伊那人のサッカーぶろぐ

二十年来のアルゼンチンファンである筆者「Menotti」のサッカー観戦記。U12の少年サッカーも応援しています。

上伊那4年生大会(決勝トーナメント)

2010年08月29日 21時50分44秒 | 少年サッカー
先週から2週続けての、上伊那4年生大会、今週はいよいよ決勝トーナメントです。

前日のゲリラ豪雨の影響で、朝7時半頃会場の駒ヶ根東小に着くと、グラウンドの一部はまだ水たまりがかすかに残っていました。
でも今日も猛暑の様相を呈した青空は、そんな水たまり、あっという間に乾きそうな勢いです。

そしてこの日も予想通り、暑い一日でした。

うちのチームは初戦が駒ヶ根Aという、唯一、ホームチームとも言えるチームでした。少年サッカーの場合、それほど地の利は関係ないような気もしましたが、子供たちの目には並々ならぬ気合が見て取れました。それはコーチ陣も同様で、時折、えっ、と思うような審判へのアピールなども見られるほどでした。

うちのチームは、先週調子の良かった右サイドのウイングに、荒削りな4年のM君を配し、序盤から勝負をかけて行きました。

一発勝負のトーナメント戦は、とにかく先取点を取って、ペースを握ることが重要です。

これは今までいろんな大会を見てきて感じたことです。少年に限らず、どんな大会でも言えることではないでしょうか。なので、選手達にも、初っぱなからガツンと行って、相手の出鼻をくじき、気持ちの上でも優位に立つのが大事だと、言ってありました。

駒ヶ根戦、それが早速、奏功したと言うか運も味方に付けたかのように、立ち上がり堅さが目立って自陣での守備が多くなっていた時、一瞬の隙を突いて右からのカウンターから例のM君の突破がみられ、そのままシュートが決まりました。

その後は、右サイドが面白いように機能し、わかっていても破られる、みたいな感じになってきました。そうなると今度は左もスペースが出来はじめ、Menottiの目指す3トップの攻撃的サッカーが見事にはまり、右サイドからもう1点、左からも得点し、前半で3-0とリードすることに成功していました。

駒ヶ根さんは、最初の失点がかなり効いていたようでした。前半の3点ビハインドは、信じられない結果だったかも知れません。10番の子はすでに泣き顔になっていましたし、後半、気を取り直して頑張ってはいましたが、焦りもあってか、前半よりは形ができていましたが、結局点は取れず、そのまま3-0での勝利となり、top伊那Aは早々にベスト4進出を決めたのでした。

駒ヶ根の10番の子はほとんど号泣状態でした。それほど悔しかったのだと思いますが、そのくらいの気持ちであれば、今後、もっと伸びることができるでしょう。

さて、首尾良く準決勝に進んだわけですが、次の相手は順当にくると、伊那少年Aのはずでした。相手はtopBで、こちらが勝てば、早くも同門対決という感じだったのですが、さすがに伊那少年が順当に来ました。以前から苦手としている伊那少年さんです。先日の3年生大会では決勝で当たり、勝つことができたのですが、今度は4年生だし、この間のようにはいきません。

伊那少年さんもこの大会に懸ける意気込みはすごくて、Aチームを率いるYさんには、試合前、「今日は負けませんよ」と断言されてしまいました。もちろんこっちだって負ける気は毛頭ありません。返り討ちにして決勝で今度はtopAと対戦する気満々でした。

対伊那少年の布陣は駒ヶ根戦の前半と同じでした。うまくいっている布陣は変えないのがもちろんセオリーだからです。

しかし、この試合、大きな誤算が待っていました。

それはうちのチームの要でもあるボランチのY君の体調が悪く、初戦に比べ、がくっと運動量が落ちてしまっていたのです。

うちのフォーメーションは、3-1-3とか3-1-2-1とされるように、3バックなのですが、11人制でいうと往年のアルゼンチン、もしくはアヤックススタイルとも言われる、クライフのトータルフットボールの流れを汲む、3-4-3の攻撃的スタイルを目指しています。

左右のサイドにウィングを配し、センターフォワードと共に3トップの様に攻撃するため、両ウイングと、8人制の場合、1ボランチに非常に多い運動量を求めるわけです。

それができないと中盤を自由にされがちになり、DFの前で、早めのチェックができなくなった時、ミドルを打たれたり、押し込まれてきて失点したり、負けるときはそんな感じです。

伊那少年さんのようにパスをしっかり回して左右から崩してくるチームには、中盤を支配されてはかなり厳しい戦いとなってしまいます。まさにその通りの展開になってしまいました。

