伊那人のサッカーぶろぐ

二十年来のアルゼンチンファンである筆者「Menotti」のサッカー観戦記。U12の少年サッカーも応援しています。

高遠カップと卒団式とクライフの死

2016年03月27日 15時59分47秒 | 少年サッカー
今年も卒団式の季節になりました。
毎年の事ですが、6年生は4月から中学生になるわけですが、上伊那のチームは
最後の最後に高遠カップという大会でU12が締めくくられます。
去年も6年生を担当していたので、当然自分が率いていましたし、その前の年
も、諸事情で年末から6年を見ていたので、ほぼ、高遠カップのために担当を
やっていたような感じです。

予選が20分ハーフ、準決勝から15分ハーフという方式、総合グランドは大人
ゴールを用いての試合。そして毎年、この時期にグランドで悩まされるのは、
ぐちゃぐちゃなピッチです。

上伊那はこの時期、それほど雪は積もっていないのですが、一度降った雪や、
雨が乾かずに凍結してしまうので、いくら晴れても水分が抜けず、朝は
カチコチに凍っていて、午後ぐらいには融けてきてべちゃべちゃ、という
感じです。今年は前日までちょっとした大雨で、開催すら危ぶまれましたが、
総合グランドは使えずに高遠中グランドに会場変更して開催されました。

それでも中止せずにやってもらって良かったです。アルカス高遠や関係者の
方のおかげだと思います。うちも簡易式少年ゴールを貸し出しました。

今年の組み合わせは、同グループに駒ヶ根、喬木が入りました。
最後の最後まで駒ヶ根が我々に立ちはだかります。先日、フットサルで決勝、
敗れたばかりで、選手たちに今度こそ、という気持ちがあったのか、また、
やっぱ勝てそうにない、と思ったのかわかりませんが、組み合わせを聞いて、
誰が決めたんだー!と文句を言っている所を見ると、やはり当たりたくなか
ったのかも知れません。最後の目標は高遠カップ優勝と宣言していたくせに、
優勝するなら、どこと当たっても勝たないといけないんじゃないのか?
という質問に明確に答える選手はいませんでした。

しかも、この大会には諏訪FCも参加しています。うちは初戦の駒ヶ根戦を
勝ち抜き、グループ1位になれば、諏訪にリベンジする可能性をつなぐこと
ができるのです。

諏訪は南箕輪と同じグループです。会場移動した2グループに因縁の強豪が
集まった感じがしました。諏訪とて駒ヶ根は全少で敗れた因縁の相手です。
きっとリベンジしたいと思っているでしょう。

南箕輪もケーブル杯の決勝でPK戦の末に駒ヶ根に優勝を持って行かれ、
連覇の夢を絶たれているのです。やはり駒ヶ根にリベンジを期していると
思われました。


かくしてその結果は・・・。

うちは初戦で駒ヶ根に敗れ、リベンジなりませんでした。前半から押し込
まれる展開が続き、GKのMenotti次男の好守もあって、無得点に抑えていま
したが、何度もスルーパスを狙ってくる駒ヶ根に、この時、明らかに
オフサイドに見えたのですが、一人審判という事もあり、見逃されてしまい
ついに均衡を破られてしまいました。

こちらの攻撃はいつもながらY君の突破がメインになるわけですが、この日
キャプテンのR君もインフルエンザから復帰したてで、本調子とは程遠く、
いつにも増して、サイドの展開が少なくなっていました。さらにピッチの
悪さもあって、運動量も全体に少なく、余計にY君次第という感じです。

Y君にはいつも囲まれたときや絶対に無理だというときに、周りを使える
ように再三言ってきて、以前よりは良くなって来たと思うのですが、シュート
の精度は相変わらずで、この日もチャンスは結構あったのですが、決めれずに
先制され、後半は同点に追いつけずに時間が過ぎ、逆に追加点を奪われて
気持ちが少し切れてしまい、ダメ押しの3点目を取られて終戦でした。

続けて喬木戦が行われ、途中で下げていたキャプテンのR君を入れて戦い
ましたが、この試合は早々Y君が決め、その後同点に追いつかれたりもしま
したが、自力に勝るうちが、3-1と突き放して勝つことができました。

しかし、喬木は駒ヶ根に敗れたため、当然ですが準決勝には進めませんでした。

他のチームの結果は、諏訪は南箕輪に敗れ、やはり準決勝には進めず、
決勝はケーブル杯と同様、駒ヶ根対南箕輪になったようですが、優勝は
結局、駒ヶ根だったそうです。自分はこの後の卒団式のために最後までは
見ませんでしたが、どこもリベンジはできなかったんですね。まあ、それだけ
駒ヶ根は今年は強かったんでしょう。


さて、卒団式は年々、簡略化されている印象なんですが、やっぱり、早めに
5年生の保護者会長を決めて、会長を中心に企画してもらわないと厳しい
ですね。コーチが試合の合間を縫って、準備している感じですからね。

ただ、今年も公民館を借りて、卒団の盾や、記念品の授与、コーチや選手の
挨拶など、やるべきことは粛々と行われました。今年はサッカーをやめると
いう子がいなかったので、それは良いことだと思いました。できればこのまま
Jrユースで同じ仲間でやってほしい所でしたが、いろいろ目的も事情も
違うので、仕方ない事だと思います。

TOP伊那で学んだ事が少しでも今後、役に立てば良いと思います。


卒団式から数日後、いきなり、サッカー界に衝撃が走る訃報が伝えられ
ました。

現代サッカーの基本とも言うべき、トータルフットボールの申し子として、
オランダ代表のエースとして活躍したヨハン・クライフ氏です。

74年のW杯の印象が強いのですが、フライング・ダッヂマンの異名を取り、
あの有名なクライフターンを編み出した名選手でした。

その後、アヤックスやバルセロナの監督としても成功を収め、現在のバルサの
基礎を作ったとも言われています。

そういえば、先日、メッシが横パスPKをやったというニュースが出た時、
ガンで闘病中のクライフを元気づけるために、クライフが現役時代に実際に
行ったという横パスPKを、自分もやったと聞きました。

「ボールを動かせ、ボールは疲れない」

これもクライフの名言の一つなのですが、この言葉は、今のTOP伊那にも
聞かせたい一言だと思います。

とにかく、美しいサッカーを追及した人でしたね。勝利至上主義が当たり前の昨今、
クライフのサッカーを目指せれば、気分いいだろうといつも思います。

14番よ永遠に・・・。ご冥福をお祈りします。

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