YES MUSIC YES SALES

お気に入りの音楽や活字。その中に秘められた想いと、世の中の事、セールスの事をリンクさせて紹介していきます。

Life's An Elevator~人生はエレベーターの如く~

2009-09-30 | 70's
Marc Bolan のBirthdayでございます。29年間の人生を駆け抜けたマーク、まさに『Futuristic Dragon (邦題:銀河系よりの使者)』ですね。 このアルバムは1976年1月31日に発売になります。 その前の75年がマークには充実じた1年となります。シングルが最高15位までチャートを伸ばし、TV出演などが増え、そして9月26日にグロリアとの子供ローランが誕生します。子供が生まれたことがマークを大きく変えたことになります。 イギリスでは大成功を収めたもののアメリカでは思うようにいかず、、癇癪を起こしたりしていましたが、子供ができたことで自分を見つめることができたのでしょうか?? 

このマークの中でも一際ソウルフルなアルバムがマークの魂の叫びを上手く表現しています。一皮むけて高らかに艶美に歌うマークが最後の輝きをキラビヤカに解き放っています。

今回紙ジャケ化で76年のシングルもボーナス・トラックとして収められています。“Life's An Elevator”
♪人生はエレベーター 昇ったり下ったり
 人生はエレベーター 動いている音が聞こえないのかい・・・・

マークの人生はエレベーター。。頂点を極め、急転直下落ちる。「スターになってしまうとその後どうしたらいいのかわらなくなった・・・」とはマークの言葉

でもでもそんな自分の人生を振り返って。。。刹那に歌うマークが素敵です。やはり30歳まで生きることはできないと感じ、暗示していたのか・・・。 悪魔に魂を渡していたのですかね。

人生は「昇り」「下り」順風満帆にいかないからこそ・・・おもしろいよね。春夏秋冬で12年サイクルなんて言う人もいますが、やはり浮き沈みのサイクルはありますね。だからこそ、、下降の時、幅をセイブするかが大事です。 人生をおもしろい上昇エレベーターに乗せるためにも。。。。

今、あなたの季節は?? 冬? 春? 夏? それとも秋?? かな・・・

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Think Zinc~亜鉛の発想~

2009-09-29 | 70's
今日も天国でブギしているMarc Bolan へ・・・明日はいよいよBirthdayですね。
さて、後期、、怒涛のパワーこそ翳りを見せましたが、音そのものは新たな新境地を向かえ充実していたのではないでしょうか・・・そんなマークが原点回帰と、、セルフ・プロデュースで臨んだのが。。1975年2月16日に発売した『Bolan's Zip Gin (邦題:ブギーのアイドル)』です。 第一線からの凋落を受けて、クスリ浸けアルコール浸けの日々から脱却し、1974年から自宅をアメリカへ移し活動拠点を変えました。 トニー・ヴィスコンティとも別れ、セルフ・プロデュースで活動を徐々に広げていきます。 また、グロリアとの仲が益々深まっていきます。

そんな中、リリースしたアルバムに対して、マーク自身が『Electric Warrior』との類似性を指摘しています。ボラン・ブギーの数々の新解釈でマークが生き生きと演じています。 ロンドンを離れ、LA録音で妖艶さに突き抜ける蒼色を感じるような歌声がハマっています。ドラマーを変え、ソウルフルなコーラス(グロリア)とボランポップな感じが融合され、、懐か新しい音へと変わっています。
しかしこのアルバムを最後に、、ミッキー・フィンが脱退することになり、、マーク自身も大きな影響を受けます。 そんな大転換になった、、隠れ名曲がビッシリのアルバムです。

アルバム収録の“Think Zinc”もそんなマークらしい楽曲の一つですが、 ZINC=亜鉛です。 亜鉛のように考えるで、、柔らかく考える -マーク・ボラン詩集(中川五郎 訳)

自分自身を落ちぶれたスターだと言い、僕の感性を変な風に利用しようとしているの、、と 柔らかく考えなくちゃ!! 柔らかく考えなくちゃ!! とマーク自身へ向けても発信しているようで、、、 凄く素敵な曲です。

日々様々、、色々なことが起きる世の中、、 だからこそ柔軟に対応しないとね。柔軟ではなく「受難」になっちゃうかも。 もっと柔らかく、、「今はどんな感じ?」 -自分自身に問いてみて・・・・ 

