八尾城は、南北朝時代、八尾の土豪で八尾別当顕幸が築城して居城したと伝わる平城です。織田信長の石山本願寺攻めが終息すると、若江城から池田教正が移ってきた。天正12年(1584年)の長久手の合戦後、池田教正の美濃移封で廃城となった。八尾神社境内には矢尾城(八尾城)の石碑が建てられています。城跡は、現在の八尾神社周辺であろうと思われる説(西郷説)と現在の南本町から安中町あたりであろうと思われる説(八尾座説)が言い伝えられています。
[所在地:大阪府八尾市本町7(八尾神社)
<アクセス>近鉄大阪線八尾駅下車徒歩5分
▼八尾神社
この地を本拠とした物部氏一族栗栖連がその祖神を祀ったものであろう。古くから西郷・木戸両村の氏神で明治41年(1908年)に八尾神社と改めた。八尾は、古くは矢尾とも書かれ、物部氏の一族で矢作りに従事した「矢作部」がいたといわれています。
▼矢尾城址碑(八尾城址碑)
▼八尾神社
2014/04/23 訪城