伊那人のサッカーぶろぐ

二十年来のアルゼンチンファンである筆者「Menotti」のサッカー観戦記。U12の少年サッカーも応援しています。

天皇杯予選(山雅VSアルティスタ)とTopstoneフェスティバル

2011年08月18日 19時43分12秒 | 国内サッカー

短いお盆休みもあっという間に終わり、また通常の生活に戻ったわけですが、

休み中、伊那で行われた天皇杯予選、松本山雅FC対アルティスタ東御の試合の件、

そして、今年から始まったtopstoneフェスティバルについて書きたいと思います。

 

天皇杯予選は、準決勝のカードでした。もう一試合はパルセイロ対上田ジェンシャン

でしたが、そう言えば、アルティスタは今年の全少長野大会も制しているので、

もし、これで天皇杯長野大会も勝てば、すごいことだなーと思っていました。

ただ、相手はJFLの、あの山雅ですからね。松田亡き後、ベルディにも在籍した

横浜FCの飯尾も加入し、格下相手にどんなサッカーを見せるのか、興味がありました。

 

Menottiは久々に長男と観戦に出かけました。

伊那陸に着くと、ちょうどピッチでは両チームの選手が中央に集まって、松田選手への

黙祷が始まるところでした。我々も急いでスタンドにかけより、黙祷に参加しました。

山雅の選手やサポーターと、生で黙祷に参加でき、それだけでも行った価値があったかな

と思いました。

 

試合は、立ち上がり、一進一退かと思わせる場面もあったのですが、個々のレベルの

違いはやはりあって、アルティスタの攻めはどうしてもフィニッシュまでは行けない

感じがありました。FWの差なのか、山雅のDFが上手と言うのもありましたが・・。

ただ、山雅も組織としてアルティスタを凌駕するまでにはいけてない感じで、

所々でミスも多く、大量点で勝つようには見えませんでした。試合前、もしかしたら

圧倒的大差で山雅が勝つかも、なんて話もあったのですが、そんなことはなかったです。

 

それでも前半、山雅がゴール前のヘッドの落としから走り込んだ選手が流し込み、

早くも先制しました。チャンスをモノにする所は、やはり山雅が上でした。

 

アルティスタも玉際や、運動量ではかなり頑張っていたと思います。後半、追加点を

奪われても諦めずに中盤で走りまくっていた10番の選手が印象に残りました。

(あと5番も。この選手が山雅から来た選手みたい)

 

最後にヘッドでだめ押しされ、結局3-0で山雅の勝利でした。勝敗を分けたのは、

決定力ともう一つは、空中戦を制圧した山雅という事でしょうか。ヘッドでは

ほとんど勝っていました。そこから2点取ってるし。

 

アルティスタも山雅から選手が加入したり、これからもっと強くなろうとしている

ところだと思います。頑張ってください。

 

16日のフェスティバルとは、午後、親子サッカー、夕方からOB戦をやるということで、

これまた久しぶり、親子サッカーに参加しました。去年は宮田フットサルで、まだ

少しは走れていたのですが、今年それもなくなり、子供には走らせても、自分が

走れない状態になってしまい、かなり不安でした。おまけにこの暑さです。

何試合やるかわからないけど、明日から仕事だし・・・。

 

チームは奇しくも宮田の3,4年を見ているKコーチと一緒でした。幸い、大人が

3人いたので、一人が休め、どうにか最後までできましたが、走れないのは

当然のことですが、試合勘もすっかり鈍ってしまい、やっぱりたまに自分でもやらないと

だめだなと思いました。試合の最後の方は少し勘も戻って、3位決定戦、終了間際に

決勝ゴールを決めることもできたので、個人的にはすごく満足できました。

 

伊那からももっと参加が増えれば良いですね。

 

懇親会はいろいろ都合もあって参加できませんでしたが、次の日も休みで、場所が伊那付近

だったら、是非とも参加したいですね。伊那の榛原公園みたいに、グランドの横がバーベキュー

とかできる河原なら、サッカーしたあと、そのままバーベキューできていいと思います。

榛原はグランドがちょっと狭いですが・・・。

 

今週末はいよいよ上伊那4年生大会です。去年、ベスト4止まりだったので、今年はもっと上を

狙いたいと思います。

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先週の結果から

2011年08月06日 20時13分48秒 | 少年サッカー

今日になっても、未だに松田選手を悼むニュースがやみません。各界の人々のコメントを

読むたびに、いかに彼が皆に愛されていたか、人柄がよく出ていると思います。シーズンの

最中、2度も松本を訪れた中村俊輔。練習後に黒のスーツで決めて現れた三浦カズ。

当時の代表キャプテン宮本や、札幌から松本までやってきた者までいたと言います。

監督と衝突したり、生き方としては不器用なところもあったのかも知れませんが、

長野県の子供たちに本物のサッカーを見せてやるという心意気。本当に残念です。

今の松田だから、自分もこれほど悲しいのかな、とふと思いました。

 