先制点を許した後半、Y君を下げ、代わりの急造ボランチを入れ、それなりに頑張ってはくれたのですが、慣れないポジションで暑さもあり、どうにもうまく行きません。それでも両サイドから何度もチャンスを作ったのですが、1点返すことができず、さらに失点してしまいました。

ただ、2点目は明らかにオフサイドと思ったのですが、笛は吹かれず、テンションががくっと落ちてしまいました。さらにパワープレイ気味に行ってこちらのFWが相手GKに跳び蹴りのような状況になってしまい、さらに追い上げムードがしぼんでしまいました。経験からこのようなことがあると、ほぼ、そこからの逆転は難しいのです。

終わり際にだめ押しの3点目を献上し、ジ・エンドです。

3年生大会も含め、Y君の豊富な運動量に依存していたことを痛感させられました。彼がいないときのオプションも、もっと試す必要があると思いました。

Y君はこの試合でさらに足を痛め、東春近との3位決定戦にも前半、出場できませんでした。

リードされた後半、志願して出場しましたが、いつものキレはなく、運動量こそ持ち直して頑張りましたが、今度は他のメンバーたちがへばってしまい、取れそうで取れない、油断した隙に追加点を取られる、そんな嫌な展開の試合でした。気持ちでも相手に上回られた気がしました。

準決勝で負けた気持ちを引きずってはいけないとわかっていたのですが、なかなか子供たちを奮い立たせることができませんでした。

結果的には2敗して第4位。それでも表彰式には出られて、敢闘賞をもらうことができました。

4年生は自分たちなりによく頑張ったと思います。どのくらい頑張ったかは自分でわかっていると思います。3決でシュートが思い通りに決められず、泣きべそをかいていた子もいました。点を取るためにトップに入ったものの、ほとんど通用せずに無得点に終わった子もいます。

そんな中、Menottiが選ぶMVPはセンターバックのY君でした。左右のDFをフォローしながら、最後まで相手をマークしてシュートをブロックしていました。彼の活躍がなければ、この順位はなかったはず。多分、本人は前の方のポジションをやりたいのかも知れませんが、うちではマークがきちんとできる、足の速いDFが必要だったのです。不平も言わずに最後まで頑張ってくれました。

このブログを読んでくれているかわかりませんが、誰かわかったら教えてあげてください。

本人的には直接言うのもちょっと照れくさいのでね・・・。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上伊那4年生大会(予選)

2010年08月23日 22時29分59秒 | 少年サッカー
今年の夏は、とにかく暑いですね。

上伊那4年生大会は、今年も駒ヶ根で行われたのですが、いつもこの熱い時期に行われるので、選手はもちろんのこと、審判や応援の保護者、大会の運営をされている人達も大変です。

今年は連日の猛暑で、さらに大変だったのではないでしょうか?

実際、うちのチームでも熱中症のような症状で、ダウンしてしまう選手もいて大変でした。対処を間違えるともっと大変な事にもなりかねないので、無理せず休ませるのは当然のことだと思います。

さて、この大会ですが、先週の土曜日は予選ということで、4,5チームずつを4つのブロックに分け、各ブロックの上位2チームが次週の決勝トーナメントに進出します。

うちのチームは今年から2チームを出すことになり、Aチーム、Bチームで決勝トーナメントを目指しました。確か2年前くらいからこの大会を見ているのですが、2年前は一勝もできず、次週には進めませんでした。去年も1勝はしたような気もしますが、次週に進めなかったような・・・。

良く憶えているのは、その時3年生が対外試合禁止になっていて、3年を呼びたくても呼べなかったので、2年生を呼んで試合に出していたことです。さすがに厳しかったですが。

当初、選手達にも言っていたのですが、4年生主体チームと、3年生主体チームに分けるつもりでした。ところが、組合せ表をもらってみて、そういう風には出来そうもないと悟りました。

なぜなら、事務局の意思なのか、同じブロックにAチームが2チームずつ配されており、しかもその2チーム同士の対戦はないのです。Aチームは2試合Bチームとの対戦を行い、上位2チームが進出です。つまりブロックの2つのAチームが順当に進出できるようになっていたのです。

となると、力を均等に分けてしまうと、共倒れになりかねません。

そこで仕方なく、4年生をレベル順に2つに分け、そこに3年生をポジション別とレベル順に分け、バランスを取りました。これにより、Bチームが進出する可能性は低くなってしまうのですが、Aを何とか決勝に残すためには、仕方のない選択だと判断しました。(子供たちには、事前に今回は4年生の大会なので、3年生は自分の望むチームに入れないかも知れないけれど、不平を言わずに入ったチームのために精一杯頑張るように伝えていました。一日の試合を見る限り、この言葉通り、頑張ってくれたと思います。)

