俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

独立

2014-09-20 10:26:04 | Weblog
 独立の是非を多数決で決めることが正当とは思えない。55%の人がなぜ残りの45%の人を支配できるのだろうか。多数決とは様々な意見の共存を認める民主主義ではなく、多数者の横暴を認める権力主義だ。
 独立運動の背景は様々なので一概には言えないが、今回のスコットランド独立運動には地域エゴが潜んでいる。北海油田の利権を独り占めすれば今よりも豊かになれるという思惑があったように思える。
 通常は分裂しないほうが有利だ。アメリカの50の州(state)のように自主性を保ったままで連携をしたほうが得だ。もしアメリカが50の国に分裂すれば超大国から一挙に弱小国になるだろう。ユーロはアメリカに対抗するための連携だろう。アメリカの南北戦争は南部の独立を阻止するための戦争だったし、そのアメリカはイギリスとの独立戦争で勝つことによって生まれた。
 もし多数決が正当であるなら、日本ではテロリスト集団としてしか報道されない「イスラム国」にも正当性がある。多数者でありながら虐げられているスンニ派が独立を主張することは妥当であり、むしろイラクとシリアの現政権こそ少数者による独裁だと言えよう。日本のマスコミは欧米側に偏り過ぎている。
 地域の独立の是非はそれぞれの事情があるが、イギリスが独立の是非を多数決に委ねたことは困った前例になる。
 独立問題を抱えた国は少なくない。ウクライナから独立してロシアに併合されたクリミアや今も戦闘中の東ウクライナだけではない。スペインのカタルーニャ州やカナダのケベック州なども以前から揉めている。これらの地域は歴史的・文化的に異質だからだ。これらの地域が住民投票を要求しても国は認めまい。独立派が勝つ可能性がかなり高いからだ。イギリスの場合、独立賛成派はせいぜい3割と予想されていたから住民投票が認められただけであり、明らかに独立支持派のほうが多ければ認める訳には行くまい。イギリスは内紛の火種を作ってしまった。
 しかし特定の地域や民族が差別・迫害されているなら独立は肯定できる。具体的にはチベットやウィグルなどだ。チベットでは仏教徒、ウィグルではイスラム教徒(ムスリム)が多数者だ。中国の易姓革命の多くが宗教団体による反乱に端を発しているので中国共産党は宗教を敵視している。共存できる可能性は極めて低い。
 もし沖縄が独立を求めたらどうなるだろうか。沖縄県はかつての琉球王国であり本土とは歴史も文化も異なる。しかし海以外に殆んど資源が無いだけに独立しても自立することは困難だ。沖縄の独立とは実は、海洋進出を目論む中国に併合されるということに過ぎず、こんなことを沖縄県民は望まないだろう。しかし政府との交渉カードに独立を使うことは有効だろう。これをチラ付かせて、たとえ決定権が無くても住民投票を実施して県民の怒りを表明することによって自治権を拡大することは可能なのではないだろうか。

動物の脳

2014-09-20 09:38:47 | Weblog
 人類の脳の90%以上が爬虫類と共通のものだ。人類特有の脳は数%に過ぎない。この事実から人類を動物と同一視しようとは思わない。パソコンであればたった1つのソフトをインストールしただけでまるで別の機械のように変わるように、高度な脳が少し備わっただけで全く別の動物になり得る。人類とチンパンジーの遺伝子は98.5%同じだそうだが、人類とチンパンジーを同一視する人はいない。
 人類を人類たらしめる能力は予想力だと思う。現在の状況に反応することならどんな原始的な動物にでもできる。しかし事実を記憶してそれに基づいて未来を予想することは人類にしかできない。
 蝶の道という言葉がある。蝶は一旦覚えた順路を何度でも通る。たとえ危険な目に会っても懲りない。だから蝶を捕獲しようとする人は、一度逃した場所で待ち構える。
 ウサギならもう少し賢い。躓いた切り株の位置を覚えるから危ない場所を避けて通る。動揺の「待ちぼうけ」のような守株ではウサギを捕獲できない。
 ニワトリは3歩歩けば忘れる、と言われているがこれはニワトリに失礼なデマだ。鳥類の脳は小さいが意外と賢いことをカラスが証明している。
 人類には知恵があるが動物と共通する所も多い。だから人の心理を理解するために動物の行動が大いに役立つ。中でも生存と繁殖はどの動物にとっても普遍的に重要だから特によく似た行動をする。人類の恐怖・食欲・性欲は、理性よりも直感的あるいはヒューリスティックに反応し勝ちだ。
 繁殖における男の行動は動物のオスと酷似している。動物的欲求に知性が乗っかって巧妙になってはいるが基本は全く同じだ。
 恐怖に駆られた時には先祖返りをする。恐怖心に支配されれば理性は働かない。戦場でしばしば異常行動が起こるのは恐怖心に支配されるからだ。恐怖に駆られた人を正気に戻せるのは理性ではない。ショック療法が有効だ。昔の映画ではヒステリーを起こした女性の頬をひっぱたくシーンがあった。西部劇であればパニックに陥った群衆を鎮めるために保安官が空に向かって発砲した。
 振り込め詐欺に引っかかるのも思い掛けない話に、理性ではなく動物の脳が反応してしまうからだ。
 怒りは恐怖の裏返しだ。恐怖から脱出できない時に怒りが現れる。だから怒った人も思考力を失う。肝心な時に冷静に話し合って解決できないのは人が動物の脳を持っているからだ。