さて、松田選手関連はこの位にして、先週末の試合のレポートに入りたいと思います。

 

先週は土曜日から3年のアルマーレカップ、6年の諏訪湖カップが重なって、日曜の

5年生リーグ、4年の練習試合と、コーチの人数が少ないTOP伊那にとっては、やりくりが

非常に大変な週末でした。Menottiにとっても、3,4年ですらかぶっていて、もう

自分の子供が出ている諏訪湖カップなんて行ける状況ではありません。

 

とりあえず、土曜日はアルマーレカップへ向かいました。

最近なじみの塩尻中央公園ですが、この日、天気が不安定で、塩尻に向かう途中から

雨が降っていました。現地でも天気が悪く、結局午前中は強い雨も含め、ほとんど

雨でした。うちの組はかなりの強豪チームがひしめくブロックで、初戦が諏訪、

次戦がフォルツァ松本、最終戦が松本エスティーロでした。諏訪だけ良く知らない

チームで、これが初戦だったのですが、フタを開けてみると、ここがまた強いチームで、

2戦目のフォルツァ松本より良いサッカーをしていたような感じがしました。

(ただ、後で聞くとフォルツァは諏訪に勝ったようです)

うちの3年はただでさえ人が少なく、主力の一人が肺炎で入院したりとかもあって、

女の子二人入れても10人と、かなり不安な状況でした。

どのチームも控えが倍くらいいて、こちらとは大違いです。

最初から圧倒的に押し込まれ、ほとんど何もできないまま得点を重ねられました。

左サイドの選手が早くてうまく、全体的にキック力のある選手が多くいたように思いました。

結局、うちはシュートもほとんどなく、0-6の惨敗でした。ボランチのS君は雨のせいか、

極端に運動量が少なかったので、聞いてみるとどうもモチベーションが下がっている

様子で、試合に出る意欲もあまりなく、2試合目の初めには、出たくないようなことまで

言っていたので、思い切ってベンチに下げました。

2試合目のフォルツァ戦は、前半、さっきの試合で吹っ切れたのか、なかなかの善戦を

見せました。諏訪よりもやりやすい感じがしたのは事実で、前半終わりに先制されましたが、

0-1で折り返すことが出来ました。後半、何とか初得点、そして逆転と行きたかったのですが、後半の立ち上がり、不運な形で追加点を奪われると、緊張が途切れたように、がくっとなってしまい、立て続けに失点してしまいました。

こうなるともう、止まりません。終わってみるとまたも0-6と同じスコアで敗戦です。

初戦よりは良い形も作れましたが、選手達の気持ちが落ちてしまっていて、このままでは次も勝てそうもない雰囲気が漂いました。

このまま、三連敗となってしまうのか。エスティーロさんも諏訪とフォルツァに2敗していますが、

いずれも0-2と、うちよりは善戦しています。

最終戦まで時間が長かったのはうちにとって良かったと思います。この間、長めにミーティング

を行い、もう一度選手を奮い立たせ、フォーメーションを練り直しました。

Tコーチにもカツを入れられ、エスティーロ戦へと臨みました。

ここへ来てやっとやる気を取り戻したS君をサイドに変更したのが、たまたまうまく行き、

右サイドから持ち込んだS君がニアに鋭いシュートを放ち、これがそのままゴールに吸い込まれ、

あっけなく先制点を挙げました。元々気分屋のS君、これで気をよくして、午前とは見違えるような

動きになりました。勢いは明らかにこっちにありました。その後も新加入のR君の初ゴールも

飛び出し、思った通りのサイド攻撃がやっとできたように思います。

後半の反撃もしのぎ、何とか1勝を挙げることができ、明日の順位リーグは3位リーグで

出来ることになりました。

 

次の日は、3年生との約束で、上位リーグ(1,2位リーグ)に残ったら、次の日もこちらに来る

予定でしたが、3位のため、日曜は、アルマーレカップはAコーチに任せ、自分は4年生の

練習試合に行きました。(アルマーレカップは3位リーグも強いチームが多く、全敗だったようです)

 

この4年生の練習試合は、かなり多くのチームが参加していて、
上伊那以外のチームで岡谷東部さんや長地さん、木曽さんに昨日アルマーレでも対戦した松本エスティーロさんも来ていました。

ただ、うちの対戦は、長地、木曽、岡谷東部さんでした。

この日、5年生リーグに半分くらいの選手をレンタルしており、
さらに直前で二人持って行かれたため、オリジナルメンバー5名、ここに宮田の助っ人を試合ごとにレンタルして臨みました。

 

