夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「みんな知り始めた」と井形慶子さんが言っている

2011年11月16日 | 社会問題
 今日、16日の東京新聞の「本音のコラム」である。
 私達は自分の目で確かめるのを敬遠する、と言う。それは恐れから遠ざかりたいからで、正しくは、真実から遠ざかりたいのかも知れない、と言う。
 そしてその話はTPPに繋がる。踏み出す不安よりも、将来、いかに農家を守っていくか、現状を直視すべきだ、と語る。それは彼女が英国の農家を取材した経験からの言葉である。英国で、生き残りを賭けて家業を継承すべく有機農法に取り組み、輸出で成功した農家を幾つも見た経験からの話である。
 イギリスは二度の大戦で経験した食料不足を、政府は作れば補助金を払い、自給率を上げて来た、と言う。

 そうした経緯は私はよく知らないし、その評価は様々あるだろうが、私が言いたいのは彼女の次のような言葉だ。

 「今後の暮らし向きがどうなって行くのか、新聞やニュースをいくら見ても分からないのは、私達が日本の農業を本当の意味で理解していないからではないか。」

 そして日本のお家芸である付加価値を付ける。不得手な交渉の腕を磨く。それが大切だ、と言う。そして最後の言葉。

 「それにしても、震災で原発、TPPで農業。私達はなぜ、こんな大切なことに長年無知だったのだろうか。」

 この言葉がタイトルの「みんな知り始めた」に繋がる。
 そう、我々はやっと「知り始めた」のである。それなのに、何とかして知らないようにして置こうとする勢力が存在する。電力会社やその提灯持ちばかりではない。新聞やテレビなどのマスメディアの一部にそれがある。
 マスメディアだって、最高権力を握っている人間を除いては、そこで働いている人々は我々と同等で、特別に恩恵を蒙れる訳でもないのに、何か思い上がっていて、真実を知らせたくないと思っているらしい。
 前にも書いたが、我々が知り始めたのは、今回の被害があまりにも大きかったからで、しかもその被害からの復旧が何も出来ていないから、関心があるのだ。だから被害からの復旧が出来てしまえば、喉元過ぎれば熱さ忘れる、のことわざ通りになるだろうと、私は危惧している。
 せっかく「知り始めた」のだから、何とかして、この熱意を持ち続けたいものだと思う。