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陶酔のロックスター★

2009-09-28 | 70's
さて、9月と言えば、、やはり“Marc Bolan”ですね。1947年9月30日生まれ、1977年9月16日没 30歳を迎えることなく音楽界のカリスマは息を引き取ることになりました。後を追うように、、翌年1978年9月7日がキース・ムーンが天国へ、、マークが天国でバンドを作るために呼んだか・・・・

そんなマーク・ボラン T.REXの全盛期で今回も紙ジャケ化していない『Bolan Boogie』(1972年5月発売)でございます。フライレーベルから離れたマークの意思とは別に、勝手に出されたアルバムでした。(相当マークは抗議したようですが・・・)しかしファンからはアルバム未収録曲が多く喜ばれたようです。

1971年といえば最高に輝いているマーク・ボラン。キラキラのラメの服にチリジリ頭で全身が輝いていました。揺れる声質が妖艶でいやらしく、、魔術的で、、イギリスにて圧倒的な人気を博していました。そんな中で発売されてのがこのベスト盤ですね。ティラノザウルス・レックスの時の名曲もフューチャーし、まさにボランのブギーを全編に聞かせてくれます。 パーカッシブなマークのキターとパーカッションのトリップするようなリズムとノリ。新ためてセンスの良さとリズムの良さを再確認できますね。Tレクスタシー。。最高のエクスタシーを醸しだしています。

マークの原点である音を感じる名盤も。。是非紙ジャケ化してほしいね。

この中で“Summertime Blues”がいかにもTレックス的で、、、The Whoのそれとは違い、、陶酔の彼方へ、、誘うパーカッションが最高ですね。

今、もし生きていれば、、63歳のマーク。。。 かっこいいおじいさんになってんだろうね。。。
やはり、唯一無二のロックスター★ですね。  

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深化で“真価”を発揮する

2009-09-27 | The Beatles
さて、いよいよ The Beatles が本領発揮の中期から後期の未収録曲を集めたのが『Past Masters』の2枚目です。
1965年最後を飾るにふさわしい“We Can't Work It Out”“Day Tripper”がアルバム『Rubber Soul』とともに発売されたのが、12月3日(金)です。エンジニア、ノーマン・スミスとの仕事もこれで最後となります。いよいよJohnが頂点を極め、そしてPaulのセンスが開花し始め、、年は1966年へと。。。。
“Paperback Writer”“Rain”の発売が6月10日(金) エンジニアにジェフ・エメリックが担当になり、いよいよビートルズの創作意欲の絶頂点へと、この曲からPaulのベースがはっきりと聴こえることになります。そして楽曲も大きく様変わり、、トンでもない勢いで進化→深化し始めます。

リボルバー、サージェント。。。、マジカル。。。でその創作の絶頂を向かえ、登場したのが“Lady Madonna”“The Inner Light”です。1968年3月15日(金)いよいよバンド内に亀裂が生じ、、初めてGeorgeの曲がシングルに登場です。
そしてバンドよりも“個”が大きな位置を占め始めるメンバー、、 そんな中、グループ自ら立ち上げたレーベルアップルからの初シングル“Hey Jude”“Revolution”を発売。なんと曲の長さが7分を越えるビートルズで一番長いシングルに、、、 全世界で800万枚以上を売り上げることに、、、、

しかしメンバー内の不協和音は大きくなるばかりで、、そして1969年4月11日(金)に“Get Back”“Don't Let Me Down”が発売。原点に返ろう!叫ぶPaulとYokoへの思いを募らせるJohn、、2人の溝はもう埋まることはない、、のか? と思いきや、、2人の録音で素晴らしいノリを魅せるのが“The Ballad Of John And Yoko”“Old Brown Shoe”5月30日(金)発売。。 オールド。。。は4人で演奏していますが、いやいや良い一品で、いよいよGeorgeのセンスも光輝くわけでね。
そして12月12日(金)に“Across The Universe”が初収録の『No One's Gonna Change Our World』が発売され、、「バード・ヴァージョン」のお目見えですね。1曲目に収録されたため鳥の羽ばたく音が録音されたようです。
そしていよいよラスト・シングル、、、“Let It Be”“You Know My Name (Look Up The Number)”ですね。 1970年3月6日(金) いよいよの終焉の時、「なすがんままに・・・」ラスト・シングルには最高に演出です。 そして最後の最後でshにカルなコミカルソングを収めるなんて、、、 最後までビートルズらしいですね。

