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タコだー!アオシマだー!

2007-05-11 17:31:42 | 日記・エッセイ・コラム

   一世をPhoto_70風靡した元大阪府知事で元参議院議員の「横山ノック」氏が亡 くなった。履歴を見ると、参議院議員を4期勤め、府知事も2期目が始まったばかりで、不祥事により辞任したが、30年近くを政治家として過ごしていたことを再確認。
 トリオ漫才で「タコ」を自称し、「パンパカパーン、今週のハイライト」を やっていた期間よりずっと長い。
 辞任したのが2000年で、この「山部赤人」の替え歌は、2001年の年賀状に使ったものだ。最近は、芸能界への復帰を目指していたと聞いていたが、全国放送のテレビなど、メジャーな舞台では、お呼Photo_73びがかからなかったようだ。
 昔の「漫画トリオ」のメンバーが、追悼の催しを計画しているという。ノック氏が政治家になったときには、トリオ解散で、仕事に影響が出たことへの恨みもあっただろうに。
 周囲からは好かれていたとも聞く。事件は、慢心が起こしたのだろうか。

 ノック知事が誕生した時、東京都知事も「青島幸夫」氏が選ばれ、二大都府がタレント知事になったと、賛否両論(否定が多かったと思う)が巻き起こった。
 青島知事が誕生したときは喝采を送ったものだが、かなり早く失望に変わった。議会からの反発に、だんだん弱腰になっていった経緯は気の毒でもあったが、見た目も小さくなっていったように思えた。テレビで「意地悪ばあさん」を演じていたが、議会でも意地悪ばあさんの本領を発揮して欲しかったが、弱々しさのほうが目立った。
 議員から「ハローワークを知っているか」と質問され、なんのことか分からず沈黙した。あとで「みんなが分かる職Photo_74安と言え!」と、なんでもカタカナにする風潮に渇を入れてもよかったのではないか。
 公約だった情報公開やごみ問題で、「議会に迎合していった」と憤慨していた、そんな時期に作った替え歌が、「定頼」から「不頼」への替え歌である。ノックさんへの替え歌の前年の作だったと思う。
 
 先に、都知事だった青島氏が亡くなり、あとを追うように府知事だったノック氏が亡くなった。どちらも参議院議員当時は二院クラブの同士だったことがあり、私も支持していた時期があった。

 当時の、故人を揶揄する歌だが、懐かしく、敢えて掲載させた。


山部赤人の和歌が違うという指摘をする方がいましたが、おそらく百人一首の
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」と比較されてのことだと思います。これは藤原定家が小倉百人一首を編纂するときに、編集、作り替えたもので、ここでは、万葉集にある作者の本歌「田子の浦ゆ‥‥ま白にそ‥‥」を使っています。


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