金属中毒

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神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世を書いた勢いで。

2011-08-04 22:11:41 | Weblog
 神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世を書いた勢いで見つけてしまったこのおいしい話。
 イスラムと馴れ合った・・・と見られていたこの皇帝がエルサレム王に戴冠するとき、戴冠式に出たのはドイツ騎士団だけ。
これヘタ的に言うとこんな感じか。
 貴賓席には3つの椅子が用意されており、でも2席は空のまま。3席の末席に幼い外見の銀の髪のこどもがぽつんと座る。
 (おにいちゃんもあにきも、来てくれないんだ)
 兄達が来ない理由、いや来れない理由はわかる。本当ならエルサレム王こそは異教徒を駆逐しキリストの聖地を守り戦う戦士であるべきなのに、この王は。戴冠式の会場にはイスラムの高位高官が貴賓席に並び、彼らからの贈り物が山をなす。アッコンで生まれて、ずっと戦場で生きてきたギルには見たことも聞いたことも無いような華やかで輝かしい空間。イスラムの高官達はエルサレム王の友人として招かれている。
 (あいつら、かみさまのてきなのに)
 神様の敵と戦うのが騎士団の生まれた理由。敵と馴れ合うような王の戴冠式に清浄な兄ヨハネが、高潔な兄ユーグが来るはずが無い。
 (にいちゃんのところにかえりたい)
 ドイツ騎士団の化身たるギルも本当は来たくなかった。でも上司である総長が「来い」と言うので仕方がなく来た。
 戴冠式が終わっても祝賀の祭典は長い。祝辞を聞いていると寝てしまいそうなくらい長い。ギルベルトは大きすぎる椅子の上でもじもじした。
中断

おろかものをさらす

2011-08-04 01:25:50 | Weblog
「弱い自分に負けないために私はこの名(フリードリッヒ2世)を背負った。プロイセン、私はもう2度とお前という運命から逃げたりはしない」
プロイセン好きなら知らないはずの無いこのセリフ。ご存じのとおり、親父の誓いのセリフ。小生はこの台詞をプロポーズと解釈している。
 さて、このセリフのなかの「この名を背負った」の部分だが、小生は無学ゆえに誤解していた。
 プロイセン王家でフリードリッヒの名は2人目、ちなみに1人目は2世のお爺さんで、公国だったプロイセンをあの手この手を駆使して王国にしたお方。この1世がプロイセンのこの後の発展の基礎を造った。
政治的手腕の優れた偉い人だったから、孫が「じっちゃんの名に懸けていい国にするぞ」と思うのもあり得る話なのだが・・・。1世は大変な浪費家で死んだあと莫大な借金を残して、それを返済して国の財政を健全化する為に2代目の兵隊王ヴィルヘルム1世は大変苦労した。
 財政の健全化といえば親父様もいろいろ努力しておられる。大切なプロイセンを強く美しい大国にするために。
 18世紀のプロイセン財政の大きな特徴は健全財政主義である。これは公式の史書にも載ってます。
 ギルベルトの成長のために内容の豊かな国にしようと精魂を尽くした親父様が浪費家を尊敬する?
 
 疑問の答えは(ルネサンスとは何であったのか)という本で見つかりました。
神聖ローマ皇帝、その名もずばりフリードリッヒ2世。
考えてみれば、もともとプロイセン王家たるホーエンツォレルン家は神聖ローマの諸侯の1人であった。ブランデンブルグがもともとの本家。当然神聖ローマ皇帝のことは良くご存知のはず。
 十字軍の時代、アッコンにいたギルもこの皇帝を知っている。当時どんなふうだったか、現場を知る者として話をしたかもしれない。それで親父がこの神聖ローマ皇帝のファンになってこの名を選んだのなら、ヘタ的にはとってもおいしい。
 
 この神聖ローマ皇帝は当時の「異教徒は殺すのみ」の風潮の中で、最初のルネサンス的国際人として生きた。優れた文明を持つイスラム側と話し合い、政治的交渉のみでエルサレムを無血占領しエルサレム王になった。
 でも、当時のローマ法王はそんなやらせ的勝利を許さない。異教徒を殺さなかった罪で皇帝は破門され、王朝も絶えてしまった。

 プロイセンは軍国なんて言われてるけど、一方では最も優れた法を持つ法治国家だった。時代が許せば親父様も法やルールの下で平和や安定を楽しめる国を目指していたはず。
 時代に押し潰された神聖ローマ皇帝と、時代に押し潰されつつある自分と。親父様は女が嫌いだったから、子孫は残さなかったけど王である自分と皇帝を重ねていたのなら、子供を残さなかったのも意図的だったように見える。ヘタ的にはそっちの方がおいしいし。
 誰か文才のある人がこのあたりを書いてくれないだろうか。喜んで読みに逝く。