霧島家日誌

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クレーシーの戦い(クレシーの戦い)にみる射撃兵器による騎兵突撃阻止の可能性

2011年01月04日 20時41分02秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君、いかがお過ごしかな。最近寝込んでばっかりの霧島である。と言うかここんとこの記事で私が調子いいって書いた事ないな。取り敢えず昨日は16時間寝たし、一昨日も十二時間以上寝てる。頭痛は多少マシになったんだが。


さて、続きをリクエストされてたんでこの間の話の続き…といこうと思うが、もう少し火縄銃の話をしておきたい。と言うのも、前の記事で

では、ALL射撃兵とALL重装歩兵で戦争したらどうなるかと言えば、その射撃武器が機関銃とかでない限り確実に歩兵が勝つ。

どうせ射撃兵は近接戦闘ができないんだから、歩兵は何も考えず射撃兵の群れへ突っ込めばOK。射撃兵は自分達の所へ歩兵が到達する前に連中を全員射殺せねばならないがそんなもん不可能なのである。それこそ機関銃が必要だ。弓やボウガンでは、否、それが火縄銃であっても余程の兵力差がない限り無理と言える。


こんな事書いたな。しかし、これを読んだ読者諸君の中にはムッと思った者もいただろう。何故なら、日本には世界的に有名な合戦である長篠の戦いがあるからである。長篠では武田の騎兵突撃が織田・徳川連合軍の火縄銃射撃によって阻止されており、私の説は覆っている様に思える。騎兵は歩兵よりも足が速い訳で(武田の騎兵は怪しいけどな)、普通に考えれば歩兵よりも射撃兵に強いのだしな。

これについて、世界の戦史研究では長篠・クレーシーといった形で長篠と並び称されておるクレーシーの戦いを例にとって解説しよう。AOCの文明の歴史解説にもなるし。


クレーシーの戦いは、百年戦争初期においてイギリスの優勢を決定的にしたエドワード黒太子の演出した会戦の一つである。この会戦について述べる前に、ある程度イギリスの歴史、特にロングボウ隊の歴史について触れてこう。

イギリスの正式名称がUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、つまりグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国である事は有名である。ここを見ると判りやすいが、この国は大まかにいってイングランド(ブリテン島南東)、ウェールズ(同西部)、スコットランド(同北部)、北部アイルランド(アイルランド島北部)、及びブリテン諸島(アイルランド島とブリテン島の間にあるマン島とチャンネル諸島)に分かれている。

元々、ブリテン諸島はケルトの住む場所であった。ここにゲルマン人であるアングル人、ジュート人、サクソン人の三部族(いわゆるアングロ・サクソン人の事)が移民してきたのがイングランドのはじまりであるといえる。そしてこのアングロ・サクソン人の侵攻からウェールズ、スコットランド、アイルランドは逃れている為、それぞれ独自の歴史を持つ事となった。

つまるところ、これらは本来なら違う国になっててもおかしくないのであり、スコットランドとかをイングランドが征服するのがこの国の歴史大半と言えるぐらいである。

なので、イギリスの歴史上の人物だからって安易にイングランド人と呼んではいけない。

例えば、AOCのチュートリアルでプレイヤーを指導するウィリアム・ウォーレスはスコットランド独立戦争でスコットランドの為に戦った英雄である。彼はスコットランド人であり、イギリス人だがイングランド人ではないグリートブリテン及び(ryの人間だがイングランドの人間ではないのだ。逆に、彼を打倒したエドワード一世長脛王はイングランド王であり、イギリス人でもありイングランドの人間でもある。この二人は映画「ブレイブハート」で出てきたな。

こういう歴史的経緯がある為、公式な場でイギリス人が自分を「イングランド人」と名乗るのはNGであり、voobly等多くの場で略称は「UK」(United Kingdom)とされている。あくまでこの国は「連合王国」なのだ。

そんなグレートブリテン連合王国の軍事的な特色は、やはりロングボウである。長弓だ。前の記事で少し触れたが、弓は習熟に時間を要する上、個人的な才能にも左右されるところがある。特にロングボウはそうで、例えば物凄い筋力が必要だ。

