12月31日大晦日。。今年もあっという間の1年だったと感じます。。『寅』=喧騒の演 人々が演じる年。。ガヤガヤ騒がしく落ち着かない年。。 何ともそんな「寅」という字が当てはまる年だったように感じますね。。。
そんな最後の日は、、1年にありがとうを込めて。。“The Long Goodbye”レイモンド・チャンドラー作 村上春樹 訳 なぞをじっくりこの年末読んで。。良き年末年始を・・
村上春樹氏が絶賛の作品 -格別な存在である。そこには疑いの余地なく、見事に傑出したものがある- と記しているように。。読み応え満載の心理ゲームを堪能できます。。私立探偵フィリップ・マーロウがひょんなキッカケで知り合う、、億万長者の娘シルヴィアの夫テリー・レノックス。 そして巻き起こる殺人事件。。 そしてそのテリー・レノックスも自殺を遂げ、、別の事件へとマーロウが巻き込まれ、、点と点が線になり、、絡まっていた糸が見事に解けることに、、しかし影からの事件に首を突っ込むなの警鐘。。 そのた卓越した表現とセンス、、その表現を村上氏があますとこなく見事な日本言葉で再構築し、、私達を楽しませてくれる。。 ありがたいことです。
この作品を読んで村上氏がこの作品から受けた大きな影響力を感じます。「一人称」での表現スタイル。。本筋ではないような場面での描写や、、本筋へのツナガリ。。表現手法などなど、、「羊をめぐる冒険」ともリンクするところを感じますね~ もちろん訳が村上氏なので、、表現などは同じ息を感じるのはもちろんなのですが、、構成手法や展開なども、、影響を受けているな~と感じます。
絶対的真実を暴こうとすると必ずよからぬ邪魔をするものが表れ暴力的に解決しようと圧力をかける。。屈するまで。。。この作品が刊行されたのが1953年。。この時代のアメリカは反共気風が高まり、アカ狩り旋風が吹き荒れた時代です。共産党に所属していたとみられる人々は、要職追放や地位を追われ、活動が制限されました。仲間を売ったものは追放を免れ、、密告などが蔓延したと言われています。憶測と恐怖が人々のあいだに暗く鬱屈した社会が広まったいた。。。チャンドラーは無党派で反骨のリベラルな気風があったといわれていますが、、この時代に都市の裏側にいる人のことを描くことが、、人々の連帯感、同情心を掻き立て、、社会への怒りの代弁がこの書の中に見出すことができたのではないかと感じますね。。
バブル崩壊以降立ち直れずにいる日本・・ 失われた20年といわれ、、そんな失われたといわれた時代に生まれた方々も年明けには成人式になるんですね。。早いですね。 何とも光が見出せないまま国民の怒りは政権交代を実現し、、しかし政権変われれど、暮らしは何も変わらず、、もっとひどい状況へ・・・と感じる人も多いのではないでしょうか・・あの政権交代はなんだったのか。。 最後に首相就任へ当時鳩山首相が語った言葉。。これをエソラごとではなく、、是非実現してください。。 この中には夢と希望に溢れた日本の姿が描かれているように感じます。
第174回国会における鳩山内閣総理大臣施政方針演説
平成22年1月29日
一 はじめに
いのちを、守りたい。
いのちを守りたいと、願うのです。
生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。
若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません。
働くいのちを守りたい。
雇用の確保は、緊急の課題です。しかし、それに加えて、職を失った方々や、様々な理由で求職活動を続けている方々が、人との接点を失わず、共同体の一員として活動していける社会をつくっていきたい。経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体のあり方を考えていきたいと願います。
いつ、いかなるときも、人間を孤立させてはなりません。
一人暮らしのお年寄りが、誰にも看取られず孤独な死を迎える、そんな事件をなくしていかなければなりません。誰もが、地域で孤立することなく暮らしていける社会をつくっていかなければなりません。
世界のいのちを守りたい。
これから生まれくる子どもたちが成人になったとき、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたいと願います。
世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によっていのちを奪われることのない社会をつくっていこうではありませんか。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければなりません。
今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、いのちを守るネットワークを、アジア、そして世界全体に張り巡らせていきたいと思います。
地球のいのちを守りたい。