そして結果的には、思惑通りAチームを決勝トーナメントに進出させることができました。

しかし、現実は1勝1敗で、得失点でかろうじて上がれたのです。では、何でそんなことになったかと言うと、南箕輪が、Bチームをベストメンバーで組み(私の見る限り)、Aチームと逆にして、2試合の対Aチーム戦にぶつけてきたのです。

まあ、チーム分けはクラブの事情で仕方ないのかも知れませんが、結果的にはそのために、うちに3-0で勝った南箕輪Bも、トップAに惜敗してしまったため、駒ヶ根Bに大差で勝ったうちに得失点差で及ばず、決勝トーナメントに進出できなかったのでした。

これでうちが、3年と4年のチームで臨んだら、これほど得失点を稼げないと思うので、やはり予選敗退の可能性が高かったと思います。

それにしても、南箕輪Bはかなり強かったです。ディフェンスも固くて、うちのフォワードは前半、3年生中心だったのですが、突破できそうもなかったので、後半、うちの秘密兵器とも言うべき、右の高速ウインガーを投入して、打開を図りました。それでも右サイドをぶっちぎることはできませんでした。

この試合で1点も取れなかったのは悔しかったですね。

宮田のAチームはここに2-1で競り勝っているわけですから、うちもまだまだということです。

さて、来週は駒ヶ根Aとの初戦です。何とか2勝して、決勝でトップAと対戦できればベストかな、と思っています。

残念ながらBチームは敗退して試合はありませんが、自分たちの仲間が勝ち残っているわけですから、都合がつけば、みんなで応援してもらいたいと思います。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

監督という職業

2010年08月13日 23時04分37秒 | ワールドサッカー
日本代表監督は、未だに決まらないみたいですね。

ただ、アルゼンチン人の監督候補達はいつの間にか消えていて、現在の本命は、
どうやらスペイン人監督のようです。

それにしても、W杯優勝国から監督を招聘するのは日本サッカー協会の決まりみたいなものなんでしょうか?

過去を振り返ってみてください。確かそのはずです。(オシムは違いますけど)

確かに目指すものはあのパスサッカーなんでしょうけど・・・。

ギャラも昔に比べ、相当高くなっているみたいですね。何かのニュースで見ましたが、日本人監督だとやっぱり安いんだそうです。

代表監督は岡チャンのように、返り咲くという話はほとんど聞いたことがありません。

いろんなクラブチームや、国を渡り歩くというのは良く聞く話ですが。

韓国をベスト4に導いたヒディンクや、決勝トーナメント請負人とも言われた、ボラ・ミルチノビッチなどがいろんな国を率いた有名な監督です。他にも何人かいます。

こういった人達は、いわゆる強国(ブラジルとかドイツとか)の監督になることはなくて、ほとんどがそれほど強くない国か、中堅の国です。

そんな国をいきなり任されて、選手選びから練習、戦術指導やメンタルの鍛錬までやって、あの真剣勝負のW杯で決勝トーナメントまで駒を進めるのですから、もの凄いことだと思います。さらに言葉の壁や文化の違いなどもあり、負ければ責任を負わされ、場合によってはすぐに解任されてしまいます。

岡チャンも代表監督のプレッシャーは大変だと語っていましたが、全くその通りだと思います。

私も子供のチームで監督をやる機会があり、そのたびにメンバー選びや、試合の戦い方についてあれこれ悩むことはあるんですが、代表監督との差は、かなり大きいと思います。

でも、国を背負っているわけではないですが、やっぱりその子の親の期待は背負っているわけですから、生半可な気持ちではいけません。日頃の練習の姿や、試合での姿をよく見て、あくまで公正に、時には厳しく対処していこうと思いますし、今までもそのようにしてきたつもりです。

少年サッカーの場合、負けがこんだからといって、クビになることは一応ないと思うのですが、やはり試合をやるからには勝ちたいし、負ければ選手以上に悔しいと思います。少なくとも私は、試合で負けるのは本当に悔しいですね。

アルゼンチンがこの間のW杯で、ドイツに完膚無きまでにやられたわけですが、あの試合で最後までボールを追い続けて奮闘したテベスが、本当に落ち込んでしまい、引退さえほのめかすほどらしいです。未だにショックから立ち直れないのだそうです。そのくらいの意気込みだったのだと思いますが、みんなもこのテベスくらいの気持ちで試合に臨めば、結果もついてくるのではないかと思いました。

テベスも若いんだから、何とか立ち直って、4年後を目指してもらいたいです。

さて、来週には上伊那4年生大会という大会があります。

Menottiは3,4年担当で、しかも今回は3年も含めて2チーム出すので今からチーム分けに悩んでいます。両方決勝トーナメントに残ってもらいたいのですが、相手の情報もそれほどないし、難しいところです。

最終的には出られるメンバーが決まってからの話ですけどね。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次期日本代表の監督は???