ウミヘビ

2014-09-18 10:18:14 | Weblog
 私は海が大好きだが苦手な海洋動物が3種ある。サメとウミヘビとクラゲだ。
 サメに出合ったのは1度だけ、グアムでのことだ。リーフの外側で泳いでいたら小さなサメを見掛けた。一瞬近寄ろうかと思ったがすぐに思い直した。水中では彼らのほうが圧倒的に早いし近くにお母さんがいるかも知れない。慌てて逃げた。
 ウミヘビには沖縄本島と宮古島で出会った。本島のムーンビーチでのことは以前に書いたが、宮古島での出会いのほうがショッキングだった。勢いを付けて潜ったら真正面から向かって来るウミヘビと鉢合わせになった。パニック状態で逃げた。
 クラゲには長く悩まされた。長時間泳ぐので刺される数が半端ではない。特に両腕は傷だらけになるし痒い。ホームセンターでゴム製のロング手袋を見つけてようやく自由に泳げるようになった。
 沖縄にはイラブー汁という郷土料理がある。何とエラブウミヘビをブツ切りにした料理だ。日本有数のゲテモノ料理だろう。
 回転寿司のアナゴはウミヘビだと悪口を言う人がいる。本当であれば史上最大級の食品偽装事件としてもっと大騒ぎになる筈だ。これは間違った主張ではないが悪意のある誤解を招く表現だ。なぜなら実に奇妙なことだがウミヘビは2種類あるからだ。
 我々が通常考えるウミヘビは爬虫類有鱗目コブラ科に属する。コブラ科であるだけに毒を持つ物が多い。エラブウミヘビもこちらに属する。
 もう1つは魚類ウナギ目ウミヘビ科に属する魚だ。英語ではsnske eel(ヘビウナギ)と呼ばれている。なぜこれがウミヘビと呼ばれるのかその経緯は知らないが、多分、図鑑を見た人による誤訳だろう。一部の回転寿司店で使われているマルアナゴはウナギ目ウミヘビ科に属する。当たり前の話だが魚類であって爬虫類ではない。これをウミヘビと中傷するのはウミヘビが2種類あるのを知らないか、他人の無知に付け込んで回転寿司を貶めたいだけだろう。ややこしい「ウミヘビ」という名称を「ヘビウナギ」に改めればこんな誤解は生じない。
 生物の分類では時々こんな変なことが起こる。タラバガニは実はヤドカリの仲間に分類されるがカニとして通用している。ウミヘビという動物が2種類あるから誤解を招くのであり、魚のほうのウミヘビは「ヘビウナギ」など別の呼称に改めるべきだろう。