この宇宙が生成して百三十七億年、地球が誕生して四十六億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活をおくれるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの一万年は、ごく短い時間に過ぎません。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えています。約三千万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約四万の種が絶滅していると推測されています。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活をおくることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気づかなければなりません。
私たちの叡智を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要です。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任です。本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務めます。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければなりません。
私は、このような思いから、平成二十二年度予算を「いのちを守る予算」と名付け、これを日本の新しいあり方への第一歩として、国会議員の皆さん、そして、すべての国民の皆さまに提示し、活発なご議論をいただきたいと願っています。
二 目指すべき日本のあり方
私は、昨年末、インドを訪問した際、希望して、尊敬するマハトマ・ガンジー師の慰霊碑に献花させていただきました。慰霊碑には、ガンジー師が、八十数年前に記した「七つの社会的大罪」が刻まれています。
「理念なき政治」
「労働なき富」
「良心なき快楽」
「人格なき教育」
「道徳なき商業」
「人間性なき科学」、そして
「犠牲なき宗教」です。
まさに、今の日本と世界が抱える諸問題を、鋭く言い当てているのではないでしょうか。
二十世紀の物質的な豊かさを支えてきた経済が、本当の意味で人を豊かにし、幸せをもたらしてきたのか。資本主義社会を維持しつつ、行き過ぎた「道徳なき商業」、「労働なき富」を、どのように制御していくべきなのか。人間が人間らしく幸福に生きていくために、どのような経済が、政治が、社会が、教育が望ましいのか。今、その理念が、哲学が問われています。
さらに、日本は、アジアの中で、世界の中で、国際社会の一員として、どのような国として歩んでいくべきなのか。
政権交代を果たし、民主党、社会民主党、国民新党による連立内閣として初めての予算を提出するこの国会であるからこそ、あえて、私の政治理念を、国会議員の皆さんと、国民の皆さまに提起することから、この演説を始めたいと、ガンジー廟を前に私は決意いたしました。
(人間のための経済、再び)
経済のグローバル化や情報通信の高度化とともに、私たちの生活は日々便利になり、物質的には驚くほど豊かになりました。一方、一昨年の金融危機で直面したように、私たちが自らつくり出した経済システムを制御できない事態が発生しています。
経済のしもべとして人間が存在するのではなく、人間の幸福を実現するための経済をつくり上げるのがこの内閣の使命です。
かつて、日本の企業風土には、社会への貢献を重視する伝統が色濃くありました。働く人々、得意先や取引先、地域との長期的な信頼関係に支えられ、百年以上の歴史を誇る「長寿企業」が約二万社を数えるのは、日本の企業が社会の中の「共同体」として確固たる地位を占めてきたことの証しです。今こそ、国際競争を生き抜きつつも、社会的存在として地域社会にも貢献する日本型企業モデルを提案していかなければなりません。ガンジー師の言葉を借りれば、「商業の道徳」を育み、「労働をともなう富」を取り戻すための挑戦です。
(「新しい公共」によって支えられる日本)
人の幸福や地域の豊かさは、企業による社会的な貢献や政治の力だけで実現できるものではありません。
今、市民やNPOが、教育や子育て、街づくり、介護や福祉など身近な課題を解決するために活躍しています。昨年の所信表明演説でご紹介したチョーク工場の事例が多くの方々の共感を呼んだように、人を支えること、人の役に立つことは、それ自体が歓びとなり、生きがいともなります。こうした人々の力を、私たちは「新しい公共」と呼び、この力を支援することによって、自立と共生を基本とする人間らしい社会を築き、地域の絆を再生するとともに、肥大化した「官」をスリムにすることにつなげていきたいと考えます。