65年末から69年末のたった4年間、、ビートルズの残した録音技術革新や創作センスは100年語り継がれる歴史となりました。 発売から40年経って、リマスターというカタチで、日本国内だけでも200万枚(累計)売れていることに、敬意を表して・・・
まさに好きなコトを極め深め、、深化した結果。。大きな真価を発揮し歴史に名を刻むコトに・・・。

我々もビートルズとはいきませんが、自分の分野でどれだけ「深化」できるか、そして自分の「真価」を問う、、そんな自分の歴史を刻み続けたいですね。



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素人(白人)→玄人(黒人)への進化・・・

2009-09-26 | The Beatles
さて、リマスターシリーズもいよいよ架橋です。バンドとしてオリジナルで発表されたアルバムが13枚。 それ以外でシングル等で発表された曲を合わせて発表されたのが、、この『Past Masters』ですね。 1988年に発表されたときはVolume1と2に分けて発売されました。 今回は2枚組として一つにまとめられました。

今日はその1枚目をご紹介、、、デビュー曲“Love Me Do”1962年10月5日(金)発売から“I'm Down”1965年7月23日(金)<Help!のB面として発売> この間たったの2年と9ケ月、、 恐ろしい進化、、この“Love Me Do”(ドラムがRingoバージョン)では、♪ラブミドゥ~と歌うPaulの声が震えています。。。 そんな初々しさからなんという進化ででしょう。

2ndシングル“Please Please Me”そして、3rdシングル“From Me To You”1963年4月11日(木)発売 これで人気は決定的なものになりました。そして63年8月23日(金)“She Loves You”そうです、、「Yeah Yeah Yeah」です。。イギリス国内だけで100万枚売り上げた初のシングルです。 そして63年11月29日(金)“I Want To Hold Your Hand”の発売です。 予約だけで100万枚を突破し、発売後この曲が1位、前作が2位ということになります。 またこの曲は世界を飲み込んでいくキッカケ、、アメリカチャートへも食い込む曲となります。この曲のB面は“This Boy”ですね。これまた隠れ名曲ですね。ハモリの妙技、沁みます。。

この1年をみてもその進化の凄さ、、ハードな時間の中で名曲をいとも簡単に創り上げる創作力の凄さを改めて認識します。。。もちろんこのシングル以外にアルバムも2枚創り上げていますし。。。ね。 恐れ入ります。。

64年に入り、、3月20日には“Can't By Me Love”が発売されます(このアルバム未収録) そして映画製作の合間を縫って、6月19日(金)にはEP盤として“Long Tall Sally”“I Call Your Name”“Slow Down”“Matchbox”が発売されます。5枚目のEP盤ですが、未収録の曲ばかりを集めて作成された初めてのEP盤です。
ロング・・でのPaulの歌唱力には脱帽ですね。凄まじいパワーを感じるなど、初期の良さが4曲から伝わりますね。

11月27日“I Feel Fine”の発売です。アメリカでは発売1週間で100万枚、、イギリスでも100万枚を突破する勢い。またフィードバックから始まる印象的なリフやRingoのテンポの良いリズムなど秀作です。日本公演でもおなじみになりました。この年もアルバム2枚に映画、、シングル4枚、、って異常なスピードで駆け抜けています。
このアルバムラスト曲が“I'm Down”って、、A面が“Help!”でね。 助けてくれよ~このままじゃダウンだっ!!!てな感じになりますよね。。このハードさ!

でもでも、だからこそのパワーでもっと良いものを創る気持ちとこんな状況でも楽しむ気持ち・・・これが強さの根源、アイデアの根源ですかね。 とくにJohnの成熟さが才能が一気に華開くのがこの時代ですね。

アルバムジャケは ONEが黒 →TWOが白ですが、、バンドはたった3年を経て素人から玄人へと。。。進化し続けました。 いよいよこれからバンドの深化が始まります。。。。


石の上にも3年  ビートルズのような進化はできませんが、何事も3年ガンバル気持ち、やってみる気持ちが大切ですね。 自分のキャリアを上げるために、シガミツイテ・・まず3年やってみることで、その分野で素人も玄人なレベルに達することができて、その後は深化へと深みを増していく「極める」という域へ進んでいくことになりますね。。
まず3年挑戦してみることが大切ですね。