怖い薬

2014-09-18 09:41:43 | Weblog
 私が最も日本人らしくない点は薬が大嫌いだということだろう。正直な話、怖いとさえ思っている。薬害に会って懲りている訳ではない。薬が効くメカニズムを理解したからだ。
 細菌に対して有効な薬は沢山あるから細菌による病気であれば私も迷わず薬で治療することを考える。ところがウィルスに効く薬は殆んど無い。だから医学はウィルスを倒すことを諦めて対症療法に特化している。この対症療法は殆んどが的外れだ。根本原因(ウィルス)と闘えないのならウィルスが標的とする場所を守るべきだろう。もしウィルスが肝機能を狂わせるのなら肝機能を助けるか免疫力を高めることが有効だ。結果として現れる症状に幾ら対処しても殆んど無意味だ。
 何度も書いたことだが風邪をひけば様々な症状が現れる。しかしこれらの大半が免疫反応だ。体温を上げることによって病原体の活動を抑えようとしている時に体温を下げれば利敵行為になる。これは鎮火するために駆け付けた消防車の邪魔をするような愚行だ。デング熱で解熱剤を使えば却って重症化することがあるそうだが、元々、解熱剤は有害なことが多く、他の病気でも悪化させていることが少なくない。
 下痢止めはもっと悪い。体内の有害物を排泄しようと体が反応しているのにその邪魔をする。病原性大腸菌O-157による食中毒の場合、下痢止めを使えば死亡率が有意に高まる。
 生活習慣病の薬も、原因を無視した対症療法であり多くは有害だ。歳を取れば動脈は固く細くなる。そんな状況で脳に充分な栄養を補給する方法は2つある。1つは血圧を高めて血流を早めることであり、もう1つは脳のエネルギー源である血糖値を高めることだ。動脈の状態を放置したままで、薬によって血圧や血糖値を下げれば脳に充分な栄養が届かなくなる。これが譫妄と呼ばれる知的障害を招き、ヤブ医者はこれを認知症と誤診して変な薬を処方するから更に悪化する。これは二重の医原病だ。降圧剤などをやめさえすれば全快するのに、薬の副作用を病気と思い込んでやってはならない治療を重ねる。
 薬はどこの家庭にもある劇物だ。正しく使わねば重大な結果を招く。厚生労働省が薬の危険性を知らしめるべきなのだが天下り先の製薬会社との癒着のせいだろうか、義務を放棄している。薬は人体に異常な反応を起こさせる危険物であることが周知されるべきだ。

分断淘汰

2014-09-16 10:10:09 | Weblog
 生存競争において有利な性質は種として継承される。体力も知力も走力も飛翔力も両性が継承する。ところが種族内競争(性淘汰)においては両性が共有する必要が無い。むしろそれぞれが役割分担をして特化したほうが繁殖のために有利になることが多い。卵子と精子が最も分かり易い例だ。栄養分を内包して動かない卵子と、遺伝子以外には殆んど何も持たず機動力しか無い精子が受精する。それぞれが中途半端に機能を持つよりもお互いに特化したほうが合理的だ。これを分断淘汰と言う。
 オスはしばしば生存競争に役立たない形状を持つ。クジャクの尾羽や鹿の角が典型例だ。魚や鳥や虫でしばしば見掛けられる派手な色彩もオスだけに表れる特徴だ。これらの特長はオスだけに遺伝する分断淘汰であり、繁殖のためにしか役立たず生存競争においてはむしろ障害となる。
 オスだけに見られる特性も分断淘汰によるのではないだろうか。ライオンやゴリラなどに見られる連れ子殺しや、ガガンボモドキなどの求愛給餌、あるいは多くの動物に見られる求愛ダンスや小鳥の囀り、これらは総てオスだけに見られる行動だ。つまりオスだけに継承される本能だ。
 どの動物でもオスは交尾に積極的でメスは消極的だ。これはオスだけに強い交尾欲が備わっているからではないだろうか。
 人類においても男女の性欲は子供の頃から大きく異なる。明らかに男のほうが圧倒的にスケベだ。これは万国共通であり文化による差異は殆んど見られない。先天的な相違と考えるべきだろう。
 売春も男の欲望に基づく。女のための売春は殆んど無い。ホストクラブ通いは多分買春とは別の欲望に基づくのだろう。慰安婦は歴史に多く登場するが、女の園に慰安男が現れることは殆んど無かろう。性犯罪の犯人も殆んどが男だ。
 性欲はオス・男だけの欲望であり、メス・女には遺伝されない。近い性質はあろうが、質的・量的に大きく異なる。だから男の性欲は女には理解不可能だ。