2010年08月04日 22時45分20秒 | 国内サッカー
岡ちゃんの後釜について、世間が騒がしくなっています。

まあ、いつもだったらそれほど関心を寄せることもないんですが、今回はちょっと様子が違います。

だいぶ前からチリの監督をしている、マルセロ・ビエルサが候補に挙がっていると聞き、さらには、ホセ・ペケルマンもリストに挙がっていると言うことになれば、もう黙っていることはできません。

賢明なる読者の皆さんは、もうおわかりだと思いますが、いずれもアルゼンチン人監督であり、かつてはアルゼンチン代表を率いていた著名な監督なのです。

日本サッカー協会は、アルゼンチン(またはAFA)との関係が深くて、代表戦であったり、Jの監督や選手でも結構アルゼンチンの人は多いのです。かつては横浜マリノスで活躍したラモン・ディアスであったり、マリノスやエスパルスの監督をしていたアルディレスであったり・・・。

そういえば、あのモネールもアルゼンチンでしたね。
(関係ないですが、私はモネールと、2002年ARG-ENGを見るために乗った北海道行きの飛行機でボディ・ランゲージをかわしたことがあります。)

そんな関係もあって、アルゼンチンの監督が多くリストアップされているのでしょうが、個人的に、これから4年(もないですが)かけてお願いするなら、ペケルマンが適任ではないかと思います。報道でもありますが、ペケルマンは若手育成には定評のある監督だし、オリンピック代表でも輝かしい結果を残しています。

ビエルサはチリの監督を続けるようですね。南アフリカ大会で、攻撃的な3-4-3を用いて、一躍有名になったビエルサですが、2002年の日韓大会の時は、オルテガ、クラウディオ・ロペスなどを擁して結局一次リーグ敗退しているのです。

戦術オタクとしても有名な人です。

例えば、ワールドカップ本大会まであと何ヶ月、なんて状況の時だったら、ビエルサが良いと思います。現状のリソースを最大限活かすための戦術を導き出してくれることでしょう。

あと、もう一人くらい候補を挙げさせていただくなら、アルディレスの仲間でもある元アルゼンチン代表のキャプテンでもある、ダニエル・パサレラでしょうか。規律を重んじる、日本向きな監督だと思います。

一番、向いていなさそうなのが、つい先日アルゼンチン代表監督を追われた、マラドーナでしょうか・・・。

彼の場合、監督するより先に、日本に入国できるのか??2002年の時は特例として入国が許可されたようですが・・・。

ポール・マッカートニーとマラドーナ・・・。クスリには厳しい国なんで、日本は・・・。

でも、マラドーナが監督になったら、客はたくさん入るでしょうね。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡谷東部さんとの交流会

2010年08月02日 21時31分15秒 | 少年サッカー
おかげさまで足の方もだいぶ良くなってきました。

8/1の日曜日は、岡谷東部さんの3年生合宿に招待されまして、松川青年の家で一日、宮田Topstoneの3チーム、岡谷東部の2チームと練習試合をさせていただきました。

岡谷東部と言えば、2年生の時のほたるカップでは同じグループで引き分け、確か勝ち点で上に行けず、つい先日の塩尻のフレンドリーでは、初戦で押しながらもカウンターで1点取られ、そのまま負けてしまった相手です。

宮田は先日の3年生大会でも準決勝で対戦したばかりで、きっと雪辱に燃えてくるのではないかと思われました。

それに岡谷東部には、元宮田でコーチをしていたTさん(あのT橋さんではなく、T田さんです)もいるはずでした。その再会も楽しみのひとつでした。

松川青年の家は初めて行きましたが、なかなか良いところで、しっかり2面取れて、気持ちよくプレーできたのではないでしょうか。

今日は練習試合の他に、全選手をシャッフルして8チームに分け、2試合ずつの試合も行い、これがまた良い経験になったようです。普段やらないポジションや、知らない選手とチームを組んで、社会人でもよくある、研修のような雰囲気です。この2試合でかなり体力を使った選手も多かったように思いました。昼食もその8チームごと食べて、練習してみたり、協調性とリーダーシップを学ぶ場でもあったわけです。

