高く成長したということのようです。
背が高くなりすぎたせいで倒れやすくなり、前の北近畿を直撃した台風で多くのマツが犠牲になったそうです。
斜めになってしまったマツも・・・(折れているわけではなく、ちゃんと生きています)
植林もされているようで、幼樹が沢山育てられていました。
さて、一見単調に見える松林ですが、途中色々な見どころがあります。
与謝野寛・晶子夫妻の歌碑。
寛のお父さんが近くの加悦出身だったため、しょっちゅう天橋立に夫婦で来られていたそうです。
こちらは父の敵を追って宮津に来た剣豪岩見重太郎が仇討ちをする前に試し切りをした岩。
岩を切るといったら、最近の人は鬼滅の方が思い浮かべるかもしれませんね。
こちら、大正天皇が明治40年皇太子時代に来られた場所だそうで・・・
歩いて行くとだんだん幅が狭くなってきました。
日が傾き、道がオレンジ色に染まってきます。
一見普通に見えるマツにも、色々な名前が付けられたものがあります。
千貫松と名付けられた立派な松。
こちらは阿蘇の松です。立派ですね~
ススキが沢山。
それにしても結構歩きましたがあと少しでしょうか?
その時標識が現れました。な、なんとこれで半分とは!
この時点で16時。行った先から、食事時間までに戻れるバスがあるかどうかも分かりません。
潔く、ここで折り返すことにしました。
撮った写真がどれもセピア色~
さて、Uターンしたので帰りは少し地面を見る余裕ができました。
なんとまだ結構野草が咲いています。
イヌタデや
イヌコウジュかな?
アキノキリンソウに
ノコンギクがいっぱい!ほとんど綿毛になっていましたが、花も結構残っていました。
阿蘇海と松。
突然現れた大砲に目が点。大正時代、海軍大臣から下付されたもので、海軍思想普及のためなんですって。
当時の1万6千円は今のどのくらいに当たるのでしょうか・・・
見慣れない黒い実がありました。最初はサカキかと思ったのですが、実付きが良すぎだし・・・
樹皮が滑らかではありません。なんの木か分かったら、教えてくださいませ~
そろそろ橋まで戻ってきました。
最後は宮津湾方面を眺めてみます。空がオレンジ色に染まって綺麗でした。
時刻はちょうど5時過ぎ。Uターンして正解。食事前に温泉に入れそうです!
急いで宿に戻りました。
温泉、食事を満喫し、のんびり休みました。
明日の朝は、のんびり朝湯入って、あとはバードウォッチングにでも出かけようかな~
【撮影:2021/12中旬 宮津市天橋立】