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日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

七尾はずっと恵まれている

2025年01月29日 | 2024能登半島地震

全国ニュースでも、地域ニュースでも、能登半島地震の話題は少なくなっている。

そんな中でも時々知人の記事が出る。それぞれの一年。

今日久しぶりに出会った人も、つい最近新聞で取り上げられていた人。

 

新聞見ましたよ声を掛けると照れ臭そうに笑う。新聞では、炊き出しのボランティアを続けていると記されていたので、どこでしているのか聞いてみた。

 

すると「輪島に行ってます」。「輪島はずっと大変なんで」

「七尾はずっと恵まれてます」

 

そういうこの人の仕事場は半壊だし、災害関連とまでは言えないけれど肉親もなくされている。それでも、もっと大変なところへ、ボランティア。

頭が下がる

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見てるだけで

2025年01月28日 | 2024能登半島地震

雨漏りでボコボコになった天井板。

今日ようやく撤去されました。

一年間、雨が降るたびにまた雨漏りするかなと気が気ではなく、

秋に骨折した後は、おけに溜まった水を流すのにも小さいバケツに少しずつ入れてやったり…。

やっと撤去して工事。

小林先生からバーンアウトしないようにと言われたけど、実際いっぱいいっぱいです。

 

工事の人がいつ来るのかが先回りしてわかる状況ではないので、場を離れられない。

まだ腕の調子も良くないので、色々厳しい。

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工事始まりました

2025年01月27日 | 2024能登半島地震

2階部分の工事が始まりました。

やっと

 

今日は朝から荷物の移動。

 

これから

保育を中断することなく工事を続けることに心を配っていかなくては。

午後、白い恋人を持って小林先生が来。

被災地経験豊富な方の話は心に響きます。前からもっと聞いとけばよかった。

 

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明日から工事

2025年01月26日 | 2024能登半島地震

明日から工事が始まります。はじめは壊れた壁の撤去。

腕が上手く使えない中で、なんとか片付けて、まとめて…

幼稚園のの合間にするのでなかなか大変でした。

教会に荷物をまとめるのはもう何度も何度も何度もあって、若い時はなんとかなりましたが、今回は負傷もあって厳しい。一人でやっているとかなり孤独でした。

まだ少ししなくてはいけないことがあって、それは明日幼稚園の先生と。

 

とにかくようやく工事です。

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1月26日

2025年01月26日 | 2024能登半島地震

金沢から2人ボランティアの方一人で、12名。

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現実

2025年01月25日 | 2024能登半島地震

今週届いた信徒の友2月号。

専従牧師がいない、とは、なんと厳しい特集だろう。

能登ではその伝道のはじめから何度もあったムボク。都会の教会と違って、距離が離れているから、本当に辛い。午後の礼拝するといっても夕拝にすると言っても。

 

一つの教会が無くなれば、信徒は何時間もかけて礼拝に行かなくてはならない。行くだろうか?

それは複数の教会がある都市部で、あえて近くの教会ではなく、よく知っている先生のところに行くというのとは訳が違う。

 

どうしたら、礼拝の場が守られるのか。建物だけではない、いろいろな問題があるのを覚えていたい。

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能登のつながり

2025年01月23日 | 2024能登半島地震

検診のため歩いて病院へ。街は静かだ。人の声がしない。響いているのは、解体の音。また誰かの家が壊れていく。

車は通るけれど、人は通らない。更地と解体中、解体まち。

こんな状況で未来への希望を抱くのはなかなか難しい。

 

そんな中でも希望を失わず、諦めない人。奥能登の大豆で醤油作る話。希望を失わずに歩いている。

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107歳

2025年01月22日 | 2024能登半島地震

昼、新聞のお悔やみ欄を見て、思わずアッと声を上げてしまった。

長いこと消息がわからなかった教会員の名前を見つけたからだ。

10年いやもっと前かもしれない。お子さんの住まいの近くにということで、金沢市の老人施設に入られていた。そこに入所されてからは年に一度クリスマスカードを出していた。返事が返ってきたことは一度もないけれど。ご親族が七尾にいるわけでもなかったので、それ以上の連絡は難しかった。

107歳のご生涯だった。

 

この方の教会との出会いは、幼稚園だった。昔のことだから幼稚園に行く人は少なかった。七尾幼稚園に行かせてもらったから、日曜学校に行くことができた。青年になっても教会の牧師先生とつながっていられた。この方の教会生活で一番楽しかったのは、独身時代。まだ日本基督教団ではなくメソジスト教会の時代だ。いろいろな地域からの出身者がいた幼稚園の教師たちとの交流とても楽しかったらしい。一度古いアルバムを広げて、この人はとてもオルガンが上手だった。素晴らしかったと聞いたことがある。カナダ人の宣教師の写真も大切にもっていらした。まるでブロマイドのようだった。

 

 

洗礼を受けたのは戦後で、今村先生が七尾にきて最初のクリスマスだ。

 

家族で一人のクリスチャンだったし、お子さんのこと、お店のこと、などあって教会の礼拝に来るのは年に2回か3回。けれど教会のことはいつも気にかけてくれていて、教会の人が訪ねてくれるのを喜んでくれた。(牧師が行くのはちょっと遠慮)。春に亡くなった田村さんが良く訪問してくれた。

 

現在七尾教会のオルガニストをしている森山の奏楽を初めて聞いた時、「あの先生のオルガンを思い出した」と目を輝かせていた。

もっといろんな話を聞いておきたかったなという思いは胸にしまっておこう。

この姉妹が住んでいたあたりも今は家屋の解体が進んでいる。その光景は見なくてよかったのかもしれない。姉妹が語ってくれた戦前の活気ある七尾の街、そこで生き生きと生きた一人のキリスト者のことを覚えていよう。

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再び十字架を高く掲げる日のために

2025年01月20日 | 2024能登半島地震

朝、ラジオから聞こえてきたのは、珠州の人からの声。地震津波で全壊の家をやっと解体しているところで、ご先祖に申し訳ないという言葉が哀しい。ボロボロになっていく家を一年間見続けた哀しみはいかばかりだろう。

 

まだ運転できないので、幼稚園の先生にクルマを出してもらって銀行周り。

更地がどんどん増えている。主任の友人の家がいくつも解体中。一つ一つ哀しい。今回の能登半島地震は、じわじわ壊れる街を見ている辛さだ。

 

輪島教会の礼拝堂の解体もすすんでいる。地震の後も高く掲げられていた十字架も下された。輪島教会の一人一人の哀しみはどんなだろう。再び高く掲げる日が来ることを、その困難な道を主が導いてくださいますよう、お祈りください。

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1月19日、主日礼拝

2025年01月19日 | 2024能登半島地震

他教会の信徒の方2名と、他教区牧師1名の出席で、11名の礼拝でした。

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