降圧剤

2014-09-16 09:38:22 | Weblog
 新聞・テレビ・雑誌のどれを見ても朝日新聞の偽装を非難する記事だらけだ。昨年秋にはレストランの偽装が大々的に報じられたし、STAP細胞の疑惑は科学スキャンダルではなく犯罪であるかのような扱いだ。日本人は偽装には容赦しない。
 ところがもっと重大な偽装が余り報じられていない。ノバルティスファーマ社による薬効偽装事件だ。規模においても重大性においても大変な事件だ。偽装されたのはバルサルタンという血圧降下剤のデータだ。この薬の年間売上高は1,000億円以上であり、偽装に利用されたのは京都府立医大などの5大学で、データ解析のプロと身分を偽らせた社員を使ってデータを改竄するという明らかに会社ぐるみでの犯罪だ。そして何よりもこの薬効偽装は人の命に関わることだ。医師は偽装されたデータを信じて薬を処方する。患者は医師を信じて薬を飲む。ところがそのデータは捏造されたものだった。このために病気を悪化させたり死亡した患者もいた筈だ。この極悪非道ぶりと比べれば、レストランの偽装は料理長などによるほんの勘違いレベルの問題に過ぎない。犯罪のレベルが天と地ほど異なる。
 薬害に関する情報が偏るのは、記者の大半が文系学部の出身だからだろう。薬効にせよデータ解析にせよ彼らが苦手とするジャンルだ。むしろ被害者の姿が見える子宮頸癌ワクチンの副作用のほうが扱い易い。
 報道の基準は重要性であるべきだ。読者のニーズや記者の得手・不得手あるいは自社の利害などを基準にすべきではない。ノバルティスファーマ社による犯罪は類を見ないほど悪質な事件でありながら、マスコミも政府も余り騒がない。これは鼻薬が効いているせいだろうか。
 しかしここで奇妙なことに気付く。なぜ被害者が一人も名乗り出ないのだろうか。偽装された薬のせいで病状が悪化した人がいないのであれば降圧剤はそもそも必要無かったということだろう。本態性高血圧症と名付けられた病気が実は病気ではなく治療する必要も無かったのであれば効かない薬でも充分だ。小麦粉でもビタミン剤でも構わない。バルサルタンは薬効が乏しい薬だと分かっていたからこそデータを捏造したのであり、多分副作用も少ないのだろう。元々病気ではない贋患者を対象にするのであれば副作用の少ない物が最高の贋薬だろう。贋の病気に贋の薬と贋のデータという組み合わせは現代日本の医療問題の最悪の縮図だ。

優等生

2014-09-14 10:33:41 | Weblog
 私は優等生を否定しない。優等生は、元々賢いかよく勉強したかのどちらかだろう。頭が悪くてしかも努力しなかった人は決して優等生にはなれない。
 但し一部に困った人がいることは事実だ。昔教わったことを真実と信じて疑わない人だ。現在の教育制度においては教わったことを鵜呑みにすることが求められている。事実は1つしか無いという前提で教育が行われており、どちらも正しいという事態には触れない。こんなカリキュラムだから疑問を持つことは時間の浪費にしかならない。授業で教えられたことに疑問を持って自力でそれを覆しても、それは試験では役に立たない無駄な知識に過ぎない。
 かつて最も迷惑だったのは共産主義かぶれした連中だった。彼らはどこかで教わった共産主義を絶対に正しいと信じていた。事実を積み重ねるよりも先にイデオロギーがあった。イデオロギーのためなら事実を歪めるのだから議論が成り立たなかった。これまでの朝日新聞もそうだった。従軍慰安婦の強制連行を史実と信じていたから嘘と詭弁を繰り返しても恥じなかった。
 今最も迷惑な元優等生は医師だろう。医師は殆んどがそれなりに偏差値を稼いでいた元優等生だ。だからかつて教わったことを盲信している。医学が進歩して従来の医療が否定されても改めようとしないし、その患者に合わない治療であっても悪いのは患者であって治療法ではないと考える。養老孟司氏の解剖学の授業で「この死体、間違ってます」と言った学生がいたそうだが、間違っているのは人間ではなく知識だ。そんなことも分からない医師が多過ぎる。
 医療は患者に合わせるべきだ。99%の人に有効な治療であろうとも1%の人には有害であり得る。1%を異常者として切り捨てるのではなく患者に合った医療を行うべきだ。医学は人間学であって人間の数だけ正解があり得る。教科書どおりの治療を絶対視すべきではない。患者に合わせたオーダーメイド医療が理想だが、せめて薬の量を臨機応変に増減するイージーオーダー医療であるべきだ。年齢も体重も無視して総ての大人に同量の薬を処方するような教条主義は改めるべきだ。少し賢い患者であれば医師から渡された薬の一部を捨てている。