一昨日、「新しい公共」円卓会議の初会合を開催しました。この会合を通じて、「新しい公共」の考え方をより多くの方と共有するための対話を深めます。こうした活動を担う組織のあり方や活動を支援するための寄付税制の拡充を含め、これまで「官」が独占してきた領域を「公(おおやけ)」に開き、「新しい公共」の担い手を拡大する社会制度のあり方について、五月を目途に具体的な提案をまとめてまいります。
(文化立国としての日本)
「新しい公共」によって、いかなる国をつくろうとしているのか。
私は、日本を世界に誇る文化の国にしていきたいと考えます。ここで言う文化とは、狭く芸術その他の文化活動だけを指すのではなく、国民の生活・行動様式や経済のあり方、さらには価値観を含む概念です。
厳しい環境・エネルギー・食料制約、人類史上例のない少子高齢化などの問題に直面する中で、様々な文化の架け橋として、また、唯一の被爆国として、さらには、伝統文化と現代文明の融和を最も進めている国のひとつとして、日本は、世界に対して、この困難な課題が山積する時代に適合した、独自の生活・行動様式や経済制度を提示していくべきだと考えます。
多くの国の人々が、一度でよいから日本を訪ねたい、できることなら暮らしたいと憧れる、愛され、輝きのある国となること。異なる文化を理解し、尊重することを大切にしながら、国際社会から信頼され、国民が日本に生まれたことに誇りを感ずるような文化を育んでいきたいのです。
(人材と知恵で世界に貢献する日本)
新しい未来を切り拓くとき、基本となるのは、人を育てる教育であり、人間の可能性を創造する科学です。
文化の国、人間のための経済にとって必要なのは、単に数字で評価される「人格なき教育」や、結果的に人類の生存を脅かすような「人間性なき科学」ではありません。一人ひとりが地域という共同体、日本という国家、地球という生命体の一員として、より大きなものに貢献する、そんな「人格」を養う教育を目指すべきなのです。
科学もまた、人間の叡智を結集し、人類の生存にかかわる深刻な問題の解決や、人間のための経済に大きく貢献する、そんな「人間性」ある科学でなければなりません。疾病、環境・エネルギー、食料、水といった分野では、かつての産業革命にも匹敵する、しかし全く位相の異なる革新的な技術が必要です。その母となるのが科学です。
こうした教育や科学の役割をしっかりと見据え、真の教育者、科学者をさらに増やし、また社会全体として教育と科学に大きな資源を振り向けてまいります。それこそが、私が申し上げ続けてきた「コンクリートから人へ」という言葉の意味するところです。
2011年は是非、、このような国創りを成し遂げる一歩を踏み出していただきたいと思います。
今年も1年ありがとうございます。
感謝
そんな最後の日は、、1年にありがとうを込めて。。“The Long Goodbye”レイモンド・チャンドラー作 村上春樹 訳 なぞをじっくりこの年末読んで。。良き年末年始を・・
村上春樹氏が絶賛の作品 -格別な存在である。そこには疑いの余地なく、見事に傑出したものがある- と記しているように。。読み応え満載の心理ゲームを堪能できます。。私立探偵フィリップ・マーロウがひょんなキッカケで知り合う、、億万長者の娘シルヴィアの夫テリー・レノックス。 そして巻き起こる殺人事件。。 そしてそのテリー・レノックスも自殺を遂げ、、別の事件へとマーロウが巻き込まれ、、点と点が線になり、、絡まっていた糸が見事に解けることに、、しかし影からの事件に首を突っ込むなの警鐘。。 そのた卓越した表現とセンス、、その表現を村上氏があますとこなく見事な日本言葉で再構築し、、私達を楽しませてくれる。。 ありがたいことです。
この作品を読んで村上氏がこの作品から受けた大きな影響力を感じます。「一人称」での表現スタイル。。本筋ではないような場面での描写や、、本筋へのツナガリ。。表現手法などなど、、「羊をめぐる冒険」ともリンクするところを感じますね~ もちろん訳が村上氏なので、、表現などは同じ息を感じるのはもちろんなのですが、、構成手法や展開なども、、影響を受けているな~と感じます。
絶対的真実を暴こうとすると必ずよからぬ邪魔をするものが表れ暴力的に解決しようと圧力をかける。。屈するまで。。。この作品が刊行されたのが1953年。。この時代のアメリカは反共気風が高まり、アカ狩り旋風が吹き荒れた時代です。共産党に所属していたとみられる人々は、要職追放や地位を追われ、活動が制限されました。仲間を売ったものは追放を免れ、、密告などが蔓延したと言われています。憶測と恐怖が人々のあいだに暗く鬱屈した社会が広まったいた。。。チャンドラーは無党派で反骨のリベラルな気風があったといわれていますが、、この時代に都市の裏側にいる人のことを描くことが、、人々の連帯感、同情心を掻き立て、、社会への怒りの代弁がこの書の中に見出すことができたのではないかと感じますね。。
