真田丸出城は、慶長19年(1614年)10月、大坂冬の陣に際し、豊臣方の真田信繁(幸村)が大阪城の総構の南側の笹山という小丘陵に築城した出城である。東側は、玉造方面へ続く水堀で囲まれ、構造は東西約180m,半円形の曲輪で、出口は後方と両脇に位置し、三方に堀を配し、外側には三重の柵を敷いた。冬の陣終了後、和議の条件により真田丸出城は、破壊された。宰相山公園(三光神社付近)から西側(心眼寺付近まで)が城跡です。
[所在地:大阪市天王寺区餌差町2番22号(心眼寺)]
<アクセス>JR大阪環状線・玉造駅下車徒歩約10分)
▼心眼寺(真田丸出城跡)
▼門扉に張り付けられた真田家の六文銭
▼山門の横の石碑(真田幸村出丸城跡) ▼心眼寺本堂
心眼寺は、真田幸村・大助父子の冥福を願って建てられたお寺で、門扉には真田家の家紋である六文銭が張りつけられています。また、「まん直し地蔵」といわれるお地蔵さんが祀られています。
▼真田信繁(幸村)の墓
▼真田丸出城概略図
2016/03/23 訪城
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■□■真田幸村 大阪冬の陣 真田丸攻防戦■□■
https://www.youtube.com/watch?v=QDXCBZJ7UKA