昼、新聞のお悔やみ欄を見て、思わずアッと声を上げてしまった。
長いこと消息がわからなかった教会員の名前を見つけたからだ。
10年いやもっと前かもしれない。お子さんの住まいの近くにということで、金沢市の老人施設に入られていた。そこに入所されてからは年に一度クリスマスカードを出していた。返事が返ってきたことは一度もないけれど。ご親族が七尾にいるわけでもなかったので、それ以上の連絡は難しかった。
107歳のご生涯だった。
この方の教会との出会いは、幼稚園だった。昔のことだから幼稚園に行く人は少なかった。七尾幼稚園に行かせてもらったから、日曜学校に行くことができた。青年になっても教会の牧師先生とつながっていられた。この方の教会生活で一番楽しかったのは、独身時代。まだ日本基督教団ではなくメソジスト教会の時代だ。いろいろな地域からの出身者がいた幼稚園の教師たちとの交流とても楽しかったらしい。一度古いアルバムを広げて、この人はとてもオルガンが上手だった。素晴らしかったと聞いたことがある。カナダ人の宣教師の写真も大切にもっていらした。まるでブロマイドのようだった。
洗礼を受けたのは戦後で、今村先生が七尾にきて最初のクリスマスだ。
家族で一人のクリスチャンだったし、お子さんのこと、お店のこと、などあって教会の礼拝に来るのは年に2回か3回。けれど教会のことはいつも気にかけてくれていて、教会の人が訪ねてくれるのを喜んでくれた。(牧師が行くのはちょっと遠慮)。春に亡くなった田村さんが良く訪問してくれた。
現在七尾教会のオルガニストをしている森山の奏楽を初めて聞いた時、「あの先生のオルガンを思い出した」と目を輝かせていた。
もっといろんな話を聞いておきたかったなという思いは胸にしまっておこう。
この姉妹が住んでいたあたりも今は家屋の解体が進んでいる。その光景は見なくてよかったのかもしれない。姉妹が語ってくれた戦前の活気ある七尾の街、そこで生き生きと生きた一人のキリスト者のことを覚えていよう。