バブル崩壊以降立ち直れずにいる日本・・ 失われた20年といわれ、、そんな失われたといわれた時代に生まれた方々も年明けには成人式になるんですね。。早いですね。 何とも光が見出せないまま国民の怒りは政権交代を実現し、、しかし政権変われれど、暮らしは何も変わらず、、もっとひどい状況へ・・・と感じる人も多いのではないでしょうか・・あの政権交代はなんだったのか。。 最後に首相就任へ当時鳩山首相が語った言葉。。これをエソラごとではなく、、是非実現してください。。 この中には夢と希望に溢れた日本の姿が描かれているように感じます。
第174回国会における鳩山内閣総理大臣施政方針演説
平成22年1月29日
一 はじめに
いのちを、守りたい。
いのちを守りたいと、願うのです。
生まれくるいのち、そして、育ちゆくいのちを守りたい。
若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければなりません。
働くいのちを守りたい。
雇用の確保は、緊急の課題です。しかし、それに加えて、職を失った方々や、様々な理由で求職活動を続けている方々が、人との接点を失わず、共同体の一員として活動していける社会をつくっていきたい。経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体のあり方を考えていきたいと願います。
いつ、いかなるときも、人間を孤立させてはなりません。
一人暮らしのお年寄りが、誰にも看取られず孤独な死を迎える、そんな事件をなくしていかなければなりません。誰もが、地域で孤立することなく暮らしていける社会をつくっていかなければなりません。
世界のいのちを守りたい。
これから生まれくる子どもたちが成人になったとき、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたいと願います。
世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によっていのちを奪われることのない社会をつくっていこうではありませんか。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければなりません。
今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、いのちを守るネットワークを、アジア、そして世界全体に張り巡らせていきたいと思います。
地球のいのちを守りたい。
この宇宙が生成して百三十七億年、地球が誕生して四十六億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活をおくれるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの一万年は、ごく短い時間に過ぎません。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えています。約三千万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約四万の種が絶滅していると推測されています。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活をおくることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気づかなければなりません。
私たちの叡智を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要です。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任です。本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務めます。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければなりません。
私は、このような思いから、平成二十二年度予算を「いのちを守る予算」と名付け、これを日本の新しいあり方への第一歩として、国会議員の皆さん、そして、すべての国民の皆さまに提示し、活発なご議論をいただきたいと願っています。
二 目指すべき日本のあり方
私は、昨年末、インドを訪問した際、希望して、尊敬するマハトマ・ガンジー師の慰霊碑に献花させていただきました。慰霊碑には、ガンジー師が、八十数年前に記した「七つの社会的大罪」が刻まれています。
「理念なき政治」
「労働なき富」
「良心なき快楽」
「人格なき教育」
「道徳なき商業」
「人間性なき科学」、そして
「犠牲なき宗教」です。
まさに、今の日本と世界が抱える諸問題を、鋭く言い当てているのではないでしょうか。
二十世紀の物質的な豊かさを支えてきた経済が、本当の意味で人を豊かにし、幸せをもたらしてきたのか。資本主義社会を維持しつつ、行き過ぎた「道徳なき商業」、「労働なき富」を、どのように制御していくべきなのか。人間が人間らしく幸福に生きていくために、どのような経済が、政治が、社会が、教育が望ましいのか。今、その理念が、哲学が問われています。