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大衆とマスコミがビートルズを引き裂いた。

2009-09-25 | The Beatles
僕らは動物園の猿のようなものでね、最初から破綻は決定的だったんだ。誰でも、成長するためには空間が必要だ。ヨーコとリンダ・マッカートニーではなく、大衆とマスコミがビートルズを引き裂いた。 -George

いよいよ終焉の時、、、
ビートルズのラスト・アルバム(発表順)『Let It Be』です。1970年5月8日(金)発売。 レコーディングは1969年1月2日から、、といっても2日はとりあえずテレビ用の新曲リハーサルを開始。 -GETBACK(原点回帰)セッションということでスタジオの風景を撮影するということ、、とってもいつ放送かも未定のまま。すべてが壊滅的というわけではなかったようだが、、はっきりした方向性もないまま、水面下ギリギリのところではお互いが反発しているようにも、カタチだけの撮影、リハが寒々しいトゥイッケナム・フイルム・スタジオで行われていく。もはや抜け殻のメンバー、、魂の無いビートルズ。。となってしまったのか、この撮影を通して約100曲以上もジャムセッションをしたが、調子っぱずれで悲惨な状態だったようだ、、、業を煮やしたGeorgeは、1月15にはリハを止めてしまう。 TVショウの計画も放棄し1月22日から、アップルスタジオへ場所を移し、レコーディングを開始する。 そして1月30日にはあのルーフトップLIVEを敢行し、42分間のショウ(ラスト・ライブ??)を演りましたね。。。

4月11日(金) “Get Back”“Don't Let Me Down”が発表されます。 

。。。。。このままこのセッションは棚上げに、、、 そして先行して『Abbey Road』へと進んでいくことに、、 全く不憫でならないね~ 
1970年1月3日 Johnを除く3名は、、EMIスタジオに集まり、“I Me Mine”の録音を行う。 4人全員でのレコーディングは、1969年8月20日が最後でしたが、この時の3人でレコーディングを行う。 翌日もオヴァーダブななどが付け加えられ、この4日がラスト・レコーディングとなりますね。 次この3人が揃うのは、、『Free As A Bird』のレコーディングか・・・・・

『Get Back』としてリリースされる予定が延びて延びて、、クリス・ジョーンズはようやく1月5日から(70年に入って)ミキシングなどの作業に入る。(映画と連動させるような形で)
3月6日(金) ラスト・シングルとなる“Let It Be”“You Know My Name(Look Up The Number)”が発売になります。 ジャケは4人それぞれの顔写真が太枠で囲われて、、タイトルも「なすがままに・・・・」って、 いかにもラストって感じになっちゃいましたね。
3月22日、いよいよフィル・スペクターの登場です。いよいよフィルのいじくりが始まる。。。それぞれの曲の体裁を整え、音の壁と豪華なオーケストラを施し、、4月2日まで行われる。 もちろんこの作業を勝手にやった、、ことにPaulは怒り心頭!!!で、4月10日Paulのビートルズ脱退へと、、、
Paul曰く、辞めたとは言っていない、、とか。 しかしこれで、1962年から1970年の間、世界を激震させ、偉大で永遠に残る楽曲の数々を生み出したバンドは終わりを告げる。もちろん楽曲の数々は永遠に残り語り、歌い継がれて行くことに、、

そしてこの2009年09月09日、、このような「音」として更なる感動を与えたくれたことに感謝を・・・・

いやいやこのアルバムもリマスターで聴くと、中々どうして、音が甦って、これはこれで歴史の1ページだと感じ直しました。フィル。スペクターを悪の権化みたいに言う方もいますが、こうやって時間の経過や背景を知る中で、一概にすべてダメの責任を押し付けないように、、ね。 この状況の中で良くまとめてくれた、、ということも、私達にカタチとしてアルバムを残してくれて、、、