ゲームに出てくる弓使いは軒並みSTRが低いから意外かもしれないが、長弓というのは力が要る。イギリスでは自由農民(ちなみにこれをヨーマンという)を訓練して弓兵にしていたが、弓兵にすると左胸筋が異様に発達する為左右非対称の身体になる。それ以外にも、指の骨が変形したり左右の手の長さが違ったりもする。結果、当時のイギリスの農村には岩兵衛みたいな農民がそこかしこにいたのである。

そんな農村嫌だ。

又、習熟にも時間がかかる。逆に言うと普段から使っていれば手足の様に使えるので、狩猟民族の軍隊では主戦力になりやすい。騎馬遊牧民族であるモンゴルやフンの軍隊の主力が弓騎兵だったのは彼らが狩猟民族でもあるからである。欧州は農耕民族だからそういう訳にはいかないのだが、ブリトンは例外であった。ちなみに武士という名の重装弓騎兵を擁する日本も何故か例外だった。

ちなみに時間がかかるってどれぐらい時間がかかるって、イングランドのロングボウ兵養成には20年かかると言われておる。モンゴルとかが使った半弓と違って連中のは非常にパワーが要るのもあって、養成は大変なのだ。ちなみに前回紹介したスウェーデン式大隊とかの戦列歩兵を訓練するには大体二年必要だといわれており、まぁ時間はかかるがロングボウ兵よかマシである。

んで、前述のエドワード一世長脛王スコットランドへの鉄槌という名でも知られたが、彼が隷属させたのはスコットランドではなくウェールズである(スコットランドはこの後も幾度となくイングランドと戦っている)。そしてこのウェールズへの侵攻の際、イングランド軍は何度も酷い目にあった。その武器こそウェールズ人ロングボウ隊だったのである。

そう、イングランドの国民的武器となるロングボウも元を辿ればウェールズの武器だったのである。んでこのロングボウ、非常に強力だった。どれぐらいかって火縄銃より余程強力であった。あちらは最大射程でも精々200mが限界でしかも連射速度も一分2~4発程度。一方ロングボウの射程は最大で500mにも達する。

ただ何せ訓練が大変なのはさっき言ったとおりで、火縄銃登場後は徐々に衰退していった。だがそれでも、清教徒革命戦争(スウェーデン式大隊を作ったグスタフ・アドルフがとっくの昔に死んでる時代)ではどっちかがちゃんとしたロングボウ隊持ってれば一瞬でカタがついてたとまで言われている。


さて、話はようやくクレーシーに戻ってくる。クレーシーはフランスのカレーの南にある村だが、この村の近くに小山があった。フランドルへ撤退中だったイングランド軍は追撃してくるフランス軍をここで待ち受ける事とし、この小山に布陣する事にする。判りやすい図がないものかとぐぐったらなかったので自分で作った。



どうでもいいがこれ作るのに一時間かかった。いや、一時間半かかってるかも。以降の記事はできるだけこの図を見ながら読むといい。

さて、解説だ。イングランド軍は小山に陣取った。風車小屋を本営とし、司令官であるイングランド王エドワード三世羊毛商人王はここ。前面には丘陵に沿ってV字型になる様ウェールズ人ロングボウ隊を配置。その前方には防柵と落とし穴を配置し、歩兵隊は二個の方陣を形成。エドワード黒太子はここの一隊を受け持った。又、騎士による強力な重装騎兵軍団を持つフランス軍に対し、イングランドは騎兵戦力で大幅に劣る。これに鑑みて騎士も下馬して歩兵として布陣し、槍等で騎兵に対抗する。

一方、フランス軍はどういう布陣かよく知らないので壊滅的に適当な図になってるが、取り敢えずジェノヴァ人傭兵のクロスボウ隊を前面に配置していた事、その後ろには大量の騎士が控えていた事は確かな様だ。尚、この図だとイングランド軍のが多そうだが、実際にはイングランド軍一万二千に対しフランス軍は三万から四万いたらしく、数的劣勢は明らかだった。

ちなみに、イングランド軍自慢のロングボウ隊がウェールズ人になってるが、当時はイングランド人弓兵隊はまだ整備されておらなんだ。英軍にて弓兵が主力となる時期は私には判らんが、一般的にイングランド人弓兵はヨーマン、即ち自由農民で構成されているとされておる。そしてヨーマンが勃興するのは百年戦争や薔薇戦争で中小貴族がお亡くなりになられたからで、つまり十四世紀後半の話である。