虫の売春

2014-09-14 09:58:36 | Weblog
 売春は人類最古の職業と言われている。日本語でも商売女という言葉は売女(ばいた)の類義語だ。死語になったBGの語源のbusiness girlにもそんなニュアンスがあったらしい。
 不思議なことに売春は人類独自のシステムではない。虫の世界にも存在する。虫は金銭を使わないから食物が対価として使用される。
 アメリカに棲むツマグロガガンボモドキという昆虫の例が最もよく知られている。この虫のオスは大きな獲物を捕らえるとメスへのプレゼントに使う。勿論、無償ではない。交尾するためだ。交尾はメスが餌を食べている間に行わねばならないので獲物が小さければすぐに食い逃げされて交尾できない。だから良質で大きな餌が選ばれる。
 オスの生活は過酷だ。自分の餌だけではなくメスに与える餌も集めねばならない。そのためにオスの行動範囲はメスの2倍、クモの巣に掛かる数は3倍と言われている。
 求愛給餌と呼ばれるこの行動はオドリバエやクモなどにおいても見受けられる。本能と言ってしまえばそれまでだが、なぜこんな奇妙な仕組みが生まれたのだろうか。彼らの先祖にはこんな習性は無かった筈だ。オスが持っていた餌を横取りしたメスに交尾したことがきっかけになったのではないだろうか。
 多くの動物が餌を奪い合っている。他種との奪い合い以上に、同じ餌を食べる同種内での争いは激しい。同性であれ異性であれ容赦しない。これらの虫の場合、餌を奪われたオスがメスの隙を見て交尾するという生活を続けている内に、奪われるのではなく奪わせるという性質が芽生えたのではないだろうか。つまり「奪われる」→「奪わせる」→「与える」という進化だ。繁殖のために有利であればこんな方向への進化もあり得る。これはメスを迎えるために東屋を作るアズマヤドリや多くの動物の求愛ダンスなどと比べて決して不自然な進化ではない。オスは交尾するためであれば何だってやる。
 オスとメスが違った方向に進化したという意味でも興味深い。生存競争において有利な特性であればオスにもメスにも共有されるが、種族内競争(性淘汰)においては、卵子と精子のように雌雄が全く違った方向に進化する分断淘汰が起こり得る。
 性欲をオスとメスの両方が持つ必要は必ずしも無かろう。どちらか一方に性欲があれば繁殖は行われる。動物にとって重要な行動原理はオスの性欲とメスの自己保存欲なのではないだろうか。人類においても男女の性欲は質的にも量的にも明らかに異なる。
 虫と人類という進化の系統樹において大きく懸け離れた種で、売春という類似行動が見られるのはそれが動物としての合理性を持つからだろう。オスがメスと交尾したがり、メスがその報酬を求めるという構造は動物としての基本的性癖なのではないだろうか。因みに私は婚姻を、全財産を対価とする究極の売春制度だと考えている。

高血圧

2014-09-12 10:22:16 | Weblog
 全く自慢できる話ではないが、健康診断の度にɤ-GTPの値が高いと判定される。ほぼ毎回保健指導値を越え、時には受診勧奨値をも越える。しかし薬を勧められたことは1度も無い。肝臓の薬が無いからなのか飲酒が原因だと分かっているからなのかは知らない。
 検査数値を下げるのは簡単だ。前日の飲酒量を減らせば必ず下がる。薬で数値を下げるよりも確実だし安全だ。原因が分かっていれば対策も明白だ。
 高血圧と判定された人はそうではないようだ。降圧剤を勧められるらしい。血圧が高くなる原因は人様々だと思うのだが原因を調べることも無く薬によって血圧を下げることが治療と言えるのだろうか。
 日本人の高血圧症の90%が原因不明の高血圧でありこれは「本態性高血圧症」と名付けられている。原因が分からないのに病名がありそして治療薬まであるとは何とも不可解な話だ。まさしく典型的な対症療法だ。このことだけでも充分に胡散臭い。原因不明のままでただ降圧剤が処方され続ける。血圧が非常に高ければ自覚症状があり心疾患の恐れもあるから、原因不明であっても治療が必要なことは納得できるが、少し数値が高いだけで自覚症状も無い人は本当に患者なのだろうか。
 実に奇妙なことだ。肝機能であれば薬によって数値を下げようとしないのに高血圧は安易に薬に頼る。医師にとって本態性高血圧症の患者こそ美味しい患者だと言われている。少し高い程度であれば容態が急変することも無いし、薬で血圧を下げているだけだから薬をやめれば血圧が上がる。患者は死ぬまで薬を飲み続けることになる。これは雑誌や新聞の定期購読者のような有難いお得意様だ。
 ノバルティスファーマ社による研究論文捏造事件は多くの人が記憶しているだろう。京都府立医大などを舞台にした大規模な論文捏造事件であり、バルサルタンという降圧剤の薬効が捏造されていた。大金を投じてデータを捏造してまで売ろうとするのだから余程儲かる美味しいビジネスなのだろう。
 軽度の本態性高血圧症の患者にとって降圧剤は何のメリットも無く副作用だけがある。医療が仁術ではなく算術に化けている。昨年の医療費は39.3兆円だったそうだ。そのうち調剤費は7兆円だった。半分とまでは言わないが3割ぐらいは無駄あるいは有害な薬代だろう。

幸福者

2014-09-12 09:45:48 | Weblog
 生活に最も満足している日本人は専業主婦らしい。博報堂の調査では20代女性の34.6%が専業主婦を希望しているそうだ。時間に追われず他人から指図されずに自由時間もたっぷりある。育児という人間として最もクリエイティブな行為が生活の中心であり、これで良き夫にも恵まれていれば文句無かろう。
 逆に最も満足していないのはシングルマザーではないだろうか。時間的制約が多く生活にゆとりが無い。まるで親子が生きるだけのために働いているような生活だ。とは言えこれは赤の他人が勝手に想像しているだけであって本人はそんな生活を楽しんでいるのかも知れない。
 就活の女子大学生にこんな話をした人がいるそうだ。「年中無休で16時間勤務、しかも泊まり込み。深夜に起こされることもあって責任も重大。こんな仕事に就きたいですか?」
 大学生は一様に怒りを隠さなかった。そんな酷い仕事があるとは信じられなかった。ところが「これがお母さんの仕事です」とタネ明かしをされることによって母親という役割の大切さを痛感したとのことだ。
 主婦業を現象面で捕えるなら奴隷のように描ける。妻を「性生活を伴う女中か?」と問うたのは石川達三氏の「幸福の限界」だ。主婦の立場を奴隷や女中のように解釈することは可能だ。しかしこんな解釈は内面に踏み込んでいない。
 例えば締切が迫った作家や漫画家であれば缶詰状態にされて碌に眠ることさえ許されない。これを人権侵害と考えるべきだろうか。
 あるいはサラリーマンが自らのライフワークとばかりに猛烈に仕事に取り組むこともあろうし、研究者が寝食を忘れて没頭することもあるだろう。これらは単なるワーカホリックだろうか。
 個人の幸・不幸を決めるのは客観的事実ではなく主観的事実だ。やりたいことをやっている時、人は自分を幸福と感じる。社会的評価とは無関係だ。
 「主婦業の呪縛から逃れて社会参加すべきだ」と主張する人は自分達の価値観を押し付けようとしている。主婦としての業務を蔑視するから専業主婦を古い価値観に支配された愚かな女だと信じる。しかし子育てでは知育・体育・徳育・食育など総ての教育を網羅せねばならない。こんな難しい業務を片手間で全うできるものだろうか。彼らは育児を舐めている。子育てとは本当の総合教育であり、学校教育のような薄っぺらでおざなりな教育とは全く質的に異なる。
 私は現在の隠居の立場に満足している。田舎住まいは不便ではあるが、基本的には好きな時に好きなことができる。サラリーマン時代のように仕事の合間に生きるのではなく自分が生きたいように生きられる。「社会貢献せよ」と言われてもご免蒙りたい。同じように主婦にも社会に利用されないことを選ぶ権利がある。