天文6年(1546年),細川晴元の家臣・山中又三郎が大塚城を築城したが、細川氏綱に攻められ落城した。その地に、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣に徳川方総大将の徳川家康がここに本陣を構えた。翌年の大坂夏の陣の際には豊臣軍方の真田信繁(幸村)が陣を置いた。天王寺公園の北東側にある茶臼山古墳が砦跡です。
[所在地:大阪市天王寺区茶臼山町(天王寺公園内)]
<アクセス>JR大阪環状線・天王寺駅下車北西へ徒歩約10分。天王寺公園内(有料施設)
▼茶臼山古墳跡(天王寺公園内)
▼茶臼山及び河底池碑
▼大坂の陣史跡茶臼山の碑
▼茶臼山頂上
2014/11/19訪城
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▼市立美術館の南側の黒田藩蔵屋敷長屋門の石碑(天王寺公園内)
▼黒田藩蔵屋敷長屋門(天王寺公園内)
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▼真田幸村陣歿の地(安居神社)➜➜➜茶臼山砦跡の北約250m
▼真田幸村戦歿の地の碑 ▼疲れて休息している真田幸村(安居神社境内)
■□■真田幸村の最後 大坂夏の陣 安居天神■□■
https://www.youtube.com/watch?v=C2rZ5mSzN94
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大坂冬の陣 慶長19年(1614年)
京都の方広寺の鐘銘事件を契機に開戦。徳川家康軍20万騎、豊臣秀頼軍10万騎が、激突。外堀(総堀)の埋め立てを条件に和議。
天王寺口の戦 慶長20年(1615年)
慶長20年(1615年)5月7日正午過ぎ、赤備えの真田幸村率いる3500騎は徳川方の松平忠直率いる15000騎と衝突し、大坂夏の陣の最大の激戦がこの茶臼山付近で繰り広げられた。真田隊は徳川家康の本陣をめがけて一文字に三度の攻撃をかけたがあとわずかで手が届くところまで攻めるも、数に勝る越前勢の反撃により壊滅し、激戦後、真田幸村は茶臼山の北の安居神社で休息している所を越前兵により討ち取られた。
大坂夏の陣 慶長20年(1615年)
慶長20年(1615年)、徳川家康、豊臣秀頼の大坂城退去、国替えを強請。豊臣秀頼が応じないため徳川家康軍15万騎と豊臣秀頼軍5万騎が、激突。大阪城炎上で豊臣家の滅亡。