さて、緒戦は当然撃ち合いから始まる。ウェールズ人ロングボウ隊とジェノヴァ人クロスボウ隊の撃ち合いな訳だ。一般的に、クロスボウは威力と精度に優れ、更に射程も長いと言われるがそれは近距離での直接照準に限った話である。

世の中には直接照準と間接照準という二つの射撃法がある。直接照準ってのは、普通に敵に向かって狙いをつけて撃つ射撃方法だ。一方間接照準は、大砲なり弓なりを空に向かって撃ち、放たれた砲弾なり矢なりがやがて重力に負けて落ちてきて、それが敵に当たる、という射撃法である。



長弓は間接照準が得意であり、山なりの弾道を描くこの射撃法でも強力である。しかも、この戦いでは見ての通りロングボウ隊が高所に陣取っている。大落角で落下してくるロングボウ隊の矢に対し、ジェノヴァ人傭兵の矢は重力に逆らうだけの直接照準射撃しかできない。しかも熟練したクロスボウ隊は一分に6~12発も撃てるが、クロスボウは一分に二発程度が限界である。

お陰で、ジェノヴァ人傭兵隊はたちまち撃ち負け総崩れとなった。これを見たフランス軍司令フィリップ六世(フランス王)は騎士による突撃で挽回する事を決定。元々フランス騎士達は血気に逸っていたので、命令が下るや邪魔なジェノヴァ人傭兵を斬り飛ばして(本当に斬ったらしい)突撃を開始した。

しかしながら、この突撃は大変な困難を伴った。イングランド軍が事前に用意した落とし穴と防柵によって進路は塞がれており、更にイングランド軍が待ち構えているのは小山。つまりこの坂を駆け上がらなければならないのだ。その上前日に降っていた雨のせいで足場も悪くなっており、騎兵を使った機動戦には最悪だった。

障害物に足を取られている間、フランス騎兵隊にはウェールズ人ロングボウ隊の矢が容赦なく降り注いだ。当時の鎧はファンタジーでお馴染みの板金鎧(プレートメイル)はまだ開発されておらず、騎士の高級装備でも鎖帷子(チェインメイル)止まりであった。

鎖帷子はその名の通り鎖を束ねた鎧である。口で言っても判りにくいのでぐぐったら人形用のチェインメイル作り方講座があった。絵だけ見るので充分だが、構造が非常に判りやすい。こういう構造なので斬撃には強いが、要するに鉄のリングを束ねただけなのでレイピアの刺突とか矢の射撃とか食らうと隙間から入ってきて終了する。

どうでもいいが、チェインメイルで画像検索してたらこんなん出てきたんだが何考えてんだろう。まぁでも極限まで手抜きしたチェインメイルってこんな感じだろうな。

話が逸れたが、ロングボウの威力については諸説あるものの、こんな鎧ではとてもではないがロングボウ隊の射撃には耐え切れない。その上騎兵は馬に乗ってる分シルエットがでかいので、余計にがしがし当たる。足踏みするフランス重騎兵隊は次々と落馬する。

しかしそれでも、フランス騎士は名誉にかけて突撃を敢行する。やがて障害物帯を突破し、前面に展開していたロングボウ隊は後方に撤退。フランス騎兵は側面に展開するロングボウ隊には目もくれず、イングランド歩兵隊に殺到すべく丘を駆け上がる。実際、騎兵というのは一人二人ならともかく、全員で全力突撃してる時に方向転換するのは至難の業なのでこれは間違っていない。

しかし、結果として側面にいるロングボウ隊、更には後方に撤退したロングボウ隊による十字砲火を食らう事になり、余計に大損害を蒙る結果となった。お陰でイングランド歩兵隊に到達した時には本来の衝撃力の半分も発揮できる状況になく、イングランドの陣列を突き崩すのは不可能だった。イングランドが頑強な密集槍方陣を形成したかどうかは判らないが、それでもフランス騎士の突撃を受け止めた事は事実である。

結局、フランス軍は十五回も突撃を発起したが全て失敗に終わった。流石にこれは無理だと判断したフランス王フィリップ六世は撤退を指示し、戦いは終わった。記録によって変わるが、フランスの損害は六千から二万に及ぶといわれ、一方イングランドは僅か百五十の被害で済んだという。ただこの数字は誇張(と言うか過小評価)ともいわれ、実際には千人ほどやられていたともいわれている。

