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東北・関東大震災 日々感じること

2011-03-18 16:19:54 | 日記・エッセイ・コラム

 11日の大震災発生のその日から、私たち夫婦も、日々の収入がなくなった。
 二人の仕事。妻は「料理教室」「パン教室」。私は「ウクレレ・ギター教室」、「バンド演奏」のステージ。料理は、まだしも、楽器教室などは、完全に趣味の世界だ。こんな状況下では、家で予習・復習をする気にもなれないだろう。
 私も、楽器を触る時間が大幅に減り、楽譜を作ることもなく、テレビで唖然・呆然とする映像を見るだけ。
 最近は、原発の心配ばかりで、気持ちも暗くなるばかり。買い出しに行くにも、ガソリン節約のため自転車で長距離を走る。運動にはなる。
 他の時間は、テレビとパソコンで情報収集をするだけ。
 地震前は、忙しくてブログも更新がままならなかったのに、書く気がよみがえってきた。

物がない
 地震直後から、買い漁り・買いだめの話は出ていたし、「お米、なくなるよ」などの忠告をしてくる人もいた。見事に、数日を待つまでもなく、スーパー・コンビニから品がなくなってきた。「買い漁ることもない。いずれ物流が始まれば、すぐ商品がでてくる」と、買いだめさえしなければいいんだと、衝動は抑えた。

 我が家は、料理教室をやっている関係上、普通の家庭より食材は豊富で、2台ある大型冷蔵庫がいつもいっぱいだ。
 ところが、質の良い食材を種類多く揃えているので、それらの数自体は多くない。
 早速、米びつの底が見えた。妻が「少しはあるよ」と言うので安心していたら、二日分だった。
 「保存期間が長いとまずくなるので、少しずつしか買わない」そうだ。その基準での「少しあるよ」が二日分。


生鮮海産物がある
 生ものは大量に売り場にある。しかも新鮮なものだから物流があるということだ。保存食が不足している。
 それなら、刺身で一杯飲んで、そば・うどんでよい。地震以来、鍋物に煮込みうどん。昨夜の主食はグラタン。朝は餅。昼はスパゲティー。今夜は?
 被災地の方には申し訳ないが、米がないぐらい、どうってことはない。
 トイレットぺーぺーがもう少ないから買いに行った。前日、妻が買いに行ったときは全くなかった。「開店と同時に行け」と言われ、行列に並んだ。たっぷりな在庫品を歩道上に並べだした。行列の最後の人が買い終わっても、まだたくさん残っていた。
 前日、一人暮らしのおばあさんが
 「トイレットペーパーを7袋買った」と自慢していた話を人づてに聞いた。114ロール。長生きするつもりなんだろうね。
 40年前のオイルショック。トイレットペーパー騒動の反省が活きていない。


マナー良いのは被災地だけ?
 昨日行ったスーパーでは、レトルト・カレーを200個ぐらい、棚にある全てを大きな箱に入れている親子を見た。さすがに、たまりかね
 「施設か、被災地に持っていくんですか」と聞いたら
 「自宅用だけでなく友達にも頼まれた分もある」と答えたママ。そばにいた女の子が
 「えーっ、全部、うちのだって言ったじゃない」
 もう、黙っていられない。
 「あんたみたいな人がいるから、物がなくなり、困る人が出てくるんだ」と苦情を言った。知っているスーパーの社長に、「制限しろ」と要請。
 20個ぐらいに減らすようにお願いしたら、大いにむくれていた。
 レジの人も「見たことのないお客です」と言っていた。普段、利用していない客だ。あちこち回って買い漁っていることが分かった。

 海外では、被災者のマナーの良さが驚きと賞賛を受けているという。被災していない人のほうがマナーが悪いのか?

 ガソリンを入れる長い車の列。これは整然と並んでいる。これが海外で驚かれるマナーだ。
 いつから並んでいるかと聞いたら
 「朝の8時。その時は交番の前だった」

ということは、もう3時間以上だ。距離は400メートルほど。あと500メートルある。しかも、あと1時間もすると計画停電だ。間に合うわけもない。ガソリンだって、もう、ないかも知れない。

土方歳三が泣いている
 
寄付金なら個人でも方法がある。赤十字、NHKなどが思いつく。
 物資の寄付は、自治体などを通じて行ってくださいとある。
 私の住む日野市。隣の立川市は、非常食、発電機、毛布などを送るニュースを見た。当然、日野市も同様の対策を取っていると思い、市に電話すると
 「受け入れ先の準備が出来ていないので、それを待ってからです」
と回答。
 要するに何もしていないのだ。受け入れ先の準備が出来ないようなひどい状況だからこそ、早い援助が必要なのだ。新撰組の関係で友好都市となっている会津若松市に援助隊が行った。市にある公団住宅に福島の人を迎い入れたようだ
。一部の地域で福島弁が急に聞かれるようになったと、福島出身の人が言っていた。
 しかし、今、緊急の援助が必要なのは、太平洋沿岸の市町村ではないか。市に災害用物資の備蓄がなくても、市民から募るなどの呼びかけくらいしてもよいのではないか。
 募金は、自治体がやらなくてもできる。必要なのは生活物資なのだ。
 神戸淡路大震災の時の対応は全く違っていた。なぜ、こんなに対応が違うのか。友人の日野市議に電話したが
「提案しても、議員で討議しようともしない。同僚議員も熱心ではない」とのこと。
 明日、お互いに、市の防災課に申し入れしようと決めた。 
 阪神淡路震災当時の市長は「中央自動車道に固定資産税を!」で名を馳せた森田市長だった。今の日野市長は健康保険料の大幅値上げには熱心だが、弱者救済には熱がないようだ。人柄は良さそうなので人気はあるが、恵まれた人からの支持が得られればよいと考えているようだ。
 落日の江戸幕府を支えようとした「土方歳三」の生まれ故郷が出身地が売りの、我が日野市。弱者に見向きもしない姿勢を情けないと思っている。

住所欄に、もうひとつ書かなければならい事柄ができる

 住所を書くとき、郵便番号が必要だ。これからは、もうひとつ情報欄が必要になってくる。東電のグループ番号欄だ。トラック便などの配達に必要となってくる。冷凍荷物には必須となる。運送会社は、すぐ、その地区の停電日を調べ、配送するかどうか決める。
 自治会も、○○3丁目東電第2グループ自治会と、○○3丁目第4グループ自治会などになる。
 無論、これは先の話だ。夏にはもっと電力事情が逼迫し、一日まるごと停電になった時の話だ。季節によっては、一日交代停電で2つのグループだけになることもある。
 停電対象になっていない地区がある。停電地区でも停電しない所もある。不動産売買の時、これが価値を左右する。
 「駅まで5分、陽当たり良好、南向きの角地、停電対象外」
これが最高の土地とされる。
 同じ住所地区でありながら、一度も停電しない地区があるのだ。同じ地番でグループが違うのは分かる。変電所が違うからだろう。それでも、同じグループで停電しない。
 病院がある。老人福祉施設がある。そんな理由なんだろうと思うと、そうでもない。有力者が住む地区ではないか、と言う人もいる。
 市の市民生活の担当部署に問い合わせても、他人事のようで、「これは市の管轄外で、問い合わせつもりもない」と答えが返ってきたそうだ。
 市民の生活を守るのが市民部だ。停電の基準を問い合わせ、一方的に、困る人や安泰な人がいつも同じになる不公平をなくすように努力せよ!

 市民部の各課案内を見たら、税を扱う課ばかりだったので、あらためて驚いた。  


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