ところがこの宮田助っ人が、良い刺激になったのか、1試合目から、なかなか良い発見というか、

良い相乗効果が生まれて、随所に良いプレーが見られました。2試合目からは普段のポジション

からがらっと変えたりしてみましたが、気分が変わって、良い経験というか、しっかり頑張れたのではないかと思います。

 

結果は3戦全勝で、3試合目は5年生リーグが終わって、戻ってくれたメンバーもいて、大差で勝つことができました。練習試合ですから、もちろん勝つことだけが目的ではないですが、色んな意味でプラスになった日でした。

 

諏訪湖カップに行っていた嫁さんと連絡を取ってみると、なんと決勝に進出していて、そして、優勝の報告が・・・。

 

宮田との合同とはいえ、うちの子供が優勝してメダルをもらったというのは、上伊那フェスティバル以来でしょうか?ちょっと現場で見れなかったのは残念でしたが、仕方ないですね。

 

ちなみに宮田は、あのアルマーレカップでも優勝、5年生リーグも負け無しで県大会だそうです。Topstone大勝利、と言う感じですね。

 

8/20、21の4年生大会は、是非何とかしたいと思っています。目標はもちろんAチームは優勝、Bチームはベスト4です。

 

 

 

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それでも前を向いて行くしかない

2011年08月04日 21時02分00秒 | 国内サッカー

おそらくは日本中のサッカーファンと関係者の祈りも虚しく・・・、松田直樹選手が亡くなりました。

未だに信じられない思いで、あのマリノス最後のスピーチのシーンが頭から離れず、会社でも勝手に涙が溢れてきてしまいました。

家でもかつてのいろんな映像と共に、山雅に来たときのフィーバーぶりや、山雅に対する思いを語る松田選手・・・。

Menottiは山雅のサポーターではありませんが、長野県に対しては、すごく愛する気持ちが強いと思っています。

長野県にJリーグのチームがなかったので、女子のJ1にあたるL1に、唯一いたチーム、そうです、それで大原学園のサポーターになったのです。

時代も変わって、今はパルセイロレディースとなって、チャレンジリーグにいるわけですが・・・。

松田が山雅に来ると聞いたとき、本当にびっくりしたと同時に、すごくうれしくて、あの、あの松田が山雅に来てくれる。Jに連れて行ってくれるんだ、と喜びました。

志半ばで逝ってしまった松田選手ですが、彼の魂は、きっと松本に残っていることでしょう。

そして、それを受け継いで、松本山雅FCの選手達は、J2,そしてJ1へ駆け上がって欲しいと思います。それが松田選手への恩返しとなるのだと思います。


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松田!松田!

2011年08月03日 18時26分17秒 | 国内サッカー

今日は、先週のアルマーレカップや諏訪湖カップ、4年の練習試合の結果をたっぷりとお送りする予定だったのですが、昨日入ってきた衝撃的なニュースに、いてもたってもいられず、書き始めました。

山雅の松田直樹選手。

長野県のサッカーファンなら、もう知らない人はいないと思います。

私、MenottiもJリーグ創設以来のマリノスファンだったので、当然、松田選手には思い入れがあります。私がマリノスファンと言うことは、意外と知られてないのですが、Jリーグ初代得点王、ラモン・ディアスはじめ、マリノスには歴代、アルゼンチン選手や監督と深い関係があるのです。

さらに、J以前では何と言っても、それこそ初代ミスターマリノス、現監督の木村和司。日本代表では、水沼とともに、私は木村の大ファンだったのです。

そして、松田直樹もミスターマリノスと言われるようになりました。そんな時の突然の戦力外。もっとサッカーがやりたいと言ってマリノスを去り、世間がびっくりする松本山雅への移籍。

天皇杯で浦和を破って以来の、山雅が全国に名が知れたニュースでした。

松田が目標としたJ2への道は、ここからが正念場と言うときに・・・。

昨日は俊輔、城も松本に駆けつけたようです。そして、このニュースは世界でも伝えられているそうです。さっきのテレビニュースで、あのマイアミの奇跡、Jリーグ制覇、日韓W杯の輝かしい映像が流され、マリノスをやめるときのグラウンドでのスピーチが流れたとき、思わず目頭が熱くなってしまいました。

正直、今日は気になって仕事も手に付かない感じでした。ここから数十キロの所で、松田が生死を懸けて戦っている、仕事で、何度も行ったことのある信大医学部・・・。

何とか助かって欲しい、最悪、サッカーが出来なくなったとしても、命だけでも助かってくれれば。

こんな時に思い出すのは、コンフェデの試合中に倒れ、帰らぬ人となった、あのフォエ選手。

鍛え上げられたアスリートでも、あんなにあっけなく逝ってしまう。

目標を達成しないまま、死んでたまるか、という、いつものガッツで戻ってきて欲しい。

松田選手の復活をみんなで祈りましょう。

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