しかしそれでもイングランドの圧倒的な完全勝利であり、百年戦争の年代記で有名なジャン・フロワサールに大いなる、そして恐るべき敗北とまで書かれた。父と子が皇帝であるボヘミアのヨハン・フォン・ルクセンブルク盲目王や、フィリップ六世の弟であるアランソワ公シャルル・ド・ヴァロワすら戦死し、司令官でありフランス王であるフィリップ六世までもが負傷した悪夢の敗北であった。

尚、一般にはプレートメイルすら貫通できるといわれるロングボウの矢だが、その一方でディスカバリーチャンネルによる実験ではチェインメイルすら貫けなかったという実験結果も出ている(どういう実験したのかまでは知らんが。火縄銃で鎧撃った誰か限りなく間違った実験みたいな胡散臭い実験という可能性もある)し、イングランドの矢はフランス騎士の鎧の上を滑り傷付けられなかったという史書もある。

ただ、騎士は貫けなくてもお馬さんは即死なので、落馬したところを歩兵に討たれた可能性は高い。フランス騎兵の大半は圧死、もしくは窒息死したという意見もある。どちらにせよフランスがどうしようもなく大負けした事だけは確かである。


この戦いで重要な事は、イングランドは別にロングボウの力だけで勝った訳ではないという事である。確かに、ジェノヴァ人傭兵にしろフランス騎士にしろロングボウの強力な制圧射撃によってやられた。しかしこの結果は、高地に陣取り、更に防柵と落とし穴による障害物を構築するという野戦築城、更にフランス騎士が突撃すればするほど十字砲火に晒されるという巧妙なロングボウ隊の配置、そして騎士を下馬させてまで作った騎兵の衝撃を殺す事に特化した歩兵の配置

これらの要素が組み合わさって、初めてクレーシーの勝利は実現したのである。エドワード黒太子の軍事的天才と羊毛商人王の適切な戦争指導の賜物と言えるだろう。もしロングボウ隊が平地にフツーに陣取っていれば、フランス騎兵に容易く蹴散らされた事は想像に難くない。これだけやってもフランス騎士は十五回突撃できたのだから。

基本的に、長篠もこれと同じである。長篠も織田・徳川連合軍は先に戦場に到着、馬防柵を戦場の各所に配置している。武田軍はこの防柵を越えようとしている間に火縄銃で撃たれまくり、えらい目に遭ったのだ。ただ、クレーシーと違って長篠の場合もっと複雑な戦闘経過を辿っており兵隊の構成も歩兵の割合が圧倒的に多いので、この話題としてはクレーシーを選ぶのが妥当だと考えたのだな。

この様に、機関銃誕生以前の射撃兵器で敵の突撃、特に移動速度の速い騎兵の突撃を粉砕するには障害物に頼る防御戦術しかない。しかも、長篠やクレーシーの様な大成功した場合でも、何度かは敵軍の突撃が到達しているのである。

又、この様な野戦築城戦術は、先に戦場に到着していないと使えない。更に、野戦築城が成功しても大砲などを持ち出されてバカスカ撃たれ、擬似攻城戦を仕掛けられるとどうにもならない。更に言えば、敵が馬鹿正直に突撃してきてくれないと意味がないので、どんな戦場でも使える戦術でもない…と、欠点は多いのだ。


これも又、銃剣が発明され、銃を槍として扱える様になるまでは火縄銃が(射撃兵器が)戦場を席巻する事はなかった理由の一つである。どんなに射撃能力の優勢を確保していても、軍隊には槍が必要だったのである。
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4 コメント

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Unknown (まっつん)
2011-01-04 22:14:38
ありがとうございます。

読みごたえありました。
帰省中の為、母親に『なに真剣に読んでるのよ』と言われたくらいです。

長篠は心得がありますが、クレーシーは新しい発見でした。

気になること、日本の戦国時代火縄銃は狙撃にも使用されたというのはデマカセでしょうか。
杉谷善住坊や雑賀衆などの逸話によくでてくるので
Unknown (霧島)
2011-01-04 23:03:13
お母様にそれだけ言われるぐらい真剣に読んで頂けて幸せです。