さらに、日本は、アジアの中で、世界の中で、国際社会の一員として、どのような国として歩んでいくべきなのか。
政権交代を果たし、民主党、社会民主党、国民新党による連立内閣として初めての予算を提出するこの国会であるからこそ、あえて、私の政治理念を、国会議員の皆さんと、国民の皆さまに提起することから、この演説を始めたいと、ガンジー廟を前に私は決意いたしました。
(人間のための経済、再び)
経済のグローバル化や情報通信の高度化とともに、私たちの生活は日々便利になり、物質的には驚くほど豊かになりました。一方、一昨年の金融危機で直面したように、私たちが自らつくり出した経済システムを制御できない事態が発生しています。
経済のしもべとして人間が存在するのではなく、人間の幸福を実現するための経済をつくり上げるのがこの内閣の使命です。
かつて、日本の企業風土には、社会への貢献を重視する伝統が色濃くありました。働く人々、得意先や取引先、地域との長期的な信頼関係に支えられ、百年以上の歴史を誇る「長寿企業」が約二万社を数えるのは、日本の企業が社会の中の「共同体」として確固たる地位を占めてきたことの証しです。今こそ、国際競争を生き抜きつつも、社会的存在として地域社会にも貢献する日本型企業モデルを提案していかなければなりません。ガンジー師の言葉を借りれば、「商業の道徳」を育み、「労働をともなう富」を取り戻すための挑戦です。
(「新しい公共」によって支えられる日本)
人の幸福や地域の豊かさは、企業による社会的な貢献や政治の力だけで実現できるものではありません。
今、市民やNPOが、教育や子育て、街づくり、介護や福祉など身近な課題を解決するために活躍しています。昨年の所信表明演説でご紹介したチョーク工場の事例が多くの方々の共感を呼んだように、人を支えること、人の役に立つことは、それ自体が歓びとなり、生きがいともなります。こうした人々の力を、私たちは「新しい公共」と呼び、この力を支援することによって、自立と共生を基本とする人間らしい社会を築き、地域の絆を再生するとともに、肥大化した「官」をスリムにすることにつなげていきたいと考えます。
一昨日、「新しい公共」円卓会議の初会合を開催しました。この会合を通じて、「新しい公共」の考え方をより多くの方と共有するための対話を深めます。こうした活動を担う組織のあり方や活動を支援するための寄付税制の拡充を含め、これまで「官」が独占してきた領域を「公(おおやけ)」に開き、「新しい公共」の担い手を拡大する社会制度のあり方について、五月を目途に具体的な提案をまとめてまいります。
(文化立国としての日本)
「新しい公共」によって、いかなる国をつくろうとしているのか。
私は、日本を世界に誇る文化の国にしていきたいと考えます。ここで言う文化とは、狭く芸術その他の文化活動だけを指すのではなく、国民の生活・行動様式や経済のあり方、さらには価値観を含む概念です。
厳しい環境・エネルギー・食料制約、人類史上例のない少子高齢化などの問題に直面する中で、様々な文化の架け橋として、また、唯一の被爆国として、さらには、伝統文化と現代文明の融和を最も進めている国のひとつとして、日本は、世界に対して、この困難な課題が山積する時代に適合した、独自の生活・行動様式や経済制度を提示していくべきだと考えます。
多くの国の人々が、一度でよいから日本を訪ねたい、できることなら暮らしたいと憧れる、愛され、輝きのある国となること。異なる文化を理解し、尊重することを大切にしながら、国際社会から信頼され、国民が日本に生まれたことに誇りを感ずるような文化を育んでいきたいのです。
(人材と知恵で世界に貢献する日本)
新しい未来を切り拓くとき、基本となるのは、人を育てる教育であり、人間の可能性を創造する科学です。
文化の国、人間のための経済にとって必要なのは、単に数字で評価される「人格なき教育」や、結果的に人類の生存を脅かすような「人間性なき科学」ではありません。一人ひとりが地域という共同体、日本という国家、地球という生命体の一員として、より大きなものに貢献する、そんな「人格」を養う教育を目指すべきなのです。
科学もまた、人間の叡智を結集し、人類の生存にかかわる深刻な問題の解決や、人間のための経済に大きく貢献する、そんな「人間性」ある科学でなければなりません。疾病、環境・エネルギー、食料、水といった分野では、かつての産業革命にも匹敵する、しかし全く位相の異なる革新的な技術が必要です。その母となるのが科学です。
こうした教育や科学の役割をしっかりと見据え、真の教育者、科学者をさらに増やし、また社会全体として教育と科学に大きな資源を振り向けてまいります。それこそが、私が申し上げ続けてきた「コンクリートから人へ」という言葉の意味するところです。
2011年は是非、、このような国創りを成し遂げる一歩を踏み出していただきたいと思います。
今年も1年ありがとうございます。
感謝