ボー・グエン・ザップ将軍は、建国の父、故ホー・チ・ミン主席の側近としてベトナム人民軍を創設。1954年5月、旧宗主国フランスとの戦いで最高司令官として北部の要塞(ようさい)ディエンビエンフーを人海戦術で陥落させた。その2ヶ月後にジュネーブ協定が結ばれ、フランスによる植民地支配が終結。西側諸国では、「赤いナポレオン」との異名を取った。その後、アメリカのかいらいのゴジンジェム政権の旧南ベトナム政府軍と米軍50万人を相手にしてのベトナム戦争でも国防相として指揮を執り、1975年4月のサイゴン(現ホーチミン)陥落により勝利をもたらし、戦略家としての名声を不動にした。1980年のカンボジア内戦への関与そのものについては将軍は反対し、国防相を解任された。筋を通す人であった。2013年10月4日、老衰のためハノイの「軍108病院」で102歳で死去。天寿をまっとうされたと思われる。全国民からも信頼され、政府にも意見具申する婆娑羅将軍でもあった。国葬は、10月12日行われた。
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◆フランスのベトナム支配(植民地政策)
フランスのベトナム支配(植民地政策)は、支配住民を愚民化するために学校を破壊し、監獄をつくることから始まるといわれた。1940年のメコン河流域の住民蜂起では、6000人のベトナム人が、逮捕されサイゴンの監獄が満員となり多くの囚人が死亡した。
1945年、ホー・チ・ミン国家主席が読み上げた独立宣言にその怒りがこめられている。
「・・・彼らは学校を破壊し、多くの監獄を建て、容赦なく愛国者を殺害し、蜂起を血の川に溺れさせた。・・・」
フランス革命以後、自由、平等、博愛等を掲げ、人権意識の発達をリードしてきたとされる、欧米諸国だが、彼らの言う人権とは、白人固有のものであり、有色人種に対しては、それを認める気は全く無かった。
■□■西洋の植民地になるとこうなる■□■
https://www.youtube.com/watch?v=cT-3DE6nSZs
■□■大東亜戦争の名言集■□■