クレーシーは、日本ではあまり有名な戦いではありませんからね。と言うか、日本で有名な外国の戦いってワーテルローとワールシュタットぐらいしかないな…ただ何せ、長篠は穴山隊とかの敵前逃亡、それによる鶴翼包囲崩壊が決定的な敗因なので、こういう話題にはちょっと不適かなと。


日本人は変態民族だと私は常々思ってますが、火縄銃の扱いについてもそれは発揮されています。火縄銃は、特に当時の火縄銃は命中精度に関しては非常に劣悪な筈なのですが、戦史を調べるとどうも狙撃したとしか考えられない記述がいくつか出てきます。

特に朝鮮征伐では、敵方である朝鮮及び明の記述にも狙撃されたと考えるべき内容が多くあります。特に朝鮮水軍の記録には、火縄銃による被狙撃記録が数多くあります。陸上戦なら鉄砲足軽隊による一斉射撃が偶然当たったのではと言えますが、水上戦ではね…

ただ、日本の火縄銃は西洋の火縄銃と違い(ここでいう火縄銃とは当時の銃全般を指すの一般名詞のこと)狙撃に向いていました。

まず日本の火縄銃は特色として銃床がなく従来の弓の様な狙いのつけかたが可能でした。なので、照準器が一切ない和弓で何故か遠距離狙撃ができる変態弓術の流用がより容易です。

更に照門、照星が備え付けられている場合が多く、割と精密な照準が可能です。ただ西洋のものと比べると独特な仕様で、何故こういう仕様になっているのかは謎です。多分変態日本人仕様なんでしょう。又、西洋では狙撃が重視されていなかったせいか、幕末の会津が買った銃なんかはそもそも照準器がついていません。

そして、最大の差異は発火方式です。即ち、向こうでは火縄式がすぐ廃れて火打石式になりましたが、火打石式は火打石を打ち合わせて発火します。これはつまりライターのあの歯車をぐりってやる動作に近いのですが、あれやるとライターが激しく動きますね? 同様に、火打石式も、引き金を引くと銃がブレる為、命中率が非常に悪いのです。

しかし火縄式はこれがありません。しかも日本の火縄銃は瞬発式火縄銃といって、引き金を引いた瞬間に弾が出ます(西洋のは緩発式といって引き金を引いてからしばらくして発射)。なので、総合的に狙撃に向いています。

とは言え、現代銃で良く考えても散弾銃にライフルスラッグ弾入れて狙撃するようなものなので、本物の変態射手じゃないと狙撃は難しいでしょうね。
Unknown (冥王星)
2013-05-19 21:15:49
私はなぜローマ軍が重装歩兵の投槍→盾と短剣による白兵戦のパターンにこだわり、弓兵があまり見られないのか不思議に思っていましたが、あなたの解説で合点がいきました。やはり戦争の基本は歩兵なのですね。
Unknown (霧島)
2013-06-19 09:20:20
理解の一助になれば幸いです。

まぁただ、むしろローマ重装歩兵、つまりレギオンですが、これにも弱点があって、それは機動性です。つまりレギオンは死ぬほど鈍重なので、騎兵に回りこまれたりすると頭がおかしくなって死にます。

と言うか、ローマ重装歩兵が長い間ドクトリンを変えなかった(かえる必要がなかった)のは、特にハンニバル戦以降、対等な対戦相手がいなかったというのも大きいと思います。蛮族(ケルト人とか)は上半身裸で槍一筋に特攻かましてくる様な連中ばっかりだったので、重装備の歩兵による堅固な密集陣で負ける要素がなかったのです。

これが西ローマ帝国末期になると、蛮族(ゲルマン人とか)が騎兵を有効活用し始めたりして、軍事ドクトリンの変更を迫られます。又、東ローマ帝国でもペルシャ騎兵の機動性についていけずカタフラクトなどの騎兵を導入しています。東ローマ帝国と東ゴート王国の決戦、カンネーの戦いでは、射撃と密集槍方陣による漸減戦法を用いたりもしています(カンネー戦については本ブログでも解説しています)。

まぁただ、やっぱり戦争の基本は歩兵ってのは確かに変わらないですね。WW2、特に冷戦時代以降はともかくとして、基本的には「いかに密集歩兵を崩すか」が勝敗を決した訳ですから。

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