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『アビーロード』は欲求を満たしたアルバムだ・・・

2009-09-24 | The Beatles
69年に入り、ゲットバック・セッションに入ったメンバー達、しかしバンド内の雰囲気は決してよい方向へ改善されるでもなく・・・。 緊張感だけが漂うスタジオ内。1月22日からスタートしたセッションもダラダラと・・続き、2月25日まで行われます。しかしこのセッションの中から『Abbey Road』にも入る素晴らしい楽曲や楽曲の破片が生み出されるコトとなります。 そんな棚上げの中、、4月14日にはJohnとPaulだけでレコーディングを行い、4月16日にはメンバーでGeorgeの曲を創り上げる、、また何となくレコーディングは続けられますね。5月30日(金)シングル“The ballad Of John And Yoko”“Old Brown Shoe”が発売されます。
そしていよいよ7月1日、、電話でPaulから「もう一枚アルバムを作りたい、手伝ってくれ(プロデュースして)。。。」と頼まれたジョージ・マーティンがレコーディングに参加、(本当の意味でのレコーディングができるのならと条件をつけたようですが・・・) いよいよ本格的なアビーロードセッションへ突入します。
7月21日からはバランス・エンジニアとしてジェフ・エメリックも本格復活で、いよいよ有終の美、、ビートルズがビートルズを演じきる最高の舞台が整いました。
8月8日には、あの有名なジャケの撮影が行われ、、8月25日まで中身の濃いレコーディングを行います。 そして、9月26日(金)に“Abbey Road”が発売されます。

賛否はあると思いますが、メンバーの演奏力、安定したリズムセクションの上を伸び伸びと奏でるJohnの姿、Paulの集大成のB面、、最高のコーラスワーク、Georgeの楽曲の素晴らしさ、、まさにラスト・アルバムです。60年代輝きと閉じ込めた逸品ですね。

今回のリミックスを聴くと全体のバランスが磨き上げられていて良く聴こえます。Paulのベースはこのように弾いていたんだ~とかRingoのだドラムでどのシンバル叩き、タムを叩いているのか、、はっきりと観えるようです。 素晴らしい仕上がりを感じます。

Johnは「ロックしようぜ、楽しけりゃいいや!」なノリでJohn色をAm面中心に配置し、B面は交響曲のようにPaul色がはっきりと見てとれますね。もちろんGeorgeとRingoのエッセンスも加わっているからこその輝きですけど、、

いつも自分アルバムに難癖をつけていたJohnも、、 ↑ のような、、ナンダカンダ言っても。。。 満足できた仕上がりとなっているようですね。

そんなアビーロードに収められた曲についてメンバーの言葉
                  -The Beatles Off The Record より

“Come Together”
 結構ファンキーで気にいっている。-John
 僕はジョンにコーラスをつけたかったし、ジョンも僕にそうしてほしかったと思う。でも、彼に頼むのが恥ずかしすぎてね。 -Paul
“Something”
 この曲は僕の書いた中で一番と言う人もいるが、僕には判らない。もしかすると正しいのかもしれない。もしかすると、彼らは間違っているのかもしれない。とても光栄だけれどね。
 僕からすると、この曲はジョージが今までに書いた中で最高に近い曲だ-Paul
“Oh! Darling”
ステージで1週間ぶっ通しでこの曲を歌っていたかのように聴こえるようにしたかった。あらゆる可能性を試して、満足の行くヴォーカルを手に入れた。-Paul
“I Want You”
 モーグ・シンセを使ったので、この曲はかなりヘヴィーだ。あの楽器(モーグ・シンセ)は、あらゆるサウンドを出すことができる。この楽器のすべてのバリエーションを習得するには一生かかるだろう。-John
“Here come The Sun”
 この曲は、ジョージがまさしく成長しつつある姿を示している。彼はあらゆる種類の曲を書いていて、一度ドアが開けば、水門が開く如くなるのさ。-John
 この曲は太陽を浴びて解放されたことから浮んだんだ。-George
“B面のメドレーについて”
 メドレーは、僕たちが長年抱えたままでいた曲の切れ端を放出するためにいい方法だった。-John
 僕らはこの方式を採用した。ジョンと僕にはそのままでも質の高い手持ちの曲が数多くあったんだが、それ以上手付かずの状態だった。その断片を僕らは全体を通して意味をなすようになる作品1曲にまとめたんだ。-Paul
 アビーロードのB面はとてつもないものだよ。-Ringo
“The End”
 僕が演奏したなかなか感じのいい部分があった。この曲のドラムが鳴り響いて、僕たちが順番に演奏する。僕は3番手だ。僕には個性的な演奏スタイルがある。みんなはジョージのことは目に見えないシンガーと呼ぶけれど、僕は目に見えないギタリストといったところさ。
 「ジ・エンド」はただの終止符。それはすべてを緒終わりにする一場面なんだ。-George