そして試合の方は、一応、4年生大会に向け(3年主体のチームも出場の予定なので)、足りないところ、修正するところなどを浮き出させれば良いかと思っていました。なので、ポジションも多少いじって、さらに新加入の選手を使ってみて適性を見たり、本人に試合慣れしてもらうことを目的にしてみました。

相手によっては、ベストなメンバーとポジションで行かないとかな、と思っていましたが、前日現時点で主力の一人と、その他にも何人かが欠席となり、新メンバー入れて9人と、ベストメンバーでも新人をスタメンに置かざるを得ない状況になっていました。必然的にガチンコ勝負でも新人を一人投入しました。

初戦はTさんの率いる岡谷東部Bでしたが、岡谷東部さんはA,Bで比較的均等に分けていたように思いました。しかし戦い方はどちらかというと守備的で、カウンターからの早い攻めが特徴のように思いました。塩尻の時と全く同じような・・・。

展開も前回ほど押すことは出来ませんでしたが、うちが攻めてもゴール前に人が多いのと、うちの決定力のなさも響いて、また得点が奪えません。

そうこうしているうちにまたカウンターから先制され、同点に追いついたのですが、最後、やはりカウンター(というか一本のパスを前線の選手に通され)、無心で打ったミドルが、うちのDFがブラインドでGKが反応できずにあっさりゴールイン。1-2で早くも敗戦を喫してしまいました。

どうも相性が悪いようです。というか、このような戦い方をされると弱いと言うことです。決定力と言ってしまえばそれだけですが、DFの守り方の問題もあるように思います。うちの3年生は攻めはそこそこの形が出来てきていますが、守る方がまだ不安定です。ここがまずは修正点ですね。

2試合目は確かTOP Bだったと思いますが、そこは危なげなく勝ったように思います。

次が因縁の相手、TOP Aでした。

前回、3年生大会では0-0からのPK戦でかろうじて勝ったので、向こうとしても雪辱を期して来るだろうし、こちらも決着を着けるべく気合を入れ直して戦いに臨みました。

練習試合にしては結構激しい試合になりました。多少ファールが流された所もあったのですが、こちらが運良く先制でき、そのまま守りきって、勝ちを収めることができました。今回の試合形式は前後半なく15分一本だったので、もちろん正式な試合ではないですが、子供たちは確かな満足感を得ていたようでした。それで満足しきってもらっても困るのですが・・・。

例の8チームのフレンドリーの後、もう一つの岡谷東部さんと対戦しました。

午前と同じ、ジリジリした展開の中、ようやく先制点をもぎ取りました。しかし給水後の試合終了間際、足が止まり始め、集中も切れてきたところでペナルティエリア中央付近で相手をフリーにしてしまい、見事なシュートを決められました。

半ば勝ちを手中にしながらの引き分けで、結局、今日も岡谷東部さんに勝ちはなしでした。

最終戦は、TOP Cとの対戦の予定で、大幅にポジションをいじる予定でしたが、うちに負けたのがよほど悔しかったのか、Cだとレベルが違うと言うことなのか、またもTOP Aとの対戦となりました。

うちがポジションを比較的固定しているからそこそこ勝てる、と言う話もあったので、今回はあえてポジションをいじったまま、しかも普段やらない2バックにしてみて対戦させてもらいました。

そうしたら、フレンドリーの疲れで足が動いていないと言うのもありましたが、全然試合にならず、攻めも全く機能しないままに2点を献上して給水前の前半を終わりました。

後半、ポジションを元に戻したことで、攻めの形は出来たのですが、2点をひっくり返す気力も体力もなく、最後前掛かりになったところを逆にやられてだめ押しの3点目を取られて終了です。

疲れているときの頑張り、リードされているところから盛り返して逆転する精神力。その辺が足りないと言うことに気づいてくれれば、と思いました。あとはやはり体力強化ですね。

暑くても、最後まで走り抜く子供に育てていきたいと思います。これはオシムの言葉の中にも出てくる話です。サッカーは走らなければ始まりませんからね。

新人もこの日の練習試合はかなり勉強になったと思います。早く元のメンバーとレギュラー争いができるようになってください。

(実はこの日、作戦ボードを引率の方の車に置き忘れてしまい、点数の詳細な記憶が怪しい状態でした。すみません)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする