金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

失踪

2007-01-13 14:51:52 | 鋼の錬金術師
ずっと先のお話
 失踪1
兄が亡くなったと聞かされたとき、フレッチャー・トリンガムはまずまったく疑いを持たなかった。兄は心臓が弱かったし、ずっと無理を重ねていた。
いつ死んでも不思議はありませんねと医師団は自信を持って宣告してくれている。(そんな宣告をするだけの医者など要らないのだが)
酷使された心臓はすでに自力では動かず練成陣の力によって血液を流す通路と化していた。ここ1ヶ月の兄の脈は1日に平均5回。
肺の傷口はいまも空けられたときのままの無残な姿をさらす。この傷ゆえに兄は決して他人に肌を見せようとはしなかった。
本当に兄はいつ死んでいてもおかしくなかった。

だが、弟は兄の死の知らせに確信を持って否定した。
「私が生きているのに兄が死んでいるはずはない」
それはごく身近な人にしかわからない理屈。
フレッチャーは早々と死亡認定したマスタングの執務室のドアを乱暴に開いた。あの無能上司は何を考えているのだろう。自分が生きているのに兄が死んでいるはずはないとわからないのか。エド譲りの呼び方でもっとも偉大な大総統と尊称される男をこき下ろす。
アポなしで大総統の部屋に入れる幕僚達、トリンガムはその数少ない一人である。
部屋に入っていきなり怒鳴りつけた。トリンガムは最上の黄金と歌われた髪を振り乱す。
そのむしろ年齢相応な怒りの様にしばらくマスタングは押されていたが、若者がようやく呼吸が必要なことを思い出した隙に口を挟んだ。
「君ではないのか?あの死体を練成したのは」
「どうして僕が兄さんを殺さなければならないのです」
「死んだことにだ。ラッセルを守るために」
「ばかな、准将こそ、失礼しました。大総統、あなたではないのですか」
「私は君だと思った。だからあの死体をラッセルだと認めたが、あれは君が有機合成したわけではないのか」
「違います。大体どうしてそういうことになるのです」
「あの子が疲れていたからだ。ゆっくり休ませるにはこれしかないだろう。それに君がゼノタイムに隠れ家を用意していた。ラッセルのためだろう」
「さすが、お耳の早い」
そう、自分はつかれきった兄のために隠れ家を用意していた。ごく普通に見える小さな家。子供のころ住んだ家に少し似ていて、中には兄の好きなものをすべてそろえた。兄がずっと休めるように。もう誰にもその姿を見られないでいいように。兄の姿を見ていいのは自分だけなのだから。
兄の調子のいいときに連れて行って、もうどこにも行かなくていいとささやいて、兄はどんな顔をするだろう。兄の表情を想像するだけで興奮した。
「そうです。私は何とかして兄を引退させるつもりでした。もう軍は兄に用はないはずでしょう。兄が支えていた国境はすべてけりをつけた。約束は果たしました。兄を自由にしてください。
兄さんを僕に返してください」
最後の言葉だけを15年前と同じ口調で言う。
「違うのか?本当に」
「兄さんの行方を知っていたらこんなところには来ません」
大総統執務室をこんなところと言ってのけるのはこの兄弟だけである。
「軍は本当に兄をニエにしていないのですね」
確認というより脅すように言う。
お互いに武闘派の錬金術師だが、ロイはすでに45歳。技は落ちなくても体力は昔ほどではない。対するフレッチャーは29歳。男としての盛りを迎えるころだ。
「君でないとなるとわからないな。研究所で倒れたのは聞いたがその後痕跡がない」
「そうですか」
少なくともロイは積極的な嘘はついていない。15年の付き合いから弟はそれを確信した。
銀時計の鎖を片手で叩き切る。
ごとり
銀時計はまばゆい輝きを胡桃材の机に散らした。
「どういうつもりだ」
「僕が軍人になったのは兄さんの負担を軽くするためだけです。兄さんがいない以上こんなところにいる気はありません」
「待ちたまえ、そんな勝手が許されると思うのか。仮にも将官職にある者が」
フレッチャーは若者らしい輝くような笑顔を向ける。
「許されるんですよ。僕はあなたに仕えたわけじゃない。僕はアルとの約束を果たそうとしただけ。それはもう十分に果たしました。
あなたを押し上げる手伝いを代わりにしてくれと言われただけ。准将が大総統になった時点で約束期間は終わりです」
この軍事国家で多くの者の望むべくもない地位を捨て去ろうというのに若者は楽しげだ。ようやく開放されると15年ぶりに見る明るい瞳が語る。だが、それを認めるわけにはいかない。最前線を守るトリンガムがいなくなったと知れば講和条約などたちどころに破棄される。ロイがセントラルを空ければそこを襲われる。
「辞める事など許さん。まだ、むしろこれからこそ君はこの国に必要だ」
奇跡を起こす大総統と言われるロイにこういわれて感動しない若者はおるまい。だが、目の前の若者には何の効果もなかった。
「僕はこの国にもこの世界にも何の思いもありません。
僕には兄さんだけだ。兄さんが僕の世界だ。兄さんがいないならこんな国どうなってもいい」
兄の失踪に我を失っているのだろう。この子がこうもストレートに兄への感情をあらわにするなど初めてである。この兄弟はあの兄弟と違う。お互いに思いあっているのにそのことを口にできなくて、すれ違って、泣いて、それでも絶対に相手にだけは弱いところを見せない。兄は兄だからと、弟は自分の強さを見せるために。
ロイはこの2人の弱さも思いの強さも知っていた。だからそこに付け込むことができた。
「ラッセルを探したくはないか」
ぴたり。
若者の足が止まった。
「君一人で何ができる。ラッセルがどこに行ったか、連れて行かれたかどうやって探すつもりだ。軍にはあらゆる情報が集まる」
「きたないですね」
「そうだ。私は汚い大人だ。わかっていただろう。それでも君はあえてあの兄の反対を押し切ってまで銀時計を求めた。君がどう思おうがあの時から君は軍の犬だ」
「僕は兄さんを守りたかっただけです」
「兄を取り戻したくないのか」
引っかかったと見てマスタングはもう一度えさを投げた。
「君が権力を握れば軍の総力を上げて兄を探せる。そうだろう」
「善良な青年をあおるのですか。いすを奪いに来いと」
「そう聞こえるか。だが私とてやすやすとこの椅子は渡さん。まだやることは多い」
若者はさらに数歩ドアに歩いた。ドアノブに手をかける1センチ前で180度回転した。
そのまま銀時計を手にした。
「いいでしょう。何者かに誘拐された兄を取り戻すまでせいぜいあなたの座を脅かすとします」
そのまま振り返ることなく部屋を出た。

今まで同じ部屋にいたのに気配すら感じさせなかった女が、男を気遣った。
男は若者に熱さに対し余りに老いて見えた。
「よろしかったのですか。あのようにあおって」
少しやりすぎではないかと思う。
「いいさ、あんな子供に奪われるぐらいなら私がこの座にふさわしくないということだ。
ラッセルがいなくなった以上、フレッチャーまで失うわけには行かない」
「本当に知らないようですね」
「そうだな。いったいあの子はどこに行ったのか。今度こそ自由にしてやれると思った矢先にこれだ。まったくかわいげのない子だ」
相談もなく勝手に決めた・・・ですか。もういい加減にお分かりにならないと。あの子もあの子達も誰かの意見で動かされるような子ではないと。
そうね、もう子供でもないわ。一番小さかったあの子も29歳。もう結婚させるべき年だわ。ラッセル君は31歳。5年前に会ったきりだわ。あの時もあの子は年齢不詳だった。きっと今もあまり変わっていないわね。あの子が誰に連れて行かれたか本当はお分かりになっているはずでしょう。あの人が引退するのと同時に行ってしまったのだから。
あの子はきっと幸せだわ。

そして、私は幸せなのだろうか?
一人が考えることは同じ立場に立たされたもう一人も考えた。あるいはどこかで2人の錬金術師は出会っていたのだろうか。私、ホークアイの父とトリンガムの父とは。
レベルこそ違え私はあの子と同じ。練成によって作り出された身体。たとえ一部と言ってもこの身体はまともな人ではない。
大切な人、この人には後継者となる子供がいない。
何度も求婚された。そのたびに今は国が大切ですと言い切って。私は女として見られたくない。生まれたままの女の身体はとっくにないのだから。
あの日、この人が焼ききったあの肌だけが私の肌。私は作られた。父に。そして父はこの人に私を託した。私の背の焔の紋章がその証、預ける代価。
老いてしまった。あんな生意気な子供に押される人ではなかった。
子供がほしい。この人の子が。熱い血を受け継ぐ子供が。
「リザ」
男の低い声。
なぜ、今の私を名で呼ぶの。ここは名で呼ぶ部屋ではないのに。
「リザ」
また、呼ぶ。
返事はしない。この部屋ではその呼び方は許さない。
「たとえ、私がどう変わっても、君は私についてきてくれる。約束したな」
なぜ、今それを言うの。この部屋はそれを言う部屋ではないわ。
「これで、980回目だ。リザ、私と結婚してくれ」
息がすえない。もう肺の中がいっぱいだと気がつくのに3秒もかかった。
「そんな回数を数えている暇があれば書類を早く見てください」
「また、ふられたなー」
彼は軽く笑う。その顔は最初のプロポーズの時と少しも変わらない。
「さて、981回目をいつ言わせてもらえるかな」
黒い瞳が見上げてくる。
「残っている書類をすべて片付けたらおっしゃってもかまいません」
「そうかそれでは張り切ることにしよう」
彼の手が恐るべき勢いで動き出す。
このペースなら今日中に終わるだろう。
そして私は981回目のプロポーズを待っている自分を隠し続けるのだ。


失踪2(逃亡者達)へ

題名目次へ

中表紙へ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