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分断の兆し、、、が見え隠れ、、、

2009-09-23 | The Beatles
今日は秋分の日ですね。丁度、昼と夜の長さが同じ、真っ二つの日ですね。
そんな今日は丁度、、ビートルズが分断された時期にまとめられ本人達の意思もないままに創り上げられた、、『Yellow Submarine』です。 A面がビートルズの演奏でB面がジョージ・マーティン指揮のオーケストラでまとめられています。これも一応オリジナルアルバム、、 高校生の時、少ないお小遣いで一番買うのを躊躇ったアルバムです。正直、、、でもじっくり聴くとこれまた時代の分岐になるようなアルバムだということが今ではわかるのですが。。。。。

録音時期から観ると。。。。
タイトル曲はもちろん、66年発表の『Revolver』ですよね。
67年2月13日には“Only A Northern Song”が録音されてますね。サージェント・セッションの最中。。→4月20日にこの曲の仕上げ直しをしますね。。
6月7日に長編アニメーション映画の製作にメンバーが同意したと発表されてます。
マスコミ発表は6月ですが、5月初旬にはもう合意がなされていて、、新曲のレコーディングを行っているわけで、、
5月11日“Baby You're A Rich Man”のレコーディング(アルバム未収録)
5月12日“All Together Now”のレコーディング
5月25日“It's All Too Much”のレコーディング
6月14日“All You Need Is Love”のレコーディング(世界同時中継のTV用のッ新曲として・・・)
この間、、マジカルの映像&レコーディングが入る、、、、、
68年2月11日“Hey Bulldog”のレコーディング(映画ようではなく、シングルのプロモで何か演奏しなくちゃいけないね・・・と)

ここで、ホワイト・アルバムのセッションが始まります。。。。

68年7月17日(水)、映画“Yellow Submarine”がイギリスで公開。。
69年1月17日(金)、アルバム“Yellow Submarine”が発売になります。映画公開から7ケ月も経って。。。
映画と同時でサントラとしてアルバムを発売したかったようですが、ホワイト・アルバムの発売を優先したこと、ジョージ。マーティンがB面の撮り直しを希望したことなど、、、映画自体の評判は大変良いもので、、全くといい程、映画作りに参加していなかったメンバーも仕上がりには大変満足していたようです。 しかしあまり興味の無かったメンバーは手っ取り早く終わらせたかったので、、まっご自由にって感じだったようにも感じます。

丁度、ビートルズが脂がジュージューのサージェントの時期から、、曲が作られ、マジカル、ホワイトへのツナガリの役目を果たすそんな曲の数々が披露されているようにも感じます。 捨て曲集め、、なんて言われ方もしていますが、それぞれの状況下の中でもビートルズらしくなってします神通力を感じます。 この神通力もいよいよこのアルバム発売と同時期から行われるゲット・バックセッションでいよいよ不可能になり始めますが、、、、、

ヘイ・ブルドックの録音同時期に“Across The Universe”も録音されました。インドへ渡る前でシングルだけ完成させなくてはという時に、、Paulの“Lady Madonna”のB面で、Johnは自分の曲ではなく、Georgeの“The Inner Light”に譲るのですね。 これまでコダワッテきたシングルに対しても「辞退」します。「アクロス~の演奏に失望したが、誰も助けてくれなかった」・・と、被害妄想どんだけ~って感じもしますが、、インド出発前にこんな状況になり、インド帰国後JohnのパートナーはもはやビートルズではなくYokoに変わってしまうのであります。そんな大きな分岐点に数々の録音がなされたこのアルバムの意義もあるようにも感じます。 
「辞退」を申し出たJohnは、、この時 ザ・ビートルズからの「辞退」も考え始めてのはないでしょうか。

今日も公共事業のコトで色々とやっておりました。 マニフェストの実行を国民との約束ですから絶対ですが、感情を考えないで行動すると、分断で、、亀裂ばから深くなり後々ややこしくなりますよね。もちろん安直な考えなくではなくウラでは色々考えての発言だとは思いますが、、どうでしょうか、カタチから入ることも大事ですが、カタチとココロの両輪ですよね。 杓子定規ではなく、、どうぞ宜しくです。 


