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ほうき星で責任放棄?

2010-03-11 23:57:23 | 日記・エッセイ・コラム

   一昨日の大雪。今日は晴天の洗濯日和。
 最近は、2~3日前の天気予報は当たらない。昨夜、今日の天気予報を聞いて、慌てて夜から洗濯を始めた。翌朝、4回目となった洗濯が終わるまでのつもりで、テレビ「暴れん坊将軍」の再放送を見た。洗濯が終われば,すぐにでも会計士さんの所へ行って、確定申告の最終打ち合わせをしなけらばならないのに、最後まで見てしまった。

 相変わらず、将軍吉宗が任命した幕府の重役が悪い奴で、最後には「成敗」することになるPhoto_2 わけだが、これで何人を始末しただろう。今回は、若年寄が殺された。現代なら、任命責任を問われるところだが、公表されることなく抹殺してしまうから、「上様は人を見る目がない」と言われない。こうしてみると、老中、若年寄、勘定奉行、寺社奉行を始め、その要職をねらった人々がほぼワルだったのだ。

 そのストーリーに惹かれたわけではない。
 彗星(ほうき星)が、江戸の空に現れ、それがどうなるか、何処に落ちるか、が重要なテーマだったのがきっかけだ。
 天才天文学者が吉宗に呼ばれる。そもそもは、「暦を見直す」ために呼ばれたのだが、「ほうき星の落下」の警告が行われる。
 この学者は、会話もろくに耳に入らないほど、盛んに計算している。
 「そうか!地球の重力を計算に入れなければならないのだ」などと、つぶやく。
 先ず、そこでびっくり。その画面では何を計算しているかは分からない。後で、ほうき星の軌道を計算していたことが分かったのだが、ほうき星の接近は地球の重力に惹きつけられているからだろうに、計算の途中で「地球の重力」に気がつく稚拙さ。
 だいたい、当時、どうやって地球の重力を計算していたのか。大きさも密度も分からないのに。
 それはどうでもよい。最後に、落ちる場所を確定させたから、最後まで見Photo_3てしまったのだ。
 最初は相模と言っていたのが、「日野宿の近く、大和田村だ」となったからだ。私の家から2~3キロの距離。まさに、これから行く会計事務所に落ちることになる。
 住民を避難させるために、「め組」の衆が駆けつける。避難シーンでは、せいぜい20人くらいしかいない。め組もいるからもっと少ない住民が橋を越えて いく。多摩川のつもりか浅川のつもりだろうか。当時の大和田は、山の中だからそれも納得するが、それだけで周辺の住民全てが退去できたとは思えない。テレビの話だから、それでよいのだが、これから行く場所「大和田」は、甲州街道の渋滞が予想される箇所だから、思わず見てしまったのだ。

 天文好きの私だが、日野・八王子の境、大和田に彗星が落ちた記録は見たことがない。父の話では、空襲の翌日、大和田坂に、B-29の落とした不発弾があって、それを見に行った人が集まったところで突然爆発し、多くの死傷者を出したという。父は、危ないと感じ、遠くで見ていたから助かった。「あれは時限爆弾だった」と言っていた。

 彗星(ほうき星)の落下地点を誤差数キロ(結果は誤差ゼロ)で予測出来る天文学者に比べ、幕閣の重要ポスト人事で、「ワル」を任命。後の悪事を予測出来ない将軍様。
 
 将軍様のおかげで、危うく、確定申告の書類が間に合わないところだった。


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