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「(1968年には)すでに腐敗が始まっていた」

2009-09-22 | The Beatles
1968年、、激動・激変の67年終わり、いよいよ1月12日、Georgeがサントラ作成のために押さえていたスタジオで時間があまったため、、せっかくだからと“The Inner Light”の録音をインストゥルメンタルのみからスタートさせました。2月に入りインドでマハリシ・マヘシュ・ヨギのもとへ実験的瞑想を学ぶべく、その前にシングルリリースのための曲を作り上げます。“Lady Madonna”“Across The Universe”など、、そして「レディ~」のプロモ・クリップ作りの際、スタジオでの模様を録音するといくことで、それじゃ!と出来た曲が“Hey Bulldog”ですね。「それじゃっ!」てこんな凄い曲演っちゃんだから・・そしてインドへ旅立つワケで。。。JohnとGeorgeが2月15日に、、PaulとRingoは19日に、、、
そんなインド滞在中でシングル“Lady Madonna”“The Inner Light”が3月15日(金)に発売になります。発売1週間でアメリカで100万枚突破、イギリスでも25万枚以上売れました。

インドでグダグダと30曲以上の曲が出来上がり、、いよいよというか何となくというか、、5月30日からレコーディングに入ります。いよいよホワイトアルバムの背セッションの開始ですが、、スタートは“Revolution”からですね。 このアルバムでも象徴的なこの曲からというのも何か・・因縁? そろそろ独自感が強く、ただ無計画にやりたいことだけやれば、、感覚を感じます。好き勝手。。だからこそメンバーの誰かがいなくても、、JohnもPaulも勝手に、、これではGeorgeやRingoだって、ジョージ・マーティンやジェフ・エメリックだったたまったもんではありません。。。
だからおのホワイトはLIVE感はたっぷりですが、、ビートルズ感でいうと、偽ートルズって感じも受けます。ソロの4人の集大成的アルバム、、、って感が強いですね。 色々な要素が鏤められた、、華やかでカラフルなイメージとジャケの白がアンバランスで、、この当時のビートルズと象徴しているようにも感じます。

「白」とはウラハラにココロは「黒」になってしまった。。。。?

しかし、1曲1曲の楽曲としての素晴らしさは、Paulの才能炸裂で曲やベースプレイなど、今回のリマスターでまたまたよく聴こえて、、いいですね。 Johnこそ腐りかけの最後の、、輝きを放つというか好き勝手でパワー半分でやっちゃった感満載で、、Ringoは何とかメンバー間を取り持ち、、しかし爆発を起こして、、 Georgeは我慢の限界から、、エリック・クラプトンをレコーディングに参加させちゃって、、彼流のバンドのカンフル&中和を試みよう、、ということだったんではないでしょうかね。
そんな中、8月30日(金)には、自ら立ち上げたアップル・レーベルからの初のシングルリリース“Hey Jude”“Revolution” 全世界で800万枚を売り上げることになりました。

今回MONOとSTEREOを聴き比べてMONOのLIVE感には感動です。STEREOの分離感で演奏力の良さを再認識させられますが、MONOの音はいいね、、68年を封じ込めたそんな、そのままのビートルズ、まさに美ートルズがそこにいるようで、、、

と。。。そんな“The Beatles(White Alubum)”はLP2枚組の全30曲というヴォリュームで68年11月22日(金)に発売されます。 ジョージ・マーティンはずべての曲よりこの中から厳選して1枚のアルバムにすることに最後までこだわったようだが、、もうメンバーが言うことを聞くこともなく、、Georgeが「もう腐敗が始まっていた」というように、それぞれの考え方が大きく舵取りが変わって「組」ではなく「個」へと切り始めた・・68年となりましたね。

腐りかけのジュクジュクに熟れたそんなアルバムかもしれないですね。サージェントの真っ赤のジャケに今回は真っ白なアルバム、、何をやっても時代の半歩先を歩く・・まさにビートルズです。 このホワイト・アルバムはギネスブックにもアメリカで1週間で200万枚近くを売り上げたレコードとして記録されています。

さて、いよいよ9月も後半でシルバーウィークも終わるといよいよ10月で、、今年も総決算になってきますね。 あなたの「組織」はどうですか?? 中に入ると腐りかけいるかどうかもわかりませんね。 ちょっと視点を変えて、、眺めてみることも大切。。普通の会社は「不通」の会社、、、普通だと安心していたら。。不通になりグニャグニャに腐って。。臭いが出てやっと気づくようだと、、もうおしまいになっちゃいますよ。 腐敗臭は漂っていませんか???

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計画性のある無秩序か無計画の無秩序か・・・・

2009-09-21 | The Beatles
67年はビートルズにとって創作意欲の頂点、、やっと自分達のやりたいことができるという解放感から様々な名曲を作り(創り)出しています。
66年末から“Strawberry Fields Forever”のレコーディングが行われ、67年年明け、“Penny Lane”そして「A day In The Life」と、、サージェントセッションがスタートし、、架空のバンドが演奏しているというコンセプトを基本に、、アルバム製作が行われ、、4月3日に最終レコーディングが行われています。そして同時並行でPaulが思いついたのが、大型バスに乗ってミステリー・ツアーをするということ(4月7日アメリカ旅行の最中:ケン・キージー率いるメリー・プランクスターズのイギリス版をやりたい) 4月11日ロスからイギリスへ向かう飛行機の中で客室乗務員から画用紙をもらいそのアイデアをカタチにする。数日後メンバーに提示しこの企画が了承される。。そして4月25日から『Magical Mystery Tour』のレコーディングを開始する。 凄いスピード感!!

更に同時並行へ、、6月7日アニメーション映画『Yellow Submarine』の製作発表が行われ、サージェントからまもなく<マジカル>と<イエローサブマリン>の同時並行で楽曲作りが進んで行きます。そんなアニメのサントラ作りが5月から行われます。
世界同時衛星中継のテレビ番組にイギリス代表の2組うち1組として登場することが決まり、、『All You Need Is Love』の製作を行い、6月25日「アワ・ワールド」にイギリス時間午後7時55分から午後10時まで放送されました。ビートルズの演奏が放送されたのが「アーティスティック・エクセレンス」の中で午後9時36分から6分11秒間日本でビートルズを見ることができたのは朝方になりました。
メンバーも午後2時からEMIスタジオに入りリハやカメラリハを繰り返し、そして世界同時生演奏が行われたワケで・・・。白黒でしかこの映像を観ることができなかったのに、、アンソロジーのDVDで白黒から。。。サァ~とカラーに変わった時は涙でましたね。。。“All You Need Is Love”“BaBy You're A Rich Man”はシングルとして7月7日(金)に発売になります。

そんな絶頂の中、、悲劇が起こります。 8月27日マネジャー・ブライアン・エプスタインの死です。影からビートルズを献身的に支え、ここまでバンドを大きく有名した立役者が死んでしまう。。そんな中、メンバーはインドでの超越瞑想をしばらく延期してマジカルの完成を進めることを決定します。(9月1日) 9月5日からレコーディングを再開します。そしてそのレコーディングで演奏されたのが“I Am Walrus”です。そして映画の撮影を11日から開始することを決めるのでありました。
9月25日からは映画の編集作業に入り、追加撮影を行い11月3日に撮影が全て終了します。

時間の無い中、ある種の思いつきでスタートしたこの企画は、周りからも無計画で無秩序であったと言われています。名作もあり素晴らしい想像力を発揮している一方、、デタラメはデタラメで終わってしまう、いくらビートルズでも神通力が効かなくなるコトを感じさせる結果なってしまったようにも感じます。
しかしそんな無計画の中でも“I Am Walrus”などのようにもともと下準備があって計画的な無秩序の中から爆発力を呼んだものもあり、、、ね。
11月24日(金)“Hello Goodbye”“I Am Walrus”がシングルで発売され、マジカル自体は11月7日の段階でEP盤2枚組という変則で発売することが発表されます。そんなマジカルは、、12月8日(金)に発売になります。 この形態に反対した米国では独自の編集盤として発売(11月27日(月))映画とはウラハラに、、このアルバムはクリスマスシーズンと重なり、アメリカで100万枚以上のセールスとなる大ヒットとなります。

アメリカ側の都合で偶然の編集盤が、思わぬ好転を生んだ結果、今はオリジナルアルバムと同格扱いで私達の耳に届く結果となっていますね。サージェントとは異なるノスタルジーの香り漂う、、私達の心の原風景を感じさせるこのアルバムは、サージェントを対をなす名盤となったようにも感じます。 いかに1曲1曲の質が高い時期だったかを思い知ります。

計画性があってその中で大胆に行う(枠を払って・・)すごい爆発力を生むことがありますが、、何となくの思いつきだけでは限界がくるようにも感じます。 いかに実行するために計画を練るか、、計画8割実行2割、、ということが重要ではないでしょうか。 最近マニフェストに書いたからと大胆発言もどんどん出ていますが、是非とも視点が国民であるという中で最良の選択をされることを願います。 単純に止めればいいのか、、色々な視点の中での決断を、、 

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